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当ブログでは、「あの映画(小説)、一度観たんだけど、どういう話だったかが思い出せない・・・」とお困りの方のために、映画(小説)のストーリーを完全に網羅したデータベースを公開しております。詳しくは、カテゴリ内の「映画(小説)ネタバレstory紹介」をご参照ください。なお、完全ネタバレとなっていますので、未見の方はくれぐれもご注意ください。
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> 村上春樹『1973年のピンボール』 ~新たな1歩を踏み出すために~
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満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

『1973年のピンボール』
村上春樹・著
1980、講談社文庫

村上春樹の再読作業を開始します!
と宣言しながら、すっかり間が空いてしまいました。すみません。

というわけで、よーーやく、第2弾『1973年のピンボール』を読むことができた。

では、まずあらすじ。
直子を失って以来、心を閉ざして淡々とした日々を過ごしていた”僕”。ある朝、”僕”が起きると、ベッドには双子が寝そべっていた。その日から、”僕”と双子との奇妙な共同生活が始まる。一方、”僕”のかつての友人・”鼠”は、そこから700キロ離れた街にとどまっていた。なじみの店であるジェイズ・バーで酒を飲みながら、新たに知り合った女との交際を楽しむ鼠。しかし、”僕”も鼠も、他人には触れられない孤独感を抱え、そんな日々に決着をつけることを考えはじめていた・・・。

と、あらすじをウダウダ書いても、この小説の面白さは少しも伝わらない。残念ながら。ストーリーの筋だけ追っていても気付けない良さが、この一風変わった小説にはあるのだ。

デビュー作『風の歌を聴け』の感想をブログに書いたときに、「これは”アマチュア春樹”の書いた小説だ」というようなことを書いたが、この『1973年のピンボール』もやはりその延長線上にあると思う。まだまだ、その後に開花するストーリーテリングの魅力は、この小説では爆発しきっていないからだ。

とはいえ、デビュー作と比べると、格段に技術が上達している。心を惹きつける個性的な文章、胸騒ぎのするストーリー展開(特に、後半のピンボール探しのくだりはとても素晴らしい)、余韻ある読後感。村上春樹の持ち味が、確実に、この第2弾から芽を出しはじめている。

さて、内容について。

<ここから、ストーリーの内容に関してネタバレ含みます。未読の方、ご注意を。>

物語の主役は、”僕”と”鼠”。2人の人物の物語が交互に描かれるという流れは、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や『海辺のカフカ』でも見られる、著者お得意のパターン。そして、その2つの物語は、最後まで交わらなかったとしても、必ずリンクしあっているのだ。

”僕”と鼠は、どうやら1970年の時点では、共に同じ場所で青春時代を過ごしていたらしい。しかし、それから3年経った現在、鼠は相変わらずその街にいるが、”僕”はそこから700キロ離れた場所に拠点を移している。そして、2人は全く連絡をとりあってはいないようだ。

まず、”僕”について。”僕”は、直子という女性を亡くした傷を、未だに引きずりつづけている。直子が死んだ時期については明記されていないが、おそらく、1970年の出来事なのだろう。そして、”僕”は街を出た。それから3年。”僕”の前に現れた、謎の双子。双子に誘われるように、”僕”は、かつてハマったピンボールの記憶を甦らせる。そして、その失われしピンボール・マシンを、なんとしても見つけ出そうと必死になる。

一方、鼠。鼠は、いまだに同じ街にいる。彼が街を出ようとしないのは、彼の中に、人生に対する一種の諦めのようなものがあるから。変化しても、どうせ人はやがて滅びる。その街で、様々な女と出会い、別れてきた鼠。そんな彼が、新たに出会った女。週1回のデート。満ち足りているかのように見える日々。しかし、彼は決意する。街を出よう、と。その前に、彼にはしなければならないことがあった。それは、彼女との別れ。

”僕”と鼠。一見、正反対の方向へ進もうとしているかのように見える2人の主人公。失われしものにすがり、”変わらずにそこにあるもの”の存在を信じようとする”僕”。一方、”いまそこにあるもの”から離れ、変化を受け入れようとする鼠。

街から”外”へ出た僕は”内”へ向かい、街の”内”にいつづけた鼠は、”外”へ向かう。

しかし。正反対の方向へ進もうとした2人の歩みは、実は結局のところ、同じ方向へ向かっていたのだということに気付かされる。ピンボール・マシンとの再会。それは”僕”にとって、失ったものとの永遠の別れの儀式でもあった。マシンを”彼女”と呼ぶ”僕”が話している相手が、ただのピンボール・マシンではないことは容易に想像がつく。”彼女”との別れ。”内”へ”内”へと向かった”僕”の旅路は、その儀式を終えたとき、はじめて”外”へと向かいはじめる。そして、双子は、”僕”の前から去る。彼女たちの役目は、そのとき終わったのだ。

一方、鼠も同じようなプロセスを辿る。彼女との別れ。親友ジェイとの別れ。そして、街との別れ。全ての儀式を終え、彼は、ついに街を出る。それは、心を閉ざしたまま日々を生きてきた青年にとって、はじめて、他者に心を開いた瞬間とも言えるのかもしれない。鼠がなぜ彼女と別れなければならなかったのか?と感じた人も多いかもしれない。でも、僕にはなんとなく、その気持ちがわかった。その街にいる限り、きっとやがて、彼女との恋にも終わりがくる。今までと同じように。鼠は、そう悟ったのではないだろうか。

新しい1歩を踏み出すためには、僕たちは必ず、過去の自分と向き合わなければならない。それが、どんなに辛い作業だとしても、その儀式は避けては通れない。”僕”と鼠は、その儀式を乗り越えた。何か(誰か)を失い、それを乗り越え、そしてまた新しい何か(誰か)と出会うために。人生とは、結局、その繰り返しなのだと思う。

「入口があって出口がある。大抵のものはそんな風にできている。」
最後の最後で、冒頭のこの言葉がジンワリと心の中にしみわたってきた。

と、少し話が理屈っぽくなった。でも結局のところ、僕が最もこの小説の中で好きなのは、”僕”と双子のユニークな日常だったりする。全く2人の見分けがつかない”僕”が、シャツの柄で区別しようと2人にニックネームをつけると、2人はそれをあざ笑うかのようにシャツを交換してしまうシーン。この場面なんか、最高に微笑ましくて、もう大好きなシーンだ。

何かを乗り越えようと思ったとき、僕らの側には必ず支えてくれる”誰か”の存在がある。
”僕”にとっての双子、鼠にとってのジェイは、そのことを象徴するような存在だったのだと思う。
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by inotti-department | 2005-12-21 02:17 | book
映画・小説・音楽との感動の出会いを、ネタバレも交えつつ、あれこれ綴っていきます。モットーは「けなすより褒めよう」。また、ストーリーをバッチリ復習できる「ネタバレstory紹介」も公開しています。
by inotti-department
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