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当ブログでは、「あの映画(小説)、一度観たんだけど、どういう話だったかが思い出せない・・・」とお困りの方のために、映画(小説)のストーリーを完全に網羅したデータベースを公開しております。詳しくは、カテゴリ内の「映画(小説)ネタバレstory紹介」をご参照ください。なお、完全ネタバレとなっていますので、未見の方はくれぐれもご注意ください。
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小説ネタバレstory紹介 <カ行>
※完全ネタバレでstoryを紹介しています。未読の方はご注意ください。
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by inotti-department | 2005-08-12 02:26 | 小説ネタバレstory紹介
小説ネタバレstory紹介 <サ行>
※完全ネタバレでstoryを紹介しています。未読の方はご注意ください。

<し>
・雫井脩介『犯人に告ぐ』(2004)  ★★★★★★★☆☆☆(7点)
<story> 相模原で発生した、男児誘拐事件。誘拐されたのは、桜川夕起也と麻美の息子・健児。神奈川県警の警視・巻島は、娘の出産を控えて非番だったが、呼び出されて捜査にあたる。身代金受け渡し時の逮捕を狙うが、神奈川県警と警視庁の縄張り争いなどが原因となり、捜査体制に遅れや不備が生じ、接触に失敗する。巻島は、現場の山下公園で不審人物を尾行するが、逃がしてしまう。その後、健児の死体が見つかり、犯人”ワシ”から警察を非難する手紙が届く。巻島は記者会見に臨むが、記者たちの容赦ない追及に逆ギレし、大ブーイングを浴びる。さらに、娘が出産後に危篤状態に陥っていたことから、「他人の子供より自分の子供の方が大事だ」と失言してしまう。その6年後。川崎で連続児童殺害事件が起こる。「ワシ事件」の指揮を採っていた曾根部長は、左遷されていた巻島を呼び戻す。曾根は、捜査の行き詰まりを打破する策として、テレビを利用した「劇場型捜査」を掲げ、その現場指揮を巻島に委ねる。巻島は、まず被害者家族の理解を得たうえで、人気番組「ニュースナイトアイズ」に出演し、情報提供を呼びかける。しかし、それは表向きの理由で、真の狙いは、犯人”バッドマン”からの反応を誘うこと。番組は反響を呼び、続々と手紙が届く。一方、巻島を管理する立場で、曾根の甥である植草課長は、いまも学生時代の失恋を引きずっていた。その相手、未央子は現在アナウンサーで、「ナイトアイズ」の裏番組である「ニュースライブ」のメインキャスター。植草は立場を利用し、事件の情報をちらつかせて未央子に接近する。そんな中、バッドマンから手紙が届く。巻島はそれを番組で公開するが、すると今度は別のバッドマンから手紙が届く。被害者が着ていた洋服の色についてエンジをベージュと書いている以外は、警察と犯人しか知らない事実が記されていた。どうやら、最初のは偽物で、今度のものが本物のバッドマンからの手紙のようだ。植草は、偽物は巻島が書いたと睨み、未央子に疑惑を伝える。「ライブ」がこれを報じ、さらに6年前の不祥事にも触れたことから、巻島バッシングが起こる。そんな中、有賀という男が自殺する。有賀は、”ワシ”の正体と思われ、ずっと警察がマークを続けていた男だ。”ワシ”は自殺したのか?しかしその数日後、”ワシ”から再び手紙が届く。一方、巻島は、バッドマンの反応をさらに引き出すため、犯人に理解を示す発言を番組で繰り返す。さらに巻き起こるバッシング。そして、エスカレートする植草のリーク。巻島は、リーク犯捜しの罠をはる。それは、架空の容疑者を作り出し、その男が映った映像を捏造し、ビデオを1本ずつ植草ら幹部に渡すというもの。一方、植草は、巻島の指紋と偽バッドマンの手紙に残された指紋を照合する。しかし、一致せず、自分の考え違いを知る。「ライブ」は、植草から渡された映像をスクープとして放送する。巻島は、植草がリーク犯だと確信する。そんな中、バッドマンからの手紙が街中で発見される。バッドマンからの連絡が1週間ほど途絶えていたのは、彼が手紙を落としたことで神経質になっていたから。バッドマンの小心者っぷりを見抜いた巻島は、チャンス到来とみて色めき立つ。しかし、植草はこの手紙の存在をも未央子に教えてしまい、巻島は、植草をハメるための罠をはる。別の件で逮捕された男を”バッドマン逮捕”として植草に伝え、そのウソの逮捕映像を「ライブ」は放送してしまう。世紀の大誤報。曾根は、植草をハメた巻島に激怒する。しかし、巻島は「偽バッドマンの手紙を書いたのは曾根部長では?」と追及し、曾根を黙らせる。バッドマン逮捕へ、巻島の作戦は”ローラー作戦”。手紙の発見場所付近にバッドマンの居住地を絞り込み、片っ端から家を訪問して、偽バッドマンの手紙に残された指紋との照合を行うのだ。もちろん、指紋は曾根のもののため、指紋の一致はありえない。狙いは、不審者のあぶり出し。運命の日、バッドマン逮捕の報を待つ巻島のもとに飛び込んできたのは、孫の誘拐事件の発生。ワシから電話で呼び出され、巻島は山下公園へ。そこにやって来たのは、6年前の事件の被害者の父親・夕起也。巻島は、夕起也に刺されて重体に。病院へ運ばれる巻島の耳に、バッドマン逮捕の一報が伝えられる。決め手になったのは、指紋採取を拒否した不審者が、エンジをベージュと言ったこと。意識を取り戻した巻島は、病室へ謝罪に来た夕起也の妻・麻美に、涙を流して謝罪する。その数時間後、事件の被害者の母親の一人が、巻島に事件解決の礼を言いに来る。巻島は、深々と礼を返すのだった。
<ひとことreview> 1章が最高に面白く、グイグイと物語に引き込まれる。被害者救出より犯人逮捕という本音が見え隠れする警察の悪しき体質、他人の弱みにガンガンつけこんでいくメディアの凶暴性、そして、そのドタバタに翻弄される悲しき事件被害者たち。この小説のテーマの全てが、この1章には詰まっている。本筋は、2章以降。公開捜査という斬新な捜査手法を、娯楽性たっぷりに描いていて抜群の読み応え。しかし、警察の捜査のレベルの低さには、なんだかガッカリさせられる(まぁ、フィクションだけど)。とはいえ、「事件解決は被害者のため」という基本的なことを6年かけて取り戻した主人公・巻島の最後の涙には感動させられる。でも、この小説、詰めが甘くて不満もいっぱい。特に、凋落したあとの植草と未央子のシーンがないのは、どうにも解せない。クライマックスに巻島と夕起也の対峙をもってきたのも、テーマを考えれば悪くはないのだが、個人的には巻島VSバッドマンで盛り上げてほしかった。
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by inotti-department | 2005-08-12 02:26 | 小説ネタバレstory紹介
小説ネタバレstory紹介 <ナ行>
※完全ネタバレでstoryを紹介しています。未読の方はご注意ください。

・法月綸太郎『生首に聞いてみろ』(2004)  ★★★★★★★★☆☆
<story> 作家で探偵の法月綸太郎は、後輩のカメラマン田代の写真展で、顔見知りの翻訳家・川島敦志とバッタリ再会する。会場には、敦志の兄で前衛彫刻家の川島伊作の娘であり、敦志の姪にあたる江知佳も来ていた。2人を見て、敦志と伊作は絶縁状態にあるという噂を綸太郎は思い出す。が、敦志いわく、最近になって和解したのだと聞かされる。そこに、伊作が自宅のアトリエで倒れたという急報が入る。伊作は病気を患っていて、そのまま亡くなってしまう。数日後、敦志に呼ばれ、綸太郎は川島家を訪れる。伊作は生前、長年封印していた新作人体直取り彫刻の制作に没頭していた。彼は21年前に、江知佳の母親の律子が妊娠中に、律子をモデルにした「母子像」という作品を発表していた。今回の作品のモデルは江知佳だったが、そのポーズは21年前の作品と全く同じだった。その新作の首が、何者かによって切られてなくなってしまったのだという。敦志は、江知佳への殺人予告なのではないかと疑い、綸太郎に調査を依頼したのだった。伊作展のプロモーターを務める美術評論家の宇佐美は、「もともと首はなかった」という推理を展開し、綸太郎もその説得力に圧倒される。敦志は、首切りの犯人は堂本というカメラマンだと主張する。堂本は、かつて江知佳にストーカーをしていて、それを妨害した伊作に恨みを持っているのだという。綸太郎は、事件のカギは16年前にあると睨む。伊作は16年前に律子と離婚していた。その原因は、律子の妹・結子と伊作の不倫。結子は伊作の子どもを妊娠し、それに苦しみ遺書を残して自殺したのだという。そしてその半年後、結子の夫・各務と律子が再婚。それ以来、律子は伊作と江知佳の前に現れていないのだという。江知佳が、伊作の葬儀に来た各務に「律子さんに確かめたいことがある」と話したのが、綸太郎は気になっていた。そんな中、江知佳が行方不明になってしまう。江知佳が産婦人科を探していた形跡があることから、綸太郎は江知佳の妊娠を疑う。そして数日後、江知佳の生首が宇佐美のもとに送られてくる。差出人が堂本になっていたこと、残っていた指紋から、警察は堂本を容疑者として捜査を開始。その後、宇佐美も、首のない石膏像を持ち出したまま姿を消してしまう。堂本の女・さやかに話を聞いた綸太郎は、堂本が「江知佳の本当の母親は律子ではなく、死んだ結子だ」ということをネタに、誰かを脅して金を取ろうとしていたことを知る。綸太郎は、結子が通っていた産婦人科を訪ねる。そこには、江知佳も話を聞きにきていた。そこで、院長の口から「結子さんは、義弟に犯されたと言っていた」ということを聞く。警察は、宇佐美を発見する。宇佐美は、堂本と接触しようとしていたところを拘束されたのだ。宇佐美の話を聞き、綸太郎は真相への確信を得る。石膏像の首を切ったのは江知佳。江知佳は自分から堂本に接触し、首を預かってもらった。その首には、目が付いていた。人体直取り彫刻というのは、目が開いていることはありえない。モデルが目を開けた状態で型を取ることは不可能だからだ。方法はただひとつ。死体から型を取ることだ。堂本は、「母子像」というタイトルから、その顔のモデルが結子の遺体から取ったものであることに気付き、結子と江知佳が母子であると推理した。そして、その写真を宇佐美に送り、金を脅し取ろうとしたのだ。写真を見た宇佐美は、堂本とは別の結論に行き着いた。江知佳の本当の母親は、すでに死んでいる。つまり、16年前に自殺したのは実は結子ではなく律子で、いま各務の妻になり律子と名乗っている女性は、実は結子なのではないか、と。律子は自殺に見せかけられ、各務と結子夫妻に殺された。そして、各務夫妻は保険金を手にし、その後結子は律子になり、各務と再婚したのだ。完成した石膏像を見た江知佳もこの真相に気付き、首を切断。その生首を持って各務夫妻を問い詰め、彼らに殺されたのだ。そして、各務夫妻は、その罪を堂本になすりつけようとしたのだ。では、伊作の狙いは何だったのか。彼は、目を開いた母子像によって、各務夫妻の罪を告発しようとした。しかし、なぜ回りくどい方法を取ったのかというと、それは彼もまた16年前の計画の共犯者だったからだ。当時スランプに陥っていた伊作は、どうしても目の開いた石膏像を作りたかった。そのために、死体から型取りしたデスマスクを欲していたのだ。さらに、律子の妊娠を知り逆上し、律子のデスマスクを交換条件に、各務夫妻の計画に乗ってしまったのだ。伊作の罪を知った宇佐美は、それを隠すために、首のない石膏像を運び出したのだった。そして、写真が公表されることを恐れ、堂本と接触しようとしていたのだ。では、死んだ律子のお腹の子の父親は誰だったのか。「義弟に犯された」という証言から、綸太郎は当初、敦志を疑った。そしてそれは、16年前の伊作も同じだった。伊作が敦志と絶縁していたのも、そのためだ。しかし、相手は敦志ではなく、各務だった。各務は律子をレイプして孕ませた。事実を隠したい律子に、結子は、結子になり代わって産婦人科へ行くように持ち掛け、保険証を渡した。それで産婦人科医は、患者は結子だと思い込み、また警察も遺体の女性が妊娠していたことから、自殺したのは結子だとして処理してしまったのだ。結子から「律子の相手は敦志」だと聞かされた伊作は、律子を問い詰めた。「義弟の子か?」と。律子は「義弟」とは「各務」を指しているのだと思い込み、それを認めてしまったのだ。そして16年たち、伊作は自分の勘違いを知った。彼は敦志と和解し、各務夫妻への復讐のため、母子像制作に取り掛かったのだった。
<ひとことreview> 2005年版「このミステリーがすごい!」第一位に輝いた傑作ミステリー。とにかく、緻密。精緻な計算のもと、パズルのようにひとつひとつ謎が解かれてゆく。登場人物たちの謎の満ちた行動も、最後には全て論理的に説明されるので、読み終わって不満や混乱が何も残らない。まさに、本格ミステリーのお手本のような作品だ。
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by inotti-department | 2005-08-12 02:25 | 小説ネタバレstory紹介
小説ネタバレstory紹介 <タ行>
※完全ネタバレでstoryを紹介しています。未読の方はご注意ください。

<タ>
・ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』(2004)  ★★★★★★★☆☆☆(7点)
<story> ルーブル美術館の館長ジャック・ソニエールが殺された。殺害現場に残されたのは、謎のメッセージ。象徴学者ロバート・ラングドンは、フランス警察のファーシュ警部から呼び出される。ラングドンは、ソニエールとその夜会うことになっていた事件の参考人であり、そして、暗号が象徴するものを読み解く適任者でもあるからだ。そこに現れた女性。彼女は、ソニエールの孫であり、暗号解読官のソフィー・ヌヴー。トイレで彼女と2人きりになったラングドンは、自分が容疑者であることを教えられる。ファーシュは隠しているが、メッセージの最後に「ラングドンを探せ」と書かれていたからだ。2人は、トイレから脱出したフリをして、ファーシュをまく。暗号を並び替えると「レオナルド・ダ・ヴィンチ」「モナ・リザ」という単語が浮かび上がってくることを解いたラングドンは、「モナ・リザ」の展示部屋へ。そこで、鍵を発見。それは、スイス銀行の鍵。銀行へ行くと、そこには謎の箱と「P・S」の文字。文字を見て、ラングドンは事件の背景に”シオン修道会”の存在があることを知る。シオン修道会は、異教の集団として異端扱いされながら、テンプル騎士団などを組織しつつ、秘密の聖杯”サングリアル文書”を守ってきた。箱の中身は、聖杯への手がかり”キー・ストーン”か?と、ラングドンは色めきだつ。箱を開けるパスワードを解読するため、2人はラングドンの友人リー・ティービングのもとへ。ティービングは宗教学者で、ずっと聖杯について研究している男。ティービングは、聖杯とは、イエス・キリストは神ではなく人間であり、彼にも妻がいたことを示すものであると説明。妻は、聖書の中では娼婦とされている”マグダラのマリア”。ローマ教会は、その存在が明るみに出ることを恐れ、聖書を捏造したのだ、と。3人は、事件の背景には聖杯(つまりマグダラのマリアの血筋であり遺骨)を手に入れたい教会の陰謀が潜んでいると睨む。そこに現れた侵入者・シラス。彼は、過激なキリスト教団”オプス・デイ”の修行僧。さらに迫り来る警察。3人は、ティービングの執事レミーと、捕捉したシラスを連れ、イギリスへ。道中、暗号を解読。中には、さらに箱が。第二のパスワードを解読するため、3人はテンプル騎士団の墓へ。そこで、突然シラスを解放し、寝返るレミー。ティービングを人質に、キー・ストーンを奪う。レミーは、実は”導師”と呼ばれる黒幕に雇われていた。レミーは、キー・ストーンを手に導師のもとへ。一方、シラスもまた導師の指示でオプス・デイの宿舎へ。シラスは、導師の顔を知らない。シラスを利用しきった導師は、彼をはめるため宿舎に警察を呼ぶ。導師の裏切りに気付いた”オプス・デイ”の代表アリンガローサ司教は、シラスのもとへ。しかし、取り乱したシラスは、司教へ発砲してしまう。その頃、導師はレミーを殺していた。レミーが、ラングドンらの前に姿を見せてしまったからだ。レミーは唯一自分の顔を知っているため、始末する必要があると考えたのだ。一方、ラングドンは暗号の意味を理解し、ウエストミンスター寺院へ。そこに現れたティービング。彼こそ、導師の正体だったのだ。ソニエールは、教会の圧力で家族を殺され、聖杯公開をやめてしまった。事件は、聖杯に触れたいティービングが、オプス・デイを利用して起こした陰謀だったのだ。銃をむけるティービング。そこに飛び込んできたファーシュ。アリンガローサと繋がっていたファーシュは、ことの真相に気付いたのだ。ティービングは逮捕される。ラングドンはまたもや暗号を解読し、ロスリン礼拝堂へ。そこにいたのは、ソフィーの弟と祖母。祖母とソニエールは、ソフィーの両親が死んだことで孫たちの危険を知り、離れて暮らすことにしたのだ。奇跡の再会を果たし、家族は喜びあう。そして、結ばれるソフィーとラングドン。しかし、聖杯は見つからない。ホテルへ戻るラングドン。突然のひらめき。ラングドンは、再びルーブルへ。聖杯は、そこにあったのだ。マグダラのマリアの遺骨がすぐそこにあるのを、ラングドンは感じ取るのだった。
<ひとことreview>世界的ベストセラー。それも納得の、魅力的な謎に満ちたミステリー。謎が謎を呼び、箱の中にまた箱があるという展開には「いいかげんにせえよ!」とツッコミたくもなるが、とにかくページを捲る手が止まらない。しかし、その謎とは、決して「犯人が誰か?」ということではない。そんなことはどうでもよい。最大の魅力は、「聖杯探しのミステリー」としてのものだ。西洋史の暗部に潜んだ重大なミステリー。これは歴史好きの人にはたまらない素材だろうし、僕のような宗教的素人にとっては、純粋に色メガネなしで楽しむことができる。犯人逮捕後の展開に”もうひと衝撃”欲しかった感もあるが、余韻の残るエンディングはとても良い。

・天童荒太『包帯クラブ』(2006) ★★★★★☆☆☆☆☆(5点)
<story>高校生のワラは、病院の屋上で不思議な青年・ディノと出会う。その奔放な言動に嫌悪感も覚えるが、柵に包帯を巻いて、その場所に流れる見えない血の治療を行った彼のアイデアに心を動かされる。親友のタンシオが恋愛で傷つき自殺をほのめかすのを見て、ワラは彼女の傷ついた場所に包帯を巻いてみせる。傷が癒されるのを感じるタンシオ。さらに、タンシオの友人・ギモにも同様の行為を見せ、心の傷を癒す。その効果をもっと多くの人に教えてあげたいと考えた3人は、「包帯クラブ」の発足を思いつく。しかし、その前に、ワラは発案者であるディノの許可を得たいと考え、彼を探す。やっとの思いでディノと再会したワラがクラブについて話すと、彼も仲間に入りたいと申し出る。こうして、「包帯クラブ」は4名でスタートするが、ディノは自分が抱える本当の傷についてはワラに話してくれない。「包帯クラブ」のもとにはたくさんの依頼が寄せられ、彼らは多くの人の傷を順番に癒していく。活動は軌道に乗り始めるが、ワラにはあと2人仲間に加わってほしい友人がいた。それは、中学時代の親友であるテンポとリスキ。テンポは進学校へ、リスキは悪い仲間たちとつるむようになり、もう1年ほど連絡をとっていなかった。ワラは久しぶりに2人と会い、クラブの話をするが、テンポは全くとりあおうとはせず、それを見てリスキも激怒する。リスキは自分の傷について話し、ワラたちが巻いてくれた包帯によって救われる。リスキを加えてクラブはさらに活動を広げるが、町にいたるところに放置された包帯に対し、周囲の風当たりは次第に強くなる。さらに、包帯は全員に対して効果があるわけでもなく、クラブは批判によって解散を余儀なくされる。そんなある日、テンポが行方不明になったという連絡が入る。心配したワラは、メールでテンポに呼びかける。最初はうっとうしがるテンポだったが、ワラの優しさを受け、本音を打ち明ける。友人もおらず勉強だけの孤独な日々を過ごすテンポにとって、ワラたちののん気な様子は苦痛でしかなく、クラブを解散に追い込むような噂を流したのもテンポの仕業だった。しかし、ワラはテンポの傷を受け入れ、彼女の傷にも包帯を巻いてあげるのだった。そして、ついにディノも、親友を死なせてしまった自分の傷について話し、そこにも包帯を巻く。こうして、「包帯クラブ」は復活し、町には再び包帯の花が咲き並ぶのだった。
<ひとことreview>名作『永遠の仔』の著者が描く新たな世界。とても優しくて、温かくて、希望を感じさせる小説である。弱者を包み込み、全ての傷を認めて他者と繋がろうとする者たちを描いた物語は、いつもながらの天童ワールドなのだが、なぜか今作からはあまり心揺さぶられるものがなかった。物語があまりにも寓話的すぎて、その中で描かれる傷や癒しの描写に対して、心が入り込んでいけなかったことが原因かもしれない。セリフも文章も、やや説明的すぎたか。
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by inotti-department | 2005-08-12 02:25 | 小説ネタバレstory紹介
小説ネタバレstory紹介 <ハ行>
※完全ネタバレでstoryを紹介しています。未読の方はご注意ください。
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by inotti-department | 2005-08-12 02:24 | 小説ネタバレstory紹介
小説ネタバレstory紹介 <マ行>
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<む>
・村上春樹『風の歌を聴け』(1979)  ★★★★★★☆☆☆☆(6点)
<story> 大学が夏休みに入り、生まれ育った街に帰省した”僕”。僕は、友人の”鼠”と毎日酒を飲みながら、とりとめのない会話を交わしていた。そんなある日、行きつけのバーのトイレで、倒れている女性を発見する。小指がなく、左手の指が4本しかない女性。そんな彼女を介抱して家まで送った僕だが、目覚めた彼女からいらぬ誤解を受けて罵倒される。しかし、偶然レコード屋で再会したのをきっかけに、次第に親しくなっていく。いろいろな会話を交わし、互いに距離を縮めていく2人。しかし、突然彼女は、旅行に発ってしまう。一方、鼠もまた、女性との何らかの問題を抱えているらしく、そのことに関しては僕に対して口を閉ざす。やがて、彼女が旅行から戻る。久しぶりに僕は彼女と再会するが、彼女は涙を流し、顔も思い出せない男との間にできた子供をおろしたことを告白する。僕は、彼女とセックスはせずに、一晩ベッドを共にする。夏休みが終わり、僕は街をあとにする。一方、女との不幸な別れを迎えたらしい鼠は、思い立って小説を書き始める。そして冬休み、再び帰省した彼が彼女の家を訪ねると、もうそこに彼女の姿はなかった。そして数年後。彼は結婚し、それなりに幸せな生活を送っている。そして鼠は、今も小説を書き続けている。
<ひとことreview> 村上春樹、伝説のデビュー作。『羊をめぐる冒険』以後の作品に見られるような圧倒的なストーリーテリングの力は、この時点の彼にはまだ欠如している。良くも悪くも、アマチュア的な作品。しかし、その後30年間トップに君臨しつづけている男のデビュー作としてとらえると、やはり感慨深い。そして、気付かされるのは、この作品は彼にとっての「作家宣言」であるということだ。冒頭、彼はこう書いている。「今、僕は語ろうと思う。」語られるテーマは、「喪失の哀しみと孤独。そして、そこからの再生」。自分の前を次々に過ぎ去っていく人々や出来事。そして残されるのは、孤独。しかし、”僕”はその状況を諦めているわけではない。中盤にも、こんな記述がある。「他人に伝える何かがあるかぎり、僕は確実に存在している。」孤独を乗り越えて再生するために、彼は”語り”、”書き”つづけるのだ。そして、そのテーマは、現在も一貫して変わらない。「今、僕は語ろうと思う。」全ては、この宣言から始まった。
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by inotti-department | 2005-08-12 02:24 | 小説ネタバレstory紹介
小説ネタバレstory紹介 <ヤ・ラ・ワ行>
※完全ネタバレでstoryを紹介しています。未読の方はご注意ください。
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by inotti-department | 2005-08-12 02:22 | 小説ネタバレstory紹介
伊坂幸太郎『死神の精度』 ~文体の魅力。いま、最も注目の作家~
満足度 ★★★★★★★★☆☆(8点)

「一番好きな作家は?」と聞かれると、少し前までは迷わず「村上春樹」の名前を挙げていた。
他に挙げろと言われれば、東野圭吾、沢木耕太郎あたりの名前がまず浮かぶのが常だった。

しかし今年に入り、ひとりの作家との衝撃の出会いがあった。それにより、この問いに対する答え方にも変化が生じることとなった。
その作家とは、伊坂幸太郎。

デビュー作『オーデュボンの祈り』を読んで、何とも表現できない不思議な面白さに魅了されたのがそもそもの始まり。それから、発刊順に片っ端から読み漁った。いまのところ読んだ7冊、1冊たりともハズレなし(今後、1冊ずつ紹介していきたいと思ってますので、お楽しみに)。

ここで、伊坂作品はじめての感想レポートということで、簡単にこの作者の魅力を書いておきたい。伏線を張り巡らせ、最後にそれをまとめあげる、練りに練った緻密な構成。すっとぼけた登場人物が次々登場する、魅力的なキャラクター描写。ユーモアがありウィットに富んだ会話の面白さ。挙げればキリがないほどの魅力に溢れているが、ひとつ挙げろと言われれば、私は迷わず「文体の魅力」を挙げたい。

とにかくこの作家、文章が面白い。テンポもいいし、言葉の使い方もうまい。そして何よりもスゴイのが、なんてことのない文章なのに、読んでいてクスッと笑わされること。特に、デビュー作の
『オーデュボンの祈り』や『チルドレン』は最高に笑える。物語の語り部たちが翻弄されるさまが、もうおかしくて仕方ないのだ。私は、最初に『オーデュボン』を読み始めてすぐに、「あ、この人の本は全部読もう」と決意した。文体が面白い人の小説は、極端な話、ちょっとぐらいストーリーが退屈でも読めてしまうのだ。文章の1行1行を読むだけで、幸せな気持ちになれるから。そんな風に思ったのは、村上春樹以来のことだった。

さて、話を戻そう。
「あー、もう全部読んじゃったなぁ。早く新作出ないかなぁ」
そう思ってたところ、待望の最新作が発売された。それが『死神の精度』だ。

本書の主役は、「千葉さん」という名の死神。彼の仕事は、8日後に事故や事件で死ぬことになっている人が、死ぬにふさわしいか否かを1週間かけて調査すること。調査対象と接しつつ、彼(彼女)といろいろな話をしながら、その死に関して「可」もしくは「見送り」のどちらが適切かを判断し、報告するのである。

ちなみに、千葉さんの性格はいたってクール。人間という存在を、常に1歩引いた視点で見ている。そのため、調査の結果、ほとんどの対象に対して「可」の結論が出される。「この人、死ぬにはかわいそうだなぁ」などという同情や憐れみという感情は、千葉さんの中には存在しない。彼は、それが仕事であるから一生懸命に対象と接するだけであって、人間の死には全く興味がない。彼が興味があるのは、音楽だけ。人間社会に1週間いられると、好きな音楽をたくさん聴ける。それが、彼が1週間という時間をかけて調査をする本当の理由なのだ。

そんな千葉さんが遭遇する、6人の調査対象たち。
本書は、彼らと出会ったことで千葉さんが遭遇する、ちょっと不思議な6つの物語を集めた短編集である。なんだか、すごく面白そうでしょ?そのとおり、これが面白いのです!

<以下の感想、ネタバレ含みます。未読の方は、ご注意ください>

オープニングを飾るのが、タイトルにもなっている『死神の精度』。
さっそくネタバレしちゃうと、これ、いきなり「見送り」の結論が出される話なのだ。

だから、なんだかんだ死が「見送り」になるパターンが多いんだろうなぁ、などと勝手に予想してしまうのだが、それは甘い。6つ全部読んでわかることなのだが、結局、「見送り」になるのは最初のエピソードだけ。あとの5つは、全部「可」。つまり、調査対象たちはみんな死んでしまうというわけ(死ぬシーンは描かれないものが多いが)。

この『死神の精度』の終わり方が、とてもユニーク。その人を食ったようなユーモアに満ち溢れたオチは、まさに伊坂ワールド。音楽というのは、伊坂作品の重要なキーワードだ。この人、どうやら「音楽は人を救う」と本気で信じているようだ。

そのあとの4つも、それぞれ個性的で面白い。

カリスマ性をもったヤクザとの交流を描いた『死神と藤田』。藤田は、親分の裏切りもあり、敵に囲まれて絶体絶命の状況になる。藤田を尊敬する子分の阿久津は願う。「藤田さんが負けるわけがない!」でも、藤田が死ぬことは決定している。千葉さんが「可」の報告をしたから。でも、その日は千葉さんが現れてまだ7日目。つまり、藤田が死ぬのはもう1日あと。ということは、藤田は今日は死なない。勝つのだ。しかし、藤田の勝利は描かれず、そこで物語は終わる。そのエンディングが、最高にカッコイイ。

『吹雪に死神』は、閉ざされた洋館で次々に人が死ぬ、本格ミステリ風短編。オチがくだらなくて笑える。毒を使って殺そうとした女が、なぜか死なない。なぜ?それは、その毒入りの料理を、千葉さんが代わりに食べたから。死神は、死なないのだ。ヘンな話。

『恋愛で死神』は、個人的に大好きなエピソード。隣人の朝美に片想いした青年・荻原が、朝美をストーカーから守って殺されてしまう話。人間の恋愛を、不思議そうに見つめる千葉さんの視点が面白い。切ないけれど心が温まる、素敵な恋愛物語。最後、思わず嘘をつき、荻原の死を朝美に隠す千葉さん。千葉さんも、2人の恋愛を、クールを装いつつも微笑ましく応援していたのかもしれない。

殺人犯・森岡とともに東北をドライブする『旅路を死神』。道中で出会う老夫婦やセダンの何気ないエピソードを、最後の千葉さんの推理に活かすテクニックは見事。人生を川にたとえ、自分はいま地味な下流にいると話す森岡に「下流も悪くなかった」と語る千葉さんのセリフがいい。後味の良さもグッド。

この4つのエピソードは、それぞれ個性的だが、大筋は同じだ。すべて、ある意味においてはハッピーエンド。しかし、千葉さんの結論は「可」であるため、主人公たちはみな死を迎える。どうせ1週間後には死ぬのに、小さいことで悩んだり喜んだりしている人間たちを不思議そうに見つめる千葉さん、というのが基本的スタンスになっている。そして、どの話でも、常に雨が降っている。千葉さんが仕事をするときは、いつも雨が降るのだ。千葉さんは、まだ晴天を見たことがない。

ここまで読んだ時点で、この小説は、人生には必ず終わりがくるという事実を忘れて生きている人間の滑稽さをシニカルに描いたものだと判断した人もいたかもしれない。それは、間違いではない。しかし、それだけでは、この小説の真のメッセージを読み解いたことにはならないと私は思う。

それを教えてくれるのが、最後の『死神対老女』だ。このエピソードだけは、少し異質なものになっている。そして結果的にこのエピソードは、6つの短編をつなぐエピローグの役割を果たす。これを読み終えたとき、読者は、本書が短編集ではなく、実はひとつの長編だったことを知ることになるのだ。

老女は、千葉さんと会ってひと目で、彼が人間でないことに気付く。そして、彼が自分の死を見届けにやって来たこときも見破るのだ。

このエピソードと他の5つのエピソードの決定的な違いは、この老女が死を覚悟して最後の1週間を過ごす点にある。他のエピソードの主人公たちは、みな自分の死が近いことなど夢にも思わず、ジタバタと必死に生きて、そして突然の死を迎える。一方、老女は、人生の最後にまだ1度も会ったことのない孫と対面する。そして、悔いのない状態で、この世を去るのだ。

これを読み終えたとき、「人はいつか必ず死ぬ。ならば、そのとき悔いが残らないように精一杯生きろ」というメッセージが自然と浮かび上がってくる。そして実は、そのメッセージは、他の5つのエピソードの中にも隠されていたのである。というよりも、5つのエピソードのどの主人公たちも、精一杯最後まで生きたのだ。どのエピソードも、主人公が死ぬにも関わらず、後味がすこぶる良いのはそのためだろう。

そして、その全てのエピソードを通過して達した終着点が、最後の老女の物語。精一杯生きて、たくさんの死を見届けて、そして到達する悟りの境地。この老女のような死に方をするために必要な生き方こそ、藤田であり、荻原であり、森岡のような生き方なのだ。そう、全ての物語が、ここではじめて繋がる。エピソード1で死を見送られた歌手の卵が最後のエピソードで歌手になっていることが判明し、また老女の正体が実はエピソード4で登場した朝美だったというオチも、そのことを象徴している。

最後に、千葉さんはついに晴天を見ることができる。それは、老女が死を覚悟して、死神の存在を正面から受け入れたからかもしれない。もう千葉さんは、雨雲に隠れてコソコソと調査する必要がなくなったから。そして同時にその青空は、人間という存在を祝福する、優しくて温かい賛歌のようにも私には感じられた。
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by inotti-department | 2005-08-12 02:06 | book
『ライフ・イズ・ミラクル』 ~笑って泣ける、素敵なヨーロッパ映画~
満足度 ★★★★★★★☆☆☆(7点)

ハリウッド映画とヨーロッパ映画のどっちが好きかって聞かれると、ちょっと困る。

「どちらにもそれぞれの良さがある」なんて国会みたいな答弁はしたくないのだけれど、本当にそうなのだから仕方ない。
ハリウッド=単純、ヨーロッパ=難解という分け方がよくされる。でも、これはちょっと違う。ハリウッドにも難解で不思議な映画はたくさんあるし、ヨーロッパにも単純明快で大味な映画もある。

それでも、その分け方、あながち的外れではない。ハリウッド映画が単純なものに感じられるのは、物語やテーマの単純さということではなく、ドラマ作りの文法に忠実な作品が多いからだと思う。導入部があって、登場人物の紹介があって、事件が起こり、人物たちが奔走し、物語はクライマックスへ。もちろんパターンはいろいろなのだけれど、どういう形であれ、とっても入りやすく、物語をつかみやすいのだ。ちょっとぐらい途中でトイレに行ったり、仕事のことを考えてボンヤリしても、話についていけなくなることはほとんどない(あまりオススメはしないが・・・)。

一方、ヨーロッパ映画には、不思議なものが多い。ハリウッド映画や、あるいは日本のマンガやテレビドラマを観るような感覚でいると、話がなかなかつかめなくて苦労することが多々ある。要するに、あまり観客に親切ではないのだ。人によっては、「ヨーロッパ映画はレベルが高い」と表現することもあるのは、そういうことなのだと思う。

この『ライフ・イズ・ミラクル』にも、同じことが当てはまる。

最初の1時間、物語はドタバタドタバタと揺れ動いて安定しない。登場人物が入り乱れ、顔と名前と関係性を覚えるのにもひと苦労。しかも、話がどこへ向かっているのか、全く見えてこない手探り感覚が長い時間つづく。このペースで2時間半やられたら、どうしよう・・・。一抹の不安を感じながら、私はスクリーンを見つめていた。

<以下の感想、ネタバレ含みます。未見の方は、ご注意ください>

ここで、簡単なあらすじ。
1992年、ボスニア。セルビア人鉄道技師のルカは、息子のミロシュ、妻のヤドランカとともにのどかに暮らしていた。内戦の本格化はすぐそこまで迫っているのだが、ルカには現実味が持てずにいた。しかし、戦争は、彼ら家族の生活にも容赦なく入りこんでくる。ミロシュに、軍隊への召集令状が届いたのだ。息子は戦地へと旅立ち、さらに妻はハンガリー人と駆け落ちして出て行ってしまう。ひとりぼっちになったルカのもとに、さらに衝撃の知らせが。ミロシュが敵の捕虜になってしまったという。取り乱すルカ。そんな彼のもとに、友人のトモがやって来る。彼は敵側であるムスリム人の女性を連れてきていた。そして、ルカに提案する。「彼女を捕虜にして、ミロシュと捕虜交換をしよう。そうすれば、ミロシュは戻ってくる」と。そして、ルカと捕虜女性サバーハの奇妙な同居生活がはじまった。ルカは、次第にサバーハを愛しはじめる。しかし、彼女は捕虜。息子を取り戻すには、彼女と別れなければならないのだが・・・。

こうやって字にしてみると、なんだかとっつきやすそうに思える。でも、最初の1時間の話の流れが、とても独特なのだ。これがハリウッド映画なら、ミロシュに令状が届くまでには30分もかかるまい。しかしこの映画、そこまでの長いこと長いこと。私は何の予備知識もなく観に行ったので、最初、この映画がどういう話なのかが全くつかめなかった。

そんな中で、面白いなと思ったのは、ルカの戦争との向き合い方。彼は、全然戦争を身近に感じていない。まるで他人事だし、戦争が始まろうとしていることにも気付かない。
でも、案外、市民にとっての戦争って、こんなものなのかもしれない。気が付いたら始まっていて、気が付いたら自分の大切な人が戦地に行っていた。「今日から戦争をはじめます!」っていうのも怖いけど、「気が付いたら・・・」っていうのは、もっと怖いような気がする。

さて、最初はバタバタする物語だが、ルカとサバーハが出会ってから、展開は急速にシンプルでわかりやすくなっていく。サバーハのことを愛し始めるルカ。しかし、彼女は、息子を取り戻すための捕虜。いずれは手放さなければならない。さらに、出て行った妻が突然戻ってくる。妻とサバーハのご対面という修羅場。そして、いよいよやってくるサバーハとの別れのとき・・・。

このあたりの展開は、文句なしに面白い!特に、妻とサバーハのご対面シーンは、最高に笑える。普遍的かつ王道のドタバタコメディが繰り広げられる。

しかし、忘れてはならないのは、この物語の舞台が1992年のボスニアであるということ。ドタバタコメディのバックでは、常に銃声や砲声が轟いている。そして、たくさんの命が失われている。ルカの息子も、捕虜として敵側に捕らえられているのだ。

それでも映画は、感傷的になることをあえて避ける。悲劇を悲劇として描くことは簡単だ。でも、人生には、面白くて愉快なことが、たくさん転がっているはず。監督のそういう気持ちが透けて見えて、笑えるんだけどちょっと切なくもある、なんだか不思議な気持ちになってしまった。

そして、この映画の真価が最も発揮されるのが、物語のクライマックス。ルカは、悩んだ末、敵側へ渡されるサバーハを追いかける。制止の手をかいくぐりながら。そしてあと1歩というところで、突然抱きとめられる。抱きとめたのは、解放された息子ミロシュ。ミロシュは、父親が自分を走って迎えてくれたと勘違いしたのだ。ルカは、遠ざかるサバーハを見つめながら、息子を抱き締める。そして、そんな父子を、妻のヤドランカは「ミロシュのためよ」と呟きながら、満足そうに見つめるのだった。

このシーンは本当に素晴らしい。私は、抱きあう父子の姿を見ながら大笑いしてしまった。サバーハのところに走りたい。でも、息子を放り出して走るわけにはいかない。そのルカの苦悩が手に取るようにわかって、すごくおかしかった。内戦という不条理に引き裂かれるルカとサバーハ。確かに悲劇なのだけれど、この映画は涙より笑いを優先した描き方をしている。それが、なにより心地よい。

そして、ラストシーン。サバーハと別れたルカは、自殺を図り、ぼんやりと線路に横たわる。やってくる列車。しかし、列車はルカの目前で止まる。線路にロバが立っていたために、列車が急停止したのだ。ロバに救われたルカは、再び生きる希望を取り戻し、映画は幕を閉じる。

このロバは、映画の冒頭からたびたび登場し、失恋の涙を流しながら線路に仁王立ちしている。全ては、このラストのための伏線だったのだ。失恋の涙を流す男が、失恋の涙を流すロバに命を救われる。この映画、最後の最後まで笑わせてくれる。そして、感動させてくれる。まさに、「ライフ・イズ・ミラクル」。

こんな奇跡があるのだから、人生捨てたもんじゃない。人間は、愚かで悲しい存在だけれど、それでも何度でもやり直せる。どんな声高な反戦スローガンよりも、そのメッセージはユーモアに溢れていて心に響く。

映画を観終わって、久しぶりにパンフレットを購入した。私は、基本的にパンフレットは買わないことにしている。パンフレット2冊買うお金があれば、映画の前売り券を1枚買えるのだから。それでもあえて買ったのは、映画の背景であるボスニア内戦のことを、少し勉強したいと思ったからだ。

そして、パンフレットを読んでいたら、もう1回映画を観たくなった。前半の、少し退屈にさせ感じられたドタバタ部分にこそ、ボスニアが内戦へと突入する経緯が実に丹念に描かれていたことを改めて知ったからだ。

サッカー場の乱闘騒動や、ミロシュら3人の友人たちがトンネルで遊ぶシーンに隠された本当の意味。私は恥ずかしながら、映画でそれを読み取ることはできなかった。

やっぱり、ヨーロッパ映画は難しい。
でも、もう1回観たくなるような、そんな味わい深さがある。
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by inotti-department | 2005-08-10 12:35 | cinema
サッカー、東アジア選手権を観て思ったこと
サッカーの東アジア選手権、日本は中国に次ぐ2位という結果で幕を閉じた。

「なんだ、上出来じゃん?」って、思う人もいるかもしれない。でもそれは、最後の韓国戦の終了間際に中澤選手がゴールを決めたから生まれた結果なのであって、少なくとも韓国戦の後半41分まで、日本は確実に4位にふさわしいチームだった。

初戦の北朝鮮にまさかの敗戦を喫したジーコ監督は、第2戦の中国戦を前に思い切った決断をした。スタメン、総入れ替え。「まったく、子供じゃないんだから」って半ば呆れてたら、なんと最終戦の韓国戦もまたそのメンバーで臨んだから、そりゃ驚いた。

第2戦と第3戦を観てて、やっぱりちょっと私は違和感を感じずにはいられなかった。「日本で最もサッカーが上手な11人は、いまこのピッチにいる11人です!」日本代表って、そういうことでしょ?でも、あの11人が、果たしてこの国で1番サッカーが上手い11人だっただろうか。

別に、彼らに文句があるわけじゃない。彼らに責任は何もない。少なくとも、l初戦のピッチに立った11人のヘラヘラしたプレーよりははるかに好感がもてたし、組織的な練習もあまりしていないのだから、連携が乱れるのはある程度仕方ない。

でも、それはわかっていても、やっぱり違和感は消えてくれない。サッカーの代表って、そんなに軽いものなの?「この国で1番サッカーが上手い11人」として君臨してた人たちが、3日後には全員補欠になっている。そんなバカな。しかも、それを選ぶ人(つまりジーコ監督)は変わってないのに。

ハッキリ言って、あの2試合のメンバーのほとんどは、一国の代表のレギュラーを担うレベルには達していなかったと私は思う。「カニ歩き」と名付けたくなるような横パスの連続。しかも、そのパススピードの遅いこと。シュートと間違えそうになるような高速の縦パスをどんどん放り込んでくるブラジル代表なんかのプレーと比べると、なんだか悲しくなる。守備陣はともかく、攻撃陣に目立ったパスミスはなかった。当たり前だろう。だって、チャレンジしてないんだもん。

なんだか無性に、ある1人の選手のプレーが観たくなった。中田英寿選手。彼ほど試合中、ミスしまくる日本の選手って、他にいないんじゃないか。パスの精度にも、もちろん問題はある。でも、彼のプレーにミスが目立つのは、彼がガンガン「縦へ、縦へ」とチャレンジするプレーをするからじゃないだろうか。でも、そういう人って、日本では干されたりするから悲しい。「中田不要論」という言葉を、ここ数年で何度耳にしたことか。

話を戻そう。でも、彼らのプレーが消極的だったのは、選ばれた側ではなく、やはり選んだ側の責任だと思う。ジーコ監督は、「今日出る君たちが、ベストな11人だ」と本当に思っていただろうか?そうは思えない。そして、それを誰よりも感じていたのは、送り出された控えメンバーたちじゃないだろうか。彼らの自信なさそうなプレーの原因をそこに求めるのは、少し強引すぎるだろうか?

ジーコ監督に、どういう狙いがあったのかは本人にしかわからない。層を厚くするため?競争意識を植え付けるため?どちらもありそうな理由だけれど、やっぱりそれだけではないだろう。ひとことでいって、今回の騒動、すごく子供じみていたと思う。「この前の試合、なんか気に入らなかったから、メンバー全員変えちゃうんだもん!」意外に真相は、そんなところじゃないだろうか。


そんなことを考えていたら、今日、あるニュースが飛びこんできた。
郵政民営化法案、参議院で否決。小泉、郵政解散へ。

「なんか気に入らないから、解散しちゃうんだもん!」

テレビの中の小泉首相の顔に、ジーコ監督がダブって映った。
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by inotti-department | 2005-08-08 23:37 | sports
   
映画・小説・音楽との感動の出会いを、ネタバレも交えつつ、あれこれ綴っていきます。モットーは「けなすより褒めよう」。また、ストーリーをバッチリ復習できる「ネタバレstory紹介」も公開しています。
by inotti-department
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