> ご案内
当ブログでは、「あの映画(小説)、一度観たんだけど、どういう話だったかが思い出せない・・・」とお困りの方のために、映画(小説)のストーリーを完全に網羅したデータベースを公開しております。詳しくは、カテゴリ内の「映画(小説)ネタバレstory紹介」をご参照ください。なお、完全ネタバレとなっていますので、未見の方はくれぐれもご注意ください。 > 最新のコメント
> 最新のトラックバック
|
満足度 ★★★★★★★☆☆☆(7点)『ドリームガールズ』(2006、米) 監督 ビル・コンドン 出演 ビヨンセ・ノウルズ ジェイミー・フォックス ディーナ、エフィ、ローレルの3人は、トップスターの仲間入りを目指してオーディション出場に励んでいたが、泣かず飛ばずの日々。そんな中、カーティスという男に声をかけられ、ジミー・アーリーというスター歌手のバックコーラスに抜擢される。バックコーラスとして頭角を現し始めた3人は、ついに「ドリームス」としてデビューすることに。しかし、カーティスが「ドリームス」のメインボーカルに指名したのは、圧倒的歌唱力を誇るエフィではなく、美しい容姿をもつディーナだった。エフィは激しく抗議するが・・・。 歌・歌・歌で押しまくる、パワフルなソウルフル・ミュージカルです。 「ミュージカル」があまり好きじゃない人でも、「音楽」や「歌」が好きな人なら、それなりに楽しめるのではないでしょうか。まるで、2時間のコンサートに参加したような、そんな楽しさがあります。 ストーリーはどうということはありません。よくあるサクセス・ストーリーであり、よくある崩壊と再生の物語です。そういう意味では、ストーリーも素晴らしい傑作『シカゴ』にはちょっと及ばないかなという感じもしますが、ただ、ミュージカルって歌に集中したかったりするので、ストーリーはそんなに複雑じゃない方がいい場合も多いんですよね。 おそらく、この映画が好きな方はみなさん同じ感想を持たれたかと思いますが、やっぱり歌がいいです。「これ」という決定的ナンバーこそありませんが、どの歌も素晴らしく心に響いてきました。ひとりひとりのキャラクターの心情を、セリフではなく歌で表現しながらストーリーを進めていく。これこそ、ミュージカルの醍醐味です。 ハリウッドのミュージカルを観るといつも感じるのですが、本当に俳優たちが素晴らしいです。きっと、ものすごく努力しているのだと思います。ポっと出のアイドルでもトップスターになれてしまう日本の芸能界と、トップに立つにはかなりの下積みが必要なハリウッドの差を感じずにはいられません。 ジェイミー・フォックスこそあまり見せ場のない役ですが、他の3人のメイン・キャストはそれぞれが個性を発揮していて印象に残りました。 まずは、アカデミー賞はじめ昨年度の映画賞の助演女優賞を総ナメにした新星・ジェニファー・ハドソン。圧巻のひとことです。圧倒的な歌唱力。パワフルな存在感。結果的に、彼女の出現によって、この『ドリームガールズ』という作品は”エフィの物語”となりました。 そして、エディ・マーフィ。私は別に彼のファンでもなんでもないのですが、最近あまり名前を聞かなくなっていた往年のコメディ・スターがスクリーンで思い切り輝きを放っている姿は、やはり感動的でした。ファンの方には、きっと忘れられない作品になったと思います。このジミー・アーリーというキャラクターに存在感を生んだのは、紛れもなくエディ・マーフィの力だと思います。 それだけに、アカデミー賞を獲れなかったのは本当に残念。自分の名前が呼ばれなかった瞬間、失望して会場を去ったという噂を聞きましたが、本人もきっと手応えがあったのでしょう。でも、これだけの演技ができたのだから、きっとまたいい役にめぐり合えると思います。 最後に、ビヨンセ。世間一般の評価でいうと、「ジェニファー・ハドソンに食われた」ということになっているのでしょうか。賞レースにも絡むことが出来ませんでした。でも、私はこのビヨンセという音楽界のトップスターがディーナという主役を堂々と演じてからこそ、他のキャラクターがひきたったのだと思います。彼女が中盤、満たされない想いを歌い上げるソロナンバー『Listen』は、間違いなくこの作品のハイライトです。 こんな映画と出会うと、自分が日本人に生まれたことをちょっぴり悔しく思ったりもします。きっと、アメリカの観客は、手を叩き足でリズムを踏みながら、この映画を観たことでしょう。日本の映画館はおとなしすぎる!もちろん、私も含めて・・・。 満足度 ★★★★★★★★☆☆(8点)『ボビー』(2006、米) 監督 エミリオ・エステヴェス 出演 ウィリアム・H・メイシー イライジャ・ウッド 1968年6月5日、アンバサダーホテル。その日、ホテルでは次期米大統領候補のロバート・F・ケネディ上院議員の演説が予定されていた。2人だけの結婚式を控えた若きカップル、電話交換主の若い女性との浮気に夢中のホテル支配人、野球のチケットを入手しながら職を失うのが怖くて仕事を抜け出せないメキシコ人のコック見習いなど、ホテルには各々の想いを抱えた様々な人間が集まっていた。そして、事件は起こった・・・。 素晴らしい映画です! 作品の性質から言っても、アカデミー作品賞を取ってもおかしくなかったほどの傑作だと思います。非常に質の高い人間ドラマに仕上がっています。 構成がとても巧いですね。1968年6月5日にアンバサダーホテルでロバート・F・ケネディが暗殺されたという歴史的事実に、架空のキャラクター・出来事をうまく絡めたストーリー構成。僕は、”ヒストリー(事実)”と”ストーリー(嘘)”をミックスさせた映画が大好きなので、この手の映画はたまりません。 豪華キャストも見どころの1つです。しかも、シャロン・ストーンだのデミ・ムーアだの、なかなかいいところをつくなぁ、といった感じのアンサンブルなのです。主役不在の映画ですが、ストーリーに安定感があるのは、俳優たちの確かな演技力に支えられている部分も大きいと思います。 惜しむらくは、1つ1つの物語にもっと面白さ・力強さがあれば、なおよかったかなぁとも思います。おそらく、賞レースで先頭集団に入りきれなかったのは、そのあたりが原因なのでしょう。僕は全くそんなことはなかったのですが、観る人によっては、前半でやや退屈してしまう人・眠くなってしまう人もいるかもしれません。 事件発生後のラスト15分間は、出色の出来だと思います。ケネディの命を奪った銃弾は、その日ホテルに居合わせた人々の運命をも狂わせます。そこにかかるように聴こえてくる、ケネディの演説テープ。圧巻のクライマックスです。 映画の中盤まで描かれる、様々な人間ドラマ。その中には、人と人がしっかり繋がるような心温まるドラマもあれば、人と人が繋がることの難しさを描いたシビアなエピソードもあります。その全てのドラマが、エピソードが、人生が、1発の銃弾によってストップしてしまうのです。 人の命を奪うということが、どれほど愚かなことなのか。丹念に描かれた様々なドラマの全てがあっさりと犠牲になることで、この映画を観ている私たちは改めてそのことを思い知ります。 そこから感じるのは、「だからこそ、繋がろう」というメッセージです。人と人が繋がることの尊さを、ケネディはあのロング・スピーチで訴えたかったのだと思います。 とても心に強く残る、素晴らしい傑作です。 満足度 ★★★★★★★☆☆☆(7点)『エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?』(2005、米) 監督 アレックス・ギブニー 出演 ケン・レイ ジェフ・スキリング 1985年に設立されたアメリカの企業「エンロン」は、わずか15年で売上高全米7位の大企業に成長した。しかし2001年、エンロンの不正会計疑惑を報じた1つの新聞記事をきっかけに、その後たった2ヶ月でエンロンは倒産してしまった。巨大企業の内部では、何が起こっていたのか?エンロンはなぜ、崩壊してしまったのか? 久しぶりのドキュメンタリー映画鑑賞です。 この作品、アメリカで公開されたのは2005年なのですが、日本ではようやく昨年の11月に公開されました。 なぜやや遅れたタイミングでの公開となったのか?作品を観て、納得ができました。この映画を観ていると、イヤでもあの会社とあの元社長の顔がチラつきます。○○○ドア、○○エモン・・・。「経済」とか「会計」とか「不正」いう言葉に注目が集まっている今だからこそ、と配給会社も踏んだのでしょう。その戦略、正解だと思います。 とても興味深い映画です。内容の細かい部分は経済の難しい用語や手続きもチョコチョコ出てくるので全ては理解できませんでしたが、この映画の面白さはむしろ違うところにあります。「会社」というモンスターのような存在、そしてその中で働く人間たちの制御しきれないほどの欲望。映画は、「企業」と「人間」というものの本質に、鋭く迫ります。 私も「会社」という場所で働いている人間として感じることですが、「会社」というものは、常に成長しつづけなければ生き残れないという宿命を背負っているんですよね。どんな立派な企業も、どんな優れた会社も、少し気を抜けばすぐに失墜してしまう。「経済」とか「社会」という場所で生き残っていくということは、そんな厄介なことなのです。 この「エンロン」という会社の中で起こったことは、おそらく極端なことだったんだと思います。でも、多かれ少なかれ、同じような考え方は普通の一般的な会社にも存在するのではないでしょうか。少しでも売上を上げるために無茶をしたり。実態よりも自分たちの存在を大きく見せようとしたり。どんな会社だって、そういうことを考えない会社はありません。 そしてもうひとつ私が強く感じたのは、「経営」というものの恐ろしさです。「経営者」と言い換えてもいいかもしれません。 この「エンロン」の倒産で失業した人の数は2万人を超えるとのことですが、おそらくその中の大多数の従業員は、「エンロン」の不正会計の実態については知らなかったはずです。大きな権力を持ったひと握りの経営者たちによって進められた不正経営。そんな中で一生懸命働いていた従業員は、被害者以外の何者でもないでしょう。にもかかわらず、加害者側である役員たちだけがひと足先に自社株を売り抜けていたという事実には、同じ一般従業員である私としては怒りをおぼえざるを得ません。 ○○○ドアの○○エモン元社長は、この映画を観たのでしょうか?彼は、どんなことを感じた(感じる)のでしょうか?おそらく彼なら、「やるなぁ、コイツら」とか「バカだなぁ、オレならもっとうまくやれる」とか、そんな風に感じるのでしょうね。そして、そういう考え方はきっと、企業というモンスターの中でナンバーワンになるためには、必要なたくましさでもあるのでしょう。 ただの善人・凡人でも生き残れないし、かといって行き過ぎた悪人・才人も潰されてしまう。会社とは、経営とは、本当に厄介なものですね。 満足度 ★★★★★★☆☆☆☆(6点)『イカとクジラ』(2005、米) 監督 ノア・バームバック 出演 ジェフ・ダニエルズ ローラ・リニー ブルックリンで暮らす4人家族、バークマン家。父は元売れっ子作家だが、最近は鳴かず飛ばずで大学講師暮らし。一方、母は作家デビューが決まり、父はあまり面白くない。2人の息子、ウォルトとフランクは、カフカやディケンズという言葉が普通に食卓で飛び交う環境で育ったためか、少し変わった一面を持っている。そんな中、夫妻に離婚話が持ち上がる。2人の息子は、1週間の半分ずつを父母それぞれの家で暮らすことになるが・・・・。 『イカとクジラ』。なんだかユニークなタイトルですが、ストーリーもまたとってもシュールな映画です。 家族の映画、ということになるんだと思います、一応。「ホームドラマ」というようなほのぼのした響きは全く似合わない映画ですが、そこで描かれているのは、ある1つの家族の姿です。不思議なストーリーに身を委ねているうちに、気が付いたらエンドロールになっていた、そんな感じでした。 面白い!という風に表現していいのかは正直わかりません。かといって、よくわからない、というような複雑な映画というわけでもありません。なんと言えばいいのか、本当に不思議な映画、としか言いようがないです。 少し変わった家族なんですが、元凶は誰だ、となったらやっぱりお父さんでしょう。このお父さん、全然人間ができてないんです。偏った理屈ばっかり述べては息子に悪影響を与えてしまうし、仕事がうまくいかないことに対しても言い訳ばかりだし、12歳の息子とテニスや卓球をプレイしてはムキになってしまうし。要するに、ただの子供みたいな人なんです。 かといって、お母さんが大人なのかといえば、そうでもありません。このお母さん、本心が非常に見えにくいのですが、僕にはナンダカンダで子供たちのことを深く愛しているようには感じられませんでした。本音を言ってしまえば、自分のことが誰よりも可愛い、というタイプの人なんだと思います。 そんな両親のもとで育った2人の息子。当然と言ってしまえば当然なんでしょう、少し変わったキャラクターになってしまっています。 お兄ちゃんのウォルトは、自分でも認めているように、お父さんに似たところがあります。プライドだけはやたら高いので、ほぼ女性経験がないのにプレイボーイぶったり、プロのロック歌手が作った曲を自作と偽ってコンクールで演奏してしまったり、読んでもいない小説を駄作と批判してみたり。 弟のフランクは、性に目覚めはじめ、そこらじゅうで自慰行為を繰り返しては精液をあちらこちらにこすりつけるイタズラを繰り返します。 要するに、4人とも、大人と子供の中間にいるような感じなんですよね。両親は大人なのに子供みたいな面をたくさん持っているし、息子たちはまだ子供なのに大人ぶろうと背伸びをしています。そして誰も、互いの本当の気持ちを掴むことができません。家族なのに・・・。 皮肉がきいているなぁと思いますが、とてもシャープな視点だよな、と感心しました。家族というものの本質を、ある意味とても鋭くついていると思います。子供たちは、自分たちが大人に近づくにつれ、自分たちの親が実はそれほど大人ではないということに気付きます。そんな時期のことを、「思春期」と呼ぶんですよね。こういう家族の現象って、万国共通なのではないでしょうか。これがもう少し成長すると、子供ももっと寛容になるんですけどね。そして、改めて親への感謝の思いを強くする。そういうものではないでしょうか。 普通の映画だと、そんな関係が、後半何らかの変化を見せるものなのですが、この『イカとクジラ』に関してはそのままパタっと終わってしまいます。「あれ、もう終わり?」というのが僕の感想でした。 最後に少しだけネタバレしちゃいます。この家族は、最後に少しはわかりあうことができたのか?非常に微妙なところです。お母さんとの子供の頃の記憶を思い出したウォルト。お母さんに「覚えてる?」と聞きますが、結局その答えはウヤムヤになってしまいました。僕は、なんとなくの感覚として、お母さんはきっと覚えてないんだろうなぁと感じました。 一方、お父さんは、その無駄に高いプライドをかなぐり捨てて、お母さんに復縁を提案します。でも、お母さんはその提案を、鼻で笑ってしまいます。これ、お父さんには相当ショックだったろうなぁと思います。きっと、お母さんなりの、お父さんに対する復讐という意味もあったんだと思います。ちょうど、オープニングのテニスシーンで、お父さんがお母さんに対してしたことと同じように。 ただ少なくとも、エンディング近く、家を出て行った猫を追いかけたあの瞬間、やはりあの4人は家族になっていたと思います。わかりあうことも出来ていないし、何も状況は改善されてはいないのだけれど、それでも家族であることをやめることはできないんですよね。 チグハグなダブルスをこれからも続けていくであろうその家族の未来を案じつつも、うまくいくといいなぁって、そんなことを感じました。 満足度 ★★★★★★★★☆☆(8点)『ディパーテッド』(2006、米) 監督 マーティン・スコセッシ 出演 レオナルド・ディカプリオ マット・デイモン ボストンを牛耳るマフィアのボス、フランク・コステロ。ボストン州警察は、なんとかして彼を捕まえるため、ビリーを潜入捜査官として組織に送り込む。一方、コステロもまた、警察内部の情報を手に入れるため、手下のコリンを警察官として働かせていた。ビリーはコステロの犯罪の動きを警察へ知らせ、コリンは捜査の動きをコステロに伝える。しかし、警察もコステロも、自分たちの組織の中にスパイが潜んでいることに気付きはじめ・・・。 香港映画の大傑作『インファナル・アフェア』のハリウッド・リメイクです。しかも、監督はあの大巨匠マーティン・スコセッシ。そして、レオナルド・ディカプリオ&マット・デイモン&ジャック・ニコルソンという最強のキャスティング。これはもう、期待しない方がウソでしょう! 『インファナル・アフェア』、この映画、僕もう大好きなんです。特に、3部作のパート1は最高の大傑作です。公開当初、あまり話題になっていなかったこの映画を、僕は何人の友人に勧めたことか。そんな風に誰に対しても自信をもってオススメできるような映画って、そうそう何本もあるわけではありません。それぐらい、本当に面白い映画なんです。 で、この『ディパーテッド』です。いよいよ3日後に発表される米アカデミー賞にも、ノミネートされています。アメリカでは、非常に評判が良いようですね。 ただ、僕に言わせれば、そんなの当たり前じゃん!って感じなんです。だって、あの『インファナル・アフェア』のリメイクですよ!?普通にやれば面白くなるに決まってます。 さて、そんなわけで、ようやく観ることができました、『ディパーテッド』。期待に違わぬ、素晴らしい映画でした。ひたすら面白い、エンタテインメント性あふれる快作に仕上がっています。テーマとか社会性とかそんなことはどうでもよくて、とにかく、ストーリーが面白い。 さきほど、面白くて当たり前だと言いましたが、リメイクって決してそんな簡単なものじゃないですよね。今までにも、「あんなに面白い映画(あるいは原作と言い換えてもいいですね)が、どうしてこんなにつまらなくなってしまったんだろう?」というようなリメイクを、僕は何本も観てきました。その作品の本当の面白さを理解して、それを的確に再現する。これって、案外大変なことなのです。 そんな中、この『ディパーテッド』の完成度の高さといったら。オリジナルの香港版の面白い部分を、ほぼ100%抽出することに成功していると思います。そして、例えばジャック・ニコルソンのキャラクターなどは、オリジナルをも凌駕していると思います。もちろん、名優の怪演あってこそのものですが。なんちゅう俳優なのでしょう。凄すぎます。 マーティン・スコセッシという監督の怖ろしいほどの才能を、改めて再認識させられました。あれほどの大巨匠にもかかわらず、オリジナル版に最大限の敬意を払って映画を作っていることが強く伝わってきます。僕は、ひょっとしたら『インファナル・アフェア』とは別物の映画になってしまっているんじゃないかと心配していたのですが、非常に忠実なリメイクになっています。 何に感心したかというと、僕がオリジナル版の中で「凄い!」と感じた部分が、全てきっちりと残されていたことなんです。マーティン・スコセッシは、この物語の面白さを、とても的確に理解できているんだと思います。そして、香港映画とは全く違った、立派なアメリカ映画に仕上がっている。これは、決して簡単なことではありません。 ただ、同時に、この監督はやはりリメイクよりオリジナルに向いている監督だなぁとも感じました。この人、頭が良すぎるんです、きっと。もともと面白い物語をリメイクするとなったら、その面白さを出来るだけ崩さずに表現しようとしてしまう監督だと思います。だから、逆に言うと、オリジナルを上回るような大胆なリメイクを作ろうという発想にはならないんだと思います。 おそらく、『インファナル・アフェア』と出会う前に『ディパーテッド』を観ていたら、もっと震えるほど興奮していたと思います。でも、僕は既に『インファナル』を3回も観てしまっています。その『インファナル』に対する愛情を上回るほどの感動を、『ディパーテッド』から得ることはできませんでした。 僕の中で『インファナル』は★9つの映画で、『ディパーテッド』は★8つです。その差は何なのか?ストーリーはほぼ一緒。どちらも面白い。じゃあ、その★1つ分の差は何なのか? もちろん、オリジナルとリメイクの差、という不公平な部分もあるのだと思います。でも、それだけじゃない。 少し考えてみましたが、2つあるんだと思います。1つは、キャスティング。ディカプリオ&デイモンも悪くないけれど、僕はトニー・レオン&アンディ・ラウのコンビに軍配を上げたいと思います。特に、寂しげな笑顔ひとつで潜入捜査官の哀しみを表現したトニー・レオンほどの深みを、ディカプリオからは感じられませんでした。ただ、ディカプリオのパワフルで野生的なアプローチも、さすがだなぁとは感じましたが。これはもう、好みの問題でしょうね。同じ役でも俳優によって肉付けが全然違うという、とても興味深い好例だと思います。 そしてもう1つは、”アジア”ということなんです。『インファナル』がもっている、あの独特の粘っこい空気感。あれってまさしくアジア的なもので、人によってはそれが耐えられない人もいるかもしれません。でも、僕はこのドロドロしたストーリーには、ボストンより香港が似合うなぁと感じました。音楽の使い方も、すごく面白いんですよね。 とはいえ、非常によくできた映画です。特に、『インファナル』を観ていない人にとっては、最高に楽しめる映画になっていると思います。この素晴らしいストーリーが、アメリカや日本の人に広く伝わったというだけでも、このリメイクにはアカデミー賞の価値が十分にあると思います。 そして、『ディパーテッド』を観て大興奮した方は、ぜひ『インファナル・アフェア』もDVDでチェックしてみてください。でも、その順番だと、きっと『ディパーテッド』のほうが上に思えるでしょうね。オリジナルとリメイクの関係って、本当に不思議です。 満足度 ★★★★★★★★☆☆(8点)『それでもボクはやってない』(2007、日) 監督 周防正行 出演 加瀬亮 瀬戸朝香 役所広司 フリーターの徹平は、就職活動の面接会場へ向かう満員電車で、女子高生から痴漢に間違われ逮捕されてしまう。徹平はたまらず無実を主張するが、警察官は一向に聞き入れてくれず、長期にわたって身柄を拘束される羽目に。徹平の主張を信じてくれる人間は警察や検察にはおらず、徹平はついに起訴され、裁判で争うことになる。徹平を弁護を担当するのは、元裁判官のベテラン弁護士・荒川と、新米女性弁護士の須藤。徹平と2人の弁護士は、無実を証明するためにあらゆる反論を法廷でぶつけるが・・・。 すーーーごく楽しみにしていた映画で、本当は公開1週目ぐらいに観に行きたかったのですが、他の12月公開作品から優先的に観ていたもので、公開から1ヶ月たっての観賞となりました。 それほど拡大ロードショーをしていないので興行ランキングこそ5・6位ぐらいでくすぶっていますが、メディア等で非常に話題になっている映画です。この1ヶ月、何度「日本の裁判」特集をテレビで目にしたことか。とにかく、あまりにもしょっちゅう特集が組まれているので、映画を観る前からなんだかもう観たような気になってしまいました。 「本格裁判モノ」で、ひたすらリアルで、いつもの周防監督らしいコミカルな部分は全くない社会派作品。これが僕の事前に持っていた基礎知識だったのですが、なるほど、確かにそんな映画になっていると思います。 でも、その面白さ、興味深さについては、僕の想像のさらに上をいっていました。この映画、本当によくできていると思います。丹念な取材、綿密な調査の賜物なのでしょう。あるひとつの「痴漢冤罪事件」を題材に、日本の刑事裁判制度の矛盾を見事に浮き彫りにしています。 主人公は、どこにでもいるような普通の青年です。演じてる加瀬亮の芝居もこれまたナチュラルなので、ハッキリ言って全く特徴のないキャラクターと言えます。この青年がどういう人物で、どんな性格の持ち主なのか、といったことは映画の中では全く描かれません。 それこそが、周防監督の狙いだったのだと思います。どこにでもいる、色のついていない青年。誰もが、「もしも自分がこの立場だったら・・・」と考えずにはいられない、そんな大いに共感できる主人公です。この、何の罪も犯していないごくごく普通の青年が、被害者の証言というたったひとつの証拠をもとに、犯罪者のレッテルを問答無用に貼られていきます。 すごく怖いなぁと思います。でも、きっと、こういうことって実際しょっちゅう起こっているのでしょうね。裁判という制度だけの問題じゃないんでしょう。私たち国民ひとりひとりの責任もあるのだと思います。だって、私たちって、誰かが逮捕されただけで、いやそれどころかただ事情聴取をされたというだけで、もうその時点でその人のことを犯罪者扱いしてしまうじゃないですか。まだ、裁判で「有罪」と言われたわけでもないのに。 裁判って、よくよく考えると、本当に怖い制度ですよね。100%の真実を法廷で明らかにできることなんてほとんどないだろうに、何らかの結論を出さなくてはいけないのです。そして、その結論は、その人の人生を一生左右してしまいます。こんな怖ろしいことって、あるでしょうか。 ラストの主人公のナレーションが非常に興味深かったです。「結局、裁判で正しく人を裁けるのは、自分自身しかいない。自分が罪を犯したのか犯していないのかを知っているのは、自分しかいないのだから」というようなことを言うのです。 その通りかもしれません。そう言われると、今までそんなこと考えたこともなかったけれど、裁判官っていうのも辛い仕事ですよね。目の前の被告に対して判決を言い渡す。「有罪」あるいは、「無罪」。その判決が、その時点では確かな真実となるのだけれど、”本当の真実”は、目の前の被告のみが知っている。きっと、冤罪の場合、被告は心の中で裁判長のことをあざ笑っているのでしょうね。「コイツ、偉そうなこと言ってるけど、全部間違ってるよ」ってな感じで。 ひとつネタバレをすると、裁判の途中で、裁判長が交代します。これがある意味においてターニングポイントとなるのですが、おそらくこういう展開を映画の中にもってきたということは、こういうことが往々にして実際の裁判では起こっているということなのでしょう。そして、裁判長のキャラクター・思想ひとつで、判決は180度別のものになりかねない。映画は、そんな裁判の不思議を、極めてわかりやすく、そして皮肉たっぷりに教えてくれます。 この最初の裁判長は、無罪判決をよく出すことで有名な人なのですが、この人が映画の途中でとても面白いことを言います。「裁判官の仕事はただひとつ。無実の人間を有罪にしないことだけだ。だから、有罪であることに少しでも確信が持てなければ、迷わず無罪判決を出す」と。 この考え方が正しいのかどうかは、僕にはわかりません。この考え方だと、ひょっとすると、実際に罪を犯した多くの犯罪者を無罪として野放しにしてしまうことになるかもしれない。そんな気もします。でもきっと、裁判というものの危険性を考えると、それぐらいの慎重さはあってしかるべきなのかもしれないなぁと個人的には感じます。 にもかかわらず、映画の中のセリフによると、ほとんどの裁判官はよっぽどのことがない限りは無罪判決は出さないそうです。理由は2つ。裁判官の評価は裁判をいくつこなしたかで判断されるという事実。そして、無罪を言い渡すということは、警察や国を敵にまわすということだという事実。この2つです。 なんだかなぁ、と思います。でも、そりゃそうですよね。裁判官だって、人を裁いてはいるけれど、僕たちと同じ人間なのですから。人間とはえてして、自分に都合のいいことだけを考えて、行動や意思を決定していく生き物です。 話が長くなりました。結論だけ最後に述べるとすれば、この映画、本当に怖い映画です。「人が人を裁く」ということが、どれだけ無謀で、どれだけ不確実なことなのかということを、この映画は2時間かけて僕たちにしっかりと教えてくれます。裁判という強大なモンスターの前では、「それでもボクはやってない!」という真実の叫びになど、誰も耳を傾けてはくれないのです。 この映画の登場によって、少しでも日本の刑事裁判に良心が宿ることを、切に祈りたいと思います。そして、とりあえずそれまでの間、僕にでも出来る対策といえば、満員電車には出来るだけ乗らない、ということぐらいしかないような気がします。 満足度 ★★★★★★★☆☆☆(7点)『魂萌え!』(2006、日) 監督 阪本順治 出演 風吹ジュン 三田佳子 仕事一筋だった夫の定年から3年。あまりにも呆気なく、夫はこの世を去ってしまう。気持ちを整理できない妻・敏子だが、夫のスーツの中の携帯電話が突然鳴り、電話に出ると女性の声がする。数日後、家にお焼香にきた昭子という名のその女性を問い詰めると、彼女と夫は10数年不倫関係にあったという。さらに、海外生活をしていた息子・彰之が同居したいと言い出し、混乱した敏子は家を飛び出しカプセルホテルへ向かうが・・・。 平日の昼間という時間のせいもあったのでしょうが、観客は中高年の女性ばかり。「もしや、劇場内で自分が一番若い!?」などと余計なことを考えながら、”若者代表”(!?)”として観賞してきました。 桐野夏生さん原作の同名小説の映画化です。ミステリーを読まない方には馴染みのない作家かもしれませんが、『OUT』を書いた人、と聞けばピンとくるかと思います。映画にもテレビドラマにもなりましたしね。『OUT』は彼女(女性作家です)の代表作です。 さてさて、この『魂萌え!』。タイトルもなんだかユニークで、ずっと気になってはいたのですが、原作は未読の状態で映画を観ました。ということで、原作との比較という観点はいっさいありませんので、原作ファンの方、悪しからず。 感想。面白い映画でした。物語のバックグラウンドは決して楽しい設定ではないのですが、全体を通してコミカルで、とてもエネルギーがあって、最後はすごく元気の出るような、そんな映画でした。『魂萌え!』というタイトルも、観る前はあまり好きではなかったのですが、映画を観終えてみると、「フムフム、素敵なタイトルだなぁ」と思えるから不思議です。 最近ニュースを見ていると、「2007年問題」というキーワードと出くわすことが多々あります。あるいは、「団塊の世代」というフレーズも同様です。この映画が描いているのは、まさにその団塊の世代の退職後の生活そのものです。 仕事一筋で生きてきた夫と、その夫をひたすら家で待つことが人生の全てだった妻。夫が定年退職し、「さぁ、これからどう生きる?」というところで、夫はあっさり死んでしまいます。仕事を辞めることで”張り”をなくして病気になってしまう男性って、案外多いそうです。 問題は、残された妻の方です。こちらもまた、”夫を支える”、あるいは”子供を育てる”ということを人生の”張り”にしてきました。夫がこの世を去り、子供が自分の手を離れたいま、彼女はこれからどう生きていけばいいのか?これが、この映画の最大のテーマです。 第2の人生を自らの手で力強く切り開いてくる彼女の生き様が、僕にはとても心に強く残りました。ひとりでカプセルホテルに泊まってみたり、怪しげな老女に騙されてみたり、自分より容姿の優れた女性と恋のバトルを繰り広げてみたり、性格もキャラクターもバラバラな友人たちとケンカしたり仲直りしてみたり、ちょっと素敵そうな男性と恋愛をしてみたり、失恋して傷ついてみたり、ヤケ酒してみたり、大好きな映画関係の仕事をはじめてみたり・・・。そのエネルギーに、なんだかとっても勇気付けられました。 「人生を楽しむのに、15歳も60歳もないんだ!」僕が感じたのはそんなことです。実際、そうなんだと思います。そしてまた、小さなことでクヨクヨしたりウジウジしたりするのにも、子供も大人もありません。 僕は自慢じゃありませんが、25歳を過ぎても15歳の頃と精神年齢がほとんど変わってないような実感が自分の中にあります。そして、それはおそらく、今後30歳になっても40歳になってもその感覚は変わらないんじゃないか、という妙な確信もあります。 この主人公も、同じような感覚で生きているのではないでしょうか。だって、この映画って、彼女が60歳じゃなくて30歳だったとしても同じように成立する話ですから。まぁ、とはいえ、60歳の彼女がそういうパワフルな生き方を選択していくところに、この映画の魅力はあるわけですが。 風吹ジュンが主人公を好演しています。ベッドシーンあり、入浴シーンありの大盤振る舞い。これが、そのへんの60歳だったら、「そんなババアの裸、誰が見たいねん(おっと、失礼!)」ということになるのですが、そこはさすが名女優。年齢を重ねたからこその美しさを、見事にスクリーンで表現しています。もちろん、その美しさは、容姿だけではなく主人公の内面の魅力からくるものです。この主人公の”かわいらしさ”を、見事なまでに愛くるしく表現しています。素晴らしいです。 そして、同じく素晴らしい演技を見せているのが、三田佳子。この存在感には恐れ入りました。少し気が早いですが、来年の今頃は、映画賞の助演女優賞を総ナメにするのではないでしょうか。出演時間は決して長くないのですが、映画の面白さを倍増させる役目を見事に果たしています。 この2人の描き分けが、非常に巧いんです、この映画。特に感心したのが、三田佳子演じる昭子の足の指のペティキュアの表現です。最初に敏子の家に乗り込んできたときの昭子の指には、見事なまでにペティキュアが塗られています。それを見て敏子は、女性としての敗北を感じます。 一方、その後、今度は敏子が昭子の蕎麦屋を訪れる場面。このとき、バッチリメイクの敏子に対し、昭子は髪もボサボサで当然足指も手付かずなまま。 そして、その後の2人のセリフがまた素晴らしいんです。昭子は「奥様が優位に立てるのは、あなたが妻の立場だから」と言い放ち、一方の敏子は「勝ち負けじゃない。私の気持ちもわかって」と叫びます。 2人とも、それぞれ違った苦しみを抱えて生きてきた、ということなんですよね。妻である悲しみ。愛人である悲しみ。そして、2人とも「ひとりの女性」という意味では、妻も愛人も関係ない同じ立場なんです。攻守交替したときの互いの変化は、まさにそんなことを意味しているのだと思います。 男性としては、「女性は強いよなぁ」というような感想を持ってしまう部分もあります。確かに、女性たちの逞しさと比べて、まぁ、男たちの情けないこと。 でも、僕はあまりそういう見方はしたくありません。「自分の人生を、自分で切り開いていく」ことがどれほど大切なことか、その点に男女も老若も全く関係ない。それこそが、この映画の本当に伝えたかったことなのだと思うからです。 それにしても、これからの60代・70代が、どんな社会を作り上げていくのか。なんだか楽しみなような、怖いような・・・・。少なくとも、「おばあちゃん」という言葉の定義は、これから変わっていかざるを得ないような気がします。 満足度 ★★★★★★★★☆☆(8点)『硫黄島からの手紙』(2006、米) 監督 クリント・イーストウッド 出演 渡辺謙 二宮和也 伊原剛志 1945年、硫黄島。アメリカ軍の上陸が迫る中、日本軍は戦力も消耗し疲弊しきっていた。そんな中、新しい司令官として栗林中尉が島に到着する。アメリカでの生活経験をもつ栗林は、欧米流の合理的な考え方の持ち主で、日本軍の古臭い習慣を次々に改革し斬新な戦略を導入する。そしてついに米軍との戦いが始まる。栗林は、「命を捨てるな」と、少しでも長く生き延びるように兵士たちに命じるが・・・。 米アカデミー賞にもノミネートされ、話題になっている作品です。昨年末に観たときには、体調が優れず何となく映画に集中できなかった感があったので、改めて劇場で観てきました。 もはや説明するまでもありませんが、この作品は『父親たちの星条旗』と対になっています。『父親』がアメリカ側からの視点で硫黄島の激戦を描いているのに対し、『硫黄島』は日本軍の視点から同じ戦いを違う角度で描いています。 個人的には、映画としてのクオリティは『父親』のほうが相当に上回っていると思います。僕は、結果的に『父親』と『硫黄島』を2回ずつ劇場で観ることになったわけですが、その思いは1回目も2回目も変わりません。切り口のユニークさ、物語の魅力、心に訴えかけるパワー、どれをとっても軍配は『父親』にあがります。 にもかかわらず、世間的にはこの『硫黄島からの手紙』のほうが、高い評価と話題を集めています。といっても、日本でそうなるのは当然です。キャストはオール日本人ですし、セリフも全て日本語なのですから。あのクリント・イーストウッドが日本人俳優を起用して映画を撮った!というだけでも、話題になって当たり前です。 しかし驚くべきは、アメリカでも『硫黄島』のほうが評価されているという事実です。アカデミー賞でも、『父親』が技術系の2部門ノミネートにとどまっているのに対し、『硫黄島』は作品賞・監督賞など主要4部門にノミネートされています。 おそらく予想するに、映画の主人公が日本人兵士で、セリフも全て日本語ということが、アメリカ人にとっては相当に新鮮なのだと思います。だからこそ、アメリカ人の観客にとって、心に残る映画になりえたのでしょう。 でも僕は日本人なので、その点に関しては特に何の感想も持ちません。1本の日本映画としてこの映画を観たとき、この作品は決してアンビリーバブルな映画ではないと思います。極めてシンプルで、王道の戦争映画という感じが僕にはしました。逆に、日本人の僕たちが観ても全く違和感を感じさせないパーフェクトな日本映画を作り上げたクリント・イーストウッドの才能には、「アンビリーバブル!」という言葉を掛ける以外ありませんが・・・。 この『硫黄島からの手紙』という作品を本当に理解するには、やはり『父親たちの星条旗』とセットでとらえるべきなのだと僕は思います。『硫黄島』の中で僕が最も印象に残ったシーンは、伊原剛志演じる西中佐が、捕虜として捕らえたアメリカ兵と交流を深めるところです。結局、この兵士は死んでしまうのですが、その遺体から見つかった英文の手紙を、西は和訳して日本兵たちに読み聞かせます。 そこに書かれていたのは、死んだ米兵の無事を願う母親の愛情溢れる言葉です。それを聞きながら、日本兵たちは、故郷で自分の帰りを待つ母親の顔を思い浮かべるのです。 戦争という”怪物”を前に苦しむのは、日本兵もアメリカ兵も、日本の家族もアメリカの家族も同じ。この硫黄島2部作の観賞を通じて浮かび上がってくるのは、そんな事実です。 『父親』の中で主人公たちを苦しめる日本兵は、残虐に命を狙ってくる化け物のように感じられます。『硫黄島』の中で主人公たちを苦しめるアメリカ兵は、残虐に命を狙ってくる化け物のように感じられます。でも結局、『父親』の中の化け物は『硫黄島』の主人公であり、『硫黄島』の中の化け物は『父親』の主人公なのです。 本当の化け物は、”戦争”そのものなのだと思います。 もしもその化け物を前に、僕たちが少しでも互いのことを想いあえたら。相手の国のことを、相手の兵士のことを、少しでも考えることができたなら。この2部作にこめられた願いは、そういうことなのだと思います。 その”戦争”というものを、少し角度を付けて捕らえたのが『父親』なのだとしたら、この『硫黄島』は”戦争そのもの”を描いています。欲を言えば、そのあまりの王道っぷりに、僕は少し物足りなさを覚えてしまうのですが。 今年のアカデミー賞ノミネート作品の顔触れを見る限り、この『硫黄島からの手紙』が最優秀作品賞を受賞する可能性は、十分にありそうです。でももしも、『硫黄島』がその栄誉を獲得することがあったとすれば、それは『父親たちの星条旗』というもうひとつの作品とあわせての受賞、ということなのだと思います。 そういう意味では、米アカデミー賞に『硫黄島』がノミネートされ、日本のキネマ旬報ベスト10で『父親』が第1位に輝いたというのは、とても素敵なことだと思います。アメリカ人の心の中に日本兵の苦しみが伝わり、日本人の心の中に米兵の苦しみが伝わる。こんな価値ある相互理解をもたらすパワーこそ、映画という文化の素晴らしさなのだと思います。 満足度 ★★★★★★★☆☆☆(7点)『敬愛なるベートーヴェン』(2006、英・洪) 監督 アニエスカ・ホランド 出演 エド・ハリス ダイアン・クルーガー 1824年、ウィーン。音楽学校を首席で卒業したアンナは、大作曲家・ベートーヴェンのもとでコピースト(写譜家)として働くことに。最初は女性であるというだけでアンナを追い返そうとするベートーヴェンだが、その確かな才能と自分の音楽への理解の深さを知り、次第に信頼を寄せるようになる。そして、ついに『第九』が完成し、大公や著名作曲家を集めての初演会当日を迎えるが、耳の聴こえないベートーヴェンは本番を前に急に弱気になりはじめ・・・・。 ベートーヴェン映画に駄作なし! そんな根拠のない思いが私の中にはあり、『敬愛なるベートーヴェン』を観てきました。あまり話題にもならないまま公開が終わってしまったので、観ていない方も多いかと思います。 もう10年以上前になるのでしょうか、『不滅の恋 ベートーヴェン』という映画を観たことがありました。おそらく、私はまだ中学生だったと思います(って、年がバレますね・・・)。もはや内容は全く覚えてないのですが、確かベートーヴェンが生涯の中でただひとり本当に愛した女性を探し求めるとか、そんな物語だったように記憶しています。そして、話の結末などもまた何も覚えちゃいないのですが、とにかく「面白い映画だった」ということだけはハッキリと記憶しています。 この『敬愛なるベートーヴェン』という映画も、話の切り口こそ違えど、ベートーヴェンの知られざる一面をフィクションと史実を交えて描いていくという意味ではよく似た映画だと思います。 ベートーヴェンという人は、生涯を独身のまま終えたようです。そして、聴力に障害をもっていたということもよく知られています。そんな謎に満ちた人物だからこそ、史実だけではわからない想像の許される部分を題材に、様々な映画が撮られているのかもしれません。 そして、僕はそんな映画が好きなんです。別にベートーヴェンだけではありません。歴史上に実際存在した人物を題材に、実際にそんなことがあったのかなかったのかはあまり気にせず、自由に物語を描く。そういうイマジネーションこそまさに、フィクションの醍醐味だと思うんです。 よく時代劇なんかがハチャメチャやってると、「史実と違う」とか「史実に忠実じゃない」と血相を変えて文句を言う人がいますが、僕はそういう人を見ると「おかしなことを言う人だなぁ」と思ってしまいます。だって、数百年前の出来事ですよ?「史実」って言ったって、所詮は文献に載っているとか、その程度の根拠です。誰もその頃は生きちゃいなかったんですから、「史実」もヘッタクレもあったものではありません。(ちなみに、「歴史=history」の語源は、「his story」なのだそうです。歴史とは、結局は「物語」(ストーリー)に他ならないんですよね)。 と、今回は「歴史論」のようになってしまいましたが、少しは映画の話題にも触れなくてはなりませんよね。『敬愛なるベートーヴェン』、とても面白い映画だと思います。物語の自由度は極めて高く、ほとんどのエピソードはフィクションだと思いますが、非常に力強さをもった映画です。 ベートーヴェンとアンナの2人のキャラクターが、とてもしっかり描けている点が素晴らしいと思います。恋人のような、母子のような、師弟のような、様々な側面をもった2人の関係性がとてもユニークなんですね。愛情・同情・憧憬・羨望・嫉妬などのいろんな感情が渦巻きながらも、2人の根底には揺るがない尊敬と信頼があります。それが、映画における2人のキャラクターの魅力をより深めています。 エド・ハリスとダイアン・クルーガーの2人の演技も、とても素晴らしいと思います。フィクションでありながらも、まるで実際にあった出来事のように思えてくるのも、2人の演技力ゆえなのでしょう。映画に説得力をもたらしています。 そして圧巻は、中盤の『第九』コンサート。映画の中のかなりの時間を割いてじっくり描いているこのコンサートシーンは、もはやストーリーとは関係のない感動を、観ている僕たちに与えてくれました。このシーンを観るためだけでも、1500円を払う価値は十分にあると思います。 もちろん、映画としての工夫があったからこその感動でもあるのですが、僕はそれ以上に、この感動は音楽そのものの力なのだろうな、と強く感じました。『第九』という曲がもつ、圧倒的なエネルギー。パワー。僕はしばらく、涙を止めることができませんでした。 満足度 ★★★★★★★★★☆(9点)『父親たちの星条旗』(2006、米) 監督 クリント・イーストウッド 出演 ライアン・フィリップ アダム・ビーチ ある1人の老人が、今まさにその生涯を終えようとしていた。彼こそは、1945年硫黄島での激戦を戦い抜いた”英雄”ドクだった。彼は生涯、戦争について何も語ろうとはしなかった。ドクを英雄にした、1枚の写真。6人の兵士が星条旗を立てている姿を捉えたその有名な写真の裏には、隠された真実があった。そして、戦場から戻ったドクらを待っていた、激動の日々とは。その真実に、ドクの息子が迫る・・・。 実は12月に一度観ていたのですが、なんだか急にもう一度観たくなり、劇場へ行ってきました。一回目に観たときもスゴイ映画だと思いましたが、いやこれ、本当にとんでもない傑作ですね。 クリント・イーストウッドによる硫黄島二部作の第一弾、”アメリカ編”です。世間的には、第二弾である”日本編”『硫黄島からの手紙』の方が圧倒的に話題を集めていますが、両方観た僕はハッキリと断言します。『硫黄島から・・・』よりも、この『父親たちの星条旗』の方が、映画としてのクオリティは遥かに上だと思います。 まず称賛すべきは、ストーリーの魅力。1枚の写真の裏に秘められた真実とは何なのか?ある種のミステリー的要素も含みながら、グイグイ観客をひきつけます。しかも、映画の終盤(だいたい1時間30分ぐらいのところでしょうか)で明かされる真実の、なんともやるせないというかしょーもないこと。そして、そんな風に撮られた、なんてことのない1枚の写真が、戦争の行方や兵士の人生を大きく左右してしまう皮肉。1枚の写真を軸に物語を丁寧に進めていくその語り口は、見事の一言です。 さらに、登場人物の心の奥に鋭く迫る心理描写の深さも、実に見応え十分です。冒頭のナレーションも凄いと思いました。「戦場を知らない奴に限って、戦争について語りたがる。本物の戦場を経験したものは、決して戦争を語ろうとはしない。忘れたいからだ」。これほど説得力のあるナレーションが、かつて存在したでしょうか。 自分たちを英雄視しようとする政府や世間に振り回される3人の心理描写の書き分けも巧みです。それをチャンスと捉え、人生を切り開いていこうとするレイニー。これはこれで責められるものではありません。一方で、そんな日々に違和感を感じつづけるアイラの苛立ちにも、心揺さぶられるものがありました。死んだ戦友たちの母親と顔を合わせるシーンの、なんと切ないことか。名シーンだと思いました。 社会を見つめるクールでシャープな視点にも、唸らされました。結局、世間というのは表面的に物事を捉えようとするもので、ひとりひとりの人間の心理にまで想いを馳せることはないのかもしれません。果たしてどれだけの人が、アイラやドクの悲しみに気付いていたでしょうか?いや、そんなことは百も承知で、利用したのかもしれません。世間や社会の横暴さの前に、個人はいつも無力だということを改めて痛感させられました。 そして、この映画が何よりも素晴らしいのは、そのパーフェクトな構成力にこそあります。もしもこの映画をただただ時系列に並べたとすれば、これほどの傑作にはなっていなかったと思います。硫黄島の戦闘シーンと、戦争後のキャンペーンと、現代におけるドクの息子によるインタビューを巧みに織り交ぜた見事な構成。これらを交互にミックスさせながら、少しずつ写真の真相と戦争の真実を紐解いていきます。映画を観終えた今、「これほどベストな繋ぎ方が他にあるだろうか?」とすら思ってしまいます。 アイラやドクの回想への持っていき方もうまいんですよね。電車の騒音から戦場の銃声に繋げたり、ストロベリーソースから兵士の血に繋げたり、打ち上げ花火から爆撃音に繋げたり。時間軸の移動の仕方が、本当に巧いです。写真の真相を明かすタイミングも、ベストだったと思います。そして、その後、戦友の死が立て続けに描かれ、ドクやアイラが抱える虚無感の深さが一層明らかになります。 ネタバレになるので詳細は伏せますが、ラストシーンも素晴らしいです。ドクの息子によるナレーションには、心揺さぶられるものがありました。僕らが同じ過ちを繰り返さないためには、結局それしかないのだと思います。戦争で犠牲になった方々を、ひとりひとりの個人として見つめ、その苦しみに思いを馳せること。まずはそこからなのだと思います。 さてさて話を戻して、なぜ『硫黄島からの手紙』のほうが称賛されているのか?それは日本だけの現象ではなく、むしろアメリカにおいてこそ顕著なようです。アカデミー賞作品賞にノミネートされたのも、『硫黄島』の方だけでしたし。 おそらく『硫黄島からの手紙』は、全編日本語によるセリフで戦争における日本人がきちんと描かれていることが、アメリカ人にとってはとても新鮮なのだと思います。でも、日本人の僕からすると、そんなことはいつもの日本映画となんら変わらないので、特に驚きはありません(もちろん、ハリウッドのイーストウッドがあれだけの質の高い”日本映画”を作り上げたことにはただただ脱帽ですが)。 ということで、もしも『硫黄島からの手紙』のみを観てこの『父親たちの星条旗』を見逃した方がいらっしゃいましたら、必ずいつかDVDでチェックしていただきたいと思います。何度も言いますが、映画としての奥深さ・面白さでは、『父親たち・・・』の方が遥かに上だと思います。個人的には、アカデミー賞作品賞を受賞しても何ら不思議のない傑作だと思っています。 って、ノミネートされてないのか・・・。 満足度 ★★★★★★☆☆☆☆(6点)『犬神家の一族』(2006、日) 監督 市川崑 出演 石坂浩二 松嶋菜々子 信州の製薬王・犬神佐兵衛が亡くなり、一族の関心はただひとつ。それは、その莫大な遺産を手にするのは誰かということ。佐兵衛の3人の娘(松子・竹子・梅子)たちは、我こそはと張り切るが、佐兵衛の遺した遺言状には驚愕の内容が記されていた。「全ての財産を、野々宮珠世に譲る。但し、珠世は、松子・竹子・梅子のそれぞれの息子の中から結婚相手を選ぶこと」。そして、次々に恐るべき殺人が起こり始める。この怪事件に、佐兵衛の弁護士から捜査を依頼された金田一耕助が挑む・・・・。 市川崑監督が30年前に発表した名作を、自らの手でリメイクした『犬神家の一族』。 監督が同じというだけではなく、ストーリーはおろかカット割すらほとんど変更がないそうです。まさに、キャストのみを一新して、忠実に撮り直したという印象になっているそうな。とはいっても、僕はオリジナルを観たことがないので、1本の新作として楽しませていただきました。 30年前とセリフも構図も変わっていないのだから、当たり前といえば当たり前なのですが、非常にレトロな雰囲気です。「古臭い」とか「ダサイ」と言ってしまえば、ハイそれまで。でも、僕はむしろ好感を抱きました。なんだか、その古さが逆に新鮮に感じられたのです。言葉を選ぶとすれば、「レトロ」とか「クラシカル」という言葉がピッタリだと思います。死体を発見したときのあのバタ臭い芝居など、もうタマらないものがありますよね。 俳優のセリフ回しに関しても、同じようなことを感じました。現代の映画では、役者たちはより「リアル」で「ナチュラル」であることを求められる傾向にあります。それに対して、この映画の登場人物たちは、やたらと芝居が大げさというか、セリフをしっかりと演劇的に喋ります。深田恭子など、その最たるものでしょう。「ヘタだなぁ」と思った方も多かったでしょうが、あれはむしろ監督の狙いなのではないかと僕は感じました。 この映画、雰囲気はとっても素敵なのですが、肝心のストーリーがもうひとついただけません。金田一シリーズの中でも名の通った名作ということで、ちょっと期待しすぎていたのかもしれません。それだけに、ミステリーとしても、人間ドラマとしても、どうも詰めが甘いなぁと感じてしまいました。 非常に複雑な人物相関。「これでもか」と言わんばかりに謎をあおりますが、どうにも消化不良のまま終わってしまいました。あれだけ幅広くキャラクターを登場させながら、全くそれを生かせない真相。ひとりひとりの登場人物の心理描写についても、わかるようなわからないような物足りなさが残りました。感動もなければ驚きもなかった、というのが正直な感想です。 キャスティングの中では、松嶋菜々子と富司純子が印象に残りました。松嶋さんについては、結婚して子供を産んだことで、若き頃とはまたひと味違った艶のようなものが出てきた気がします。その佇まいの美しさだけで、映画に1本の筋を通す存在になっていたと思います。とても良い年の重ね方をしていますね。 富司さんに関しては、本当に存在感のある女優さんだなぁ、と改めて感じました。『フラガール』や『愛の流刑地』など、最近印象に残る役が多くて気になっていたのですが、この『犬神家の一族』での演技も素晴らしいです。この人、基本的に顔というか雰囲気が怖いので、ミステリーとか抜群に合いますね。印象的でした。 もう少しストーリーで楽しませてほしかったなぁ、と残念な部分もあるのですが、不思議とスクリーンから目を離させない独特の力を持った映画でした。30年前に名作と呼ばれた映画がそれほど特別なものに感じられなかったということは、それだけこの数十年で日本映画界が進歩したということなのかもしれません。きっと、この『犬神家の一族』も、たくさんのミステリー映画やホラー映画に大きな影響を与えた作品なのでしょう。 満足度 ★★★★★★★☆☆☆(7点)『サンキュー・スモーキング』(2006、米) 監督 ジェイソン・ライトマン 出演 アーロン・エッカート マリア・ベロ タバコ業界を擁護する”タバコ研究アカデミー”のスポークスマン・ニック。タバコの有害性を非難する声が大多数である世間からは嫌われているが、その巧みな話術でタバコ業界を保護する役割を見事にこなしている。最近も、ハリウッド映画の中でタバコをクローズアップさせるという案が採用され、プライベートでは女性新聞記者と関係を持つなど、公私ともに絶好調。しかし、ある事件がきっかけで、一転窮地に追い詰められることに・・・。 健康への悪影響が指摘され、すっかり世間の悪者となっている「タバコ」。 そんなタバコをあの手この手で擁護する人間が主人公だというのだから、なんとも共感するのが難しそうな映画に思えるのですが、ところがドッコイ!これがまた、驚くほど爽快で痛快なコメディに仕上がっているのです。とても面白い映画だと思います。 何がいいって、主人公のキャラクター設定がとても上手なんですよね。弁のたつスポークスマンで、しかもタバコ業界を擁護するのが仕事、なんていうと悪徳弁護士みたいな存在をイメージしてしまいがちです。しかし、このニックが、それに反して不思議と憎めないナイスなキャラクターなんです。 子供に対する接し方への好感しかり、仕事の能力は抜群なのに女性へのガードはダメダメに甘いところしかり、愛すべき男なのです。また、トークの切れ味が実にシャープでユーモアにも富んでおり、言っていることは間違っていても腹立たしい気持ちに全くなりません。それどころか、応援したくさえなってしまいます。そう思わされている時点で、観客である僕も、彼の「情報操作」にやりこめられているということなのでしょうね。 タバコ業界の内幕をクールに見つめる「業界モノ」としても、十分に面白い映画だと思います。でも、僕はそれ以上に、「お仕事モノ」として楽しませてもらいました。 主人公ニックの仕事への向き合い方が、すごく僕にとって共感できるものだったのです。仕事の内容がどうこうということ以上に、自分の磨き上げた能力を信じ、それを発揮することに全力を注ぐ。息子のジョーイが、あれだけ世間から叩かれているにもかかわらず父親を尊敬しているのも、そんな姿にカッコよさを感じていたからだと思います。僕も同じようなことを感じました。 ニックの最後の選択も、そういう考え方が根底にあるからこそのものなんですよね。すごく痛快で、とても共感しました。「おれは喋りで生きていくんだ!」そう言い切れるものがあるっていうのは、仕事人としては最高に素敵なことだと僕は思います。だからこそ、ニックの仕事の内容が正義であろうが悪であろうが、観る人は応援したくなるのだと思います。 練りに練られた緻密な映画とは全く思いませんが、娯楽映画としても社会派映画(僕は娯楽映画だと思いますが)としても、いろんな楽しみ方ができる上質の映画です。個人的には、オープニング・ソングにもハマリました。劇場で見逃した方は、ぜひDVDでどうぞ。 満足度 ★★★★★☆☆☆☆☆(5点)『愛の流刑地』(2007、日) 監督 鶴橋康夫 出演 豊川悦司 寺島しのぶ 長谷川京子 3人の子供を持つ主婦・入江冬香が、男との情事の最中に殺された。「首を絞めて殺した」と自首したのは、作家の村尾菊治。2人は、長く不倫関係にあった。もともと冬香は菊治の著書の大ファンで、知り合いの編集者の紹介で知り合った。菊治は冬香に強く惹かれ、繰り返し彼女の暮らす京都を訪れては、限られた時間を惜しむように激しく体を重ねあった。やがて、冬香が「殺して」と懇願するようになり、ついに事件は起こった・・・。 観てきました、『愛ルケ』。別に、寺島しのぶの裸やらあえぎ声やらが見たくて劇場へ行ったわけではなかったのですが、いやぁ脱ぐこと、脱ぐこと(笑)。R-15指定とのことですが、「そうなると16歳ならOKなんだなぁ」と、なんだか変なことでドキドキしてしまいました。 冒頭から飛ばします、この映画。きっと、「いつ脱ぐんだぁ?」なんて気持ちで観に行った方も多いと思うのですが、なにせ開始30秒からいきなりですから。まだみなさん覚悟が出来ていなかったのか、劇場がちょっとザワザワしているのが面白かったです。 ちょっと不謹慎な感想になってしまいますが、僕はこの映画を観ながら、この冒頭のセックスシーン含め終始笑いながら観てる感じでした。別に、ムッツリスケベだからニヤニヤ笑ってた、という意味ではありません。なんだか、コントみたいに思えてしまったのです。 僕は渡辺淳一という作家の小説を読んだことがないので、この映画がどの程度原作に忠実なのかも知りませんが、もし本気でこの映画のセリフが小説の中でも描かれていたとしたら、失礼ながらあまりにも陳腐だと言わざるを得ません。それぐらい、この映画、セリフがヒドイ。 実は観てから数日経っており、既に忘れつつあるのですが、例えば「先生、いけません」とか「ください」とか、「これはこっちを笑わせようとしているとしか思えん!」っていうナイスなセリフが連発なのです。こりゃ、コントでしょう。 製作側としては、愛の深さを描いたつもりなんだと思います。裁判などという形式的なシステムでは、到底計ることのできない愛というものの本質。殺意とか、嘱託殺人とかそういうことではなく、究極の愛の形としての殺人。「どうだ!」と言わんばかりに自信満々です。 でも僕には、この映画が描いてみせた愛はすごく浅くて薄っぺらなものに思えました。ひたすら体を重ね、相手に首を絞めさせる愛。なんだかカッコつけているけれど、結局形ばかりにこだわって、男女の心の深いところまでは描けていないような気がしたのです。 象徴的だったのは、検事を演じた長谷川京子の存在。彼女自身は、いつになく色気を漂わせながら、熱演していたと思います(棒読み気味のセリフ回しはさておき)。ただこの役、もっと重要な役どころになり得たと僕は思うのです。検事として菊治を激しく問い詰めながらも、心の底では同じ女性である冬香の生き方に共感する彼女。この女検事の心理描写が、終盤きちんと描かれていなかったのが、どうにも納得できません。ここを丁寧に描ければ、もっと幅広く、そして奥深い愛の映画になったと思うのですが。 なんだか不満ばかり書いてしまいました。ただ、主演2人が文字通り体を張って熱演していることには、敬意を表さなければなりません。そして、若干古くさいものの、真面目で骨太な演出にも好感が持てます。 ひょっとすると、僕がもっと年を重ねれば、また違った感想を持てるようになるのかもしれません。 満足度 ★★★★★★★★☆☆(8点)『プラダを着た悪魔』(2006、米) 監督 デビッド・フランケル 出演 メリル・ストリープ アン・ハサウェイ 一流大学を卒業し、人気ファッション誌「ランウェイ」のアシスタントに就職したアンディ。しかし、編集長のミランダは、誰もが恐れる鬼編集長。無謀な注文を次々に命じられ、アンディは最初まともに応えることができない。しかし、懸命の努力で次第にミランダの信頼を勝ち取り、服装のセンスも認められるようになる。けれども、仕事が順調になるにつれ、私生活や友人関係に亀裂が入りはじめ・・・。 「女性なら誰もが楽しめる・・・」という売り込みコピーにも負けず、男性代表として観てきました。ターゲットを絞った宣伝戦略には賛成しますが、このコピーにはどうやら少し間違いもあったようです。この映画、女性だけでなく、男性でも十分に楽しめる映画だと思います。 エンタテインメントとして、ライトコメディとして、とてもレベルの高い映画です。ストーリーは冷静に考えるとツッコミどころも多いのですが、テンポがとてもいいので余計なことを考えさせません。音楽やファッションなどのセンスも見事で、映画のレベルを高めています。 そして、何よりも素晴らしいのが女優陣の演技です。先ほども言ったように、この映画は決して”女性の映画”ではないと思いますが、”女優の映画”であることは間違いありません。それぐらい、メリル・ストリープ、アン・ハサウェイ、エミリー・ブラントの演技が3人とも素晴らしいです。 まずは、鬼編集長ミランダを演じたメリル・ストリープ。ご存知、アカデミー賞に10数回ノミネートされている、名実ともにアメリカNo.1の名女優です。この人は、本当に凄い女優さんですね。前半のミランダは、とにかくひたすらムチャクチャで、ただただムカつきます。でも、そのやり方があまりにも豪快なので、かえって気持ちがいいぐらいです。実はこの前半で、観客のほとんどの人はなんだかんだでミランダのことが好きになってしまうのではないでしょうか。僕もそうでした。 そして、真骨頂は、硬軟織り交ぜた後半のミランダ。仕事ひと筋で家庭を犠牲にしてきた女の哀しみ、そしてそれでも強く生き抜くことを決意した女の強さ。その両方を、まなざしひとつで、それこそ顔のシワの作り方ひとつで見事に表現していました。しかも、重くならないように、ストーリーの邪魔にならないように、あくまでもサラっとテンポよく。これは、そんじょそこらの女優にできる芸当ではありません。 ネタバレになるので深くは言いませんが、車を去ったアンディに気付いたときの一瞬の戸惑い、そしてその後すぐにいつものカリスマ編集長の顔に戻る切り替えの演技などは、もう圧巻のひとことでした。今回の演技で、本年度のゴールデン・グローブ賞最優秀主演女優賞(助演でないかい?とは思うのですが)を受賞したようです。納得。当然アカデミー賞のノミネートも確実でしょう。 でも、それでも僕はこの映画は、アン・ハサウェイの映画だと思っています。メリル・ストリープのような技術はありません。でも、メリルの名演技を引き出しているのも、対照的なアン・ハサウェイのフレッシュでストレートな魅力だと思うのです。ミランダを尊敬しながらも、違う生き方を模索しようと葛藤する若い女性の生き様を、見事に演じきっています。 また、ダサくてトロいOLと、ファッショナブルで有能なアシスタントの両方を、どちらもかわいらしく魅力的に見せることができるのも、彼女の女優としての幅の広さを示していると思います。今後が楽しみな女優さんです。 そしてもうひとり忘れちゃいけないのが、第一アシスタントを演じたエミリー・ブラント。この人がまた素晴らしい!前半はただただ性格の悪いお局という感じなのですが、嫌味がないギリギリのところで表現しているので、この人も観客に嫌われません。 中盤からは、この人物の隠れた魅力がどんどん明らかになっていきます。実は凡人であることを自分では百も承知で、それでも夢に向かって必死に食らいついていく逞しいエミリーの生き方。ある意味、実は容姿にも才能にも恵まれているアンディ以上に、このエミリーこそ最も感情移入しやすいキャラクターかもしれません。 また、中盤以降のエミリーとアンディのひねくれた友情は、この映画のスパイスになっています。ラスト、この2人の間にひとつエピソードを挿んでくれた監督に感謝。最後のエミリーのセリフは、この映画の中では最高のセリフであり、アンディにとっては最高の褒め言葉でしょう。 女優について語るだけで、これだけの長さになってしまいました。おそらく見る人にとって、面白さを感じる視点は変わってくるのでしょう。僕自身、「仕事と私生活」という語りふるされたテーマにも、改めていろいろ感じる部分がありました。それは、女性だけでなく男性だって同じだと思います。 女性だけでなく、男性の方々にも、ぜひ観ていただきたい映画です。 満足度 ★★★★★★★★☆☆(8点)『武士の一分』(2006、日) 監督 山田洋次 出演 木村拓哉 檀れい 笹野高史 藩主の食事の”毒見役”を仕事とする下級武士・三村新之丞。ある日、いつもの通り毒見をした新之丞は、そのまま倒れこんで意識を失う。なんとか一命をとりとめた新之丞だが、その代償に視力を失ってしまう。新之丞を愛する妻の加世は、三村家の存続のために、藩の有力者・島田に藩主への口添えを頼み込むが、島田はその引き換えに加世の体を求める。それを知った新之丞は・・・。 山田洋次の時代劇3部作最終章。主演に木村拓哉を抜擢した渾身の一作は、さすがに見事な快作に仕上がっています。とても面白い映画だと思います。 夫婦愛と武士の誇りをメインテーマにした、すごくシンプルな映画です。名作『たそがれ清兵衛』のような深みこそないものの、エンタテインメント性という意味では、3部作の中でもピカイチではないでしょうか。 起承転結といいますか、ストーリーの展開が非常に明確で、メッセージもストレートに心に響きます。適度に笑いどころもあり(笹野高史の好演によるところも大きいですね)、もちろん泣きどころもたっぷり。大人から子供まで、きっと誰がみても楽しめると思います。もしも映画があと4時間も5時間も続いたとしても、ずっと楽しく観られるだろうなぁという、なんともいえない安心感があります。それが、山田洋次という名匠の力なんだと思います。 山田映画への絶対的な信頼とは裏腹に、僕が心配していたのが主演の木村拓哉。別に嫌いなわけではないのですが、巷でも言われているように、彼の演技がいつも一緒だというのは僕も同感です。魅力的な俳優だとは思うのですが、決して上手い役者ではない、というのが僕のキムタク評。 ところがドッコイ、『武士の一分』の木村拓哉のなんと素晴らしいこと。下級武士の誇り高き生き様を、見事に表現してくれました。映画を観終えた今となっては、三村新之丞をこんなに魅力的に演じられるのは木村拓哉だけだ!なんていう気さえします。 少し分析してみると、彼がもともと持っている”サムライ”的側面が、見事に役とマッチしたんだと思います。現代劇だと妙に鼻につく”カッコつけ演技””ヒーロー演技”も、時代劇の中で刀なんか持っちゃうと、ビックリするぐらい自然なのです。もともと、良くも悪くも、素のキャラクターも演技も”硬い”人(”真っ直ぐ”と言い換えてもいい)です。その硬さ、真っ直ぐさが、サムライの生き様とピタリと折り合ったのだと思います。 木村拓哉という俳優の本質を見抜いたキャスティング。山田洋次、恐るべし!ですね。 良い演技を見せているのは、キムタクだけではありません。ヒロインの檀れいも素晴らしいです。彼女の場合、演技がどうこうというより、もうその佇まいが完璧なのです。別にエロオヤジ的発言をするつもりはないのですが、着物の着こなし、ほんのり汗をかいたうなじの色香など、彼女もまた時代劇を演じるために生まれてきたような女優さんかもしれません。もちろん、現代劇を演じるであろう次回の出演作にも要注目です。 桃井かおりや坂東三津五郎はさすがベテランの貫禄!として、嬉しい発見は、笹野高史の好演。飄々とした演技でさんざん笑わせてくれるその存在感は、この映画の効果的なスパイスになっています。しかも、それでいて、締めるところは締める真っ直ぐな演技。これまた見事なキャスティングです。 予定調和な展開に、物足りなさを感じる人もきっといるでしょう。でも、僕個人としては、こういう真っ直ぐな本流映画に対しては細かいケチをつけずに素直に楽しめる映画ファンでいつまでもいたいなー、なんて思います。 満足度 ★★★★★★☆☆☆☆(6点)『暗いところで待ち合わせ』(2006、日) 監督 天願大介 出演 田中麗奈 チェン・ボーリン 幼いときの事故が原因で視力を失ったミチル。父親を亡くしひとりぼっちになった彼女の部屋からは、駅のホームが見渡せる。そのホームで、ある男性が線路に突き落とされ命を落とす事故が起こる。その直後、ミチルの部屋にひとりの青年が忍び込む。アキヒロというその青年は、ホームでの転落事故の重要参考人としてテレビで報じられている男だった。彼は、ミチルの目が見えないのを利用して、彼女の部屋にじっと身を潜めるが・・・。 なんとも不思議な味わいのある映画です。「傑作だ」とは少しも思いません。ツッコミどころも満載です。でも、なんだか奇妙な余韻が心に残る、なかなかユニークな作品だと思います。 前半は、あまりの静かさ、退屈さに、「これはまいったな・・・」と思わずにはいられませんでした。何度記憶を失いそうになったことか。なにしろ、アキヒロはミチルに自分が部屋に侵入していることを気付かれるわけにはいかないので、ひたすら黙ってジーッとしているのです。とにかく会話がない。ストーリーに変化がない。最初の1時間が、僕には10時間に感じられました。って、それは言い過ぎですね。 でも、この物語は、この関係性こそが全ての出発点なんだと思います。盲目の女性の部屋にそっと忍び込んだ殺人犯(正確には違いますが)。この設定のユニークさが、この映画を支えています。 ところが納得いかないのが、アキヒロの身の潜め方がけっこういい加減なこと。そんなに動いたり食べたり荒い息してたら、すぐ気付かれるっつーの。ましてや、目の見えない人は耳が人一倍敏感になるという話もよく聞きます。「どうせそんなムチャするんなら、とことんやらんかい!」そんなツッコミを心の中でいれているうちに、映画は意外な方向へ。 なんとビックリ、ミチルがあっさりとアキヒロの存在に気付いてしまうのです。これには本当にビックリしました。僕は勝手ながら、物語はこの設定を保ちながらラストまで進んでいくのだろうと確信していたからです。アキヒロは気付かれていないつもりでも、実はミチルはずーっと前から気付いていて、知らないフリをしていた。え、いつから知ってたの?と驚くアキヒロ。なーーんて展開だろうと勝手に予想していたのですが、いやはや大ハズレ。 そして、ビックリと同時にガッカリもしました。「あ、終わったな」と。ここで気付いちゃうんじゃ、もうこの映画に見るべきものはないな、なんて勝手に見切りをつけてしまいそうになりました。 しかし! この映画、ここからが侮れないんです。後半の怒涛の展開。登場人物が少ないので、途中で予想はつくのですが、ミステリーというかホラーというか、前半とは打って変わった動きある展開に突入します。 といっても、この映画に緻密さというのはカケラもないので、引き続きツッコミどころは満載ですけどね。そんな犯行じゃ100%駅員に見られてるだろー!とか、動機の説明は全くなしかい!とか。 でも、そんなところにケチをつけるタイプの映画じゃないんですよね。奇妙な出会い方をした主人公2人の関係性の変化。ストーリー展開のガサツさに比べ、この描写のなんと細やかなことか。終盤に回想として描かれる、「お母さん!」と窓際で泣き叫ぶミチルの姿をアキヒロが駅からじっと見つめている姿。このあたりの厚みある描写の巧みさは見事のひとことです。 女優陣が好演しています。主人公の田中麗奈も良いのですが、それを上回る素晴らしさなのが宮地真緒と井川遥。2人とも、とても印象に残る演技を披露しています。また井川遥については、彼女自身の成長もさることながら、この役に彼女を起用した監督のセンスに脱帽です。 ただ、この映画についてどうしても納得いかないのが、主人公アキヒロが中国人と日本人のハーフであるという設定。そして、その役に中国人俳優(でしょうか?違ったらごめんなさい。)を起用したこと。これだけは謎でした。何か最後に意味が出てくるのかな?と思って観ていましたが、少なくとも僕には、この役が日本人でない利点というのは感じられませんでした。 チェン・ボーリンという俳優がどうこう、ということではありません。ただ、日本映画の中に海外の俳優(日本を話せない俳優)を起用する場合には、それだけでそこに何らかの意味が発生してしまうのです。観客は、そこに意味や理由を求めてしまう。それは避けられません。 アキヒロの孤独を引き立たせるため、だとしたら、あまりにも安易な手法ではないでしょうか?アキヒロの日本語がカタコトであることは、この映画の面白さのポイントやテーマを考えると、かえって余計な要素だったのではないか?と感じました。もしも昨今のアジア映画ブームに乗っかっただけだとしたら、僕にはその発想はクエスチョン以外のなにものでもありません。 満足度 ★★★★★★★★☆☆ (8点)『麦の穂をゆらす風』(2006、英・愛・仏) 監督 ケン・ローチ 出演 キリアン・マーフィー ポーリック・デラニー 1920年、アイルランド。人々は、イギリスによる強圧的な支配に苦しめられていた。テディとデミアンの若き兄弟もまた、仲間を次々にイギリス警察によって処刑されるなど、イギリスに対する憤りを深めていた。2人は、仲間とともに立ち上がり、イギリスに反撃する。やがて戦いは終わり、アイルランドは自由を勝ち取るが、テディとデミアンの意見が食い違いはじめ・・・。 非常に骨太な、実に見応えのある作品です。 戦争というものを悲劇性を、真正面からしっかりと捕らえている映画です。「反戦」というフレーズが声高に掲げられてはいませんが、だからこそ余計に、戦争というものの無意味さ、悲しさが絶望的なまでに強く伝わってきます。 戦争をテーマにした映画を観るたびに感じるのですが、なぜ人は、戦争に関わるとあんなにも残酷になれるのでしょう?なぜ簡単に、「他人を殺す」という行動を選択してしまうのでしょう? それが、「戦争」という”装置”の最も危険な部分だと思います。「相手を殺してしまうのも、やむをえないよね」そんな許可を社会が個人に対して出してしまう、それこそが戦争の一番恐ろしいところなんだと思います。 この映画の主人公であるテディとデミアンの兄弟もまた、「戦争」によって人生の歯車を狂わせてしまいます。そして最後は、悲しい結末を迎えてしまうのです。 最初はある意味、迷いなく登場人物に感情移入できるストレートな映画になっています。明らかに理不尽で、決して許すことのできないイギリスの武力による制圧。「アイルランド頑張れ!」と、ついつい肩入れしてしまいます。ここまでは、おそらく誰もが一緒でしょう。 しかし中盤から、映画は方向性を見失い始めます。「イギリスを倒す!」それが何よりも優先されるようになるにつれ、本来守られるべきはずの社会的弱者たちが、「イギリスを倒すためには、あなたたちには我慢してもらわなくちゃならない」という粗末な扱われ方をされるようになります。裁判で有罪になった悪徳武器商人をテディたちが救おうとするシーンは、最も象徴的なシーンです。 そして、観ているこちらも、不思議な気持ちに襲われはじめます。「いったい、誰が正しいんだ?」と。反乱軍の秩序を保つために、親友を処刑するデミアン。「自由を勝ち取るためには、やむを得ない犠牲だ!」果たして本当にそうなのでしょうか?なんだか誰が悪いのか、わからなくなってきます。 その思いは、テディとデミアンの亀裂によって、いよいよ取り返しがつかないほど強くなります。たとえ完璧な自由ではなくても、これ以上の犠牲を出さないためにイギリスに歩み寄ろうとする兄。本当の自由を掴みとるため、さらに武器を取り、今度はまずアイルランド政府に襲いかかろうとする弟。おそらくどちらも間違っていないし、どちらも決して悪者ではないんです。しかし、物語は悲劇的な結末へ進んでしまいます。 もはや理想論でしかないのかもしれませんが、「やはり人は武器を手にしてはいけない」のだと僕は思います。どちらかが武器を取ってしまうと、必ず相手もまた武器を持ってしまう。これが、悲しいですが人間社会のサイクルなのだと思うのです。 どちらも間違っていなかろうが、明らかにどちらか片方が正義であろうが、やはり人は武器を取ってはいけない。武器による、暴力による解決を図ってはいけない。そんなことを改めて強く感じました。 満足度 ★★★★★★★★☆☆(8点)『リトル・ミス・サンシャイン』(2006、米) 監督 ジョナサン・デイトン ヴァレリー・ファリス 出演 グレッグ・キニア トニ・コレット ミスコン優勝を夢見るオリーヴのもとに、少女たちのミスコン”リトル・ミス・サンシャイン”決勝戦出場決定の知らせが届く。一家揃ってミスコン会場のカリフォルニアへ向かうべくオンボロ車を走らせるが、家族内には問題が山積み。無職の父親、ヘロイン中毒のグランパ、喋らない兄、自殺未遂の叔父・・・。オリーヴは無事にミスコンに参加することができるのか!? 2007年1発目の劇場観賞です。いいもん見ました。今年もいい映画とたくさん出会えそうな予感を感じさせてくれる、嬉しいスタートダッシュとなりました。 とっても楽しい映画です。劇場へ行って、この家族と出会って、この映画を好きにならない人はいないんじゃないでしょうか。 といっても、素晴らしい人物が集まっている家族なわけでは全くなく。みんな全然ダメダメなんです。あ、みんなではないですね。オリーヴちゃんとお母さん(登場人物中、唯一の常識人。トニ・コレットのブレない演技が実はこの映画を支えています。)の女性陣は、マトモです。問題は、男性陣。ヘロイン中毒でエロ本大好きのおじいちゃん、家族が大嫌いな上にひとことも喋らないお兄ちゃん、自殺未遂で自信喪失気味のおじちゃん。 どいつもこいつもダメダメですが、僕が中でも「あ、コイツはダメだわ」と感じたのはお父さん。9ステップなる独自の成功理論を武器に、出版による一攫千金を狙ってるんですが、その理論がもういかにも怪しいんです。社会の中では完全に”負け組”なんですが、弱者揃いの家族の中では妙に”勝ち組”気取りなのもイヤな感じで。「こりゃ痛い目見ないとダメだな」と思って見てたら、案の定映画の中盤で痛い目を見ちゃったわけで・・・。 でも、この映画、全然暗さがないんです。とにかく、楽しい。笑える。けっこう悲しいエピソード満載なんですが、これっぽっちもイヤな気持ちにならない。それどころか、エピソードが重なるに連れ、どんどんハッピーな気持ちになってくる。どんどん、このダメ家族を応援したくなる。 「テーマは何だ?」なんて野暮なことを考えながら見るような映画じゃないと思います。でも、そこにはいろんなメッセージが詰まっています。僕が一番感じたのは、「勝ち組か負け犬か決めるのは、状況や環境じゃないんだな」ってこと。どんなに周りから”負け犬”に見えたって、自分たちが幸せなら、それはやっぱり”勝ち組”だってことなんです。 おじいちゃんのとっても素敵なセリフが心に残りました。「諦めない人は、”負け犬”にはならない」(正確な言い回しは忘れましたが)。その通りだと思います。少なくとも、映画の中で最後にこの家族が見せてくれたクライマックスは、決して”負け犬”のそれではなかったと思います。 さんざん笑って、ちょっと勇気をもらって、全然感動するような話じゃないのに、なぜかジワジワ涙が出てくる。そんな素敵な映画です。 アメリカでは、口コミでどんどん広がり、かなりのロングランヒットを記録したとか。こういう映画を求める気持ちは、きっと万国共通なんでしょうね。 しかし、よくよく考えると、映画がエンドロールを迎えても、状況は何ひとつ改善されてないような・・・・。 10点満点で、満足度のみ載せています。
劇場へ足を運ぶ際や、DVD鑑賞の際の参考にしてみてください。 10点: 最高!文句なしの傑作! 9 点: 素晴らしい!絶対オススメ! 8 点: 面白い!観て損なし! 7 点: 満足!僕は好きです! 6 点: まあまあ。悪くはないが、不満もあり。 5 点: うーむ。不満いっぱい。 4 点以下: ダメだこりゃ。駄作。 <2007年7月公開作品> ・『夕凪の街 桜の国』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『傷だらけの男たち』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) <2007年6月公開作品> ・『アヒルと鴨のコインロッカー』 ★★★★★★★★★☆ (9点) ・『サイドカーに犬』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『キサラギ』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『大日本人』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『プレステージ』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『ゾディアック』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) <2007年5月公開作品> ・『パッチギ!LOVE&PEACE』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』 ★★★★☆☆☆☆☆☆ (4点) ・『しゃべれども しゃべれども』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) <2007年4月公開作品> ・『ラブソングができるまで』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『東京タワー』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『ツォツィ』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『バベル』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『クィーン』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) <2007年3月公開作品> ・『パフューム』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『ハッピーフィート』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『フランシスコの2人の息子』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『ホリデイ』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『あかね空』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) <2007年2月公開作品> ・『さくらん』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『カンバセーションズ』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『叫』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『ドリームガールズ』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『ボビー』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) <2007年1月公開作品> ・『マリー・アントワネット』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『不都合な真実』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『ディパーテッド』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『それでもボクはやってない』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『魂萌え!』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『愛の流刑地』 ★★★★★☆☆☆☆☆ (5点) <2006年公開作品> ・『エンロン』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『イカとクジラ』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『硫黄島からの手紙』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『敬愛なるベートーヴェン』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『父親たちの星条旗』 ★★★★★★★★★☆ (9点) ・『犬神家の一族』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『サンキュー・スモーキング』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『プラダを着た悪魔』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『武士の一分』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『暗いところで待ち合わせ』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『麦の穂をゆらす風』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『リトル・ミス・サンシャイン』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) 映画界では、ちらほらと2006年映画賞が発表されはじめています。
個人的には、米アカデミー賞のもつ雰囲気がすごく好きで個人的関心は高いのですが、なにぶん日本で公開されていない候補作が多いのが残念な限り。 ということで、本家本元の賞レースは置いといて、今回は個人的2006年ベスト10を発表したいと思います! 対象作品は、2006年1月~12月公開作品(洋邦画問わず)の中で、僕が公開当時に劇場で観賞した作品です。ということで、僕が観ていない名作・傑作は一切候補に入らないというなんともいい加減なベスト10ではありますが、それでは発表します。 第1位: 『ゆれる』 第2位: 『ブロークバック・マウンテン』 第3位: 『フラガール』 第4位: 『父親たちの星条旗』 第5位: 『マッチポイント』 第6位: 『ブロークン・フラワーズ』 第7位: 『プライドと偏見』 第8位: 『V・フォー・ヴェンデッタ』 第9位: 『リトル・ミス・サンシャイン』 第10位:『9/10 ジュウブンノキュウ』 こんな感じでしょうか。 それでは、簡単に1つずつ解説していきます。 第10位は、『9/10』。 ハッキリ言って、レベル的には全くベスト10入りできる水準にはありません。でも、なんでこの作品がランクインしているかというと、こういうベスト10って、1位から張り切って考えていると、8位ぐらいからどうでもよくなってくるんですね。8位も17位も大して変わらないというか。といっても、もちろんそれだけではなくて、渋谷でのレイトショー限定公開ということでこの作品を観ていない人も多いと思うので、紹介したかったんです。「9人だけで頑張ってきたはずの野球部。卒業以来の再会。思い出のタイムカプセルを9人で開けようとすると、なぜか鍵穴が10個・・・。」このアイデアの斬新さだけで、この映画の勝利は決まったようなものです。ぜひDVDが発売されたらチェックしてみてください。 第9位は、『リトル・ミス・サンシャイン』。 2007年最初に劇場で観た映画ですが、公開が2006年なのでランクイン。やっぱり僕は家族モノには滅法弱いんだな、ということを再認識させられました。この映画を観て、この家族を好きにならない人はいないんじゃないかな、と思います。 第8位は、『V・フォー・ヴェンデッタ』。 ジャケットとかすごくB級っぽいんで敬遠してた(してる)人も多いと思いますが、これ、メチャメチャ面白いです。騙されたと思って観てみてください。後半は、もう目が離せません。ぜひDVDで。 第7位は、『プライドと偏見』。 ラブストーリーで心に残るものって僕の場合あまりないのですが、これは昨年の今頃観て、もう1年ぐらい経っているわりには今でも印象に残っています。キーラ・ナイトレイ演じる主人公のキャラクターがすごく好きだったんです。気が強いので、実際に付き合ったりすると大変な女性だとは思いますが。お父さんもとっても良かったです。 第6位は、『ブロークン・フラワーズ』。 監督のジム・ジャームッシュも主演のビル・マーレイも大好きな僕としては、この作品を嫌いになれるわけがないです。かつての女から届いた手紙。「あなたの子供が・・・」。子供はいない。そして、差出人は不明。思い当たる節はちらほら。ね、面白そうでしょ?ぜひDVDで。って、そればっかり言ってるな。と同時に、これ大好きだった人は、この監督の他の映画もチェックしてみてください。特に『ナイト・オン・ザ・プラネット』は本当に素晴らしい映画です。ぜひDVDで。あ、また。 第5位は、『マッチポイント』。 ウディ・アレン、久しぶりの快作ではないでしょうか。シリアス調の展開は彼の王道ではないけれど、そのオシャレな雰囲気はやっぱり彼ならでは。そして、この作品のスカーレット・ヨハンソンは、2006年最高の存在感だったかもしれません。タイトルの付け方も素晴らしいです。 第4位は、『父親たちの星条旗』。 『硫黄島からの手紙』より、僕はこちらを推します。『硫黄島』がアメリカで評価が高いのは、全編日本語での映画作りへの珍しさ・評価もあるのでしょう。作品自体の質、ストーリー自体のオリジナリティとしては、断然『父親』が上です。当時全米を勇気付けた1枚の写真の裏に秘められた真実の物語。様々な視点をミックスさせた語り口の巧妙さには、脱帽の一言です。「硫黄島観たけど、父親観てない」という方、まだ間に合います。ぜひ劇場へ。 いよいよトップ3です。 第3位は、『フラガール』。 みなさん、見ましたでしょうか?素晴らしかったですよね。笑って泣ける、と世間では言われていますが、僕はあんまり笑った記憶は実はないんです。ハイ、中盤ぐらいからは、ひたすら泣いていました。真新しさこそありませんが、エンタテインメント性の追求という点では、最高の仕事なのではないでしょうか。今年の邦画ブームを象徴する一作です。 第2位は、『ブロークバック・マウンテン』。 この良作が『クラッシュ』に負けてアカデミー賞を逃したのが、いまだに納得できません。「ホモの映画でしょ?キモーい」と敬遠してる方、どうか最初の20分だけでも観てみてください。この映画がどれだけ美しい映画かどうか、わかると思います。究極のラブストーリーです。ただ、切ないです。あまりにも、切ない。 そして、栄光の2006年ベスト1。 第1位は、『ゆれる』。 夏に観たこの傑作が、僕はいまだに忘れられません。ミステリーとしても法廷サスペンスとしても楽しめるんだけど、この作品は家族、兄弟というものを正面から描ききった作品なんです。ムカつくし、嫉妬もするし、軽蔑もするし、負けたくないし、とことん憎いんだけど、でも、やっぱり好き。離れられない。それが家族なんだと思います。ラストは、いろんな風に受け取れると思います。ハッピーエンドじゃないのかもしれません。でも僕は、僕が感じたままに、その気持ちを信じたいなって思いました。ぜひDVDで。レンタルせずにいきなり買っちゃっても、ハズレなしです。 以上です。 難しいですね、こういうのって。 今年の傾向としては、世間でも言われているように、邦画に良作が目立ったと思います。僕もそう感じた1年でした。観たい映画をひとつずつ観てたら、半分以上が邦画だった。そんな1年は、僕が映画ファンになってからは初めてでした。ベスト10には惜しくも入らなかった作品の中にも、『THE有頂天ホテル』『かもめ食堂』『嫌われ松子の一生』『デスノート 前編』『雪に願うこと』など、邦画の良作がたくさんありました。 2007年は、年末にベスト10を考えるときにもっとたくさん候補作が増えるように、1年間かけて1つでも多くの映画を劇場で観たいと思います。
新年あけましておめでとうございます!
随分長い間、更新をさぼっておりました。 申し訳ございません。 夏ぐらいにもそんなことがあったような気がするのですが、なかなかこの怠け者体質は改善されないようです。 年が変わったことを良いきっかけに。 この2007年から、再び更新をスタートしたいと思います! あまりあれこれ望みすぎても、また同じことになってしまうと思うので、誓いはひとつ。 「観たらすぐ書く」 愚直にこれでいきたいと思います。 今年も素晴らしい映画に出会えることを祈りつつ。 満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)『M:i:3』(2006、米) 監督 J・J・エイブラムズ 出演 トム・クルーズ F・S・ホフマン スパイの現場を離れ、教官として後進を育てる毎日を送るイーサン・ハント。婚約者のジュリアとの結婚を目前に控え、幸せの過ごしていたある日、教え子のリンジーが拉致されたという連絡が入る。リンジーを救出するため、現場に復帰するイーサン。しかし、この救出作戦はやがて、謎の暗号”ラビットフット”を巡る闇商人ディヴィアンとの命を賭けた戦いへと発展していく・・・。 『ミッション・インポッシブル』シリーズ第3弾。 最高に面白かった「1」、最悪につまらなかった「2」ときたので、「これはイヤな予感がするなぁ」と思って劇場へと足を運んだのだけれど、これが意外や意外!「3」、とっても面白いです! ブライアン・デ・パルマ、ジョン・ウーと、そうそうたる巨匠たちが撮ってきたこの「M:i」シリーズ。今回の監督は、J・J・エイブラムズなる無名の新人。この抜擢人事が大成功!良い意味で”監督の色”というものがまだないので、すごくシンプルで、自然で、楽しい映画になっている。 だって「2」なんかは、どう考えても、ジョン・ウーとトム・クルーズとM:iの相性が悪すぎたもの。セルフプロデュース力には定評のあるトム・クルーズのこと、あれに懲りて、「今度はオレの言うこと聞いてくれる新人さんにしよーっと!」って思ったのではあるまいか(笑)? さっきも言ったけれど、映画の作り自体はすごくシンプル。サスペンスとアクションがうまくミックスされていて、極上のエンタテインメントになっている。そうそう、「M:i」はこれでいいのよ。スリリングで、ハラハラして、最後はスカっと出来れば、それで十分なのだ。 そんな中でも、監督なりのいろいろな工夫が随所に見られて、思わず唸らされるシーンも多い。例えば、ディヴィアンの監視をしながら顔の輪郭や声紋を分析して、変装マスクを作製する場面。これまでの「M:i」と言えば、さんざんドキドキさせといて、「ウソだよ~ん」と言わんばかりに変装マスクを脱ぐ、という展開がお決まりのパターンとなっていた(今回も、1回だけ出てくるけどね)。でも、今回はそれを逆手にとって、変装マスクを作製する過程や、実際に着用して相手を欺く場面を、種明かしをカメラで追いかけながらたっぷりと見せてくれる。なるほど、この手があったかー、とただただ感心。 上海での、”ラビットフット”強奪シーンの描き方も面白い。よくよく考えれば、このミッションって映画の中で最大のハイライトとなるべきシーンだと思うんだけど、なんとカメラはこの作戦を追わない。ビルの中に乗り込んだトムを、仲間たちがソワソワしながら待っているシーンを映し出すことで、逆に「どうなるんだー?」という緊張感を生み出すことに成功している。うーん、この監督、ただの新人じゃないな。恐るべき才能の持ち主だ。 映画は、見せ場に次ぐ見せ場の連続で、2時間まったく飽きさせない。とにかく、そのスピード感が素晴らしい。ストーリー自体は、さほど奇をてらったものではないのだけれど、スピードとアクションとサスペンスが見事に融合していて、夏休みに楽しむ映画としてこれ以上ふさわしいものはないだろう。 惜しむべくは、最後の30分だなぁ。それまでの1時間半が完璧だっただけに、ラストはもっと盛り上げてほしかったのだけれど、逆に失速してしまったのは残念だった。映画もスパイたちもすごくシンプルなのに、肝心の悪役たちの考えてることが妙にシンプルさに欠け、なんだかスカっとしない展開になってしまった。ひとつひとつの行動の意味が、わかるようなわからないような、そんな感じなのだ。子供の頃、僕がアニメを観ているとよく両親が「はやく殺しちゃえばいいのにー。」っていらんツッコミを入れていたのを思い出す。まさしく、そんな感じ(笑)。 まぁ、そうはいっても、面白い映画であることは間違いない。戦いの決着の仕方も、僕はけっこう好きだった。「スパイに家族は似合わない」とは劇中のルーサーのセリフだけれど、別にいいじゃない、スパイに奥さんがいたってさ。次は、子供のできたイーサン・ハントの活躍なんてのも、面白いかもしれないなぁ。 満足度 ★★★★★☆☆☆☆☆(5点)『日本沈没』(2006、日) 監督 樋口真嗣 出演 草彅剛 柴咲コウ 日本各地で続発する大地震。その原因を探るべく、潜水艇「わだつみ」のパイロット・小野寺は、田所博士の指揮のもと、同僚の結城とともに深海調査に参加する。その調査から博士が導き出した結論は、「1年以内に日本列島は沈没する」という驚くべきものだった。そんな中、震災現場で、小野寺はレスキュー隊員の玲子と出会う。小野寺は玲子に惹かれはじめるが、日本各地を襲う地震と噴火による被害は、悪化の一途を辿っていく・・・。 『日本沈没』、映画も沈没。 と、こんなありきたりなコピーとともに、この映画を酷評するのは簡単だ。ハッキリ言ってしまえば、この映画は、あまり面白くはない。 でも、この『日本沈没』という作品は、そんな風に現代の若者たちに簡単に批判されるべきものではないんじゃないかな、という気がする。そもそもたぶん、この映画を語るためには、超名作と呼ばれる小松左京による原作か、30年以上前に作られた、これまた名作と呼ばれる映画版のどちらか1つは観てなくてはいけないのだろう。 残念ながら、僕は両方とも未見で、この映画を観ることではじめて『日本沈没』という作品との接点を持つことができた。そして、感想としては、「あれ、あんまり面白くないなぁ」と思ってしまったのだ。 これは僕のカンだけれど、全国の『日本沈没』ファンは、この映画を観て怒っているんじゃないだろうか?「違う違う、これは『日本沈没』じゃないよ!本当は、もっと面白いんだよ!」って。 なんで僕がこんな話をするのかというと、うちの母親が『日本沈没』の大ファンだったのだ。子供の頃から、ときどき『小松左京』とか『日本沈没』とかいう単語を耳にしながら、僕は育った。本当か嘘かは知らないが、今から30年以上前、日本中の若者たちがこぞってこの『日本沈没』に夢中になっていた時代があったそうな。 さてさて、話を2006年版『日本沈没』に戻そう。なんで面白くないのか?ひとことで言えば脚本の問題だと僕は思うのだけれど、もっと大きな理由は、「時の流れ」かもしれない。小松左京が『日本沈没』を発表してから今日に至るまで、僕たちはあまりにも多くのパニックムービーを観すぎてしまった。観客だけじゃない。それは、映画製作に携わる関係者たちも同様だ。 オリジナルの『日本沈没』を観ていないので、これは間違っていたら申し訳ないのだが、おそらく、この映画のラストの終わり方は独自に作られたものじゃないだろうか(原作ファンの方、違ってたら無視してください。)?だって、この映画の途中の構成はどう考えてもあのハリウッド映画だし、クライマックスはどう考えてもあの超大作映画だもの(笑)。 と、あまり書いてしまうとネタバレになってしまうのでこのぐらいにするが、とにかく、この2006年版『日本沈没』はもはや”日本沈没”という衝撃がメインテーマではなくなってしまっている気がするのだ。せっかく、日本人だけが楽しめる、ドキドキできる、ものすごく魅力的なテーマなのに、レンタルビデオ屋に並んでいるハリウッドのパニック映画となんにも変わらないんだもん。なんてもったいない! でも、映像は大健闘だと思う。ところどころCGっぽさが前面に出すぎてて「ん?」と思う部分もなくはないが、終始映像に迫力があって僕はドキドキした。しかも、場所の選び方がウマイ!奈良の大仏さんが水の中に沈んでたり、京都の清水寺がボロボロになっていたり。あの映像を観たら、日本人であれば何かしら感じるものがあるのではないだろうか。反対に、外国の人にとっては、これ以上ない”日本列島紹介映像”になったかもしれない(笑)。この映画、海外の映画祭なんかに持っていったら、日本を知ってもらう良い教材になるなぁ。 脚本の最大の問題点を挙げるとしたら、主人公2人のメインエピソードが、あまりにもつまらない点だろう。普通、こういう映画の場合、世界のパニックが進行するにつれて、相乗効果でどんどんドラマパートが盛り上がっていくのだが、この映画にはそれが全くない。沈みゆく列島というこれ以上ない舞台の上で、どうしたらこんなに盛り上がらない人間ドラマが描けるのか(笑)?あのハリウッド映画の家族ドラマを見よ!あの超大作映画の恋愛ドラマを見よ!やはりパニック映画を作らせたら、ハリウッドの方がまだまだ1枚も2枚も上手だ。 それにしても。 全編にわたる大活躍を予感させながら、序盤で姿を消した石坂総理。 あんた、いったい何だったんだ(笑)? 満足度 ★★★★★★★★☆☆(8点)『デスノート 前編』(2006、日) 監督 金子修介 出演 藤原竜也 松山ケンイチ ノートに名前を書くだけで、その者を殺すことができる「デスノート」。偶然ノートを手に入れた大学生の夜神月は、犯罪のない世界を実現させるため、凶悪犯罪者の名前を次々にノートに記し、殺していく。世間では、一連の連続殺人は「キラ」によるものであるとされ、「キラ」崇拝者がはびこるようになる。一方、ICPOは、事件解決のために天才的な推理力を持つLを日本へ送りこむ。Lは卓越した推理力を駆使し、次第に月に近づいていくが・・・。 いやぁ、こりゃ驚いた。 面白い面白いとは聞いていたけど、こりゃ本当に面白い。 週間ジャンプで爆発的な人気を誇ったコミックの映画化(本当に!?映画になるまで、まったくその存在すら知らなかったよ)。というわけで、僕は当然ながら原作は未読なわけで、極めてフラットな状態で映画に臨むことができた。 いやいや、面白いよ、これ。先のストーリーを全く知らない僕にとっては、もう次の展開にドキドキしっぱなしで、スクリーンから目が離せなかった。 まずはアイデアの勝利だと思う。ノートに名前を書くだけで、相手を殺すことができる。ちょっと「リング」っぽいけど、ありそうでなかったアイデア。相手の顔を知っていないと効果がないだとか、死因についても書き込めるだとか、細かい補足にも手が行き届いているので、破綻なく物語を進めることに成功している。「マンガ的」と片付けてしまえばそれまでだけど、フィクションを盛りあげるためのアイデアとしては申し分ないと思う。 月とLのクールでスリリングな頭脳戦も非常に面白い。状況証拠を細かに分析しながら、次第に容疑者を絞り込んでいき、月に照準を定めるLのシャープな推理展開。「殺人というより、表面的にはただの連続心臓麻痺なのに、そんなにスイスイ推理できるかー?」というツッコミもいれたくなるが、これまた物語上は破綻がなく組み立てがしっかりしている。 さてさて、もともと原作のファンだった人は、映画をどう観たのだろう?「イメージと違う」とか「あそこが抜けてる」とか、おそらく個別の注文はいろいろあるだろうけれど、全体的にはまずまず満足できたのではないだろうか?逆に、この出来栄えで映画が批判されてしまうとしたら、よっぽど原作が面白すぎるのか、観る側が原作のイメージにとらわれすぎてしまっているかのどちらかだろう。個人的には、先入観なしで映画を楽しめた幸運に、というか、流行に疎いが故に原作を知らずに済んだ自分自身の不甲斐なさに感謝したい(笑)。 前編の終わり方としては、『マトリックス』とは比較にならないぐらい、最高の形で後編へと期待を繋げることが出来た『デスノート』。 さぁ、ここで問題が。 11月の後編を待つか、コミックを全部買ってしまうか。 映画の神様は、「悪いことは言わないから、おとなしく11月を待ってなさい」と忠告してくれているが、僕の心の中の死神は、映画の中のリュークのごとく「買っちゃえよ」と耳元でささやいてくる。 ひゃぁ、こりゃ困ったぞ。 満足度 ★★★★★☆☆☆☆☆ (5点)『包帯クラブ』 天童荒太・著 2006、ちくまプリマー新書 高校生のワラは、病院の屋上でディノという青年と出会う。奔放な言動を繰り返すディノにワラは不快感を覚えるが、見えない傷に対して白い包帯を巻くことでその傷を癒すという彼のアイデアに共感し、彼と別れる。ワラは、親友のタンシオらとともに、「包帯クラブ」を発足させる。その活動内容は、心に傷を抱えた人のもとを訪れ、その人が傷を負った場所に包帯を巻くことで、その人の傷を癒すことだ。ワラは、アイデアの発案者であるディノも仲間に加えようとするが・・・。 名作『永遠の仔』の著者による最新小説。 僕は『永遠の仔』にも、そして『家族狩り』にも、かなり心揺さぶられた人間なので、この人が書く新作をとても楽しみにしていた。 その世界観は、いつもながらの天童ワールド。弱者にそっと寄り添い、他人には何もしてあげられないことを百も承知で、それでもただその傷を傷として認めてあげるだけで、少しでもその傷を癒せると信じて、人と繋がろうとする。天童作品の登場人物たちは、いつも弱くて、無力で、でもとても優しくて、そして、とても力強い。 時に「宗教的」だとか「偽善的」だとか揶揄される天童作品のメッセージだが、僕は基本的に彼のその真摯なメッセージに共感する。世界中には、傷を抱えた人間が星の数ほどいる。僕たちは、彼らに対して何もしてあげられないけれど、ただ彼らの存在を認識し、感じようとするだけでも、その傷を癒すパワーを持つことがきっとできる。「自分は傷ついている」ということを周囲の人に知ってもらえるだけで、どれほど僕たちが救われるか。自分の無力さを認めながらも、それでも世界に対して優しく寄り添おうとする作者の想いは、誰にも批判できるものではないと思うのだ。 でも、なぜだろう。この『包帯クラブ』を読んでいても、僕は正直、あまり心揺さぶられなかった。メッセージには共感する。読後感も悪くない。でも、『永遠の仔』や『家族狩り』のときのような心がゾクゾクと震えるような感動は、この小説からは得ることができなかった。 物語があまりにも寓話的すぎるのだと思う。ひとりひとりの登場人物から当たり前のように語られるそれぞれの傷。その見えない傷に包帯を巻くという彼らの行為。その行為が次々に効果を発揮していく現象。小説の中で描かれる全てが、ハッキリ言ってしまえばリアルじゃないのだ。 そんなこと言ったら、『永遠の仔』や『家族狩り』だって少しもリアルじゃなかったじゃないか?とおっしゃる方がいるかもしれない。その通り。前2作だって、完璧なフィクション。でも、そこには、物語の圧倒的な面白さがあった。重さがあった。前2作が、物語がメッセージを引っ張ってきた作品だとしたら、この『包帯クラブ』は、メッセージのために物語が後からくっついてきたような感じなのだ。少し厳しい言い方をしてしまえば、「物語に生命が感じられない」といってもいいかもしれない。 この『包帯クラブ』は、作者の力の入れ方で言ったら、6割・7割ぐらいだと思う。おそらく、小説を書いたというよりは、彼がいま最も強く感じていることを文章としてストレートに表現した、といった感覚だろう。そういう意味では、「見えない傷に包帯を巻く」というアイデアのみで小説を書ききる作者の才能には、改めて驚かされる。 天童荒太という人にとっては、この次に発表される長編が、おそらく分岐点になるのではないだろうか。再び『永遠の仔』のように、圧倒的なストーリーテリングのパワーを通してメッセージを伝えることができるのか。それとも、メッセージを伝えることが前面に出てしまい、ストーリーは二の次というような小説を書いてしまうのか。 この人にしか書き得ない、圧倒的な感動作を書いてほしいなぁ。 と、個人的には願ってます。 満足度 ★★★★★☆☆☆☆☆(5点)『ゲド戦記』(2006、日) 監督 宮崎吾朗 声の出演 岡田准一 手嶌葵 王である父親を殺して国を飛び出したエンラッドの王子・アレンは、ハイタカと名乗る大賢人と出会う。ハイタカは、世界の異変の原因を突き止めるための旅の途中だった。行動を共にすることになった2人は、ハイタカの古い友人・テナーのもとに身を寄せることに。テナーにはテルーという娘がいたが、彼女は、心に闇を持ち命を粗末にするアレンを毛嫌いし、心を開かない。一方その頃、ハイタカに恨みをもつ魔法使い・クモが、2人のもとに迫っていた・・・。 宮崎駿の息子が、ジブリでメガホンを取る。 観る前から「なんだかなぁ」という気持ちでいっぱいだったのだけれど、「せっかくだからお手並み拝見と行くか!」と劇場へ行ったら、いやぁ驚いた、超満員。たぶん、僕と同じ気持ちの人もいっぱいいたんじゃないかと思うけれど、理由はともあれ、大ヒットしていることには変わりはない。 ただ、「なんだかなぁ」という僕の気持ちは、結局劇場を出るときにも変わらなかった。「なんだかなぁ。つまんなかったなぁ。」そんな感じ。 『ゲド戦記』という物語は、ファンタジー・ファンの世界では、伝説的な超大作らしい。ジブリも映画化の権利を手にするのには、かなり苦労したとか。ただ、映画からは、その物語の面白さというものが、全く伝わってこなかった。 劇中、登場人物たちは、旅をつづけ、戦いをつづける。しかし、その旅の目的が見えてこない。戦いの理由が見えてこない。いや、目的や理由らしきものは、彼らの口からときどきセリフとなって語られてはいる。でも、それがアニメーションの中から、スクリーンの中から、少しも伝わってこないのだ。映画の中で描かれる世界にあまりにも魅力がないために、いくらストーリーが進んでも、心が躍らない。 でも、僕が最も残念だったのは、そんなことではない。せっかく宮崎駿の息子がメガホンを取るチャンスを掴んだのにもかかわらず、その映画が、”ハヤオ的世界”から全く脱却できていなかったこと。それが、すごく残念だったのだ。 ジブリの映画を観ると、いつも思う。どうしてみんな、”ハヤオ的映画”を撮ろうとするのか、と。その役割は、宮崎駿本人だけで十分だろう。世の中に、同じ役割の人間は2人はいらない。ましてや、それが息子なんだから、親父には逆立ちしても撮れないような意欲的な映画を作ってみんかい!と、僕は思ってしまうのだ。 冒頭、主人公のアレンが父親を刺し殺す。僕はそこに、宮崎吾朗という人間の覚悟を見た気がしたのだ。父親を倒して、自分だけの世界を表現するのだ、という覚悟を。でもそれは、どうやら間違いだったようだ。宮崎吾朗が作った世界は、父親が数十年かけて作り上げた世界の模倣でしかなかった。 この映画を、宮崎駿はどう見たのだろう?「よくやった」か「まだまだだな」か。いや、根っからのアニメ人である彼のことだ。おそらく息子に対しても、こんな風にしか思わなかったのではないか? 「おれの勝ちだ」と。 満足度 ★★★★★★★★★☆(9点)『ゆれる』(2006、日) 監督 西川美和 出演 オダギリジョー 香川照之 東京でカメラマンとして活躍している猛は、母の1周忌で久しぶりに故郷へ戻る。母親の葬儀にすら参列しなかった猛を父親は歓迎しないが、唯一兄の稔だけは温かく迎え入れる。父のガソリンスタンドで働く稔は、同僚の智恵子に想いを寄せており、いずれは結婚したいと密かに願っていた。しかし、実は智恵子は猛の元恋人。東京に出るときに捨てていった女だ。故郷で再会した2人は、再び関係をもってしまう。その翌日、猛、稔、智恵子の3人で渓谷へ遊びに行く。各々の想いが交錯する中、突然事件は起きた。吊り橋を渡っていた智恵子が、転落死してしまったのだ。そのとき、吊り橋の上には、稔の姿があった・・・。 エンドロールが終わって場内が明るくなっても、僕はしばらく立ち上がることが出来なかった。ズシリと心に重いものが残っている感覚を、しばらくそのままにしておきたかったのだ。また1本、忘れられない傑作と出会えた。そんな感触があった。 物語自体は、決して派手なものではない。しかし、その行き詰るほどの緊張感といったら。「1秒たりとも見逃せない」という言葉がこれほど当てはまる映画もそうそうないだろう。全てのセリフ、全ての表情、全ての映像に、様々なメッセージが込められている。ワンカットたりとも手を抜いていない、製作者の情熱にはただただ脱帽だ。 ある兄弟の内面をとことん深くまで描いた人間ドラマである。その深さが、もう半端ではない。温厚で朴訥とした兄と、クールで自由人の弟。表面的にはまったくタイプの違う2人の男たちは、表面的には確かな愛情で繋がっているように見えた。最初は。 どんな人間の心の中にも、様々な感情が渦巻いているものだと思う。「○○さんは○○な人だ」というひとことで人間をとらえることなど、本当は不可能なのだ。この映画の兄弟も同じ。愛情、怒り、憎しみ、嫉妬、羨望。兄弟だからこそ生まれるそれら感情の全ては、彼らの心の中の一部分にしか過ぎないし、でも同時にその全てが確かに存在する感情でもある。人間の感情とは、本当に複雑なものなのだと思う。 兄弟として過ごして30年。事件をきっかけに、はじめて交錯する互いの本音。その過程で、彼らが表面的に築きあげてきた関係性は完全に崩壊してしまう。それはすごく悲しいことなのだけれど、でも僕は、それはそれでよかったのではないかと感じた。互いに心の底では思ってることがあるのに、それを隠して上っ面だけの関係を守っていたって、それは真に正しい関係とはいえない。思いっきり叫んで、思いっきり吐き出して、2人は改めて互いの存在の意味を感じることができたのではないだろうか。まぁ、その過程もまた本音と嘘が入り混じっているので、「ケンカして仲直り」なんて単純な世界ではないのだけれど。 一級品の人間ドラマに、サスペンスとしての味付けが巧みに加えてあるのがこの映画の憎いところ。「事件か?事故か?」「弟はその瞬間、何を見たのか?」そんなミステリー要素を入口に、上質な裁判劇としても実に見ごたえがある。兄弟の葛藤が、裁判という第三者によって暴かれていくのがまた哀しい。智恵子と猛の関係が検察によって語られた瞬間のあの哀しみといったら、僕はもう瞬きすら出来なかった。 若き女性監督、西川美和。これは恐るべき才能の登場だ。さっそくデビュー作の『蛇イチゴ』をチェックせねばならない。これが監督2作目とは、今後が楽しみな監督だ。 演出も脚本もパーフェクトだが、最も賞賛すべきはそのキャスティング能力かもしれない。オダギリジョーと香川照之。互いを思いっきり意識した演技合戦。これぞ、映画の醍醐味というものだ。互いの演技が互いの演技を引き出していると思うので、どちらが優れているとかそういうことは語るべきではないと思う。ということは百も承知で言うが、僕は香川照之という俳優の才能に鳥肌が立った。人間の心の怖さを、表情ひとつで、背中ひとつで、見事に表現してみせた。 ラストカットをどう見るか。これは観る人ひとりひとりに委ねられていると思うけれど、少なくとも僕には、確かな希望が感じられた。「あの橋を渡るまでは、兄弟でした。」というのはこの映画のコピーだけれど(とても秀逸なコピーだと思う)、僕は、「あの橋を渡ってはじめて、彼らは本当の兄弟になった。」という風に思うのだ。 Bank Band 『to U』久しぶりに音楽の話題。 今週の水曜日に発売されたこのシングル。 久々にまぎれもない名曲と出会った、そんな感じです。 もともとBank Bandというのは、Mr.Childrenの桜井和寿とプロデューサーの小林武史が立ち上げたバンドで、その収益の全ては環境保全活動に充てられている。 で、この『to U』という曲。Bank Bandは基本的に全てカバー曲しか歌わないのだけれど、唯一のオリジナル曲がこの歌だ。いわば、Bank Bandのテーマ曲と言えるのかもしれない。この曲には、女性ボーカリストのsalyuがボーカル参加していて、salyuが歌うパートと桜井が歌うパート、そして2人がハモるパートで構成されている。TBSの「NEWS23」のテーマ曲にもなっているので聴いたことのある人も多いかもしれない。 これはいい曲だなぁ。ミスチルの新曲『箒星』も好きな曲だけど、この『to U』の感動には及ばない。ちなみに作詞が桜井和寿で、作曲が小林武史。なるほど、小林武史っていう人はこんなに良いメロディを生み出せる人なのだなぁと、その凄さを再確認。salyuパートと桜井パートではキーが全然違うので、この曲は転調を何度も繰り返すのだが、その転調部分で全く違和感を感じさせない。それどころか、転調をうまく活かしながら、曲に壮大さを生み出すことに成功している。 桜井和寿の詩も素晴らしい。ここに詩を掲載できないのが歯がゆいぐらい(ネット上に詩を無断で掲載することは禁止されていたはず、たしか。)、頭から尾っぽまで素晴らしいメッセージが詰まっている。優しくて、温かくて、でも、すごく力強い。そのメッセージは、世界中に向けられていると同時に、すぐ隣の大切な人に向けて送られたものでもある。人によっていろんなイメージで受け止められる詩だと思うけれど、人と人は確かに繋がっているんだっていうことがすごく前向きに伝わってくる。 ボーカルも2人とも違った個性があって良いと思う。正直に言うと、2人の声質が合っているとは思わないし、ハモリ自体にはあまり魅力を感じない。どちらかというと、それぞれが1人で伸び伸びと歌っている部分の方が、スンナリ聴ける。でも、あんまり息の合ったデュエットっていうのもなんか嘘くさいし、これはこれでいいんじゃないかな。2人に、「合わせなくちゃ!」っていう意思があんまり感じられないのが楽しい(笑)。 ということで、とてもオススメの曲ですので、ぜひぜひ1度聴いてみてください。そんなにプロモーションを懸命にしていないのでどこまでセールスが伸びるかはわかりませんが、間違いなく2006年を代表する1曲になると思います。 満足度 ★★★★★★★★☆☆(8点)『容疑者Xの献身』 東野圭吾・著 文藝春秋、2005 顔も指紋も判読できない身元不明の他殺体。現場付近に落ちていた自転車に残された指紋から、被害者は富樫という男と判明する。富樫が殺される直前、離婚した元妻・靖子を探していたことから、警視庁の草薙は靖子に疑いの目を向ける。しかし、靖子には事件当夜のアリバイがあった。捜査が行き詰る中、靖子の隣人の高校教師・石神が大学の同窓生であることを草薙は知り、やはり大学の同窓生で親友の物理学者・湯川にその話をする。大学時代、同じ天才同士として最大のライバルであり理解者であった石神に会うため、湯川は石神の家へ向かう。この殺人事件に、石神が大きく関与していることなど知らずに・・・。 上のあらすじを読んで、「おいおい、いきなりネタバレしてんじゃねーよ!」とツッコまれた皆さん、たいへん失礼いたしました。でも、ご安心ください。このあらすじだけでは、なんのネタバレにもなっていませんので。直木賞受賞作にして、「このミステリーがすごい」第1位受賞作品。それも納得の、読み応えタップリのミステリー小説である。 僕はミステリー研究家ではないので、こういうパターンのミステリーを何と呼ぶのかは知らないが、わかりやすく言えば「古畑形式」であり「コロンボ形式」。そう、殺害シーン自体は、小説の冒頭でいきなり詳細に描かれるのだ。もちろん、犯人もその時点で判明する。 そこに、刑事が登場する。捜査は進み、容疑者は絞りこまれ、犯人に厳しい捜査の刃が向けられる。しかし、証拠がない。アリバイもない。捜査が難航する中、ひとりの男が現れる。それが、この小説の謎解き役である、物理学者の湯川だ。実は、この湯川が東野作品に登場するのはこれが3度目。「探偵ガリレオ」「予知夢」と続く、湯川シリーズの第3弾なのだ。 動機に関しては序盤で読者にわかるようになっており、このミステリーの最大の焦点は、靖子をサポートする石神が企てたトリックだ。あらゆる状況が、靖子の事件への関与を指し示しているのに、いっこうに捜査が進展しない。それを阻むのは、アリバイトリック。靖子のアリバイは、決して完璧なものではない。なのに、崩せない。なぜだ? 天才数学者・石神からの挑戦状に、天才物理学者・湯川が挑む。もちろん、警察もただそれを傍観しているわけではない。決して天才ではないが刑事としての優れた嗅覚をもつ草薙も、独自の視点で全容解明にチャレンジする。この3人の緊張感ある関係性がすごく面白い。湯川と石神が絡むシーンになると、「ヤバイよ石神さん、バレちゃうよーー」と、事件の犯人を知っているこちらとしてはハラハラしっぱなしだ。 しかし、謎解きは一向に進まない。真相を知っているはずの読者側にも、次第に違和感が出てくる。「なんかおかしいぞ、この事件?」同様に湯川も、事件の本質に気付きはじめる。「この事件の焦点は、アリバイトリックではない。アリバイに目を向けさせるのは、石神の作戦だ!」 ここから怒涛のクライマックスへと突入していく。その真相に関しては、もちろんここではネタバレしない。ただ、ひとつ言えるのは、「衝撃!」とか「驚愕!」とか、そういった類のものではないということだ。勘のいい人なら、薄っすら気付けた人もいたのではないだろうか。極めてシンプルだが、見事に警察と読者の盲点をついたトリックである。 そして、その真相を知ったとき浮かび上がってくる、石神の想い。あまり喋りすぎるとネタバレになってしまうので難しいのだが、そのときはじめてこの小説のタイトルの意味が理解できるようになる。 ただ、ここでひとつだけこの小説を欠点を挙げるとすれば、様々な人間からの愛情を一身に受ける靖子というキャラクターに、全く魅力が感じられないということがあると思う。弱くて、身勝手で、ある意味においては最も人間的な人物とも言えるこの靖子という女性。でも、それも作者の作戦のうちかな、という気もする。それによって余計に、物語のやるせなさ、切なさが増しているとも言えるからだ。 石神がたてた計画は、完璧だった。完璧なまでに、論理的なものだった。しかし、その論理は、「石神の愛情」と「湯川の友情」と「靖子の葛藤」によって、少しずつ破綻していく。どんな完璧な論理も、人間という不完全な生き物のハートの揺れによって、打ち砕かれてしまうのだ。それが、なんだか切なく、でも、不思議と心地よい。 あまりにも切ないラストシーンをどう読むか。全員にとって悲しい結末を迎えたことは間違いない。でも僕は、「これでよかったんじゃないか」って、そんな風に思った。 満足度 ★★★★★★★★☆☆(8点)『カーズ』(2006、米) 監督 ジョン・ラセター 声の出演 オーウェン・ウィルソン ポール・ニューマン マックイーンは、圧倒的なスピードを誇る若き天才レーシングカー。実力は申し分ない彼だが、自己中心的でワガママな性格なため、友達と呼べる者はひとりとしていなかった。世界最高峰のレース「ピストンカップ」を1週間後に控え、レース会場であるカリフォルニアへと向かう途中、マックイーンは見たこともないサビれた田舎町に迷い込む。「ラジエーター・スプリングス」という名のその町は、地図からも消された町だった。マックイーンは、ひょんなことからその町に閉じ込められてしまう・・・。 『トイ・ストーリー』『モンスターズ・インク』など、常に最高のアニメーション映画を作りつづけているピクサー。そんなピクサーの最新作は、ズバリ「車」が主人公。いや、主人公どころか、映画の世界には車しか登場しない。そう、そこは、人間ではなく車たちが生活する世界なのだ。 個人的に、実は車ってあまり得意じゃない。自分で乗らないっていうのもあるし、乗り物酔いするからもともと好きじゃないっていうのもあるし、友達なんかがマニアックな車種の話なんかしてても、これっぽっちも会話に入っていけない。 だから、今度のピクサーのテーマ(キャラクター)が「車」で、しかもタイトルがそのままズバリ「カーズ」だと聞いたときには、いくらピクサー作品で僕が最も大好きな『トイ・ストーリー』のラセター監督の6年ぶりの監督作だとはいえ、あまり興味が沸かなかった。 そうはいっても、いつも決して僕の期待を裏切らないピクサー作品。こうなれば地の果てまでもお付き合いしますよ!と言わんばかりの決意で、映画館へと向かった。 結論。やっぱり面白い! 映画を観て車を好きになったとは言わないけれど、『カーズ』に登場する車たちのことは大好きになった。 スピード感満点のレースシーンをはじめとする映像の素晴らしさ。顔があってペラペラ喋る車たちというメチャクチャな設定が全く気にならないキャラクターたちの魅力。いつものことながら、そのアニメーションとしてのクオリティの高さにはただただ感動してしまう。 でも、僕がいつも、そして今回も感銘を受けたのは、そのメッセージ。ピクサー作品のメッセージって、本当に普遍的で、温かくて、僕はいつも子供のように感動してしまうのだ。 今回の『カーズ』も、いろいろな大切なことを僕たちに教えてくれる。「ひとりのほうが物事うまくいく場合もある。でも、本当にそれでいいの?」とか、「高速でビュンビュン進むのもいいけれど、たまには脇道にそれてゆっくり歩いてみない?」とか、「勝つことよりも大切なことって何だろう?」とか。 僕が将来、子供を持ったら、ひたすらピクサーの作品を見せまくろうと思う。このメッセージに洗脳された子供は、そうそう間違った人生を送ることはないんじゃないだろうか、なんて思うのだ。唯一心配なのは、アニメオタクになってしまうことぐらいかな(笑)。ピクサーのメッセージは、いつも正しい。 前半はややモタツキ感もあるが、中盤以降はアクビのヒマすらない怒涛の展開。ストーリーの運び方が、本当にウマイ。クライマックスのレースシーンの緊張感&爽快感&高揚感は、もう圧巻のひとこと。エンドロールのあとのオマケも楽しいので、お見逃しなく。 < 前のページ 次のページ >
|