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当ブログでは、「あの映画(小説)、一度観たんだけど、どういう話だったかが思い出せない・・・」とお困りの方のために、映画(小説)のストーリーを完全に網羅したデータベースを公開しております。詳しくは、カテゴリ内の「映画(小説)ネタバレstory紹介」をご参照ください。なお、完全ネタバレとなっていますので、未見の方はくれぐれもご注意ください。
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カテゴリ:cinema ( 85 )
『ライフ・イズ・ミラクル』 ~笑って泣ける、素敵なヨーロッパ映画~
満足度 ★★★★★★★☆☆☆(7点)

ハリウッド映画とヨーロッパ映画のどっちが好きかって聞かれると、ちょっと困る。

「どちらにもそれぞれの良さがある」なんて国会みたいな答弁はしたくないのだけれど、本当にそうなのだから仕方ない。
ハリウッド=単純、ヨーロッパ=難解という分け方がよくされる。でも、これはちょっと違う。ハリウッドにも難解で不思議な映画はたくさんあるし、ヨーロッパにも単純明快で大味な映画もある。

それでも、その分け方、あながち的外れではない。ハリウッド映画が単純なものに感じられるのは、物語やテーマの単純さということではなく、ドラマ作りの文法に忠実な作品が多いからだと思う。導入部があって、登場人物の紹介があって、事件が起こり、人物たちが奔走し、物語はクライマックスへ。もちろんパターンはいろいろなのだけれど、どういう形であれ、とっても入りやすく、物語をつかみやすいのだ。ちょっとぐらい途中でトイレに行ったり、仕事のことを考えてボンヤリしても、話についていけなくなることはほとんどない(あまりオススメはしないが・・・)。

一方、ヨーロッパ映画には、不思議なものが多い。ハリウッド映画や、あるいは日本のマンガやテレビドラマを観るような感覚でいると、話がなかなかつかめなくて苦労することが多々ある。要するに、あまり観客に親切ではないのだ。人によっては、「ヨーロッパ映画はレベルが高い」と表現することもあるのは、そういうことなのだと思う。

この『ライフ・イズ・ミラクル』にも、同じことが当てはまる。

最初の1時間、物語はドタバタドタバタと揺れ動いて安定しない。登場人物が入り乱れ、顔と名前と関係性を覚えるのにもひと苦労。しかも、話がどこへ向かっているのか、全く見えてこない手探り感覚が長い時間つづく。このペースで2時間半やられたら、どうしよう・・・。一抹の不安を感じながら、私はスクリーンを見つめていた。

<以下の感想、ネタバレ含みます。未見の方は、ご注意ください>

ここで、簡単なあらすじ。
1992年、ボスニア。セルビア人鉄道技師のルカは、息子のミロシュ、妻のヤドランカとともにのどかに暮らしていた。内戦の本格化はすぐそこまで迫っているのだが、ルカには現実味が持てずにいた。しかし、戦争は、彼ら家族の生活にも容赦なく入りこんでくる。ミロシュに、軍隊への召集令状が届いたのだ。息子は戦地へと旅立ち、さらに妻はハンガリー人と駆け落ちして出て行ってしまう。ひとりぼっちになったルカのもとに、さらに衝撃の知らせが。ミロシュが敵の捕虜になってしまったという。取り乱すルカ。そんな彼のもとに、友人のトモがやって来る。彼は敵側であるムスリム人の女性を連れてきていた。そして、ルカに提案する。「彼女を捕虜にして、ミロシュと捕虜交換をしよう。そうすれば、ミロシュは戻ってくる」と。そして、ルカと捕虜女性サバーハの奇妙な同居生活がはじまった。ルカは、次第にサバーハを愛しはじめる。しかし、彼女は捕虜。息子を取り戻すには、彼女と別れなければならないのだが・・・。

こうやって字にしてみると、なんだかとっつきやすそうに思える。でも、最初の1時間の話の流れが、とても独特なのだ。これがハリウッド映画なら、ミロシュに令状が届くまでには30分もかかるまい。しかしこの映画、そこまでの長いこと長いこと。私は何の予備知識もなく観に行ったので、最初、この映画がどういう話なのかが全くつかめなかった。

そんな中で、面白いなと思ったのは、ルカの戦争との向き合い方。彼は、全然戦争を身近に感じていない。まるで他人事だし、戦争が始まろうとしていることにも気付かない。
でも、案外、市民にとっての戦争って、こんなものなのかもしれない。気が付いたら始まっていて、気が付いたら自分の大切な人が戦地に行っていた。「今日から戦争をはじめます!」っていうのも怖いけど、「気が付いたら・・・」っていうのは、もっと怖いような気がする。

さて、最初はバタバタする物語だが、ルカとサバーハが出会ってから、展開は急速にシンプルでわかりやすくなっていく。サバーハのことを愛し始めるルカ。しかし、彼女は、息子を取り戻すための捕虜。いずれは手放さなければならない。さらに、出て行った妻が突然戻ってくる。妻とサバーハのご対面という修羅場。そして、いよいよやってくるサバーハとの別れのとき・・・。

このあたりの展開は、文句なしに面白い!特に、妻とサバーハのご対面シーンは、最高に笑える。普遍的かつ王道のドタバタコメディが繰り広げられる。

しかし、忘れてはならないのは、この物語の舞台が1992年のボスニアであるということ。ドタバタコメディのバックでは、常に銃声や砲声が轟いている。そして、たくさんの命が失われている。ルカの息子も、捕虜として敵側に捕らえられているのだ。

それでも映画は、感傷的になることをあえて避ける。悲劇を悲劇として描くことは簡単だ。でも、人生には、面白くて愉快なことが、たくさん転がっているはず。監督のそういう気持ちが透けて見えて、笑えるんだけどちょっと切なくもある、なんだか不思議な気持ちになってしまった。

そして、この映画の真価が最も発揮されるのが、物語のクライマックス。ルカは、悩んだ末、敵側へ渡されるサバーハを追いかける。制止の手をかいくぐりながら。そしてあと1歩というところで、突然抱きとめられる。抱きとめたのは、解放された息子ミロシュ。ミロシュは、父親が自分を走って迎えてくれたと勘違いしたのだ。ルカは、遠ざかるサバーハを見つめながら、息子を抱き締める。そして、そんな父子を、妻のヤドランカは「ミロシュのためよ」と呟きながら、満足そうに見つめるのだった。

このシーンは本当に素晴らしい。私は、抱きあう父子の姿を見ながら大笑いしてしまった。サバーハのところに走りたい。でも、息子を放り出して走るわけにはいかない。そのルカの苦悩が手に取るようにわかって、すごくおかしかった。内戦という不条理に引き裂かれるルカとサバーハ。確かに悲劇なのだけれど、この映画は涙より笑いを優先した描き方をしている。それが、なにより心地よい。

そして、ラストシーン。サバーハと別れたルカは、自殺を図り、ぼんやりと線路に横たわる。やってくる列車。しかし、列車はルカの目前で止まる。線路にロバが立っていたために、列車が急停止したのだ。ロバに救われたルカは、再び生きる希望を取り戻し、映画は幕を閉じる。

このロバは、映画の冒頭からたびたび登場し、失恋の涙を流しながら線路に仁王立ちしている。全ては、このラストのための伏線だったのだ。失恋の涙を流す男が、失恋の涙を流すロバに命を救われる。この映画、最後の最後まで笑わせてくれる。そして、感動させてくれる。まさに、「ライフ・イズ・ミラクル」。

こんな奇跡があるのだから、人生捨てたもんじゃない。人間は、愚かで悲しい存在だけれど、それでも何度でもやり直せる。どんな声高な反戦スローガンよりも、そのメッセージはユーモアに溢れていて心に響く。

映画を観終わって、久しぶりにパンフレットを購入した。私は、基本的にパンフレットは買わないことにしている。パンフレット2冊買うお金があれば、映画の前売り券を1枚買えるのだから。それでもあえて買ったのは、映画の背景であるボスニア内戦のことを、少し勉強したいと思ったからだ。

そして、パンフレットを読んでいたら、もう1回映画を観たくなった。前半の、少し退屈にさせ感じられたドタバタ部分にこそ、ボスニアが内戦へと突入する経緯が実に丹念に描かれていたことを改めて知ったからだ。

サッカー場の乱闘騒動や、ミロシュら3人の友人たちがトンネルで遊ぶシーンに隠された本当の意味。私は恥ずかしながら、映画でそれを読み取ることはできなかった。

やっぱり、ヨーロッパ映画は難しい。
でも、もう1回観たくなるような、そんな味わい深さがある。
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by inotti-department | 2005-08-10 12:35 | cinema
映画『フライ、ダディ、フライ』 ~原作と映画の関係~
満足度 ★★★★★★☆☆☆☆(6点)

原作の映像化というのは、本当に難しい。

先に読んだ原作に対する思い入れが強ければ強いほど、その後で作られる映画に対して求めるものは大きくなっていく。そして、たいていの場合、不満が生じてしまう。

これはなにも、映画に限った話じゃない。例えば、マンガのアニメ化。マンガをずっと読んできた人は、自分の中で勝手に登場人物の声をイメージしてしまう。そして、アニメが作られると、その違和感に不満をおぼえる。

要するに、原作を読んだ全ての人を満足させる映像づくりなど、まず不可能といっていい。

さて、『フライ、ダディ、フライ』はどうだっただろうか?原作は、『GO』で知られる金城一紀の同名小説だ。

<以下、映画の感想、ネタバレ含みます。未見の方はご注意ください。>

平凡なサラリーマン鈴木は、愛する妻と娘とともに、平凡だが幸せな毎日を過ごしていた。そんな日常に突然入り込んできた悲劇。高校生の娘が、見知らぬ男に暴行されて入院してしまったのだ。相手の男は、インターハイ連覇のボクシング王者・石原。鈴木は、石原を倒すために、偶然知り合った高校生・朴舜臣のトレーニングを受けることに・・・。

鈴木を演じるのは、堤真一。ひょっとすると、まずここで引っかかってしまう原作ファンも多いかもしれない。確かに、私が先に原作を読んだときには、この鈴木は、もっとくたびれた中年というイメージでとらえていた。堤はスマートだし、年齢も若い。

ただ、物語の本質は、映画も小説も同じ。訴えるテーマも、話の展開もほぼ同じ。
おそらく、原作が好きだった人は、十分楽しめたのではないだろうか。少なくとも、物語の大事な部分を省略したり、原作に出てこなかったキャラクターを登場させて物語を混乱させたり、といったよくある失敗パターンは見られなかったと思う。

それも当然。この映画版『フライ、ダディ、フライ』。脚本は、金城一紀。そう、原作者自ら脚本を手がけているのだ。

原作者にとっては、この形が一番ベストなのかもしれない。変な脚本家によって自分の作品を汚されるぐらいなら、自分で書いてしまうのが一番間違いがない。金城も、そう考えたのかもしれない。

でも、私にはこの映画、少し物足りなかった。それは、あまりにも原作に忠実だから。映画を観たことで改めて得られた”気付き”、あるいは新たな発見、そういったものは何一つなかった。

ふと、『世界の中心で愛をさけぶ』のことを思い出した。あの映画は、原作にはなかったキャラクター(柴咲コウが演じた女性)を登場させて、原作ファンから大バッシングを浴びた。
でも、私はそこが好きだった。大ベストセラーを映画化するにあたって、物語のメッセージ性を高めるためにあえて冒険した行定勲監督の心意気と勇気に、とても感動したのだった。「どうせ映画化するのなら、自分にしか作れない作品を!」それでこそ、映画人というものだろう。

しかし、この『フライ、ダディ、フライ』はどうだろう。映画人の意気込みというのが、あまり感じられない。原作の良さを確実に表現するという意味では、この映画のクオリティは確かに高い。しかし、しかし。私は、どこか食い足りなさを感じてしまったのだ。

ただ、この私の空腹感は、先に原作を読んでしまったからこそ生じるもの。小説を読んでいない人にとっては純粋に楽しめると思うし、物語のテーマにも素直に共感できると思う。この物語のもっている普遍的な魅力は、しっかりとスクリーンに表現されている。そういう意味では、やはり質の高い「原作の映像化」になっていると思う。

私が思うに、1本の映画として作品を楽しみたいときには、原作を読んだ経験というのはかえって邪魔になる。その時点で、すでに予備知識や邪念がついてしまっているから。映画は、原作うんぬんではなく映画それ自体を楽しむにかぎる。個人的にはそう思っている。

やはり、原作の映像化というのは、本当に難しい。

あ、映画を観て、小説版『フライ、ダディ、フライ』を読みたいと思った方、ひょっとしたら食い足りなさを感じるかもしれませんよ(笑)
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by inotti-department | 2005-08-08 10:11 | cinema
『ミリオンダラー・ベイビー』 ~絶望。悲しみ。でも、小さな希望。~
満足度 ★★★★★★★★☆☆(8点)

アカデミー賞を受賞する映画が、常に素晴らしい作品ばかりとは限らない。

期待して観た結果、「え、どうしてこれが取れたの?」とか、「よくわからん地味な映画だなーー。でも、賞を取ってるってことは、すごい映画なのかな」なんて感想を抱いた経験のある人も多いと思う。

そんなことは百も承知で、私はアカデミー作品賞を受賞した作品は、必ず観るようにしている。
別に、アカデミー賞を信頼しているわけではない。ただ、賞を取るということは、多くの人の支持や関心を集めた作品ということだから、そこには必ず何か感ずるところがあるはずなのだ、という思いが私にはある。まぁ、単なるミーハーなのかもしれないが(笑)

そんなわけで、本年のアカデミー賞で作品賞ほか主要4部門を制覇した『ミリオンダラー・ベイビー』を紹介したい。もうすでに劇場公開は終了しているし、観たのはけっこう前なのだけれど。

まずは、簡単なあらすじ。
ボクシングジムを経営するトレーナー・フランキーの前に、女ボクサーのマギーが現れる。ボクシングを教えてくれと懇願するマギーに対し、フランキーは「女は教えない」と突っぱねる。しかし、彼女の熱意に押され、ついにマギーを教えることに。マギーは瞬く間に成長し、ついにはタイトルマッチに挑戦することになるのだが・・・。

と、こうやってツラツラ書いてみると、ただのスポ根のような感じを受けるかもしれない。でも、それは大間違い。というか、このあらすじは、ただの序章に過ぎない。この「・・・」からの展開がすごいのだ!

<以下の感想、ネタバレ含みます。未見の方は、くれぐれもご注意ください。>

暗い映画だという噂は聞いていたものの、まさかこんな展開が待っていようとは。ラスト30分は、目を背けたくなるような絶望的な方向へと物語は突き進む。

試合での負傷により、動けない体になってしまうマギー。もちろん、ボクシングはもう二度と出来ない。さらに、実の母親からは、財産の所有権を譲る権利書へのサインを迫られる。状態はさらに悪化し、片足切断。ついには、舌を噛み切り自殺未遂。よくもまぁ、これだけの絶望的展開を考えつくものだ、と思わず関心すらしそうになる。

マギーはフランキーに懇願する。「私を殺して。悔いはない」と。苦悩するフランキー。さて、フランキーの決断やいかに・・・。(って、いまさらラストを伏せても仕方ないか。)

暗い。確かに暗い。でも、これをただの「救いのない映画」と片付けるのは、少し違うと私は思う。彼の決断への賛否は置いておくとして、少なくとも、フランキーとマギーは互いを理解しあうことができたのだ。家庭的な問題を背負い続けた2人の暗い人生に、小さくも確かな光を与えたのは、お互いの存在だったのではないだろうか。弱さを抱えた人間たちが、肩を寄せ合い生きていく様子を見つめるイーストウッド監督の視線は、シビアだが、温かい。

ずっと連勝街道を突っ走ることができたら、人生どんなに楽だろう。でも、人生はそんなに甘くない。どんな人間だって、1度は負ける。一寸先は闇かもしれない。だったら、いまをどうやって生きる?せめて、いつかやって来る敗北の前に、自分の道に目一杯の光を与えてやればいい。あとのことは、神のみぞ知る、だ。イーストウッドのメッセージは、恐ろしいほど冷徹で、でも、恐ろしいほど真実を示唆している。

そうはいっても、マギーとフランキーが最後に選んだ道は、あまりにも辛すぎるものだ。「敗北したら撤退しろ。勝利の日々を胸に抱きながら。悔いさえなければ、それでよし。」確かに、それもひとつの道なのかもしれない。でも、でも・・・。

しかし、そんな鬱々とした私の心に、イーストウッドは最後に優しい光を差してくれた。ジムでイジメにあって以来行方不明になっていたひとりのダメボクサーが、ラストシーンで、フランキーの消えたジムに再び姿を現す。「誰だって1度は負けるんだ」だったら、もう1度ゼロから始めればいい。絶望と悲しみの物語に最後に訪れる、小さな小さな希望。

生き方は人それぞれ。だったら、私はダメボクサーのような生き方をしてみたいな、と思った。

アカデミー賞を受賞する映画が、常に素晴らしい作品ばかりとは限らない。
しかし、多くの人から支持される作品には、やはり何らかの力を持っているものが多いのも事実だ。
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by inotti-department | 2005-08-07 02:46 | cinema
映画『電車男』 ~恋愛をとるか?友情をとるか?~
満足度 ★★★★★★☆☆☆☆(6点)

突然ですが、質問です。
「あなたは本を読むとき、ブックカバーを付けていますか?」

私の答えは「No」。文庫であろうがハードカバーであろうが、コミックであろうがエロ本であろうが、表紙を隠すようなことはしたくない。これ、読書に関する、絶対に譲れない私のポリシー。

私は電車の中で、自分が読んだことがある本を他人が読んでいるのを見ると、なんだか嬉しくなる。そしてコッソリ横から覗きこんで、「へぇー、いまそこかぁ。そのあとが面白いんだよなぁ」と、余計なことを教えてあげたくなる(もちろん、そんなことはしないが)。

みんな、もっと読書体験を共有しよう!!と、私は声を大にして提案したい。
映画の感想を語り合っている人は多いけど、読んだ本について盛り上がっている光景って、あまり見かけない。「読書はひとりでするもの」って、そりゃもちろんそうなんだけれど、そんなにコソコソページをめくる必要はないじゃない。

だから、私はカバーをしない。自分がいま何を読んでいるのか、みんなに情報公開するために。「いま、こんな本が出てるんですよ!」って、本屋さんに代わって宣伝係を買って出ている私である。

さて、なぜ最初にこんな話をするのかというと、『電車男』の話なのである。

『電車男』は恥ずかしい。体がムズムズかゆくなる。

電車に乗るたびに、他人の読んでいる本を覗きこむ私だが、『電車男』を読んでいる人ってほとんど見かけたことがない。あれだけの大ベストセラーなのに、なぜだろう?
そして今思い返すと、私も『電車男』を読んでいたときは、公共の場所ではあまり本を開かず、
ほとんど家で読みきったように思う。

『電車男』って、物語自体は恥ずかしくなるほどチープな恋愛ものだ。だから、「私は『電車男』を読んでいます!しかも、感動しちゃってます!」って他人に思われるのは、なんだかちょっと恥ずかしい。
だから、みんなコッソリ読んでいる。そしてコッソリ、応援している。

そしてそれは、実際に電車男をネット上で応援した、2ちゃんねるの住人たちも同じ。
彼らもまた、誰にも言わずに、コッソリ電車にエールを送っていたに違いない。そして、そんな彼らと電車男の奇妙な友情こそ、この物語の最も面白い部分であり、涙を誘うところなのだ。

私が小説『電車男』を読んで抱いた感想は、そういうものだった。「『電車男』は、友情物語である!」

<以下、映画の感想。ネタバレ含みます。未見の方はご注意ください。>

さて、映画版『電車男』。この異色のベストセラー小説を、どうやって映像化する?私は興味深く、劇場に足を運んだ。
「恋愛をとるか?友情をとるか?」さて、監督の選択は?

結論からいえば、どちらを選択したのか、よくわからなかった。両方を追いかけ、両方に見せ場をつくり、そして両方とも中途半端になってしまった気がする。

個人的には、「おまえには、おれたちがついている!」という住人のセリフが、『電車男』のベストシーンだと私は思っている。そこはよく描けていた。先に本を読んでわかってはいても、やはり改めて感動した。

ただ、恋愛部分は退屈。小説ではネット上で語られるだけだった部分を実際に映像として見せられると、もう恥ずかしくてマトモには見ていられない。
ところが映画版『電車男』、2人のダラダラしたデートシーンに、尋常じゃない時間を費やしている。もっと、電車と2ちゃんねる住人たちの会話を楽しみたいのに!!そこが最大の不満。

山田孝之の急速な変身ぶりにも、少し違和感が残った。オシャレな服を買い、美容院へ行き、メガネからコンタクトに変える電車。かつては無視されていたティッシュ配りのお姉さんからもティッシュをゲットできるようになり、会社の同僚からは合コンに誘われる。
それを観ていたら、なんだかちょっと嫌な気持ちになったのだ。「要するに、人間は外見ってこと?恋をしたければ、かっこよくなれってこと?」中盤まで、私は少し複雑な気持ちで電車男の恋を見守っていた。

ところが、ラストの告白シーン。ここは素晴らしい。私は唸らされた。
エルメスに想いを伝えるために、彼女を追いかけ秋葉原へ向かう電車男。その道中、電車はコンタクトをなくし、着ていたオシャレなシャツを落とし、変身前のもとの「アキバ系」スタイルに戻ってしまう。そしてその姿のまま、エルメスに告白。

そう、大切なのは見た目じゃない。エルメスが電車男を好きになったのは、彼の真っ直ぐで純粋な内面に魅かれたからなのだ。それをビジュアルで表現する、映画版ならではの素敵な告白シーンになっていたと思う。

映画版を観て、少しだけ印象が変わった。
『電車男』は友情物語である。
でも同時にやはり、『電車男』は恋愛物語でもあるのだ、と。
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by inotti-department | 2005-08-03 23:37 | cinema
『スター・ウォーズ エピソード3』 ~堂々たる完結!そしてSWは~
満足度 ★★★★★★★★★☆(9点)

上映が終わった後の、劇場内のトイレでの出来事。
誰かが笑いながら呟いた。
「うーん、イマイチだなぁ。いろいろと詰め込みすぎだよね」

映画の見方は、人それぞれ。同じものを観て、感動する人もいれば失望する人もいる。
そんなことは、言われなくともわかっている。
それでも、私は思わずこう叫びたい気分に襲われてしまった。

「いろいろと詰め込むに決まってんだろーー!30年つづいたシリーズの、完結編なんだぞ!ここで全て詰め込まないで、一体いつまで温存しとくっていうんだよ、このボケがーー!!」

自慢じゃないが、超小心者の私。もちろん、声にも表情にも出さなかったが。

そんなわけで、話題の『スター・ウォーズ エピソード3』を、ようやく観ることができた。
全6部作(もともとは9部作と言われていたが、どうやら監督のルーカスには、あと3作撮るつもりはないようだ)の完結編、その出来栄えやいかに?

ここで、簡単なあらすじの紹介。
ドゥークー伯爵率いる分離主義者たちの反乱により、共和国の秩序は崩壊寸前。議長のパルパティーンは独裁色を強め、アナキンを重用していく。ヨーダらジェダイ騎士たちは、そんな議長に不信感を持ち始め、アナキンに議長のスパイを命じる。しかし、その頃アナキンは、妊娠したパドメが死ぬ悪夢に悩まされ、精神を乱しはじめていた・・・。

<以下の感想、ネタバレ含みます。未見の方は、ご注意ください>

結論から言おう。
素晴らしい。堂々たる完結。シリーズ最高の出来といっていいと思う。
エピソード「1」と「2」のグータラっぷりも、全ては「3」への伏線だったということで水に流そうではないか。それぐらい、面白い。

「3」の見所は、そりゃもう観る前から決まっている。
アナキンがいかにしてダース・ベイダーになるのか?
ハイライトがいずれやってくることがわかっているぶん、前半は劇場全体に妙な緊張感があり、なんだかソワソワして落ち着かない。
そして中盤、アナキンがダークサイドに堕ち、ついにダース・ベイダー襲名。
そこから物語は、シリーズ史上最悪の悲劇へと突き進む。
こうなってくると、もはや冷静にスクリーンを直視できない。
私の横に座っていた50歳ぐらいの女性の方など、途中からずっとすすり泣き状態に入ってしまっていた。
そしてクライマックスは、アナキンとオビ=ワンの悲しき対決。

実を言うと、この展開は、観る前からだいたいわかっていた(スター・ウォーズを5作観続けてきた人なら、ほとんど同じだろう)。予告編も、ほぼこの流れで作られていたし。
でも、それでよいのだ。30年にわたるシリーズの完結編。意外性などもはや必要ない。私たちが見たいのは、ダース・ベイダーに生まれ変わるアナキンの変貌であり、それを止められずに絶望するオビ=ワンやヨーダの悲しみなのだから。

たしかに、展開に強引な面があるのも事実。
例えばパドメの死は、物語の流れのうえで都合よく扱われた感もあるし、オビ=ワンやヨーダが長期の撤退を決める流れも、エピソード4との繋がりのために唐突に作られたという印象を受けた。

でも、それでよいのだ。何よりも大切なことは、「3」の最後と「4」の最初がしっかりと繋がること。ルーク。レイア。タトゥイーンの太陽。涙こそ流さなかったが、最後は震えが止まらなかった。

さて、ここでちょっと脱線して、旧3部作と新3部作の比較を。
旧3部作は、善悪の関係が非常にハッキリしていてわかりやすい。「悪の独裁国家・帝国」VS「善の民主主義国家・共和国(反乱軍)」の戦いだ。
一方、新3部作は、対立の構図が見えにくくなっている。共和国、ジェダイ、分離主義者、シス。様々な立場が入り乱れ、ちょっと混乱させられる。個人的には、「1」と「2」の物足りなさは、その「わかりにくさ」に起因していると思う。

ところが、「3」を観て、私はそこに面白さを感じた。
分離主義者の反乱を抑えようとする共和国。ここまでは「善」だ。しかし、武力によって秩序を取り戻そうとする共和国は、次第に独裁軍事国家になっていく。そして気が付いたら、シスと一体化して「悪」の帝国になってしまうのだ。

なんだか、これって怖くないか?ひょっとして、これって、現実社会に置き換えられやしないか?

例え話をしよう。ある国で、テロが起こる。これを鎮圧して秩序を取り戻そうと、国家は軍事力によってひとつにまとまる。そして国民の支持のもと、テロを鎮圧する。しかし、テロリストがいなくなったその国には、軍事力と、それをまとめあげる独裁的な政府が残る。そして、その力によって世界をもひとつにまとめあげようとする。
「善」だと思っていたものが、気が付いたら「悪」になっていた。なんだか、とても怖い話ではないか。

こんな状況だと、そこにいる国民はとても混乱する。「え、何を信じたらいいの?一体、誰が正しいの?」そして、気が付いたら、自分も「悪」の一員になっていたりする。
さて、映画の中で、同じように混乱している男がいなかっただろうか?
そう、アナキンだ。

エピソード3に批判的な声の中で圧倒的に多いのは、「アナキンがダークサイドに堕ちた理由に説得力がない」というもののようである。
反論したい。説得力がないのは、当たり前だ。理由なんて、実は特にないのだ。
そう、アナキンは、”気が付いたら”ダークサイドに堕ちていた。
戦争は、ひとりのピュアで弱い青年を、悪にする力を持っているのだ。

いろいろと小難しいことを言ったが、もちろんそれはスター・ウォーズの本当の楽しみ方ではない。あくまでも、スター・ウォーズというのは、娯楽冒険活劇なのだ。

「泣ける」と評判のエピソード3だけど、実はそれほど泣きどころはない。
泣ける映画にしようと思えば、もっといくらでもやり方はあったと思う。
でも、ルーカスはそれをしなかった。スター・ウォーズは、あくまでも娯楽冒険活劇だから。
「3」においても、無駄に長い戦闘シーンは健在。削ろうと思えば、いくらでも削れるのだけれど。

それが、私は何よりもうれしかった。

スター・ウォーズ、堂々たる完結。
そしてSWは、伝説から神話になった。
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by inotti-department | 2005-08-02 03:42 | cinema
   
映画・小説・音楽との感動の出会いを、ネタバレも交えつつ、あれこれ綴っていきます。モットーは「けなすより褒めよう」。また、ストーリーをバッチリ復習できる「ネタバレstory紹介」も公開しています。
by inotti-department
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