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当ブログでは、「あの映画(小説)、一度観たんだけど、どういう話だったかが思い出せない・・・」とお困りの方のために、映画(小説)のストーリーを完全に網羅したデータベースを公開しております。詳しくは、カテゴリ内の「映画(小説)ネタバレstory紹介」をご参照ください。なお、完全ネタバレとなっていますので、未見の方はくれぐれもご注意ください。
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<   2005年 09月 ( 16 )   > この月の画像一覧
映画『世界の中心で、愛をさけぶ』 ~映画監督のプライド~
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満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004、日)   
   監督 行定勲
   出演 大沢たかお  柴咲コウ  長澤まさみ  森山未來


大ヒット映画『世界の中心で、愛をさけぶ』が、テレビで初放映された。

僕は劇場公開時にすでに観ていたので、これが2回目の鑑賞。

原作は、言わずと知れた大ベストセラー。たしか、発行部数は300万部を超えたとか。しかし、この物語、原作・映画ともに、意外に世間の評判が芳しくない。

特に、映画版に関しては、公開当時、ボロクソにこきおろしていた人がかなり多かったように記憶している。

でも、僕は、この映画版『世界の中心で、愛をさけぶ』が、けっこう好きだ。
そうやって言うと、すごく意外な顔をされるから、あんまり声高に友人たちの中心ではさけべないのだけれど(笑)

僕がなぜ、この映画に満足できたのか。
それは、映画の中に、行定勲という人の”映画監督としての意地”を感じ取れたことが、映画ファンとしてとてもうれしかったからだ。

では、簡単なあらすじ。
台風の日。朔太郎は、婚約者の律子が失踪したことを知る。テレビ画面の中に彼女を発見した朔太郎は、彼女を追って故郷の高松へ。それは、自分の背負った悲しい過去への旅でもあった・・・。17年前、高校生の朔太郎は、同級生の亜紀と恋に落ちた。しかし、彼女は白血病を患ってしまう。若い2人に残された時間は、あとわずかだった・・・。

<以下、ネタバレ含みます。「まだ観てないから言わないで~!」という方は、ご注意を。>

この映画が否定的に言われてしまうのは、やはり律子の存在が原因だろう。
原作では触れられていない彼女の存在。そして、朔太郎と亜紀の恋愛の中に幼い日の律子が登場する、いささか奇妙な展開への嫌悪感。

前にも『フライ、ダディ、フライ』の感想のときに書いたと思うが、原作ファンを納得させる映画化というのはとても難しい。特に、原作にないことをしてしまった場合、あるいは原作に出てこないキャラクターを登場させた場合、その風当たりは恐ろしく強くなる。

『世界の中心』は、まさにその典型的なパターン。
「あの律子ってのが出てくるから、つまんなくなるんだよーー」そんな声を、どれだけ耳にしたことか。

でも、僕には、この”律子”というオリジナルキャラクターの存在が、とても興味深かった。

僕が思うに、律子というのは、ひとつの”象徴”なのだと思う。

律子が負った足の障害は、朔太郎が抱え続ける心の傷の象徴。
また、彼女が届けられなかったテープは、亜紀にいまだに「サヨナラ」できずにいる朔太郎の心情を表しているのだと思う。

朔太郎は、亜紀の死から17年経っても、彼女の死を受け止めることができずにいる。
だから、亜紀の幻を見てしまうし、彼女の声が聞こえてしまう。
そんな朔太郎の前から律子が姿を消したのは、ある意味では当然のことと言える。

その朔太郎が、故郷を歩きながら当時のことを回想することで、次第に、亜紀の死という動かせない事実を受け入れはじめる。
そして、律子と再会し、彼女を力強く抱きとめる。

朔太郎の心の象徴である”律子”と共に生きていくということは、亜紀の死を心の中に受け入れ、亜紀と共に生きていくということでもあるのだ。

ラストシーン、亜紀に別れを告げ、彼女の灰を撒いたあとで、朔太郎はこうつぶやく。
「ここに来て、”世界の中心”がどこにあるのかがわかったよ」

”世界の中心”とは、ひとりひとりの心の中にあるものであり、朔太郎は最後に亜紀を心の中にしまいこむことで、ようやく”愛”を取り戻すことができたのだ。


と、ここまで説明しておいて何なのだが、この”朔太郎と律子”のパートが、少し理屈っぽすぎるのも一方で事実。
ラスト30分のこういう”理屈っぽい”展開が、この作品の魅力である”青春”や”純愛”といった良さを消してしまっていることは否めない。

つまり、せっかくの「心で感じる映画」が、「頭で考える映画」になってしまっているのだ。
この映画が不評なのは、この点に尽きるのだと思う(森山未來と長澤まさみのパートに関しては、それほど不満は大きくないのではないだろうか)。

ただ、それでも、僕はこの映画の”挑戦”を、大いに評価したいと思う。

原作のメッセージを忠実に伝えるための手法として、原作を忠実に再現するのではなく、あえてそこには登場しない”律子”というキャラクターで勝負することを選択した、行定勲監督の挑戦。
僕はそこに、映画監督のプライドを見た気がするのだ。

なんとなくあらすじを追いかけているだけの映画化作品が増えてきている中で、こういう冒険はとても良いことだと思う。
たとえそれによって風当たりが強くなろうとも、そんなことは気にしない。
僕は1人の映画ファンとして、そういう意欲的なチャレンジ精神がとてもうれしかったのだ。

そして、最後にもうひとつ、この映画に関して触れておかなければならないことがある。
長澤まさみと、森山未來。
2人の若き俳優の、その素晴らしい演技について。

特に、森山未來。
彼は、とりたてて顔が美しいわけではない(森山ファンのみなさん、怒らないでくださいね(笑))。
にもかかわらず、この映画の中の彼が、どんなにか魅力的に見えたことか。

作品の随所で、彼は、こちらがビックリするような魅力的な表情を何度もしてみせた。
そして、その表情をずっと見ていると、17年後の大沢たかおの顔が不思議と浮かんでくるのだ。
意識的なものなのか、無意識的なものなのか。それはわからないが、とにかく、この『世界の中心で、愛をさけぶ』の森山未來の演技に関しては、ケチのつけようがないと思う。

長澤まさみに関しては、表情ももちろんだが、僕は特に”声”が良いなと思った。
テープから流れてくる亜紀の声、大沢たかおが回想する亜紀の声。
その声が、はかなげで、美しくて、僕にはすごく魅力的に感じられた。

欠点もたくさんあるけれど、いろんなうれしい発見がある映画。
「たかがセカチュウ」などと、あなどるなかれ。
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by inotti-department | 2005-09-30 00:54 | cinema
『リンダ リンダ リンダ』 ~青春って、素晴らしい!!~
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満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

『リンダ リンダ リンダ』(2005、日)
   監督 山下敦弘
   出演 ペ・ドゥナ  前田亜季  香椎由宇  関根史織


青春って、素晴らしい!!

突然の書き出し、失礼いたしました(笑)

『リンダ リンダ リンダ』の感想をどうやって表現しようか、いろいろと考えたのだけれど、やっぱりこの言葉しか思いつかない。

どんなにブツクサとウンチクを垂れても、しょせんこの言葉にはかなわない気がするのだ。

青春って、素晴らしい!!

以下、簡単なあらすじ。
文化祭を目前に、中心メンバーが脱退し、大ピンチの女子高生バンド。残ったのは、3人。いまさらオリジナルの歌は間に合わない。そこで、ブルーハーツをカバーすることに。しかし、肝心のボーカルがいない。リーダー格の恵は、3人の前を通りかかった韓国人留学生のソンに声をかけ、ソンもボーカルを受諾。3人は、信頼を深めながら練習を重ね、いよいよ当日を迎える。しかし、徹夜の練習がたたり、4人は本番に寝坊してしまい・・・。

<以下、ネタバレも含みます。ご注意くださいませ。>

はっきり言って、ストーリーはメチャメチャ(笑)。
全然まとまってないし、さほど印象的なエピソードが途中にあるわけでもない。

登場人物もいろいろ出てくるのだけれど、しっかり描けているような、描けていないような・・・。
無駄なシーンはたくさんあるし、「女子高生が”リンダリンダ”を歌う」というひとことだけで、この映画の大筋は説明し尽くせてしまうような、単純な物語だ。

しかし。しかし。

この映画は、素晴らしい!青春映画の傑作、と呼んであげて良いと思う。
映画ってストーリーが全てじゃないんだよなぁ、って、僕は改めて教えてもらった気がする。

青春時代というかけがえのない素晴らしい時を、この映画は見事に表現している。

文化祭を前にした、ウキウキするようなお祭りムード。
高校生たちの、他愛ないやりとり。
好きな人への、淡くて切ない想い。

屋上で漫画喫茶開いちゃうスカした女子高生とか、やたら凝った記録映像を残そうとするオタク少年とか、「あー、こういう奴、いたいた!」っていうリアルな高校生たちがたくさん出てくる。

これほど正確に”青春”というものをスクリーンに映し出してみせた映画は、そうそうない。

主人公4人のやりとりが、すごく良い。
作ったところが全然なくて、とっても自然で、「そう、高校生の会話って、こんなのだよなぁ」って、僕は高校生当時のことを思い出して大いに共感した。

4人とも、女優として、すごく将来有望なのではないだろうか。
普通、この年代の俳優さんって、自然であればあろうとするほど不自然になりがちなんだけれど、みんな見事なまでに自然体。
監督の指導も、きっと素晴らしかったのだろうと思う。

本番を直前に控えた夜の学校で、ドラムの望が言うセリフがとても印象的だった(正確な再現ではないですが)。

「きっと、本番は頭の中が真っ白になって、たいして思い出せない。だから、こういう準備とかが、思い出に残るんだよ、きっと」

クールで寡黙なツッコミ役の望(ちなみに、僕は4人の中ではこの子のキャラクターが一番好きだった)が、ボソッとものすごく良いことを言うのだ。
これ、まったくもって、そのとおり。

運動会でも、合唱コンクールでも、イベントって何でもそうだけれど、大人になった今になって思い出そうとすると、鮮明に憶えているのって意外に本番よりも準備とか練習のときのことだったりする。

仲間とワイワイ集まったこと。
些細なことでモメて、ギクシャクしたこと。
でも、そこからもう1度話し合って、頑張ったこと。

そういう日々のことを思い出すと、胸がキューーーンとなる(ちょっと死語ですね、これ)。


最後の本番シーンも、文句なしに素晴らしい。

劇中、練習のときの曲は、ほとんどが『僕の右手』。
でも、本番では、『僕の右手』の演奏シーンはカットされている。
変わりに歌われるのが、『終わらない歌』。

これは、監督の見事なテクニック。大成功。
『僕の右手』は、正直なところ散々聴かされて、ちょっと飽きてしまっている。
だから、最後に歌われる『終わらない歌』が、すごく新鮮で感動的に聴こえてくるのだ。
そのまま、本家ブルーハーツの『終わらない歌』に繋がるエンディングもベリーグッド。

『リンダリンダ』に関しては、もう何も語る必要はないだろう。
”青春”というキーワードに、”リンダリンダ”の組み合わせ。
これは、もう最強コンビみたいなもの。
映画のタイトルにも、そのエネルギーがそのまま表現された。
とても良いタイトルだと思う。


本番の直前、ドラマーの響子が、想いを寄せる男子と2人きりになる。告白するために。
その後、本番ステージに現れた響子に、恵が聞く。
「どうだった?」
響子は答える。
「言えなかった。」

普通の映画だったら、響子の告白は成功しているところ。
でも、人生って、そんなにわかりやすいものじゃない。
青春って、そんなに単純なものじゃない。

ゴチャゴチャしてて、まとまりがなくて、大味で、わけわかんなくて。
だけど、ものすごく強いエネルギーを持っている。

そんな、”青春”というものが持つ不思議なパワーを、そのまま映画自体が備えているような、そんな作品。

青春って、素晴らしい!!!
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by inotti-department | 2005-09-29 02:09 | cinema
『ヒトラー ~最期の12日間~』 ~問われているのは、僕らの心。~
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満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

『ヒトラー ~最期の12日間~』(2004、独)
   監督 オリヴァー・ヒルシュビーゲル
   出演 ブルーノ・ガンツ  アレクサンドラ・マリア・ララ



エンドロールが終わって劇場が明るくなっても、すぐに立ち上がれなくなるような映画が、ときどきある。

『ヒトラー ~最期の12日間~』は、僕にとってまぎれもなく、そういう映画だった。

重い。あまりにも、重い。

「ヒトラーってとんでもない奴だったんだね!あーー、怖い。」
そう言ってこの映画の存在をすぐに忘れてしまうのは、簡単だ。
でも、この映画が伝えたかったことは、たぶんそんなことじゃない。

さて、簡単なあらすじ。
1942年、ヒトラーに個人秘書として雇われたユンゲは、それから2年半、彼の最期のときまで共に地下要塞で過ごすことになった。戦況は悪化し、敗戦は免れない状況。にもかかわらず、ヒトラーは将校たちの意見を全く聞き入れず、降伏しようとはしない。しかし、忠臣の裏切りがつづき、ヒトラーは自殺を決意する。ユンゲは、彼の側で最期を看取る決意を固めるが・・・。

<以下、ネタバレ含みます。内容を知りたくない方は、ご注意ください。>

僕の個人的な考え方としては、映画を観るからには、スクリーンに映し出されることは全て理解したいと思っている。共感できるかどうかは別として、だが。
でも、この映画の中のヒトラーという人物だけは、どうしても僕には理解できなかった。

彼の世界は、全て地下要塞の中で完結してしまっている。地上で、罪のない市民にどれほどの被害が出ているのかなんて、彼は全く把握していない。というか、興味がないのだ。

いったい、彼のどこにカリスマ性があったのだろう。映画の中のヒトラーは、神経質で、横柄で、すごく器の小さい人間に僕には思えた。
そして実際、少なからぬ腹心たちが、彼に対していろいろ不満も抱えていたようだ。

一方で、親しい女性たちに彼が見せる態度は、なんだか妙にやさしい。どこか頼りなげで、母性本能をくすぐるような素振りさえ覗かせる。

そう、ヒトラーは世界史に突然現れた怪物のような存在として語られることが多いが、彼だって、ただの1人の人間だったのだ。そんな当たり前のことを、この映画は一貫して僕たちに示しつづける。

何か恐ろしいことが起こると、僕たちは、すぐに何かに原因を押し付けたがる。
例えば、JRの脱線事故だってそうだ。運転手に全ての責任を負わせて、それでおしまい。JRの態度には、そうやって事態を収束させたい思惑がありありと感じられた。

ドイツが、世界があんな風になったのは、ヒトラーのせい。彼さえいなくなれば、もう安心。
この映画を、そんな風に消化してしまうことは、少なくとも僕はしたくない。

この映画のベースになっているのは、ヒトラーの秘書ユンゲが、死ぬ直前に語った回想録。
そういう意味では、非常に史実に近いことが描かれているのだろう。

映画のラストで、ユンゲが死ぬ直前に応じたインタビューがスクリーンに映し出される。
そこで彼女は、こんなことを言っている(正確な引用ではありませんので、あしからず)。

「私は、当時まだ若くて、何も考えずにヒトラーのもとへ飛び込んだ。
でも、だからといって、自分には何も責任がなかったのだとは絶対にいえない。
若かったとしても、私にも、自分で判断できたはずなのだ」と。

そう、ことはヒトラーだけの問題ではない。
怪物を生んだのは誰?怪物は、本当にヒトラーだけだったのか?

この映画の監督、オリヴァー・ヒルシュビーゲルは、2001年に『es』という映画を撮った人だ。
『es』という映画は、ある心理実験によって、普通の被験者たちが怪物になっていく様をドキュメンタリー形式で撮った、非常に興味深い作品だった。

誰の中にも、怪物はいる。
もしかしたら、僕やあなたが、ヒトラーになっていたかもしれないのだ。

全ての責任をヒトラーに押し付けて、安らかな日々を過ごそうとすることは簡単だ。
でも、それは決して真実じゃない。
ヒトラーの周囲には、彼を暴走させる様々な要素があったのだ。戦争とは、それほどまでに恐ろしいものなのだ。

映画の終盤、ヒトラーが死に、ユンゲはベルリンを脱出する。
そこで、はじめて目撃する光景。
そこらじゅうに転がっている死体。砲撃のあと。

そのとき、ユンゲは何を思ったのだろう。
彼女は、ヒトラーを慕って、彼を信じた。
しかし、その彼が作り上げた世界は、あまりにも悲惨なものだった。

これから先、もしも戦争が起こったとして、そのとき僕たちは、何に原因を求めようとするのだろう?
テロリスト?独裁者?マスコミ?

問われているのは、僕たちひとりひとりの心、なのだ。
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by inotti-department | 2005-09-26 21:28 | cinema
『愛についてのキンゼイ・レポート』~映画よりレポートが読みたい!~
e0038935_13471143.jpg満足度 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点)

『愛についてのキンゼイ・レポート』(2004、米・独)
   監督 ビル・コンドン
   出演 リーアム・ニーソン  ローラ・リニー


久しぶりに映画の話題。

22日、シネスイッチ銀座で『愛についてのキンゼイ・レポート』を観た。
なんと、この日が公開最終日。時間も最終回。

僕は前売券を持っていたので、「これはなんとしても見ねばならん!」ということで、ムリヤリ仕事を片付けて、劇場へと飛び込んだ(そのうちクビになるぞ、ホント)。

最終日の最終回を観るなんて久しぶりの体験だったけど、あまりの混雑っぷりにビックリ。
「お立ち見の可能性がございます」なんて案内が出てたときには、まぁ驚いた。
「もっと余裕をもって早めに観に行けよ」って思われる方もいるかもしれないが、意外と同じような方はいるものだな、とちょっと安心(笑)

さて、本題に入ろう。
まずまず話題になったこの映画。公開していた劇場がそんなに多くないから、泣く泣く見逃したという方もいたかもしれない。
そんな方は、DVDが出たらぜひどうぞ。
劇場で観る醍醐味があるような性質の作品ではないから、家で観ても同じように楽しめると思うのでご安心を。
不満もいろいろあるけれど、なかなか興味深い映画です。

では、簡単なあらすじ。
生物学者のキンゼイ博士は、世の中の人たちがどんなセックスをしているのかをまとめた「キンゼイ・レポート」を発表。一大センセーションを巻き起こす。しかし、タブーに踏み込んだこのレポートは、賞賛と同時に批判も浴びる。栄光から一転、どん底へと叩き落とされるキンゼイ博士。彼を支えるのは、妻のクララ。キンゼイ博士が最後にたどり着いた、愛についての真実とは?

<以下、ネタバレ含みます。DVD観るつもりなので知りたくない!という方はご注意を。>

恥ずかしながら、僕はこの「キンゼイ博士」という人物の存在を全く知らなかった。
そう、この映画、実話がベースになっているのだ。キンゼイ博士は実在の人物だし、「キンゼイ・レポート」は実際に大ベストセラーになったのだそうな。

このレポートが、ものすごく興味深い。僕は、映画の内容よりもむしろ、「もっとレポートの内容を教えてーー!!」と思ってしまった。

映画は、たしかにレポートの内容にもしっかりと触れているが、その視線はむしろ、キンゼイ博士という人物、さらにはその周囲の人たちへと向けられる。

キンゼイ博士の幼少期の体験。父親との確執。生物学への興味。セックスへの悩み。
博士がいかにしてレポートを発表するに至ったのかが、とても丁寧に描かれていく。
そう、要するに、これは人間ドラマなのだ(少なくとも、R15指定にするような映画じゃなかろうに)。

キンゼイ博士と奥さんのクララの関係がとってもユニーク。
博士は、研究の過程で同性愛に興味を抱き、ついに自分もそれを経験してしまう。だったら黙ってればいいのに、博士は正直だから、奥さんにそれを告白してしまうのだ。
奥さんも奥さん。「私も浮気したい!」とか言って、博士の目の前で、堂々とセックスを楽しんだりする。やれやれ、ホント変な夫婦だ。

でも、映画は、こういうある種の”アブノーマル”な行動に対して、とてもやさしい視線を向ける。
「だって、みんな多かれ少なかれ、異常な部分があるでしょ?だから、自分が異常だと思っても、安心していいんだよ」
そんな風に、スクリーンを通してやさしく微笑みかけてくれる。

そもそも、「キンゼイ・レポート」発表の動機自体がそうなのだ。みんな、セックスに関しては、あまり他人と情報が交換できない(特に、1950年ぐらいは余計にそうだったのだろう)。だから、自分は他人と違う異常なことをしているんじゃないか、とひそかに不安に思っている。でも、それを確かめる術はない。
そんな人たちの疑問に答える、それがこの「キンゼイ・レポート」だったのだ。

このレポート、読んだら絶対に面白いはず!えー、どんなことが書いてあるのー?
と、僕は座席のところでジタバタしてたんだけど、映画はそれについてはあんまりしっかり教えてくれない。まぁ、映画はレポートの報告じゃないんだから当たり前なんだけど、もうちょっと知りたかったなぁ。なにしろ、途中でチョコチョコ出てくるインタビューのやりとりが、もう抜群に面白かったものだから。

個人的なそういう”恨み”があるから言うわけじゃないけれど、この映画の欠点を挙げるとすれば、やはりそこなんだと思う。
もうひとつ、全てが中途半端なのだ。

映画の後半は、キンゼイ博士がいかにしてバッシングから復活するか、それを支える夫婦の愛が描かれる。でも、それで感動させられるほど、前半と中盤でしっかりと夫婦愛を描けていただろうか?

さらに、この映画の裏テーマに”同性愛”がある。
キンゼイ・レポートの中で明らかになる、同性愛者の存在の多さ。そして、彼らの苦しみ。
レポートは、そこに触れているからこそバッシングを浴びることになったのだから、その問題に映画が突っ込んでいくのは当たり前だ。が、ちょっとそこに重点をおきすぎだったのではないか?

僕には、この映画が本当に描きたいのが、「夫婦愛」だったのか「キンゼイ・レポート」だったのか、はたまた「同性愛」だったのか、いまいちわからなかった。
たぶん、全てを描きたかったのだと思う。でもそのぶん、映画の印象が、全体に弱くなってしまった気がするのだ。

これだけ面白い題材なのだ。もっともっと傑作になる可能性があったと思う。そこが惜しい。

でも、僕をこれだけ「キンゼイ・レポート読みたい病」に陥らせてくれたのだ(笑)。やっぱり、それだけ、興味深い映画だったということなんだと思う。

この映画を機に、みんながセックスについて赤裸々に語るようになったりして。
それはそれで、怖い気もするけれど(笑)
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by inotti-department | 2005-09-26 02:06 | cinema
小田和正コンサート『大好きな君に』 ~偉大なるマンネリの美学~
ここのところ、このブログで取り上げている話題はミスチルばかり。

「おまえは1日じゅうミスチル聴いて生きてるヒマ人なのか!」と心配されていた方(?)もいたかもしれない(笑)。
でも、ひそかに、ちゃんと活動してましたよ。
9月21日、日本武道館で行われた、小田和正さんのコンサート『大好きな君に』に行ってきた。
ちょっと遅れたけれど、そのときの報告を。

先に断っておくと、僕は小田和正さんの大ファンではない。
CDは、ベスト盤『自己ベスト』と、最新盤『そうかな』の2枚しか聴いていないし、オフコース時代の曲もほとんど知らない(熱烈なファンの方で、今回のライブに参加したくてもできなかった方、ゴメンナサイ。でも、みなさんのぶんも、ちゃんと楽しんできました!)。
でも、日本のポップ・ミュージックを愛する者として、やはり小田さんは特別な存在。好き嫌いはさておき、小田さんとか井上陽水さんとかサザンの桑田さんとかは、日本の音楽の歴史を語るうえでは絶対にはずせない。

コンサート(なんか、小田さんの場合、”ライブ”っていうより”コンサート”っていう感じ。定義はよく知らないが。)前日の9月20日が、小田さんの誕生日だったそうな。しかしこれが、年齢を聞いて驚いたのなんの。なんと、58歳になられたそうな!!

驚異の58歳。
でも、たしかに動きとか喋りはオヤジ(すみません。。。)くさい。
歌いながらファンに手拍子を求める姿は、カッコイイというよりは、子供に歌を教えている音楽好きなおじちゃんといった感じ(笑)
トボけて飄々としたトークも、老成していてやっぱり若者とは一味違う。でも、自虐的でひねくれたMCは、かなり面白くて笑える。あんなにトーク好きな人だとは、コンサートへ行くまで知らなかった。

しかし、このオヤジ、歌を歌わせるとスゴイのだ。驚異の高音。美しい声。今までいろんなアーティストのコンサートに行ってきたけど、小田さんの歌の魅力は、やはりオンリーワンだ。

この夜歌った曲は、最新アルバム『そうかな』収録曲を中心に、全29曲。

ミーハーファンの僕としては、いきなり2曲目に『ラブストーリーは突然に』を歌ってくれたことがうれしかった。あれは盛り上がったな。

あと面白いなと思ったのが、ステージ後方のスクリーンに、歌詞が映し出されること。「みんなで一緒に歌いましょう!」と言ってくれているようで、歌詞をまったく知らない僕にとっては、ああいう配慮がすごくうれしかった。でも、小田さんはすごく声がきれいだから、歌詞がみんな聴き取れるんだけれど。

6曲目の『さよなら』もよかった(生で聴くと、意外に”ロック”な曲なのね。もっと繊細なイメージだったけど、アレンジがけっこう迫力あり。でも、そこがすごく良かった。)けど、コンサートのハイライトはやっぱり後半かな。

前半は、ほぼ1曲歌うごとにMCをはさんでいたけれど、後半は一気に歌いまくり。それでも、声は少しも衰えない。『Yes-No』(有名な、♪君を抱いていいの♪ってやつです)→『キラキラ』(一緒に行った友人は、この曲でグっときたと後で語っていた)→『YES-YES-YES』とつづいて、盛り上がりも最高潮に。

そして、その次の、『明日』。最新アルバムからの1曲なのだけれど、この曲がすごく良かった。
アルバムで聴いたときも、いい曲だなとは思ったけど、メロディの良さを生で聴いて再認識。感動したなぁ。

『僕ら』という曲をはさんで、いよいよ本編最後の曲。『言葉にならない』
これはもう、名曲中の名曲。この曲を歌っているときだけ、会場の雰囲気が変わったように感じた。みんなが、呼吸ひとつせず、じっと聴いている感じ。小田さんの声の良さが、最も生きる歌だと思う。これはスゴイ。鳥肌もの。

アンコール、『だからブルーにならないで』『またたく星に願いを』と続くところで、熱心なファンの人たちの興奮がさらに高まる。ところが、悲しいかな、僕は2曲とも知らない(笑)。でも、知らないながらも、一緒に楽しみました!

ダブルアンコール、最後にもう一度『Yes-No』で盛り上がり、最新アルバムから『そして今も』を歌って、コンサート終了。3時間近かったんじゃないかな。大満足。

こういうとき、あんまり曲を知らないと、「あれもやってほしかったな~」っていう不満が出なくて、我ながら良いなと思う。これがミスチルだったら、「生で”花言葉”聴きたかったなぁ」とか、キリのない欲が出てくるところ(笑)。強いていうなら、『愛を止めないで』も聴いてみたかったけれど。


さて、コンサート全体を通しての感想。(いちミーハーが勝手に感じたことを書くだけなので、ファンの方々がもしお気を悪くされたらごめんなさい)。

小田さんの魅力。それは、大いなるマンネリ。
ファンじゃない人はわかると思うけど、小田さんの曲って、どれもすごく雰囲気が似ているように感じる。例えば、今回のコンサートでも、イントロやAメロを聴いて「あ、あの曲かな」と予想すると、サビになってはじめて違う曲だったことに気付く、というケースが何度かあった。

よく、曲の幅広さが魅力だと言われるアーティストがいるけれど、小田さんの場合はそれはあてはまらない。というか、むしろ逆。”幅狭さ”が最大の特徴なのだ。

詩にしてもそう。ハッピーな曲もあれば、切ない曲もあるけれど、一貫して描かれるのは、”君”と”僕”にまつわる物語。今回のコンサートでも、”君”と”僕”という歌詞が何回出てきたことか。

批判しているんじゃない。それって、スゴイことだ。とてつもないことだ。

58歳にもなって、いまだに、”君”と”僕”がどうのこうのと延々と歌いつづけている。それで、世間から支持を集めつづけている(というより、小田さんの場合、年齢を重ねてからさらに評価が高まっているような感さえある)。
そんな人、日本の音楽界を見渡しても、小田さん以外に存在しない。

だからなのだろう。コンサートに行って感じたのだが、若いOLのようなファンの方が、すごく多いこと。小田さんの歌は、良い意味で、枯れていない。普通、あれだけキャリアを重ねると、年齢の重みみたいなものが音や歌詞に出てくるものなのだけれど、小田さんにはそれがないのだ。こっ恥ずかしくなるぐらい、青臭い58歳の歌。だから、あれだけ若いファンが多いのではないだろうか。

偉大なるマンネリの美学。
小田さんは、これからも、お得意の切ないメロディに乗せて、”君”と”僕”の物語を歌いつづけるのだろう。

僕は、個人的には、ミスチルとかバンプとかマッキーとか、重たいメッセージ性を音楽に込めようとする人たちの歌が大好きだ。
でも、それだけじゃつまらない。

マンネリと言われようが、ひたすらシンプルなラブソングを歌いつづける。
そんなポップなメッセージ性も、音楽にはあって良い。
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by inotti-department | 2005-09-25 11:01 | music
Mr.Children『I♥U』 ~全曲レビュー!独断ですが。~

e0038935_1251124.jpgミスチルのNewアルバム発売から、はや3日。

仕事と私事に追われながらも、何度か繰り返しアルバムを聴いた。
やっぱり、何度聴いても素晴らしい!


そして、ミスチルの良いところは、聴けば聴くほど、印象が変わってくるということなのだ。

例えば、『DISCOVERY』というアルバムに収められている『I'll be』という曲。
最初に聴いたときは、良い曲だとは思ったけど、心にググっと入りこんでくるところまでは至らなかった。
ところが、何度も何度も聴いているうちに、どんどんこの曲に虜になっていき、そして何十回目か何百回目かに聴いたとき、僕はついにこらえきれず涙を流してしまった。

自分の心理状態だったり、曲の歌詞に対する共感度によって、聴こえ方が全然変わってくるのだ。
そして、往々にして、そういう現象は、ともすると地味にとらえられがちな楽曲においてよく起こる。

そして早くも、このアルバムに関しても、1回目に聴いたときとでは少しアルバムの聴こえ方が変わってきた。

ということで、ここで全曲レビュー発表!

すでにアルバムを聴かれた方は、ご自分の感想を比べてみてください。
まだ聴いてなくて、「これからぜひ!」という方は、聴くときの参考にしてみてください。

では、スタート!!

M-1:『Worlds end』
いまのところ、最も僕の胸に響いた曲が、これ。
このアルバムの全てが詰め込まれてる、象徴的な曲だと思う。
タイトルは、”世界の果て”という意味なのだが、一方で”世界の終り”というニュアンスもこめられているのではないだろうか。
「暗闇」「行き止まり」という言葉に象徴される”世界の終り”を認識しながら、そこから抜け出し、そして希望や愛を胸に抱え”世界の果て”へと旅する。

僕らはきっと試されてる  どれくらいの強さで  明日を信じていけるのかを

「ジャカジャーン」という強烈なイントロとともに、壮大な旅が幕をあける。
なお、意外に音が大きいので、アルバムをかけるときは音量に注意です(笑)

M-2:『Monster』
たぶん、アルバムの中では、あまり人気のないほうの曲だろう。
ただ、こういう心の闇をシャウトするような曲は、やっぱりミスチルのアルバムには欠かせない。
そして、「Knock Knock 誰かいますか?開けてくれますか?」
この歌詞が、アルバムの後半へ向けた、重要な伏線になっている。

M-3:『未来』
爽やかなタイトルとメロディ、そしてポカリスエットのCMに一瞬騙されそうになるけど、この曲、実は全然爽やかじゃない(笑)
他人を拒絶して、人とうまくコミュニケーションがとれなくて、孤独で、待っているのは先の知れた未来だけ。生きてる理由なんてない。絶望的な状況が、悶々と語られる。
ポップなメロディに、平気でこういう詩を乗っけて、シングルとしてヒットさせちゃうところがミスチルのユニークなところ。
でも、最後に小さな希望が描かれる。
少しだけあがいてみる  先の知れた未来を変えてみせると
アルバムを象徴するメッセージ。絶望の中での、希望への旅はつづく。

M-4:『僕らの音』
最初3曲の、張り詰めたような緊張感が、この名曲でフッと緩められる。いい曲。
個人的に、サビがちょっとスキマスイッチっぽいなと感じた。
虹を見たんだ  そこで世界は変わった
この”世界の転換”は、このアルバムの一貫したキーワード。

M-5:『and I love you』
実をいうと、シングルとして聴いたときは、世間の評判ほど僕はこの曲を好きになれなかった。
でも、『僕らの音』のあとに続くことで、後半の詩がすごくクリアになり、壮大さが増した。屋上で孤独に月を見上げる”僕”。その”僕”に、未来が近づいてくる。そして最後は、
”僕ら”に近づいてる」として締めくくる。後半が良い。

M-6:『靴ひも』
アルバム『Q』に収録された『ロードムービー』という曲(これがまた、名曲なのだ)に似た印象。
前半は文句なしなんだけど、サビが惜しいなぁ(って、個人的な好みだけれど)。
細かいことを言うと、「一秒でも早く君の待つ場所へ」の「場所」より「へ」の音が上がるのが気に入らない(笑)
曲の終わり方は最高。最後だけ、「へ」が上がらないからね(って、しつこいか)。

M-7:『CANDY』
ひょっとすると、世間的にはこれが1番人気かな。僕も大好きな曲。
全体の印象は、アルバム『Q』の『つよがり』に近い。ミスチルの美メロ炸裂!といった感じ。
でも、僕はなぜかAメロで、ミスチル初期の曲『さよならは夢の中へ』を思い浮かべてしまうのだけれど。
メロディはさておき、詩は意外に難解。聴きこんでいくと、また印象が変わりそうな曲。
注目すべきは、
ほろ苦いキャンディー → 胸のポケットに「あった」(過去形)
甘酸っぱいキャンディー → 胸のポケットに「あるんだ」(現在形)
となっている点。
キャンディーの味が甘くなったのは、「君」の存在のおかげ。

M-8:『ランニングハイ』
詩のまとまりのなさでは、文句なしにナンバーワン!まさに、「ハイ」になってる感じ(笑)
でも、すごく良い曲。ゴチャゴチャしてるんだけど、主メロディは、良く聴くとやっぱり美メロだし。
この曲があるから、次の『Sign』が生きてくる。

M-9:『Sign』
どちらかというと『シフクノオト』のイメージなので、このアルバムに収録されることに、発売前は違和感を感じていた。でも、改めてこうして聴くと、やっぱり名曲だなぁって思う。
このアルバムの前半戦は、この曲で終り。
最後から2曲目の”ベストポジション”に置いてもよさそうな曲なんだけど、そういう意味では、この順番も納得。

M-10:『Door』
ミスチルファンじゃない友達に聴かせると、「何か1曲だけ変な曲があったね」と言われてしまいそうな曲(笑)。
というか、これは曲という感じじゃない。言うなれば、前半と後半を繋ぐ「合いの手」みたいなもの(手拍子が鳴ってるしね)。
ここで思い出されるのが、2曲目の『Monster』。
「開けてくれますか?」の問いかけに応じるように「開けてくれ」と絶叫する。
さぁ、ドアは開くのか?勝負は、ラスト3曲!

M-11:『跳べ』
この曲、最高!あと100回ぐらい聴いたら、『Worlds end』より好きになっちゃいそう。
曲のエネルギー、詩のカタルシス。どれをとっても、素晴らしい。
跳べ!
希望へ。明日へ。そして、未来へ。

M-12:『隔たり』
アルバム中、最大の問題作。何がすごいって、歌詞カードの絵が・・・。
全国のピュアハートをお持ちの方々、あるいはお子様方、「これって、何を表してるのー?」とか、無邪気に質問はしないように(笑)
でも、これって、究極のラブソングなのではないだろうか。
どうしても消えない隔たりを越え、確かな愛を掴むためには、こういう”跳び方”もあるのかもしれない。
ことの賛否は置いといて。

M-13:『潜水』
アルバムの最後を飾る曲。万人受けする美しいメロディラインでラストを締めくくるパターンが多いミスチルアルバムの中では、異色のフィナーレ。メロディが、あまりクリアじゃないのだ。
ただ、数日前のこのブログにも書いたけど、『深海』と比較すると、やっぱりとてつもなく感慨深いものがある(詳しくは、前回の記事をごらんください)。
「過去→未来」「絶望→希望」「混沌→発見」「孤独→繋がり」
様々な”転換”、言い換えれば”跳び方”を一貫して見せてくれたこのアルバムを締めくくるには、ふさわしい曲だと思う。
迷いや不安、絶望を感じつつ、それでも1歩ずつ前進をつづけること。それこそが、
生きてるって感じ
なのだ。
最後の「ラララ」がすごく良い。


ふーーーーー。
やっぱり、長くなっちゃいますね(笑)

いまのところ好きな順に並べると、

M-1 Worlds end
M-7 CANDY
M-11 跳べ
M-4 僕らの音
M-12 隔たり


といったところ。

といっても、また何回か聴いてるうちに、このレビューを削除したくなるぐらい、感想が変わるのだろうけれど。

そしたら、また長く書きますね(笑)
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by inotti-department | 2005-09-24 23:21 | music
Mr.Children『I♥U』 ~『深海』から9年。いざ、潜水。~
e0038935_1351930.jpg待ちに待ったMr.Childrenの最新アルバムが、ついに発売日を迎えた。

前にも書いたことがあるが、最も好きなミュージシャン(バンド)を1人選べと言われたら、僕は迷わず”ミスチル”を選ぶ。


ミスチルのアルバムをはじめて通して聴く瞬間。
それは、僕にとって、最高に胸躍るひととき。
だから、ニューアルバムをはじめて聴ける今日という日は、僕にとって1年に1回あるかないかの特別な日なのだ。

さっそく聴いてみた。
やっぱり、素晴らしい。いつもどおり、捨て曲なし。

作品の雰囲気自体は、『IT'S A WONDERFUL WORLD』『シフクノオト』と続いた、ここ数年のミスチルの流れを汲んだものだと思う。
悲しみや絶望に覆われることも少なくない日常の中で、それでも、未来への希望や喜びを見出そうとする、そんな優しさや力強さに溢れている。

ただ、『IT'S~』『シフク』の”まとまり感”と比べると、この『I♥U』は、ちょっとゴチャゴチャしている。曲の順番とかも、ここ2作のアルバムとは少し様子が違って、まとまりがない。

そういう意味では、『IT'S』の前に出された、『Q』というアルバムに似ているかもしれない(ちなみに、僕は『Q』というアルバムの持っている、ゴチャゴチャした得体の知れないエネルギーが大好きなのだ)。

でも、アルバムの最後に収められた『潜水』という曲を聴いて(正確に言うと、そのタイトルを見て)、僕が思い出したのは、『深海』というアルバムだった。ミスチルが活動初期に出した、もはや伝説となっているアルバムである。

『innocent world』『Tomorrow never knows』と立て続けに大ヒットを飛ばして、国民的バンドとなったミスチル。その彼らが、人気絶頂の中発表したのが、『深海』だった。

『深海』は、それまでのミスチルにファンが抱いていたイメージを、完全に裏切るものだった。内省的な歌詞、ヘヴィーなサウンド。爽やかなポップソングをミスチルに望んでいた多くのファンたちが、この『深海』を機に、ミスチルから離れていった(ちなみに、僕の中では、このアルバムが日本音楽史上最高のアルバムだと思っているのだけれど)。

その後、活動をいったん休止し、名曲『終わりなき旅』(本当に素晴らしい名曲)で復活。それ以後、彼らの曲は1歩ずつ明るさや希望、純粋さを取り戻していき(その間、桜井さんの脳梗塞でのダウンと、病からの復活という感動的な出来事もあった)、そして昨年の『Sign』で、その歩みはひとつの到達点を迎えた。

そして、満を持して発表された『I♥U』。その最後の曲のタイトルが、『潜水』!?

思えば、『深海』というアルバムは、”ブクブクブク”っと海の底へ潜っていく音が流れて、幕を閉じたのだった。そして、その後ミスチルは、まるで彼ら自身が深海へと消え行くかのように、活動を休止したのだった(彼らが抱えていた”苦しみ”の正体が何だったのかは、他人の僕らには残念ながらわからないけれど)。

まさか、このアルバムは、再び絶望への分岐点となるのか?
そんな胸騒ぎも感じつつ、僕はこの最後の『潜水』という曲を聴いたのだった。

しかし、違った。
これは、『深海』から9年たって、ミスチルがようやく出したひとつの”アンサーソング”なのではないだろうか。

詩の最後の部分に、その答えが出ていると思う。

そうだ 明日プールに行こう
澄んだ水の中 潜水で泳いで
苦しくたって 出来るだけ 出来るだけ
遠くまで あぁ あぁ あぁ 
あぁ 生きてるって感じ
あぁ 生きてるって感じ


9年前のミスチル(というべきか、桜井さんというべきか)は、苦しみを背負い込み、それごと深海へと潜っていった。
しかし、それから9年。彼らは、自らプールへと足を運び、水の中へ潜り、そして、その苦しみを「生きてるって感じ」と言い切った。苦しみを、楽しむことができるようになった。

『潜水』というタイトルをつけることにより、ミスチルはようやく、海へ潜っていったかつての自分たちと折り合いをつけることが出来たのではないだろうか。
相変わらず、世界が”混沌”としていることは変わらない。13曲、全ての中に、”混沌”とした状況は何らかの形で描かれている。それ自体は、『深海』と何ら変わらない。

でも、その”混沌”の、泳ぎ方が違うのだ。全てを受け入れ、それをむしろ楽しもうとする。
それが、現在のミスチルの姿なのだ。

7曲目の『CANDY』、11曲目の『跳べ』、4曲目の『僕らの音』など、どの曲も名曲揃いだが、中でも1曲目の『Worlds end』が素晴らしい。

暗闇に包まれた時  何度も言い聞かせてみる
いま僕が放つ明かりが  君の足下を照らすよ
何にも縛られちゃいない  だけど僕ら繋がっている
どんな世界の果てへも  この確かな思いを連れて


暗闇、混沌、世界の果て。
その中に見出される、力強く確かな、希望の明かり。

『I♥U』というシンプルなタイトルが、とてもとても、胸に響いてくる。
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by inotti-department | 2005-09-21 03:18 | music
小説『LOVERS』 ~女性の視点って、いやはや・・・。~
満足度 ★★★★★☆☆☆☆☆(5点)

1週間ほど前に、『I LOVE YOU』という本を読み終えて、このブログにも感想を書いた。

『I LOVE YOU』は、人気若手男性作家6人が、恋愛をテーマに書き下ろした6篇の短編を集めたアンソロジー。
しかし、この企画には、実はルーツがあった。
4年前に出版された、江國香織、唯川恵ら女性作家9名による恋愛アンソロジー。
それが、『LOVERS』だ。


読んで驚かされた。
いやはや、男と女とは、こうも違う生き物か、と。

簡単に言おう。最大の違い。それは、
男版 → 「出会い」の話がほとんど。
女版 → 「別れ」の話がほとんど。


ディテールも違う。
男版 → ハッピーエンド。前向き。ピュア。幼稚。初恋。
女版 → クール。悲観的。性描写。達観。不倫。


この違いは、何なのだろうか?
「恋愛について、自由に書いてください」と同じことを言われて、こうも別個の作品が完成するとは。ものすごく興味深い。

『LOVERS』を読み終えると、『I LOVE YOU』がまるでおとぎ話のように思えてくる。でも、それが男性の恋愛に対する考え方なのかもしれない。いうなれば、ロマンティスト。

一方、女性版は違う。恋愛に対してものすごく情熱的(性描写の多さも、その表れだろう)だが、その反面、常に”別れ”や”終わり”を意識している。いうなれば、リアリスト。

どちらが面白かったかと聞かれれば、僕は、断然『I LOVE YOU』を推す。
正直、『LOVERS』は、読んでいて疲れてしまった。

『I LOVE YOU』で描かれた恋愛模様は、たしかに幼稚だ。実際には、男女の問題とは、そんなに甘いものではないだろう。でも、男性作家陣は、恋愛の可能性に対してとても前向きだから、物語に広がりがある。希望がある。だから、読んでいて元気になるし、話も個性的だ。

それに対して、『LOVERS』は、大人の視点。極めてリアルかつシビアに、恋愛というものを捕えていると思う。でも、あまりにも悲観的で冷めているが故に、物語に広がりがない。すごく狭い世界で話が完結していて、希望も感じられない。だから、読んでいて疲れる。

もうひとつ感じたことがある。女性版は、シビアな視点が貫かれているはいるが、物語の展開にはなんだか締まりがないのだ。起承転結というと古臭いが、要するに、物語の流れをコントロールできていないと感じる短編が少なくないのだ。

それは、作家の実力の問題?それもあるのかもしれない。でも、それ以上に、恋愛という厄介なテーマを扱うにあたって、必ずしもクールでいられなかったということではないだろうか。

心が震えるがあまり、物語もブレる。そんな風に感じる、未完成な短編も多かったと思う。そう、逆説的だが、クールでもあり、同時にとびっきり恋愛に対して情熱的。あるいは、情熱的なことを自覚してるからこそ、クールであろうとするのかもしれない。

とりあえず言えることは、恋愛に関しては、女性のほうが1枚も2枚も上手、ということだろう。
ただ、最後に恋愛を成功させるのは、案外、そういう男性の”幼稚さ”なのかもしれないが。

だから、僕は『I LOVE YOU』を支持する。幼稚でもいい。それでも、やっぱり、恋愛には希望を見ていたい。


と、ここまで書きながら、いま思った。結局、この感じ方も、僕が男だからなのだろう、と。
僕も間違いなく、恋愛に対しては”幼稚なロマンティスト”だという自覚がある。
いや、多かれ少なかれ、男性なら頷けるのではないだろうか?

となると、女性がこの2冊の本を読んだ場合、逆に『LOVERS』の方を支持するのだろうか?
ぜひ、女性の方々から、この2冊を読み比べた感想を聞きたいなぁ。
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by inotti-department | 2005-09-19 10:16 | book
『SHINOBI』 ~”外見”はよいが、”中身”がちょっと・・・。~
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満足度 ★★★☆☆☆☆☆☆☆(3点)

『SHINOBI』(2005、日)
   監督 下山天
   出演 仲間由紀恵  オダギリジョー  椎名桔平


ひとつの用事がおわり、次の用事までにポッカリ空いた3時間のフリータイム。
そんなとき、あなたならどうやって、時間をつぶしますか?

僕の場合、そんなときはまず情報誌を立ち読みして、映画の時間をチェックする。
それで、時間の合うものがあったら、「いっちゃえ~!」という感じで、劇場へ突っ込んでいく。

こういう話をすると、「君は本当に映画が好きなんだね」と人から言われる。
「たいして観たくもない映画観て、1300円もったいなくない?」とも。

でも、僕の経験上、案外そういうときにこそ掘り出し物の映画と出会えたりするのだ。

さて、昨日、僕はまた劇場へと突っ込んでいった。
『SHINOBI』。
さほど観たいわけではなかったが、運命の出会いが待っているかもしれない、と期待して。

簡単なあらすじ。
1614年。長くつづいた戦国の世は終わり、平和な世の中が訪れた。そんな中、ぽつんと残された2つの里、伊賀と甲賀。そこには、妖しい力をもち、戦うことしか生きる術をもたない”忍”たちが暮らしていた。伊賀の朧と甲賀の弦之介は、引き寄せられるように出会い、許されぬ恋に落ちる。しかし、”忍”の力を警戒する徳川家康は、伊賀と甲賀の代表5名ずつによる戦いを命じる。
対立しあう互いの”忍”たちは、決着の機会の実現を喜ぶが、朧と弦之介は混乱する。そして、家康の真の狙いは、伊賀と甲賀それぞれの里を総攻撃することにあった・・・。


結論から言うと、僕が期待したような運命の出会いは、そこにはなかった。残念ながら。

この映画には、決定的に何かが欠けている。
ひとことでいうなら、それは”中身”だ。
って、それを言ったらおしまいなのだけれど(笑)

この映画を観終えて、僕の中に残った印象は、「あ、形から入ったんだな」というものだ。
映像には、たしかにこだわりが感じられる。それは、すごく良いことだ。

そう、この映画は、すごく美しい。
キャスティングしかり、映像しかり、音楽しかり。

僕は、『HERO』という映画を思い出した。
そう、あれも、とびっきり美しい映画であった。
ん、っていうか、パクリといってもいいぐらい、『SHINOBI』は『HERO』をかなり意識しているのかもしれない。

でも、『SHINOBI』には、哲学が感じられないのだ。ただ美しいだけで。
まず「こういう映像を撮りたい」という”形”から入ってしまったのではないだろうか。
「こういうことを描きたい」という”中身”が、全然伝わってこないのだ。

全ての描写が中途半端。
朧と弦之介の禁断の愛っていっても、2人がどれだけ愛しあっているのかが、全然描かれていない。だから、最後の2人の悲しき戦いが、盛り上がらない。2人が一緒に画面におさまる時間がすごく短いのが、物足りない。これじゃあ、人気スターだけにスケジュールの調整がつかなかったんじゃないか?と勘繰りたくもなる。

他の8名の”忍”も中途半端。それぞれが、個性的な術をもっていて、主張や考え方もひとりひとり違う。でも、そういうものがしっかり描かれる前に、みんな死んでしまう。椎名桔平しかり黒谷友香しかり、もっと面白くなりそうなキャラクターだったのに。すごくもったいない。

結局、何が言いたかったのだろう。
悲劇的な恋愛を描けていたわけでもないし、歴史の陰に隠されたもうひとつの真実を伝えようとしたわけでもないだろう(少なくとも、リアリティは意識してないだろうし)。

やっぱり、形が大事だったんだろうなぁ。ワイヤーアクションや特殊映像を用いた、スリリングな活劇シーン。それが全て。

でも、仲間由起恵はすごく良かった。表情の芝居が、素晴らしかった。”忍”の妖しげな魅力を、見事に表現できていたと思う。

それに、映像に重きを置いただけのことはあって、その点はなかなか見ごたえあり。
日本映画でこういうものって意外になかったから、そこはすごく評価されていいと思う。
こういうエンタテインメント性溢れる大作映画が、もっともっと日本にはあっていい。

でも、”中身”もなくちゃダメだけどね(笑)。
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by inotti-department | 2005-09-18 10:13 | cinema
『魔女の宅急便』 ~ジブリ映画の最高傑作!~
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満足度 ★★★★★★★★★☆ (9点)

『魔女の宅急便』(1989、日)
   監督 宮崎駿
   声の出演 高山みなみ  佐久間レイ  戸田恵子


仕事から帰ってテレビをつけたら、『魔女の宅急便』をやっていた。

子供の頃、はじめて夢中になった映画、そして心の底から感動した映画、それがこの『魔女の宅急便』だった。

僕の中では、大人になったいまでも、最も大切な作品のひとつになっている。

だから、もう、何度も何度も見ている。ストーリーも、ほぼ完全に把握している。
ちなみに今夜10時から、『魔女』の裏では、TBSで『ドラゴン桜』が最終回。
さーて、どっちを観よう。10時になったら、チャンネルを変えようか。
うーむ。うーむ。

そして結局、僕は最後まで、このアニメ映画を観てしまった。


「ジブリは初期のほうがいい!」という人が多いが、僕も同意見。
とりわけ、『魔女の宅急便』は、『トトロ』と並んで、僕の中ではジブリ史上最高傑作と思っている。

簡単なあらすじは、こんな感じ。
13歳のキキは、自立するために、魔女の村を出て人間社会に飛び込んでいく。相棒は、黒猫のジジ。最初は新しい町に戸惑うが、パン屋のおソノさんら親切な人たちに囲まれ、次第にとけこんでいく。キキは、空を飛べる力を活かして、宅急便の仕事をスタートさせる。

冒頭の旅立ちのシーンから、美しくて気持ちのよい映像に魅了される。
特に、村から飛び立ったキキの姿にタイトルテロップが重なり、ユーミンの歌が流れるオープニングは、本当に素晴らしい。

そして、この映画の最大の魅力は、愛すべきキャラクターたち。
黒猫のジジのトボけたキャラも最高だし、トンボ、おソノさん、その旦那、パイを焼くおばあさん、そのお手伝いのおばあちゃん、画家の卵ウルスラなど、脇役たちがみんな温かくて魅力的な人たちなのだ。

物語は、あえて裏側を読む必要などないぐらいに楽しいストーリーなのだが、あえていうならば、「自分さがし」、そして「子供から大人になる」ということを描いた作品なのだと思う。

せっかく親しくなったトンボが、華やかな友達たちと話しているのを見て、キキは急に元気をなくしてしまう。キキの身なりは、地味で質素。それに、自分は魔女。普通の女の子とは違う。落ち込むキキは、好意を抱いていたトンボを自分から遠ざけてしまう。

こういう気持ちって、別に魔女じゃなくて人間でも、誰しも共感できるはず。そう、13歳って、必要以上に周囲と自分を比べてしまう時期。ちょっとしたことがすごく気になって、落ち込んで、自分に自信が持てなかったりする。

そして、キキは空を飛べなくなってしまう。さらに、ジジの声も、理解できなくなってしまう。

キキの台詞に、こういうものがある。「小さい頃は、何も考えなくても飛べた。でも今は、どうやって飛んだらいいのかわからない。」

この「飛ぶ」という言葉は、そのまま「生きる」という言葉に置き換えられると思う。
小学校ぐらいまでは、ただ毎日をガムシャラに楽しく生きていれば、余計なことを考えなくてもなんとかなったりする。
それが、13歳ぐらいになると、急に「生きる」ということが大変なことに感じられるようになるのだ。そして、ちょっとしたことで、まるで”世界の終わり”が来たかのように、悩んでしまったりする。

混乱状態のキキを、周囲の人々が温かく包みこんでくれる。そして、大切な人・トンボの大ピンチ。彼を助けるため、キキは再び空へ舞い上がる。

生きる力をくれるのは、周囲の人たちのやさしさや励まし。それから、自分は自分、他人と比べる必要なんてない、という気付き。そして何より、大切な誰かを想う気持ち。
キキがフラフラしながらも空を飛ぶシーンは、この映画の中で一番大好きな場面だ。そして、そんなキキに、町の人たちが一斉にエールを送る。僕は、何回観ても、ここで泣いてしまう。

そして、トンボを助けたキキは、少し大人になった自分を感じながら、新たな生活をスタートさせる。もう、飛び方のわからなかったキキは、そこにはいない。いや、また何かに悩み、飛び方が分からなくなる日がくるかもしれない。でも、大丈夫。彼女には、たくさんの仲間がいるから。

この映画が素晴らしいのは、そういういろんなメッセージを含みながら、それを声高に叫ぶことなく、ひたすら爽やかで楽しい映画でありつづけている点だ。『トトロ』にも、同じことが言える。

『千と千尋』や『ハウル』『もののけ姫』にも確かに見所はあるし、そのメッセージ性の高さはやはり素晴らしい。
でも、僕には、『魔女の宅急便』のようなシンプルで楽しい作品のほうが、ずっと心の奥深いところにまでメッセージが届いてくる。

メッセージっていうのは、メッセージそのものとしてダイレクトにアピールするよりも、ストーリーの中でさりげなく表現するほうが、ずっとずっと心に響くと僕は思うのだ。
こんな映画を、もう1度、ジブリには作ってほしいと、いつも思っているのだけれど。

そう、たとえば、僕に子供が出来たら。僕が伝えたいメッセージを、一番シンプルに、そして楽しく表現してくれる映画を見せるとしたら?

僕は迷わず、『魔女の宅急便』を見せたいな、と思う。
というより、隣に並んで、一緒に見たいな、と。
なんか、自分のほうが、夢中になってそうな予感もするけれど(笑)。
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by inotti-department | 2005-09-17 00:21 | cinema
   
映画・小説・音楽との感動の出会いを、ネタバレも交えつつ、あれこれ綴っていきます。モットーは「けなすより褒めよう」。また、ストーリーをバッチリ復習できる「ネタバレstory紹介」も公開しています。
by inotti-department
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