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当ブログでは、「あの映画(小説)、一度観たんだけど、どういう話だったかが思い出せない・・・」とお困りの方のために、映画(小説)のストーリーを完全に網羅したデータベースを公開しております。詳しくは、カテゴリ内の「映画(小説)ネタバレstory紹介」をご参照ください。なお、完全ネタバレとなっていますので、未見の方はくれぐれもご注意ください。
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村上春樹『1973年のピンボール』 ~新たな1歩を踏み出すために~
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満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

『1973年のピンボール』
村上春樹・著
1980、講談社文庫

村上春樹の再読作業を開始します!
と宣言しながら、すっかり間が空いてしまいました。すみません。

というわけで、よーーやく、第2弾『1973年のピンボール』を読むことができた。

では、まずあらすじ。
直子を失って以来、心を閉ざして淡々とした日々を過ごしていた”僕”。ある朝、”僕”が起きると、ベッドには双子が寝そべっていた。その日から、”僕”と双子との奇妙な共同生活が始まる。一方、”僕”のかつての友人・”鼠”は、そこから700キロ離れた街にとどまっていた。なじみの店であるジェイズ・バーで酒を飲みながら、新たに知り合った女との交際を楽しむ鼠。しかし、”僕”も鼠も、他人には触れられない孤独感を抱え、そんな日々に決着をつけることを考えはじめていた・・・。

と、あらすじをウダウダ書いても、この小説の面白さは少しも伝わらない。残念ながら。ストーリーの筋だけ追っていても気付けない良さが、この一風変わった小説にはあるのだ。

デビュー作『風の歌を聴け』の感想をブログに書いたときに、「これは”アマチュア春樹”の書いた小説だ」というようなことを書いたが、この『1973年のピンボール』もやはりその延長線上にあると思う。まだまだ、その後に開花するストーリーテリングの魅力は、この小説では爆発しきっていないからだ。

とはいえ、デビュー作と比べると、格段に技術が上達している。心を惹きつける個性的な文章、胸騒ぎのするストーリー展開(特に、後半のピンボール探しのくだりはとても素晴らしい)、余韻ある読後感。村上春樹の持ち味が、確実に、この第2弾から芽を出しはじめている。

さて、内容について。

<ここから、ストーリーの内容に関してネタバレ含みます。未読の方、ご注意を。>

物語の主役は、”僕”と”鼠”。2人の人物の物語が交互に描かれるという流れは、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や『海辺のカフカ』でも見られる、著者お得意のパターン。そして、その2つの物語は、最後まで交わらなかったとしても、必ずリンクしあっているのだ。

”僕”と鼠は、どうやら1970年の時点では、共に同じ場所で青春時代を過ごしていたらしい。しかし、それから3年経った現在、鼠は相変わらずその街にいるが、”僕”はそこから700キロ離れた場所に拠点を移している。そして、2人は全く連絡をとりあってはいないようだ。

まず、”僕”について。”僕”は、直子という女性を亡くした傷を、未だに引きずりつづけている。直子が死んだ時期については明記されていないが、おそらく、1970年の出来事なのだろう。そして、”僕”は街を出た。それから3年。”僕”の前に現れた、謎の双子。双子に誘われるように、”僕”は、かつてハマったピンボールの記憶を甦らせる。そして、その失われしピンボール・マシンを、なんとしても見つけ出そうと必死になる。

一方、鼠。鼠は、いまだに同じ街にいる。彼が街を出ようとしないのは、彼の中に、人生に対する一種の諦めのようなものがあるから。変化しても、どうせ人はやがて滅びる。その街で、様々な女と出会い、別れてきた鼠。そんな彼が、新たに出会った女。週1回のデート。満ち足りているかのように見える日々。しかし、彼は決意する。街を出よう、と。その前に、彼にはしなければならないことがあった。それは、彼女との別れ。

”僕”と鼠。一見、正反対の方向へ進もうとしているかのように見える2人の主人公。失われしものにすがり、”変わらずにそこにあるもの”の存在を信じようとする”僕”。一方、”いまそこにあるもの”から離れ、変化を受け入れようとする鼠。

街から”外”へ出た僕は”内”へ向かい、街の”内”にいつづけた鼠は、”外”へ向かう。

しかし。正反対の方向へ進もうとした2人の歩みは、実は結局のところ、同じ方向へ向かっていたのだということに気付かされる。ピンボール・マシンとの再会。それは”僕”にとって、失ったものとの永遠の別れの儀式でもあった。マシンを”彼女”と呼ぶ”僕”が話している相手が、ただのピンボール・マシンではないことは容易に想像がつく。”彼女”との別れ。”内”へ”内”へと向かった”僕”の旅路は、その儀式を終えたとき、はじめて”外”へと向かいはじめる。そして、双子は、”僕”の前から去る。彼女たちの役目は、そのとき終わったのだ。

一方、鼠も同じようなプロセスを辿る。彼女との別れ。親友ジェイとの別れ。そして、街との別れ。全ての儀式を終え、彼は、ついに街を出る。それは、心を閉ざしたまま日々を生きてきた青年にとって、はじめて、他者に心を開いた瞬間とも言えるのかもしれない。鼠がなぜ彼女と別れなければならなかったのか?と感じた人も多いかもしれない。でも、僕にはなんとなく、その気持ちがわかった。その街にいる限り、きっとやがて、彼女との恋にも終わりがくる。今までと同じように。鼠は、そう悟ったのではないだろうか。

新しい1歩を踏み出すためには、僕たちは必ず、過去の自分と向き合わなければならない。それが、どんなに辛い作業だとしても、その儀式は避けては通れない。”僕”と鼠は、その儀式を乗り越えた。何か(誰か)を失い、それを乗り越え、そしてまた新しい何か(誰か)と出会うために。人生とは、結局、その繰り返しなのだと思う。

「入口があって出口がある。大抵のものはそんな風にできている。」
最後の最後で、冒頭のこの言葉がジンワリと心の中にしみわたってきた。

と、少し話が理屈っぽくなった。でも結局のところ、僕が最もこの小説の中で好きなのは、”僕”と双子のユニークな日常だったりする。全く2人の見分けがつかない”僕”が、シャツの柄で区別しようと2人にニックネームをつけると、2人はそれをあざ笑うかのようにシャツを交換してしまうシーン。この場面なんか、最高に微笑ましくて、もう大好きなシーンだ。

何かを乗り越えようと思ったとき、僕らの側には必ず支えてくれる”誰か”の存在がある。
”僕”にとっての双子、鼠にとってのジェイは、そのことを象徴するような存在だったのだと思う。
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by inotti-department | 2005-12-21 02:17 | book
『カーテンコール』 ~素材は良いけど、料理がヘタね~
e0038935_2201921.jpg満足度 ★★★★★☆☆☆☆☆ (5点)

『カーテンコール』(2005、日)
     監督 佐々部清
     出演 伊藤歩 藤井隆 鶴田真由

日本版『ニュー・シネマ・パラダイス』。
これ、この映画の宣伝用コピー。

なるほどなるほど。こういうあらすじなのである。

東京の出版社で働く香織は、仕事でのミスが原因で、福岡への異動を命じられる。そこで彼女が興味を抱いたネタ。それは、下関の小さな映画館に昭和30年代から40年代にかけて、映画と映画の間に形態模写や歌を披露して観客を沸かせていた芸人がいた、というもの。取材のため、しばらく会っていない父親が暮らす故郷でもある下関へ向かう香織。取材を重ねるうちに、映画館「みなと劇場」における、芸人・安川修平とその家族を巡る悲しい物語が浮かび上がってくる・・・。

ね。要するにこれ、古きよき時代の映画館を舞台にした物語、なのである。
まさに、『ニュー・シネマ・パラダイス』じゃないですか!というわけで、相当な期待をして劇場へ向かったわけなのだ(ちなみに、『ニュー・シネマ・パラダイス』は、僕の大好きな映画なのです)。

で、感想。
うーん、なんだか、すごくもったいない感じがした。つまらなかったわけじゃない。だけど、なんだかスッキリしない感じ。もっとスゴイ傑作になりそうな感じだったのに、いまいちパッとしない映画に終わってしまった、という印象なのだ。

素材は、最高と言ってもいいぐらい魅力的なもの。小さな映画館。幕間芸人。よだれが垂れてきそうな、絶好のキーワード。こんなおいしいネタ、よく見つけてきたなー。映画のアイデア自体は、100点満点だと思う。

というわけで、前半はとっても面白い。藤井隆演じる幕間芸人・安川修平の物語。すごく良い。そして、どうやら現在、修平は「みなと劇場」にはいないらしい。彼に何があったのか?いま、彼はどこに?映画の種蒔きとしては、申し分ない。

しかし、主人公・香織が修平の行方を追う展開になってから、物語がおかしな方向へ。

<ここから、内容に関してネタバレ入ります。未見の方は、ご注意ください。>

安川修平。彼は実は、在日朝鮮人だった。そんな修平に対する差別。そして、娘・美里もそんな生い立ちに翻弄され、やがて安川一家に悲しい別れが訪れる。

うーーーん。これ、必要だったかー!?映画館を舞台にした心温まる話かと思いきや、映画のテーマが少しずつブレはじめる。在日朝鮮人に対する差別。確かに、昭和という時代を語るうえで避けて通れない重大な問題なのだが、果たしてこの映画で扱うべきテーマだったのかどうか。。。こんな言い方も何だが、『GO』や『パッチギ!』を意識したんじゃあるまいか?と勘繰りたくもなる。

そして、この安川父娘の物語に、香織の青春時代の苦い恋の思い出が絡んでくる。これもよくわからん(笑)。なんだか、とってつけたようなエピソードに感じられた。話が、どんどん「みなと劇場」から離れていくことに、戸惑うばかり。

さらに映画は欲張る。安川父娘にダブらせるように、香織と父親が絆を取り戻すエピソードをくっつけていく。えーー、香織と父親の話なんて、前半ではろくに触れてなかったじゃん?それで泣かせようなんて、虫がよすぎる。僕はちっとも泣かなかった(むしろ、修平が妻と娘とともに最後のステージに立つ前半のハイライトシーンのほうが、何倍もグッときた)。

ひとことで言えば、語り口がヘタクソなのだ。例えば、修平の思い出を、映画館で働く絹代に語らせることだけで描くこと。例えば、韓国へ渡ってから、修平と出会うまでの道中の描写。例えば、美里が修平にやっぱり会いに行こうと思い立つまでの盛り上がりのなさ。過去と現在の繋ぎ方に、また感動の演出の仕方に、あまりにも芸がないのだ。

ツッコミどころはまだまだある。最初に出てきた伊原剛志が最後に登場しなかったこと。安川修平という人物の生涯が、1本の線として繋がって見えないこと。もうやめましょう、このへんで(笑)。

素材が良すぎたがために、欲張りすぎちゃったのだと思う。

映画と映画の間に芸を披露する幕間芸人が、かつて映画館には存在した。映画の斜陽化が原因で、彼は引退を余儀なくされた。そんな彼が、映画館が閉鎖される最後の日、数十年ぶりにステージに立つ。

これだけで十分だったのだと思う。余計なエピソードなどいらない。ただこれだけのことで、十分、感動的な映画になっていたはずだ。

もったいない。実にもったいない。この苦言のオンパレードは、すごく素材に魅力を感じたがゆえの、愛情溢れるものなのです。いや、ホントに(笑)。

ちなみに、本家『ニュー・シネマ・パラダイス』は、12月23日から期間限定でシネスイッチ銀座にて公開されます。こちらは、余計なエピソードのない、すごくシンプルな名作です。

観たことのない方は、ぜひこの機会にどうぞ。
そして気が向いたら、『カーテンコール』と見比べてみてください。
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by inotti-department | 2005-12-19 23:02 | cinema
『親切なクムジャさん』 ~クリスマスに観ちゃダメよ(笑)~
e0038935_20541144.jpg満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

『親切なクムジャさん』(2005、韓)
     監督 パク・チャヌク
     出演 イ・ヨンエ  チェ・ミンシク

『オールド・ボーイ』っていう映画、観たことありますか?

スゴイんです、これが!スンゲー面白いんです!

お隣の国に、まさかこれほど成熟したエンタテインメント文化が育っていたとは。この映画を観たとき、日本は1歩も2歩も差をつけられてしまったなぁ、と僕は痛感した。まして、『オールド・ボーイ』の原作は、日本のマンガ。確か、日本の配給会社が映画配給権を買った金額が、原作の映画化権利額の何百倍だか何千倍だかになっていたとかいう話を、どこかで耳にした気がする。まったく、日本人としては情けなくなる話だ。

僕は劇場に2回観にいったほど、この映画にハマってしまった。で、いろんな人に薦めた。スゴイ映画があるよ、って。そしたら、返ってきた反応は真っ二つ。「面白かったよ、ありがとーー!」っていう感謝の声と、「オマエはなんちゅう映画薦めとんねん!」っていう抗議の声と(笑)。そう、何がスゴイって、ストーリーも映像もかなり過激なのだ。テーマが復讐っていうのも重いし、舌をちょん切ったりとかの目を背けたくなるような描写も少なくないから、決して万人ウケする話ではない。そのことを、すっかり忘れていたのだ(一方的に薦めてご迷惑をかけた皆さん、スミマセン(汗))。

で、『親切なクムジャさん』の話。
この映画の監督パク・チャヌクこそ、『オールド・ボーイ』を世に送り出した人。テーマは、またしても復讐。『復讐者に憐れみを』とあわせて、復讐3部作の完結編という位置づけらしい。さぁ、今度はどんなスゴイ映画になっていることやら。

では、あらすじ。
6歳の男児を誘拐し殺害した罪に問われ、13年の服役を命じられたクムジャ。刑務所の中で、彼女は困っている人をたびたび助け、その微笑を絶やさない表情から、”親切なクムジャさん”と呼ばれた。しかし、13年ぶりに外に出た瞬間、その表情は豹変。彼女の目的はただひとつ。それは、自分を無実の罪で刑務所に送り込んだ、事件の真犯人ペクに復讐することだった・・・。


いやぁ、これもまたスゴイ映画でございました。相変わらず重い。暗い。怖い。しかも、ときおりブラックな笑いもあったりするから、一体どんな顔して観たらよいのやら。

観客にあくび一つ許さないパワフルな演出は相変わらず。好き嫌いとか、ことの是非は置いといて、スクリーンから一瞬たりとも目が離せないそのパワーは圧巻のひとこと。心臓をわしづかみにされるような緊張と興奮のあとに、切ないような哀しいような、不思議な余韻が胸に残る。

とりあえず言えること。
クリスマスに恋人とか家族と見ちゃダメ(笑)。悪いことは言いません。黙って、ブラピかオールウェイズにしときましょ。

<以下、ストーリーに関してのネタバレあります。未見の方は、ご注意ください。>

十分に楽しめたんだけど、ちょっと物足りなさもあったかな。あんまり『オールド・ボーイ』と比べてばかりいても仕方ないんだけど、その差は何かっていうと、今回の映画にはミステリー的なドキドキがないこと。

『オールド・ボーイ』のスゴイところは、ハードな映像とシビアなテーマ、そしてミステリアスな謎解きが見事にミックスされているところ。一方、『親切なクムジャさん』は、クムジャさんの行動に関しては全て理由とか状況はクリアになっているので、観客としては、とにかく彼女の行動を見守ることしかできない。そのぶん、ドキドキやスリルはそれほどなくて、残されたのは、ただただ凄まじい彼女の復讐劇。ストーリー性がないぶん、余計に、胃の中をかきまわされるような不快な感覚が強く残る。

でも、後半の展開はスゴイのひとこと。たしかに”親切”だよね、クムジャさんって(笑)。それだけのシビアな状況にもかかわらず、そこに集まった人たちの会話が意外にコミカルなのも、とても面白かった。究極のブラックユーモア、というか。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」っていう言葉を、僕は思い出してしまった。その方法が正しいとは僕は思わないけれど、彼らの行動を観ながら、「やってまえ~!」って後押ししてしまうような気持ちって、みんな誰しも持ってるんじゃないかな。復讐心って、誰の心の中にも潜んでいるものなのだと思う。それが爆発するかどうかは、何かのきっかけひとつ、なのかもしれない。

でも、結局何も残らないんだよね。救われない。クムジャさんは、最後に、自分の方法が間違っていたことを知る。そして、観ている僕ら観客も。たしかに、途中は「やってまえ~!」って思ったけど、最後に残ったのは、嫌な後味だけ。

クムジャさんが望んだのは、ペクの血や叫び声なんかじゃなかったんだと思う。彼女が欲しかったのは、謝罪の言葉。「おれが悪かった」「許してくれ」ペクは最後まで、そういった言葉を発さなかった。そのひとことがあれば、彼女も多少は救われたかもしれないのに。そして、観ているこちらも。この映画が不快な感覚を残すのは、悪魔が最後まで悪魔のままだから。だったら、「やってまえ~!」って、そういう誤った展開になっちゃったのだと思う。

でも、救いはあった。ラストシーン。彼女を包みこむ”許し”。ペクには訪れず、クムジャには待っていたもの。許し。2人の違い、クムジャは謝罪した。自分は罪人だ、と。人に謝れるということ、それは、人と交われるということ。交わりたい、ということ。僕らが欲しいのは、憎むべき相手の苦悶の表情でも、復讐によるカタルシスでもない。人の温もり。ただそれさえあれば、僕たちは何度でも、失敗から立ち直れる。

復讐シリーズは、これで終わり。次はどんな作品を見せてくれるのか。
パク・チャヌク、いまや世界を興奮させる、要注目の監督です。
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by inotti-department | 2005-12-14 21:53 | cinema
『エリザベスタウン』 ~音楽という名のマジック~
e0038935_2328195.jpg満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

『エリザベスタウン』(2005、米)
    監督 キャメロン・クロウ
    出演 オーランド・ブルーム 
        キルティン・ダンスト

『ザ・エージェント』『バニラ・スカイ』『あの頃ペニー・レインと』。キャメロン・クロウ監督の映画は何本か観てきたけれど、どれもなかなか印象深い良作だった。この監督に関しては、そうそう駄作は撮らないのではないか。そんな信頼を抱かせてくれる、数少ない監督の1人である。

というわけで、観てきました、『エリザベスタウン』!
CMなんかじゃ、「アカデミー賞最有力」などという、非常にうさんくさい宣伝をしている。で、観た感想。間違いなく、アカデミー賞は取らんよ、この映画(笑)。だって、そういうタイプの映画じゃないもの。


では、あらすじの紹介。
ドリューは、大手シューズメーカーで働く敏腕デザイナー。生活の全てを、仕事に注ぎこんできた。しかし、社運を賭けた一大プロジェクトでドリューは大失敗を犯し、会社に10億ドルの損失を出してしまう。社長から解雇を言い渡されたドリューは、家で自殺を試みる。そのとき、電話が鳴る。掛けてきたのは、妹のヘザー。父親が、故郷ケンタッキーで死んだのだという。ドリューは、遺言に従って父親の遺灰を海に撒くため、母と妹を残し、父の遺体の待つエリザベスタウンへと向かう・・・。


アカデミー賞が取れないからといって、誤解してもらっちゃ困る。別に、つまらなかったという意味じゃない。というか、むしろ、なかなか面白いですよ、この映画!

ハッキリ言って、ストーリーはなんのこっちゃわからない。ちょっと掴みにくい話だし、ウケを狙ってるんだかなんなんだかよくわからない「?」なシーンも多いし。コメディとラブストーリーとヒューマンドラマが、消化不良のままゴチャマゼになってるような印象。

でもなぜだろう。中盤あたりから、僕は不思議とこの映画の世界にズイズイと引きずりこまれてしまった。特にラスト30分は、もうすっかり虜になっていたといっても過言ではない。いったい何に魅かれたんだろう?ストーリーじゃないし。映像でもないし。

答えはひとつしかない。この映画の最大のマジック、それは「音楽」だ。

クロウ監督は、たしか映画監督になる前に音楽関係の仕事をしていたという話を聞いたことがある。だからなのだろう、この人の作る映画、いつもBGMのセンスが抜群に素晴らしい。

この『エリザベスタウン』の中でも、映画を盛り上げるために、効果的な場面で音楽がジャンジャン流れる。僕は全くの洋楽音痴なので、曲名とか歌手とかは全くわからないのだけれど、どの曲もすごくいいんだよなー。思わず座席の下で足踏みしながらリズムを取ってしまうような、小気味いい音楽が次々に聴こえてきた。

<以下、ストーリーに関して少しネタバレします。未見の方は、ご注意ください。> 

そして、この映画のハイライト。あそこしかないでしょう!名女優スーザン・サランドンによる、独壇場オン・ステージである。

ユーモアと愛情に満ち溢れたスピーチもすごく良い。そして、なんといっても極めつけは、名曲「ムーン・リバー」にあわせたタップダンス。このシーン、すごいです。鳥肌ものです。なんだかよくわからないんだけれど、気が付いたら涙が出てしまう。言葉ではうまく説明できないんだけれど、素晴らしい名シーンだ。

ラストもいい。さすがにラストシーンなので、詳しく書くのはやめときますが、すこぶる後味が良いです。ただ、ひょっとすると、この映画にあまり馴染めなかった人にとっては、「結局そういう終わり方かい!」って感じなのかもしれないが。でも、僕は大満足!「こうなったらいいなぁ」って思ってたとおりの終わり方だったので、ストレス・ゼロで劇場を後にできたしね(笑)。そしてこのラストシーンでも、音楽が重要な役割を果たしている。

最初の1時間は、この映画が言わんとしていることがサッパリわからなかったんだけれど、途中からなんとなくテーマがクリアになっていった。

どんなに絶望的な状況でも、人がいて、想いがあって、そしてそこに愛があれば、やっぱり人生は素晴らしいって思える。よーし、生きていこう!って。単純明快なメッセージなんだけれど、映画は2時間かけて、面白おかしくそんなことを感じさせてくれる。”エリザベスタウン”って、まるで御伽ばなしのような非現実的な空間なんだけれど、でもきっと、僕たちのまわりにはそういう世界が広がっているはず。そして、その世界をひとつにしたのが、あのスーザン・サランドンの拙いタップダンスだったっていうのも、この映画のユニークなところだと思う。

さて、キャストについて。オーランド・ブルームに関しては、はじめて本格的にリアリティある演技をしているところを観たのだけれど、まだよくわからないなぁ。とりあえずカッコイイことは間違いない(笑)。でも、個性が出てくるのは、まだこれからなのかなって気がした。なんか、日本でいうと妻夫木聡みたいな印象。無個性というか、ナチュラルというか。

この映画に関しては、女優陣のほうが魅力がよく出ていたと思う。スーザン・サランドンもさることながら、キルティン・ダンストもベリーグッド!この人、最初に『スパイダーマン』で見たときは、「えっ、これでヒロイン?(失礼!)」って正直思ったんだけど、どんどんキュートになってますね。クレアというキャラクターの魅力を、何倍にもアップさせていたと思う。きっと、すごく演技力のある人なんだろうな。これからが楽しみ。さっきアカデミー賞はないって言ったけど、ひょっとしたら女優賞はあるかもしれない。

ストーリーはピンとこなくても、不思議な感動と余韻が残る、素敵な作品。
マジックにかかりたい人は、音響の優れた劇場で、ぜひどうぞ。
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by inotti-department | 2005-12-14 00:26 | cinema
伊坂幸太郎『魔王』 ~考えろ考えろ、マクガイバー~
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満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

『魔王』
伊坂幸太郎・著
講談社、2005


<あらすじ>
混迷する日本社会に、突如として現れたカリスマ政治家・犬養。今はまだ弱小野党の一党首にすぎないが、その明快で力強い物言いによって、国民の支持は急速に高まりつつあった。そんな状況に、”ファシズムの台頭”を予感して不安を抱く安藤。ある日、彼は自分に特別な能力が備わっていることに気付く。それは、他人の身体にイメージを重ねあわせて念じると、その相手に思い通りの言葉を喋らせることができる、という不思議な力だ。安藤は思考に思考を重ね、自分のとるべき道を模索しはじめる。


考えろ考えろ、マクガイバー。

主人公の安藤が、ことあるごとに心の中で唱えるこの”呪文”。安藤が子供の頃にテレビで見ていたヒーローものの決まり文句なのだが(って、どんなヒーローものだよ(笑))、これこそ、この小説のキーワード。

「行動する」という目に見えたアクションと比べると、地味で軽視されがちな「考える」ということ。僕たちが日々、どれだけのことをしっかり考えながら生きられているか。きちんと考え、選択して、世界と向き合えているかどうか。著者十八番の、軽妙でユーモアに溢れた文体で包みながら、そんなシビアな問いを投げかけてくる小説だ。

いつもの伊坂作品を期待していると、少し肩すかしを食らうかもしれない。絶対的な悪と対峙する勧善懲悪、爽やかで心地のよい後味、巧みな伏線と唸らされるオチ。そういったキーワードに溢れたいつもの伊坂ワールドとは、今回は少し趣きが違う。小説全体を、モヤモヤっとした得体の知れない空気が覆っているような、そんな不思議な雰囲気の物語だ。

この小説の重要なキーワードに、「ファシズム」「ナショナリズム」「憲法改正」といったものがある。この3つを煽るのが、カリスマ政治家・犬養。ここまで読んだ時点で、「おいおい、犬養って小泉首相のことか?」と誰もが勘付くだろう。もう少し物語を読み進めると、実はこの小説の舞台はもう少し先の未来(小泉的な人が改革半ばで倒れ、政治不信がさらに一層進んだ社会)であるということが判明するのだが、とはいえ犬養に小泉首相を重ねあわせる読み方は間違いではないと思う。

国民全体が、何かに突き動かされるかのように、ひとつの方向へと進んでいる社会。あくまでフィクションとはいえ、小泉自民党が歴史的圧勝を収めた現実社会が自然とオーバーラップしてくる。もちろん、作者自身もそれは織り込み済みだと思う。

最初、ちょっと読んでて嫌な感じだった。正直いって。なんだか、ファシズムとかナショナリズムについての議論がすごく浅く感じられたからだ。付け焼刃、というか。後半の短編『呼吸』(といっても、前半の『魔王』と後半の『呼吸』は、セットでひとつの”長編”だけど)で描かれる、憲法改正の是非に関する論議も同じ。入門編としては良いとして、小説のテーマにするには、ちと”一夜漬け”すぎる。

でも、途中で気が付いた。違う、違うぞ。この小説のテーマはそんなことじゃない。「ファシズムを止めろ」とか「独裁政治に気をつけろ」とか「憲法を改正させるな」とか、伊坂幸太郎が伝えたいのは、そんなメッセージじゃない。伝わってきたのは・・・

考えろ考えろ、マクガイバー。

物語のある場面で、犬養がテレビから国民にメッセージを送る。

よく、考えろ。そして、選択しろ。

安藤の弟である潤也の彼女・詩織は、そのときふとこう感じる。「犬養さんもお兄さん(安藤)も、よく似てる」と。思想的には全く相容れない2人の人物。彼らの唯一の共通点、それが「考える」というキーワードなのだ。2人とも、考えに考えを重ねた末、結果的に、全く違う思想に達したのだ。しかし、途中までのプロセスは、2人ともよく似ている。

それにひきかえ、僕たちはどうだろう?本当に、しっかり考えた末に、自分たちの思想を決定しているだろうか?「改憲」「護憲」「軍隊派遣」「戦力不保持」様々な考え方があるとして、果たしてどれだけのことを考えたうえで、その言葉を発しているだろうか?ただなんとなく、雰囲気だけで、思想をチョイスしてやしないか?

小説の中に、象徴的なエピソードがある。憲法改正に関する国民投票が目前に迫る中、詩織の会社で、大きなトラブルが発生する。社員たちは、そのトラブルへの対応に追われ、みんな「憲法改正」のことなど少しも考えられなくなってしまう。目の前で大変な問題が起こっているのに、のんきに憲法の話など誰もしていられない。

あ、そのとおりだな、って僕は感じた。確かに、例えば好きな人がいて、その人にどうやって想いを伝えようなんて考えているとき、世界情勢とか国会の動きなんてのは、どうでもよく感じられてしまう。例えば、主婦の人にとっては、憲法改正よりも夕飯の献立のほうが大切な問題かもしれない。

僕たちは、日々の暮らしに精一杯で、実感のわかないような問題に関してはときに何も考えられなくなってしまう。でも、本当にそれでよいのか?その間にも、世界は、社会は動いている。そして、最終的に、変貌した世界は、僕たちにも変化を迫るのだ。例えば、戦争とか。

国民投票当日。投票を終えた詩織は、こう感じる。「何か取り返しのつかないことをしたような気持ち」。たかが一票。でも、その積み重ねが、世界をつくる。例えば、100円からはじめた競馬が、単勝を当て続けることで、1億円になるように。されど一票。僕たちの選択には、常に責任がつきまとう。

何も考えない心にこそ、「魔王」は棲んでいる。

特別な力を持っているのは、何も安藤と潤也だけではない。僕たちは誰もが、特別な力を行使する権利と責任を持っている。そんなメッセージもこめられているのかもしれない。

小説の中では、いろいろな考え方が説明されている。安藤や詩織の同僚が感じる漠とした不安もよくわかるし、一方で、犬養支持者たちの理論にもなかなかの説得力がある。どちらが正しいのか、それは僕にはわからない。でもとにかく。考えろ考えろ、マクガイバー。

でたらめでもいいから、自分の考えを信じて、対決していけば、世界が変わる。

でも、僕が最も共感したのは、後半の『呼吸』の主役・潤也だったかもしれない。空を見上げ、ただただ鳥を観察することを仕事とする潤也。そんな彼を見ながら、詩織は、「鳥を探して、ただ呼吸する。それで、充分かもしれない」と思う。潤也は、ふと冗談めかしてこんなことを口にする。「いっそ、武器なんか持たなきゃいい。ヘタに持つから、狙われるんだ。丸腰の相手なら、誰も攻撃しようなんて思わない」

すごく子供じみているかもしれない。小説の中でも、あっさり詩織によって却下される。でも、究極的なことをいえば、こういう考え方こそ真実なんじゃないかって、僕は思う。

本音はオブラートで包む伊坂作品のことだ。
案外、これが本音なのかもしれない、なんて。
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by inotti-department | 2005-12-11 11:09 | book
『ALWAYS 三丁目の夕日』 ~愛すべき"ダサダサ"映画~
e0038935_21234056.jpg満足度 ★★★★★★★★☆☆(8点)

『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005、日)
    監督 山崎貴
    出演 吉岡秀隆  堤真一  小雪 

何がヒットして、何がコケるかなんて、誰にもわからない。

とはいえ、まさかこの映画がこんなに大ヒットするなんて、僕は正直想像もしていなかった。『ALWAYS 三丁目の夕日』。同時期公開の『春の雪』が霞むほどの大ヒットである。

というわけで、またしても僕のミーハー魂が発動(笑)。たいして観たいとは思ってなかったんだけど、チェックしてきました!

で、感想。大して期待してなかったんだけど、いやぁ、素晴らしかった!2回泣きました。これはいいっすね、もう大好きなタイプの映画!

ちっとも新しくないし、ちっともカッコよくない。でも、最高に愛すべき、素晴らしい”ダサダサ”映画だったのである。

では、まずはあらすじ。
昭和33年。青森出身の六子は、自動車会社に就職するために、大きな期待を胸に東京へ。しかし、着いてビックリ。そこは自動車会社とは名ばかりの、小さな汚い自動車修理工場だったのだ。おまけに、経営者の則文は短気で粗野で口汚い。六子は不安を抱えつつ、新生活をスタートさせる。一方、その向かいで駄菓子屋を経営しつつ、小説家を夢見る茶川は、想いを寄せる飲み屋の女主人・ヒロミから頼まれ、縁もゆかりもない少年・淳之介を預かることになり・・・。

<以下、ネタバレ含みます。未見の方は、ご注意くださいまし。>

「昔はよかったよなぁ」
そういう言い方って、僕はあまり好きじゃない。僕らは今を生きてるんだから、必要以上に過去を振り返るべきではないし、必要以上に現在を憂うべきではないと思う。例えば会社とかで、「昔はもっといい会社だったんだけどなぁ」なんて言ってるベテラン社員なんかを見ると、「それなら今が良くなるように、少しは改善する努力をせえよ」とイライラする(笑)。

しかし。この映画を観た僕は、感じてしまった。
「なんか、いい時代だなぁ」って。

こういうノスタルジックな気持ち(しかも、僕はその時代を知らないというのに、だ)にさせてくれたのは、ストーリーももちろんだけど、映像によるところも大きいと思う。最初に、昭和30年代の下町を舞台にした人情もの映画の監督が、VFXの名手でありSF畑の山崎貴監督(『ジュブナイル』『リターナー』)だと聞いたときは、ちょっと意外な組み合わせすぎてイメージが沸かなかった。

でも、映画を観たら納得。さすが映像派の監督、素晴らしい仕事っぷりだ。街並みの映像のかなりの部分は、セットではなくCGで描かれているのだという。でも、僕はそれがCGであるという違和感は、ほとんど感じなかった(一部、なんだか人が浮いているように感じたシーンもあったけれど)。これこそ、まさに正しいCGの使い方だと思う。

ストーリーも素晴らしい。
物語は、自動車工場”鈴木オート”と駄菓子屋、その2箇所を基点に進められる。描かれるのは、家族の触れ合い。そして、人と人との繋がり。

鈴木オートの話は、鈴木夫妻、息子の一平、居候の六子、四者四様のキャラクターがとても良い。最初は、六子も則文も互いをあまり良く思っていなくて、ついに両者が本音をぶつけあったことで大衝突してしまう。このケンカのシーンが、気持ち良いぐらいにスカっとしていて、最高に面白い。そして、最後はお互いに「言い過ぎた」と謝罪しあい、わかりあう。ケンカを通じて仲良くなる、という古い手法だけど、最近こういうスカっとしたケンカとはすっかりごぶさただったので、なんだかすごく新鮮だった。それを見守る奥さんと一平も、ヌケてるんだけどツッコミは鋭かったりで、とても微笑ましい。

一方、駄菓子屋。こちらは、作家志望の茶川、飲み屋のヒロミ、2人が面倒をみる淳之介の3人の交流。いわば、”擬似家族”のお話だ。笑わせてもらったのは鈴木ファミリーの方だったが、僕が泣かされたのは2回ともこちらの茶川ファミリーのほうだった。

特に良かったのは、自分を捨てた母親に会いに高円寺まで行った淳之介が、夜遅くに帰ってくる場面。それまでは、一緒に行方不明になっていた一平を責めたりするばっかりで、少しも心配する素振りを見せていなかった茶川が、短気な則文よりも速く淳之介の頬をひっぱたく。「心配させるな!」そして、やさしく抱きとめる。いつもはヘラヘラしてるだけの茶川が見せた、”父親”の顔。ここは泣いたなぁ。ベタなんだけど、素晴らしかった。

そのほかにも、笑えるシーン、泣けるシーン、心がジーンと温まるシーンが目白押し。なんだかかゆくなるぐらいにベタベタでダサダサなんだけど、ひとつひとつのシーンが微笑ましくて、「こういうの、なんかいいなぁ」って、僕はずーーっとそんな風に感じていた。

さっき、「なんか、いい時代だなぁ」って書いたけど、ひょっとしたら、別に時代がどうのこうのって話じゃないのかもしれない。「いいなぁ」って感じたのは、時代じゃなくて、その中で生きていた人々の姿。生き方。携帯電話も電子メールもなかったけれど、スクリーンの中の人々は、間違いなく繋がっていた。人と人が繋がってるって、こんなにも素晴らしいことなんだって、そう思ったのだ。貧しくても、物がなくても、人はこんなに想いあえる。幸せになれる。

役者たちが素晴らしい。主要キャストが、揃いも揃ってみんな最高の演技をみせている。子役の無邪気さ。小雪の気高さ。吉岡の表現力。みんな素晴らしい。さらに、最高にキュートな、津軽弁を駆使した堀北真希の演技。

でも、あえて2人挙げるなら、やっぱり鈴木夫妻を演じた堤&薬師丸コンビかな。役者としてあまりにもタイプ違うこの2人が、こんなに息のあった夫婦像を見せてくれるとは。これこそ、演技の醍醐味。短気で口は悪いが、情には人一倍厚い父親。おっとりしてて、でも芯は強くて、だけどやっぱりおトボケの母親。誰もが大好きになる理想の夫婦を、2人が最高の演技で表現している。特に、薬師丸のお茶目な母親には、もう参りました。

と、褒めに褒めに褒めまくりましたが、最後に唯一の欠点を。映画の中盤、一平と六子と淳之介のもとに、サンタクロースからプレゼントが届く。これ自体は、すごく感動的で微笑ましい良いシーンなんだけど、ちょっとその表現方法に問題が・・・。この映画、もし子供が観たらどうすんのよ?というか、このタイプの映画だから、おそらくファミリーで観る人もたくさんいるだろう。しかし、これマズイよ。こんなにリアルに開けっぴろげにサンタクロースの正体について触れた話を、僕は正直聞いたことがない。ここ、唯一、すごく残念だったところ。ほかに方法なかったかなぁ。

とはいえ。いい映画です、ホントにこれは。ベタベタ系が好きな人には、もうたまらない映画だろうと思う。今年の映画賞、『パッチギ!』と『メゾン・ド・ヒミコ』の一騎打ちだと思ってたけど、思わぬところから対抗馬が現れた。
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by inotti-department | 2005-12-07 22:57 | cinema
映画『春の雪』 ~価値ある日本映画!しかし・・・~
e0038935_2113151.jpg満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

『春の雪』(2005、日)
     監督 行定勲
     出演 妻夫木聡  竹内結子

僕の大学時代の恩師が最も敬愛する作家、それが三島由紀夫だった。そして、その恩師が三島の最高傑作と称してやまなかったのが、『豊饒の海』4部作だった。

また、僕の大学時代からの親友で、卒論で三島由紀夫について書き上げた男がいるのだが、彼は「豊饒の海シリーズの中でも、圧倒的に面白いのが、第一作の『春の雪』」と断言していた。

そんなわけで、生まれて1作も読みきったことのなかった三島作品(実は高校時代に1度チャレンジしたのだが、文章がスーっと入ってこず、やがて挫折してしまった経験がある)に、『春の雪』で今さらながら初挑戦したのだ。よくある”「読んでから観る」or「観てから読む」”論争で言えば、僕は前者の道を選んだのである。

で、先読みの感想。いやぁ、ぶったまげました!すんげえ面白い。そんな陳腐な言葉で表現していいのか悩ましいほどの、圧倒的な読み応え。とにかく素晴らしいのが、その表現力、描写力。ページを10ページ進めても、表面的な物語は何一つ進んでいなかったりもする。しかし、その圧倒的な日本語表現の豊かさによって、激しく心揺さぶられ、感動的なまでにその風景や情感が変化するのだ。まさに、小説を読むということの醍醐味が、その文章には満ち溢れていた。

そして、映画版をついに観た。監督は、『GO』『世界の中心で、愛をさけぶ』でお馴染みの行定勲。僕の大きすぎる期待に見事に応える、堂々たる日本映画の良作に仕上がっていた。でも一方で、原作を先に読んだがゆえの、不満や違和感もチョコチョコと・・・。

では、まずはあらすじ。
松枝侯爵の息子・清顕。汚されることを嫌い、常に冷静さを保つ彼が唯一ペースを乱される相手、それが綾倉家の娘・聡子の存在だった。2人はやがて互いの想いを確認しあい、深く愛しあうようになる。しかし、そんな中、聡子に宮家との政略結婚の話が持ち上がる。2人は別れを余儀なくされるが、聡子を諦めきれない清顕は、許されぬ愛へと踏み出していく・・・。

<以下、ネタバレ含みます。未見(あるいは未読)の方は、くれぐれもご注意ください。>

まず素晴らしい点。それは、ナレーションという手法を用いなかった、ということ。これは驚いた。原作において丹念に丹念に綴られるのは、清顕の繊細で複雑な心の揺れ、葛藤。それをしっかり表現するためには、おそらく映像とセリフだけでは辛いだろうから、ナレーションである程度清顕に語らせるしかないだろう。僕はそう予想していたのだが、行定監督はそういう安易な方法は取らなかった。あくまでも、映像と音楽とセリフと役者の表現で勝負する。その意気込みが、素晴らしいと思ったのだ。

しかし、ひょっとすると、その手法を取ったことが、この映画の方向性を決定したのかもしれない(詳しくは、またのちほど)。

脚本も大健闘。あれだけの壮大な物語だ。どこを使ってどこをカットするか、とても困難な作業だったと思うのだが、ベストとは言わないまでもベターな凝縮版になっていたと思う。行定監督は、原作ものの映画化を好む人だが、決して物語を破綻させない。そのバランス感覚は、いつもながらスゴイなぁと感心させられる。

映像も美しい。大正という時代の空気。現代的かつ中世的、そして東洋的かつ西洋的、そんな特殊で神秘的な時代を、見事にスクリーンに表現できていたと思う(って、オマエ生まれてないやろ、と自分にツッコミ(笑))。話はそれるけど、あの時代の上流階級の人ってオシャレだったよなー、なんてことを感じた。日本人にも、あんな風にオシャレできていた時代があったんだなぁ。

そう、とても良い映画なのだ。今年観た日本映画の中でも、間違いなくトップの方にくる出来ばえだったと思う。それに、三島由紀夫という日本人が世界に誇るべき才能の再評価を新たに促したという点でも(現に、僕はこの映画がきっかけで三島文学と出会うことができたのだ)、とても価値ある日本映画だったと思うのだ。

と、ここまで褒めちぎっておいて、以下に苦言を書きます(笑)これは僕の個人的な感じ方なので、もちろん人それぞれだとは思いますが。

<ということで、以下、ネタバレしつつ言いたい放題。>

ひとつ気になったこと。それは、「原作を読んでいない人にとって、この松枝清顕という人物は、どういう風にとらえられたのだろう?」ということ。ひょっとしたら、ただのクソガキ、ハナタレ小僧。そんな風にしか、映らなかったのではないだろうか?

しかし、原作を読んだ方はおわかりだと思いますが、ことはそんなに単純ではない。この男、ものすごく屈折していて、面倒くさい男なのだ。

清顕という男。彼は、美しいもの、あるいは美しくあることを好む。彼にとって、感情を表に出すというのはとても醜い行為なので、彼は常に冷静でクールでいようとする。また、他人から支配されることも好まない。しかし、そんな彼が唯一そのペースを乱される相手、それが聡子なのだ。

例えば、序盤に、聡子から「私がいなくなったら、清様はどうする?」と問いかけられ、清顕がその晩に聡子が死ぬ悪夢を見るというエピソードがある。これなどは、まさにその象徴。そしてその後、聡子の問いの意味を知り、安心すると同時に自分を弄ぶ聡子に腹を立てた清顕は、聡子に仕返しに屈辱的な手紙を送るのだ。

このあたり、清顕という人物を表現するうえですごく大事なシーンだったと思うのだが、うーん、どうだろう。あれだけサクっと物語を進めてしまって、果たしてちゃんと伝わっただろうか?僕は不十分だったと思う。

それから、本多という友人に関して。原作における彼の位置づけはすごく微妙で、清顕のそういう繊細な面を最も理解し、最も嫉妬し、最も愛した男。それが、この本多という男なのだと僕は感じた。ところが、この映画版においては、本多のそういうカリスマ性のようなものが、全く表現されていないのだ。それどころか、前半の使われ方などは、清顕と聡子の恋愛模様を盛り上げるための一道具のようになってしまっていた。これは、すごく残念な点だった。

小説『春の雪』を読んで、僕が感じたこと。それは、「絶対的な美を愛し、全てを自分の思い通りに支配することを望む男が、その信念(美意識)と、それに反する聡子への感情の狭間で激しく葛藤する物語」ということだった。小説は、その葛藤を堂々と5:5の比率で描いているが、映画版はその比率が若干違うのだと思う。4:6か、あるいは3:7か。とにかく、信念とか美意識うんぬんの話は薄めておいて、ラブストーリーとしての側面が濃くなっているのだ。小説と映画における本多のキャラクターの違いなどは、まさにその象徴だと思う。そして、先に書いたナレーションの有無という問題も、ひょっとするとこのあたりに理由があるのかもしれない。

ちなみに、映画は2時間半あるのだが、聡子の政略結婚が決定するまでがちょうど1時間。そして、その後の禁断の愛が1時間半。このバランス、僕は逆で良かったかな、という気がする。前半部分にもっと時間を使えば、もっと清顕の人物像を掘り下げることができたと思うのだ。

僕が、この物語の最大のハイライトだと思うシーン。それは、聡子の婚約以来、沈黙を守っていた清顕が、ついに意を決して聡子に会いに行くシーン。そして、そこで2人は、ついに結ばれる。

ここ、小説と映画でハッキリ方向性が分かれた象徴的なシーンだと思う。まず、小説。この決断に至る清顕の葛藤の描写が、もう圧巻なのだ。美意識か、聡子への素直な想いか。どちらを取るかで葛藤した清顕の心に訪れる、ある発見。誰もが反対し、絶対に許されぬこの状況で、聡子を愛すること。これこそ、全てを自分が支配するということではないか!これこそ、究極的に美しいということではないか!2つのベクトルで揺れ動いた清顕の心が、ついにひとつとなって飽和する瞬間。動き出す清顕。これがスゴイのだ。

一方、映画。破り捨ててしまった、聡子からの手紙。その欠片を拾いあげた清顕が目にする、「清様」の文字。愛する聡子、僕はやはりあなたを愛している!走る清顕。悪くない。でも、うーん、ちと浅い!でも仕方ない、映画は前半で、美意識うんぬんの話をほぼ放棄しているのだから。恋愛物語として動き出してしまった物語は、こうやって進むしかないのだ。

これを、役者のせいにするのは酷だと思う。確かに、原作をベースに考えるならば、妻夫木聡は清顕の屈折した繊細な心を表現しきれていたとは言いがたい。ひょっとしたら、彼の子供っぽい一面が、今回は悪い方向に作用してしまったかもしれない。でも、彼が演じたのは、小説ではなく、あくまでも脚本なのだ。脚本がラブストーリーとしての側面を重視した以上、彼の演技もそうなってしかるべきだ。そういう意味で、妻夫木聡の演技は、よく頑張っていたと思う。

竹内結子も良かった。特に、僕がハッとさせられたのは、「聡子が書いた手紙を宮家にバラされたくなかったら、僕とこれからも会いつづけろ」と脅す清顕に、困ったような顔をしながら、でも喜びを隠せないという聡子の表情の芝居。これは素晴らしかった。本音を言うと、僕がイメージしていた聡子にはもう少し”魔性”的なところがあったのだが、まぁでも、竹内版聡子も十分に魅力的だったと思う。

長くなりました。でも、こんな風にいろいろと言いたくなる。それだけの魅力が、この映画にはあるということ。そろそろ公開も終わりますが、興味がおありの方は、ぜひ劇場でどうぞ。そして映画を楽しまれた方、ぜひぜひ原作もどうぞ。
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by inotti-department | 2005-12-04 22:44 | cinema
『イン・ハー・シューズ』 ~家族の愛は、全てに勝る~
e0038935_03565.jpg満足度 ★★★★★★★☆☆☆(7点)

『イン・ハー・シューズ』(2005、米)
   監督 カーティス・ハンソン
   出演 キャメロン・ディアス  トニ・コレット

「あなたは、どんな映画が好きですか?」

こんなバックリした質問をされたら、とっても答えに困る。「アクションもの」とか「ハッピーエンドの話」とか、答え方は人それぞれだと思うけれど、僕ならウーンと考えたあと、おそらくこう答える。

「家族もの。もしくは、友情もの。」

家族や友達の物語、僕は大好きなのだ。特に、仲の良くなかった家族(友人)が仲直りする話とか、ケンカばかりしてる友人同士(家族)がナンダカンダで固い絆で結ばれてる話とか、もうたまらないものがある。

で、この『イン・ハー・シューズ』である。
気のせいだろうか、この映画、あまり話題になってない気がする。でも、いいですよ、この映画。すごく良い。とりあえず、僕が先に挙げた2つの要素を、この映画はパーフェクトに満たしている。

女優2人も素晴らしい。キャメロン・ディアスは、魅力全開。この前テレビでSMAPの稲垣吾郎が「キャメロンを嫌いな男はいないでしょう」って言ってたけど、なんかわかる気がする。アップになると、さすがに肌の衰えも見えはじめてきたが、でも持ち前のキュート&セクシーっぷりは相変わらず。姉役のトニ・コレットも、はじめて観たけど魅力的な女優さん。今回は”ブサイク役”だけど、この人、とてもキレイな顔をしていると思う。表情とか仕草の演技がなかなかウマくて、すごくいい味を出していた。

ではでは、あらすじの紹介。
堅物の女性弁護士ローズの頭痛の種は、美人だが生活が乱れっぱなしの妹・マギーの存在。その夜も、ローズが彼氏と過ごしているところに電話が入り、迎えに行くと、マギーはベロベロに泥酔していた。義母から家を追い出されたマギーを、ローズは仕方なく家にあげる。しかし、ローズの家でマギーが起こしたある事件がきっかけで、2人の間には修復しがたい亀裂が生じてしまい・・・。

<以下、ネタバレ含みます。未見の方は、ご注意くださいませ。>

決して派手さはない話だが、その語り口に関しては、ほぼパーフェクトと言っていいぐらい欠点が見当たらない。

主人公の姉妹のキャラクター設定が、それぞれにとても素晴らしい。性格も仕事も恋愛も全く正反対の2人。お互いに、自分の人生観とあまりにも違う生活を送る相手に対してイライラを隠そうとしない。そして妹は、姉に反発するあまり、とんでもない過ちを犯してしまう。

ひょっとすると、映画を観た方の中には、このエピソードの時点で主人公マギーに見切りをつけてしまった人もいたかもしれない。たしかに、このマギーの行動は、許しがたいぐらいに残酷なものだ。でも、この映画の見事なところは、ここに至るまでの描写がとっても丁寧な点。例えば、マギーがこの行動に至るまでの葛藤。彼女なりの孤独と恐怖、そして、それを姉に理解してもらえなかった悲しみと嫉妬。そういった心の揺れを、映画は丁寧に描いているため、余計にこのエピソードが生きるのだ。まぁ、だからといって、許されるってもんでもないだろうけど(笑)

それから、姉妹がカフェで笑いあうシーン。物語を進めるうえではなんてことないシーンなんだけど、こういうシーンをさりげなく前半に織り込んでいるところもウマい。2人が性格が違っても、心の底の部分では固い絆で結ばれているということが伝わってきて、とても微笑ましい。

そして、終盤。ローズの婚約者サイモンは、妹のことなど自分のことをほとんど話そうとしない秘密主義者のローズに嫌気がさし、婚約を解消してしまう。そこでの、涙を流しながらのローズの告白が感動的。「妹の話はできない。それをしたら、妹がサイモンから嫌われてしまうから・・・」

どうだ、この姉妹愛!絶対には許さないとか口では言いながらも、やっぱり妹への愛情は揺るぎないのだ。さらに、母の死因が実は自殺だったということを、妹を守るためにローズがずっとマギーには隠していたことが判明して、僕は完璧にノックアウト。いやぁ、参った。素晴らしき、家族愛。それが女同士っていう点が、またグッドなのだ。家族もののような、友情もののような、どちらにせよ清々しい感動が、この映画にはある。

やっぱりいいよね、家族って。どんなに許しがたいようなことをされても、どんなに救いようのないケンカをしようとも、家族はやっぱり家族なのだ。それは、決して揺るがない。例え世界中が敵になろうとも、唯一守ってくれる人。家族の愛は、全てに勝る。


と、ちょっとクサイことを言ってしまいました。ま、要するに、家族フェチなのです(笑)

もしも同じようなご病気をお持ちの方がいらっしゃいましたら、この映画、ぜひぜひオススメします。あ、もちろん、そうでない方にも(笑)。誰が見ても決して不満のでない、そんな良作だと思います。
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by inotti-department | 2005-12-04 01:01 | cinema
   
映画・小説・音楽との感動の出会いを、ネタバレも交えつつ、あれこれ綴っていきます。モットーは「けなすより褒めよう」。また、ストーリーをバッチリ復習できる「ネタバレstory紹介」も公開しています。
by inotti-department
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