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当ブログでは、「あの映画(小説)、一度観たんだけど、どういう話だったかが思い出せない・・・」とお困りの方のために、映画(小説)のストーリーを完全に網羅したデータベースを公開しております。詳しくは、カテゴリ内の「映画(小説)ネタバレstory紹介」をご参照ください。なお、完全ネタバレとなっていますので、未見の方はくれぐれもご注意ください。
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『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』 ~動き出した物語~
e0038935_2149571.jpg満足度 ★★★★★★☆☆☆☆(6点)

『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』(2005、米)
   監督 マイク・ニューウェル
   出演 ダニエル・ラドクリフ エマ・ワトソン

クィディッチのW杯を観戦していたハリーらの前に、ヴォルデモート復活を告げる”闇の印”が現れた。さらにハリーは、ヴォルデモートがしもべに”ハリー抹殺”を命じている悪夢に悩まされる。こうして迎えた新学期、ホグワーツの校長ダンブルドアは「三大魔法学校対抗試合」開催を宣言。三校の代表1人ずつを選ぶのは、”炎のゴブレット”。しかし、3人を選んだあと、ゴブレットはもうひとりの代表の名前を掲示する。そこに書かれていたのは、ハリーの名前。17歳以下は代表になれないという規則を破っての異例の出場が決まったハリーだが、周囲のやっかみにあい、さらに親友のロンまでもが距離を置き始め・・・。


”ハリー・ポッター”シリーズもいよいよ4作目。

たしか全7作で完結と言われてるはずだから、ちょうどこの『炎のゴブレット』で折り返しとなるわけだ。ふむふむ、確かに、いよいよ物語が本格的に動き始めたという印象。まぁ、別に”ハリポタ”フリークじゃないし、そんなにものすごくその後の展開が気になってるわけじゃないんだけど(笑)。

原作に関しては、僕は2巻目の『秘密の部屋』までしか読んでない。1本目の『賢者の石』は、映画を観たとき「あ、すごくよくできてる!」と思った記憶がある。原作のエッセンスをそのままに、映画のもつ良さを最大限にいかして映像化できているな、と感心したのだ。一方、2本目の『秘密の部屋』は、話にスピード感がなくて映画版はちょっとしんどかった。

3本目の『アズカバンの囚人』とこの4本目『炎のゴブレット』に関しては、僕には原作との比較はできない。さてさて、原作を読んだ方、いかがでしたか?おそらく想像するに、かなりのパートがカットされていたのではないかと思いますが(笑)。

『アズカバン』のときも思ったんだけど、なんか、食い足りない感じが残るんだよなぁ。表面上、物語は普通に進んでいくし、特に疑問や引っ掛かりが残るわけではない。でも、逆にそれが物足りないというか・・・。たぶん、1つ1つのエピソードを深くじっくり描くことは避け、大事な本筋だけは原作通りきっちり描いていくというスタイルをとっているんじゃないかな?だからだろう、コンパクトにまとまってはいるんだけど、「だからどうしたの?」というような印象が拭えないのだ。

とはいえ、映像的魅力は健在だし、さすがに4作目になるとキャラクターもしっかり”立って”くるから、安心して観ていられる。ハリーとロンとハーマイオニーの3人が絡んでいるシーンなんかが続くと、そのままずっと観ていたくなるような、なんというか愛着のようなものが自分の中に生まれていることに気付かされる。もうくされ縁みたいなもんだね(笑)。こうなったら、完結までとことん付き合うぞ!

さぁ、いよいよ登場したヴォルデモート。次の第5弾からは、本格的な対決が始まるんだろうなぁ。この『炎のゴブレット』は、その序曲のようなものなのだろう。

それにしても。3人とも、大きくなっちゃったよね。はやく撮り終えないと、完結する頃には老けはじめかねないぞ(笑)。
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# by inotti-department | 2006-02-09 22:20 | cinema
『運命じゃない人』 ~2005年日本映画で最高の脚本!
e0038935_1381651.jpg満足度 ★★★★★★★★☆☆(8点)

『運命じゃない人』(2005、日)
   監督 内田けんじ
   出演 中村靖日 霧島れいか 板谷由夏

恋人のあゆみが家を出て行ってしまって半年。いまだに失恋の傷から抜け出せない宮田だが、親友の神田のナンパがきっかけで、真紀という女性と出会う。真紀もまた、婚約者と別れ、深い悲しみの中にいた。帰る場所のない真紀を、宮田は自宅へ連れ帰る。するとそこに突然、置きっ放しだった荷物を取りにあゆみがやってくる。一方、探偵の神田は、あゆみの正体が結婚詐欺師だという事実をつきとめていた。そして、あゆみが現在の恋人であるヤクザの組長・浅井から2000万円を奪って神田のところにやってきたことから、浅井から命を狙われる羽目に。宮田、真紀、神田、あゆみ、浅井。5人の思惑と偶然が複雑にからみあい、事態は予想もつかない方向に・・・。

いやぁ、一生の不覚でした!

なにがって、この映画を劇場で観そこねたこと。この映画の存在を噂で聞きつけたときには、すでに劇場公開が終わってしまっていて、もう首を長~くしてDVD登場を待っておりやした。

ついにDVDで観ましたよー!ひゃぁ、ビックリした!ホントに面白いんだもん!

映像なんかはいたってシンプルで、それこそCGなんか全く使ってないし、おそらくかなり低予算で作られた映画だと思う。それがどうしてこんなに面白いのよって、そりゃあやっぱり脚本の力。よくできたストーリーさえあれば、映画はどうにでも面白く作れる!久しぶりに唸らされました。

ある夜に5人の男女が体験する、不思議な物語。どうってことのない同じ出来事も、5人それぞれの視点からみると、全然違う意味や思惑が含まれている。映画は、時間軸や視点をうまく操りながら、少しずつ物語のカラクリを解き明かしていく。

まさに、巧妙に練られた設計図、という感じ。同じシーンがいろんな人の視点から繰り返し描かれるんだけど、「あ、このとき、実はあの人はあそこにいたんだ!」というのが次々と発覚する展開は、とってもユニーク。それでいて、少しも無理がないし全く破綻もないのは、スゴイのひとこと。

脚本と監督を担当したのは、内田けんじさん。これが長編デビュー作だという。またひとり、日本映画界に新たな才能の誕生ですね。次にどんな面白い映画を作ってくれるのか、これはもう要注目。

キャストも渋めなんだけれど、とってもいいバランスだったと思う。というか、こういう話は、スターが出ていないほうが絶対いい。宮田とか真紀の役なんか、絶世の美男美女にやられちゃったら、ハッキリ言って良さが半減しただろう。それでいて、あゆみや浅井など、脇のキーパーソンには演技力の確かな俳優をしっかり起用している。板谷由夏と山下規介は、特に光っていたと思う。キャスティングのセンスもベリーグッド。

終わり方もよかった。ヘンに盛り上げすぎず、「あ、こういう終わり方なんだ」っていうほのぼのした感じで。あの2000万円の今後の行方とか考えると、本当は手放しでハッピーエンドってわけじゃないんだけれど、そんなことはよいのです。最後、一度エンドロールが巻き戻されて(これもまたユニーク!)からのエピローグ、この映画の締めくくりにはあれだけで十分。ていうか、最後に出てきた男の人、「あれ、これ誰だっけ?」って最初思い出せなかった(笑)。それだけ、ものすごく充実した1時間40分だったってことなんだろうな。

あ、そうそう。この映画を観て「大好き!」って思った方、もしよかったらぜひ、伊坂幸太郎という人が書いた『ラッシュライフ』という小説(新潮文庫から文庫化されてます)を読んでみてください。同じような匂いをもった、同じく最高によくできた物語ですので。きっと、気に入られるかと思います。
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# by inotti-department | 2006-02-09 13:47 | cinema
『キング・コング』 ~B級だけど、一級品!~
e0038935_21193050.jpg満足度 ★★★★★★★☆☆☆(7点)

『キング・コング』(2005、米)
   監督 ピーター・ジャクソン
   出演 ナオミ・ワッツ ジャック・ブラック
       エイドリアン・ブロディ

1933年、NY。支援を打ち切られて追い詰められた映画プロデューサーのカールは、起死回生の策として、未開の島を舞台にした冒険映画製作を企てる。ちょうどその頃、売れない女優アンもまた、劇場の閉鎖によって失業状態に陥っていた。デナムは、街で見かけたアンの美しさに一目ぼれし、彼女を主演女優にスカウトする。こうして、デナムとアン、そして劇作家のジャックを乗せ、船は航海をスタートする。しかし、目的地の島には、伝説の怪物”キング・コング”が待ち受けていた・・・。


あっぱれ、あっぱれ、B級モンスター映画!

『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズを見事に完結させたピーター・ジャクソンが次に選んだ企画は、往年のハリウッド大作『キング・コング』のリメイク。もともと、映画好きの少年がそのまま大きくなったような人だから、きっと念願だったんだろうなぁ。『ロード』で大成功を収めたことによって、ついに本当の夢も叶えた、おそらくそんなとこだろう。

まず第一の感想。長い!3時間8分。長すぎ(笑)。ケツが痛くなるっつーの。
なんでそんなに長尺になっちゃったかっていうと、観てるとわかるんだけど、この映画がまるで『ロード』を彷彿とさせるようなキレイな3部構成になっているから。

苦しい状況を打破するためにリスキーな航海に出て、島に上陸する第1部。
その島での、様々な怪物、そしてコングとの遭遇を描く第2部。
捕えたキング・コングが、NYで大暴れする第3部。

それぞれのパートが、だいたい1時間ずつ。
第1部は、正直ダレぎみ(笑)。まぁ、壮大な冒険の前フリとしては必要不可欠なんだけど、正直ちょっとアクビが。はやく本題に入ってよーー!って、思ってしまいやした。

第2部は、超B級テイスト(笑)。わけわからんキモチワルイ化け物どもが次々出てきて、どんどん仲間が死んでいく。事態は深刻なんだけどついつい笑っちゃうあたりが、B級のB級たるゆえん。この映画、楽しめるか脱落しちゃうかは、ここが分かれ目でしょう!ここで気持ちが離れちゃった人は、島パートの後半あたりから次第に描かれはじめるキング・コングとアンの”異形のラブ・ストーリー”なんか、全然ピンとこなかったに違いない。

僕は、どうにかギリギリ踏みとどまることができた。正直、島に着いてからも延々同じようなことやってるから、ちょっと飽きそうになったんだけど。でも、キング・コングとアンが一緒に島の景色を眺めるあのシーンで、完全に気持ちが戻りました!あそこは、美しいシーンだったなぁ。

で、第3部。ラストの1時間は、まさに怒涛のクライマックス。まさに、1秒たりともスクリーンから目が離せない、最高のエンタテインメント!そういえば、『ロード・オブ・ザ・リング』も、ダントツで第3部が面白かったんだよなー。この監督、とにかく物語の盛り上げ方が実にウマイ!

キング・コングがNYの摩天楼で大暴れするっていうだけで十分に魅力的なんだけど、僕が一番好きだったのは、コングとアンが氷の上でダンス(?)を踊るシーン。素晴らしかった!「そっか、B級映画でも冒険映画でもあるけれど、これって結局ラブ・ストーリーなんだ」って、気付かされた。悲劇的結末への伏線っていう意味では、同時にすごく切ないシーンでもあるんだけれど、僕はずーっとこのシーンが続けばいいのにって願わずにはいられなかった。

主演3人も、皆よかったと思う。ナオミ・ワッツにジャック・ブラックにエイドリアン・ブロディ。玄人好みといえば聞こえはいいが、ハッキリ言って、かなり地味なキャスティング(笑)。でも、すごくバランスのよいキャスティングだったと感じた。まさに、適材適所。特に、ナオミ・ワッツは島で逃げ回っている姿が驚くほどサマになっていた。とてもキレイな女優さんだしね。エイドリアン・ブロディもカッコよく演じてました。よくよく考えると、彼の演じたジャックって、めちゃめちゃスゴイ男だと思う。だって、あのキング・コングの顔見たら、普通向かっていこうなんて思わないっしょ(笑)。

とにもかくにも、一級のB級映画にして、とってもキュートなラブ・ストーリーだと思います。気になってる方は、公開が終わらないうちに、ぜひ大きなスクリーンで!
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# by inotti-department | 2006-02-08 22:05 | cinema
『ラヂオの時間』 ~着想が素晴らしい!~
e0038935_2174745.jpg
満足度 ★★★★★★★☆☆☆(7点)

『ラヂオの時間』(1997、日)
    監督 三谷幸喜
    出演 唐沢寿明  鈴木京香  西村雅彦



深夜のラジオ局。ラジオドラマの生放送を目前に、スタッフたちは慌しく動き回っていた。そんな中、突然、主演女優が言い出したワガママ。役名が、別れた愛人の奥さんと同名だから、違う名前に変更してほしいというのだ。さらに職業も女弁護士に変え、名前は「メアリー・ジェーン」にしろと要求してきた。彼女に頭が上がらないスタッフは、あっさり要求を受け入れてしまう。こうして、物語の舞台は、熱海からNYへ。しかし、むりやり設定を変更したことで、物語に無理が生じはじめて・・・。


三谷幸喜の映画監督デビュー作。

この映画をはじめて観たのは、高校時代。男友達6人とかで観に行って、みんなでゲラゲラ笑いながら観たんだよなぁ。いやぁ、あの頃はよか・・・って、失礼。話がそれました(笑)。

先日、テレビで久しぶりに『ラヂオの時間』をじっくり観た。たぶん4回目ぐらいだと思うんだけれど、何度観ても、やっぱり面白い。とっても良くできた映画だと思う。改めて、そう感じた。

もともとは、三谷さんの劇団「東京サンシャインボーイズ」の作品として、舞台で披露された物語らしい。確かに、ノンストップの暗転なし、深夜のラヂオ局という密室空間、セリフのやりとりで勝負する緻密な脚本など、映画よりもむしろ舞台向きの作品だと思う。なにせ、話自体は、おそろしく地味だもんねー(笑)。深夜のラヂオ局でのドタバタ劇。どうでもいいっちゃあ、どうでもいい(笑)。

でも、面白い!なにがって、やっぱり着想が素晴らしいんだよね。三谷幸喜の何がスゴイって、とにかく物語をつくる上でのアイデアのユニークさ。あらすじ聞いただけで笑えてきちゃうような、その着想・思いつきが素晴らしい。

たぶん、三谷さん自身も、こういう苦い経験があったんだろうなぁ。自分の書いたホンが、役者のワガママや、スタッフ・スポンサーの都合でどんどん変えられていく。「こんなことなら、スタッフロールから自分の名前を外してほしい!」そんな辛い思いをいろいろしてきたことが、この着想の出発点だったのではないだろうか。

でも、ナンダカンダで、最後にはみんながひとつになっちゃうあたりが三谷脚本のいいところ。登場人物はどいつもこいつもいい加減で、自分勝手なんだけど、なんだか憎めない。そして、最後には、結局協力しあってドラマを完成させる。『THE有頂天ホテル』もそうだけど、群像劇を操らせたら、やっぱりこの人の右に出る人はいない。

もうひとつ印象に残ったのが、西村雅彦。素晴らしい演技。彼のキャリアの中でも、この『ラヂオ』での演技は、ベストワークの1つなんじゃないかな。中間管理職の哀愁と、ラヂオマンとしての誇り。情けなくてカッコ悪いようで、でも、締めるところは締める。緩急織り交ぜたこの芝居は、なかなか誰にもできるもんじゃない。

三谷作品で西村雅彦の姿を見なくなってもうずいぶん経つけれど、やっぱり彼には三谷脚本の中でおもいっきりはじけてほしい!なんで起用されなくなったのか真相は知らないけれど、あのコンビのこと、何か壮大なクダラナイ計画を企んでいるような気がするんだけれど(笑)。

とにもかくにも、とても面白いコメディ映画だと思います。ご興味のある方は、ぜひDVDでどうぞ!
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# by inotti-department | 2006-02-07 21:42 | cinema
『フライトプラン』 ~広げた大風呂敷の結末は・・・~
e0038935_23393959.jpg満足度 ★★★★★★☆☆☆☆(6点)

『フライトプラン』(2005、米)
  監督 ロベルト・シュヴェンケ
  出演 ジョディ・フォスター ショ-ン・ビーン

映画はラストシーンが全てじゃない!

この意見には、基本的に大賛成。
ラストがちょっとぐらい物足りなかろうが、プロセスで十分に楽しませてくれれば、映画としては大成功なのだから。

そういう意味じゃ、この『フライトプラン』も十分に合格圏内の映画だと思う。よくできてる。ホント、よく出来た一級品のサスペンス映画だと思う。

でもね。。。
この種の映画って、どーーーしても、”オチ”に期待しちゃうんだよなぁ。『シックス・センス』以来、僕たち観客の”オチ”に対する期待のかけ方は、ちょっと過剰になっちゃったんだと思う。それが全てじゃないとはわかっていても、うーむ、どうしてもね・・・・。

というわけで、まずはあらすじをご紹介。これ読んだら、僕の言ってる意味がおわかりいただけるかと思います。

滞在先のベルリンで夫を事故死で失ったカイルは、6歳の娘・ジュリアを連れて、夫の棺とともに飛行機でNYへ。それは、航空機設計士であるカイル自身が設計に携わった飛行機だった。機内で束の間の睡眠をとったカイルが目を覚ますと、娘の姿が見当たらない。乗務員に命じて、徹底的に機内を捜させるが、どこにもその姿はない。やがて、ひとりの乗務員によって、衝撃の知らせがカイルに届けられる。ジュリアがその機に搭乗した記録はどこにもなく、それどころか、ジュリアは6日前に夫とともに亡くなっているというのだ・・・。

<映画の性質上ネタバレは避けますが、後半の展開への遠まわしな言及は以下に若干あります。映画を先入観なしに楽しみたいという方は、ご注意ください。>

どうよ、この見事な風呂敷の広げっぷりは(笑)!!こんだけ魅力的な設定なんだもん、オチに期待するなって方が無理ってもんよ。

で、どうだったのか。よし、正直に言おう!
「あれ?」「あれれ?」「あれれれ?」
そんな感じだった。拍子抜けというか、肩すかしというか。。。

一番問題なのは、ことの真相を説明されても、いまいちピンとこないということ。ネタバレできないので表現が難しいが、「なぜ、そんな?」という感じ。要は、どうにも説得力がないオチなのだ。

でも、それだけでこの映画を”駄作”と片付けてしまうのは、ちょっと惜しい。それぐらい、前半1時間は本当に素晴らしかった。エンタテインメント性、サスペンス性、どれをとっても、ほぼケチのつけようがないほどパーフェクトな出来。

そんなに斬新な設定とは思わないんだけど、なんだろう、すごく引き付けられる展開なのだ。「お母さんのただの妄想なのか?」そういう心理的圧迫感を、飛行機という密室がさらに煽る。乗客、乗務員、あるいは僕ら観客の勝手な思い込みが、真実を闇に葬り去りかねない危険なエネルギーとなってしまう。僕は単純に、そのことに対してものすごく強い恐怖を感じた。途中で出てくるカウンセラーなんかもそう。いい人なんだけどね、ああいう教科書通りの対応が、逆にとんでもない事態を招いてしまうケースもあるということなんだよね。いやはや、恐ろしい。

直接的な表現ができないので言葉選びが難しいのだが、これからこの映画を観に行かれる方は、”オチ”のことばかり考えずに素直にプロセスを楽しんでいただければ、と思う。そうすれば、十分に高いお金を出して映画館で観る価値のある映画だということは断言します。

それにしても、もう少しなんとか出来なかったかなー(笑)。真相が判明した瞬間、映画館中にガッカリした空気が蔓延したような気がしたのは、僕の錯覚ではなかったと思う。
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# by inotti-department | 2006-02-06 00:17 | cinema
『疾走』 ~インパクトもコンパクトも足りない~
e0038935_11451133.jpg満足度 ★★★★★☆☆☆☆☆ (5点)

『疾走』(2005、日)
   監督 SABU
   出演 手越祐也  韓英恵  豊川悦司


みなさま、ご無沙汰でございます!

実は会社の人事異動に巻きこまれまして、バタバタバタとこの2週間ほど過ごしておりました。ようやくひと段落しましたので、またチョコチョコ更新していくようにしたいな、と。そう思っておりやす。

で、『THE有頂天ホテル』以来、ひさしぶりに観に行った映画がこちら。
『疾走』。監督・SABU&原作・重松清。僕みたいな映画も小説も好きな人間にとっては、なかなか胸躍る顔合わせなわけで。公開最終日に劇場へ駆け込んでまいりました。

では、あらすじ。
とある街。”浜”と呼ばれる場所で暮らす人々にとって、かつては海だった”沖”と呼ばれる場所は、蔑視の対象だった。”浜”で暮らすシュウジは、立ち寄った”沖”で出会った鬼ケンという名のヤクザに親切にされるが、やがて鬼ケンの死体が発見される。数年後。中学生になったシュウジは、”沖”で暮らすエリという少女と出会い、親しみを感じるようになる。シュウジはエリとともに”沖”の教会へ通いはじめ、そこの神父とも親しくなるが、やがてシュウジの家庭環境に変化が起こりはじめ・・・。

<以下、ネタバレ含みます。未見の方は、ご注意ください。>

暗い。。。どうしようもなく、暗い。。。

精神を乱す兄、崩壊する家族、友人のイジメ、親しい人の死、近親相姦、一家心中、少年犯罪。。。ありとあらゆるこの世の不幸を集めました!と言わんばかりの不幸ラッシュ。どこにでもいそうな普通の少年の人生が、一瞬にして、極めて過酷なものになっていく。

正直に言うと、僕はあまりこの映画に強い魅力を感じなかった。世の中の”甘くない”部分に目を向けるその視線は、たしかにリアルでシャープだとは思う。でも、この手の映画は最近増えてきているし、それだけではインパクトは得られない。そして何より、この映画には”まとまり”がない。そういうゴチャゴチャした不穏な空気感を表現したかったのかもしれないが、もう少しコンパクトな映画にできなかっただろうか。

SABU監督、ひょっとして作風変わった!?『弾丸ランナー』『ポストマン・ブルース』などの作品で知られるSABU監督、もともとけっこう好きな監督さんだったのだが、ここのところジャニーズと組んで映画を撮ったりしていることに少し違和感を感じて、近作はちゃんとチェックしていなかった。個人的には、もっとエンタテインメント性を重視するタイプの監督だと認識していたのだけれど、良く言えば作品の幅が広がってきた、ということなのかもしれない。

気になったこと。主演2人の演技。ものすごい棒読みなのだ(笑)。うーーん、演出なのかなー?少年少女の虚無感を表現するために、セリフから感情の一切を排除せよ!という演技指導があったのかなー?真相はわからんが、とにかく、すごく気になって仕方がなかったのは事実。

良かったとこ。最後は、すごく良かった。ただの不幸な物語として終わらせなかった工夫には、好感がもてた。人生が素晴らしく思えるか、どうしようもないものに思えるか、それってホントに紙一重なんだよね。世界の状況は別に変わってないんだけれど、なんとなく、これから良い方向へ向かっていくのかなぁって、そう感じさせる素敵な終わり方だったと思う。

こういう映画って、結局は好き嫌いの問題になっちゃうんだよね。残念ながら、僕にとっては、あまり好きなタイプの映画ではなかったようだ。

不穏な空気に浸ってみたい方は、ぜひDVDでどうぞ。
って、そんな人いるかなぁ(笑)?
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# by inotti-department | 2006-02-04 12:21 | cinema
『THE有頂天ホテル』 ~ごちそうさま!贅沢な2時間~
e0038935_9574596.jpg満足度 ★★★★★★★★☆☆(8点)

『THE有頂天ホテル』(2006、日)
    監督 三谷幸喜
    出演 役所広司 松たか子 佐藤浩市

ワンダフル!ワンダフル!
最高に幸福な2時間を過ごさせてくれた、この映画に感謝。感謝。

日本一コメディを愛する男が生み出した物語に、20人を超える日本のトップ俳優たちが賛同して完成した、日本映画のビッグ・プロジェクト。これだけのスターが参加し、これだけの映画ファンの大きな期待を集め、そして、それを裏切らない素晴らしい映画に仕上がっていたこと。日本映画を愛する者として、何よりもそのことが、とってもうれしかった。

では、あらすじの紹介。といっても、さわりだけね。

年越しを2時間後に控えた、”ホテル・アヴァンティ”。副支配人の新堂は大忙し。「謹賀新年」の垂れ幕に誤字が見つかるわ、カウントダウンパーティに出演する芸人の相方であるアヒルが行方不明になるわ、総支配人は失踪するわ。おまけに、別れた元妻とばったり再会。思わず、ホテルマンの身分を偽り、舞台監督の受賞パーティーに来ていると見栄を張ってウソをついてしまう。一方同じ頃、客室係のハナも他人のフリをする羽目になる騒動に巻き込まれ、汚職によって窮地に追い込まれた政治家・武藤田は自殺を図るためにホテルを訪れていた・・・。


はっきり言って、欠点を指摘しようと思えば、いくらでもできる。そして、ひょっとすると、そういった欠点が気になって、この映画があまり好きになれなかった人もたくさんいたかもしれない。

例えば、ひとりひとりの人物描写が驚くほど浅くて、かつ薄いということ。例えば、各キャラクターが、まるで物語を面白くするためのコマのように感じられ、あまり血が通っていないように思えること。例えば、ひとりひとりの行動の理由に説得力のないものも多く、「ん?」と首をかしげてしまうようなピンとこない展開もいくつかあること。例えば、新堂やハナのその場しのぎの行動が、必ずしも自然ではないために、監督が狙ったほどには大きな笑いにつながらなかったこと。例えば・・・・・。

だけど。
それでも、僕はやっぱり、これはすごい映画だと思った。いろんな欠点を補ってあまりある圧倒的なパワー、そして何よりも圧倒的な”笑い”が、この映画にはあるからだ。

何よりも、脚本の力。これがスゴイ!気のきいた小道具を用いて、ちょこちょこと細かい伏線を張りつつ、やがて複数のエピソードを交錯させて、最後は登場人物全員に平等に光を当てる。こういう芸当を難なくやってのける脚本を過去に何度も書いている脚本家は、僕の知るかぎり、いま日本では三谷幸喜ぐらいしか見当たらない。

スター揃いの出演者も、揃いも揃って素晴らしい!最も賞賛に値するのは、全員が演じることを楽しんでいるのがスクリーンからビシバシと伝わってくること。それでいて、全員が、でしゃばりすぎてバランスを欠かないように、的確に23分の1の役割を果たしていること。これもやはり、出演者全員を最初から想定して書いたという”あて書き”(それも納得の最高のキャスティング!ミスキャストはひとりもいない!)によって作られた素晴らしい脚本あってのことだろう。おそらく、演じている誰にも、自分の出ていないシーンがあまりにも多すぎて、この映画の完成図はイメージできなかったと思う。でも、それでも彼らが迷いもなく演じきることができたのは、やはり三谷脚本への絶対的信頼があったからではないだろうか。

中でも「いいなぁ」と思った俳優を何人か挙げるとすれば・・・、うーーん迷うなぁ。爆笑MVPの伊東四朗は別格として、唯一マトモともいえる役を演じた戸田恵子のシャープな演技、キュートでセクシーな篠原涼子、それから忘れちゃいけない”クネクネ”角野卓造のハイテンション演技(笑)。なんにせよ、みんながみんな、それぞれにおいしいシーンがあったから、誰も損した人はいなかったと思う。

細かいストーリーとか、どこでどう笑ったとか、そういうことが終わったあとであまり思い出せない不思議な映画。良い意味で、あとに何も残らない映画。でも、確実に笑えて、確実にハッピーになれる映画。小難しいことを考えたり、求めたりする必要は全くない。ただただ2時間、頭をフリーにして映画に身を委ねればいい。自然と、笑いが身体の底からわきあがってくるから。

いっぱい笑っておなかいっぱいになったとき、映画はとうとうクライマックスを迎える。カウントダウンパーティーでの大団円。詳しいネタバレは避けるが、ここは本当に素晴らしい。23人の中では最も”俳優らしくない”ある人物が、おいしいところを全て持っていってしまう、最高のパフォーマンスを披露する。2時間の間に、何が決着したのかはわからないんだけれど、僕はなんだか涙が出そうになった。そして、「この映画を観てよかった」って、そう思った。

抱腹絶倒の2時間16分。笑って、笑って、心がパーーッと明るくなる、そんな素敵なコメディ映画。映画って、本当は小難しい顔して観るものじゃなくて、楽しむものだったんだ。忘れてたことに気付かせてくれた。

「コメディは、お客さんの笑い声が加わって、完成する」

これ、三谷幸喜の言葉。
ひとりでDVDなどと言わず、ぜひぜひ劇場へ。
そして、満員のお客さんと一緒に、照れも忘れておもいっきり笑いましょう!
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# by inotti-department | 2006-01-20 10:19 | cinema
『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』 ~どーも話が弾まない~
e0038935_22425759.jpg満足度 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点)

『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』(2005、米)
 監督 ジョン・マッデン
 出演 グウィネス・パルトロウ 
     ジェイク・ギレンホール A・ホプキンス

珍しく、公開初日の映画鑑賞。

といっても、別にそんなにものすごく楽しみにしていた映画というわけじゃなく、仕事の終わった時間と映画の上映開始時間がピタリとはまったというだけの話。でも、そういう意味じゃ、ストーリーなどの前情報も何も知らない状態で観られたから、映画の楽しみ方としては理想的だったかも(あんまり事前に知りすぎちゃうと、観たときの驚きとか喜びが半減しちゃうからね)。

唯一の手がかりは、監督&主演女優が、傑作『恋におちたシェイクスピア』のコンビだということ。それだけでも、十分期待してよいはず!
と思っていたのだけども・・・・

では、あらすじ。
キャサリンは父を亡くし、深い悲しみの中にいた。父は天才数学者だったが、最後の数年間は精神の病にかかってしまったため、彼女がつきっきりで看病をしたのだった。父を亡くしたことで、自らもまた精神不安定な状態に陥ってしまったキャサリン。姉のクレアは心配するが、キャサリンにはそれがかえってうざったくもあった。そんな彼女に想いを寄せるのは、父の元教え子ハル。父の葬儀を経て2人は結ばれるが、ハルが彼女の父の部屋からある数式の証明が書かれたノートを発見したことを機に、キャサリンは再び心を乱してしまう・・・。


すごーーく面白くなりそうな予感を終始抱かせつつも、結局盛り上がらないまま終わってしまったという感じ。どーーも話の転がり方に冴えがない、というか。

決して悪い映画じゃないんだけどなぁ。親子の愛、男女の愛、数学的才能を巡る運命のイタズラ。ひとつひとつのトピックについて、丹念に丹念に描写を積み重ねていく筋運びは、繊細かつ丁寧で見ごたえ十分。

話も、なかなか魅力的なんだけどなぁ。天才数学者である父親の部屋から発見された1冊のノート。そこに書かれていたのは、誰も解き得なかったある数式の証明。晩年は精神を乱してしまった父に、書けたはずがない証明。いったい誰が?どうやって?そこで名乗り出たのは、意外な人物だった・・・。

どうよ、これ?いいでしょ、かなり!面白そうでしょ?でも、話が転がらないんです、これが。うーーん、なぜだろう。この謎こそ、誰かに証明してほしい!そんな気持ちになる(笑)。

原因のひとつに、回想シーンが多すぎることが挙げられると思う。現在と回想の繋ぎ方がどうもスムーズじゃないのだ。いや、それがわざとだということはわかる。語り部であるキャサリンの不安定な精神を表現するために、現在と過去がゴチャマゼになったような描写を重ねた、その狙いはよくわかる。でも、結果的にそれによって、映画からテンポが失われてしまったという面は否めないと思う。

個人的には、数式の証明をめぐるミステリー的側面の魅力を、もっともっと生かしてもよかったんじゃないかなと感じた。キャサリンのイライラというか葛藤をじっくり描くのもいいんだけど、ストーリーテリングを重視するなら、「いったい誰によって書かれた証明なのか?」というミステリーのほうがやっぱり盛り上がるもの。キャサリンが不安定にならざるをえない本当の理由が、最後の最後にならないとスッキリとはわからないものだから、余計にキャサリンの戸惑いをどう受け止めたらいいのかわからなくて、もうひとつ僕の気持ちは盛り上がらなかった。

グウィネス・パルトロウは好演。アンソニー・ホプキンス、ジェイク・ギレンホールの男優陣は、この映画の中ではあくまでも脇役でしかない。これは、グウィネスの映画なのだ。ただ、彼女の表現力が巧みすぎて、それが逆にストーリーからテンポを奪・・・、ってもうやめましょう(笑)。いや、文句なしにウマイです、彼女の演技は。

『THE有頂天ホテル』『プライドと偏見』『スタンドアップ』『博士の愛した数式』『僕のニューヨークライフ』『オリバー・ツイスト』etc・・・。1月公開の映画の中には、他にも気になる話題作が目白押し。どーーしても!という方以外は、さほど慌てて観に行くほどの映画ではないと思います。

グウィネス大好き!という方がいましたら、ぜひお早めにどうぞ。って、アイドルじゃあるまいし、そんな人あんまいないか(笑)。
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# by inotti-department | 2006-01-14 23:33 | cinema
『ロード・オブ・ドッグタウン』 ~掘り出し物の青春快作~
e0038935_20494763.jpg満足度 ★★★★★★★☆☆☆(7点)

『ロード・オブ・ドッグタウン』(2005、米=独)
  監督 キャサリン・ハードウィック
  出演 エミール・ハーシュ ジョン・ロビンソン

1975年、カリフォルニア。サーフボードに明け暮れるトニー、ステイシー、ジェイの3人は、サーフショップ”ゼファー”の経営者・スキップの立ち上げたスケボーチーム”Z-BOYS"のメンバーになる。スケボーの大会で鮮烈なパフォーマンスを繰り広げ、瞬く間に全米が注目するカリスマ・スケートボーダーとなった3人。しかし、有名になるにつれ、金や女に目がくらんでいき・・・。


これは驚いた!素晴らしい、青春映画の快作だ。

たいした期待ももたずに観に行ったのだけれど、これはうれしい誤算。掘り出し物、とはまさにこのことである。

冒頭のクレジットでも示されるように、この映画は実際にあったエピソードがベースになっている。というか、この映画の脚本を担当したのは、主人公3人のうちの1人であるステイシー・ペラルタ本人なのだ。なるほど、僕は全く知らなかったが、スケボーの世界では相当に伝説的な人物のようだ、この映画の主人公たちは。

とはいえ、映画を楽しむうえで、事前にスケボーの世界についての予備知識を持っている必要など全くない。この映画は、ただのスケボー映画ではなく、すぐれた青春映画なのだ。

栄光と挫折。友情と別離。青春がもつ様々な側面を、とてもリアルに描いている。3人とも、タイプも違うし生き方も違うんだけれど、とにかく全力疾走。そこが素晴らしい。自分たちが世界の中心にいるように見えて、結局は大人たちのビジネスの歯車の中で利用されてるだけなんだけれど、そんなことはどうでもいい。とにかく前へ進もうとするそのエネルギーこそ、若者の特権だ。

それを象徴するのが、スケボーシーン。この映画の全て、といっても過言ではない。スピーディーで、ダイナミックで、スリリングなアクロバットの数々。映画がはじまって30分もたつ頃には、僕は彼らのパフォーマンスのとりこになってしまった。最高にカッコイイのだ、これが!

いろんなことが起こるんだけれど、本当に悪い人がひとりもいないのも良かった。みんな過ちも犯すし、「えっ」て思うような行動をしちゃったりするんだけれど、人間なんてそんなもの。でも、彼らには帰る場所があるんだよね。言葉なんかいらない、ただスケボーさえあれば。うーん、うらやましいなぁ、そういうの。

キャストは若き新進俳優ばかり。僕は3人の誰も1度も観たことがなかったので、最初は顔と役名が一致しなくて苦労した。特に、前半は"Z-BOYS"の面々ひとりひとりの個性がさほど特徴的ではなかったもので。個人的には、前半からもっと各キャラクターの描き分けをしっかりとできていたら、さらに素晴らしい作品になっていただろうと思う。

とはいえ、ひとりでも多くの人に観てもらいたい素敵な映画。なのでネタバレは避けるが、ラスト5分は必見。心がカーーっと温かくなって、そして、熱い気持ちになれる。

都内では渋谷シネマライズのみの上映。
27日までやってますので、映画でスカっとしたい方はぜひ!
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# by inotti-department | 2006-01-12 20:53 | cinema
『ある子供』 ~子供が子供をもつ覚悟~
e0038935_2344298.jpg満足度 ★★★★★★☆☆☆☆(6点)

『ある子供』(2005、ベルギー=フランス) 
 監督 ジャンピエール&リュック・ダルデンヌ
 出演 ジェレミー・レニエ デボラ・フランソワ

20歳の青年ブリュノは、盗んだものを売りさばくことで生計を立てて暮らしている。そんなある日、彼の恋人・ソニアが、子供を出産する。退院したソニアはさっそくブリュノと連絡をとろうとするが、なかなか電話が繋がらない。やっと会えたと思っても、ブリュノは何の喜びも示さず、赤ちゃんに対する愛情も全く見せない。そしてブリュノは、深く考えもせず、盗品を売るかのように赤ちゃんを他人に売ってしまい・・・。

リアリズムVSエンタテインメント。
世の中には、徹底的に現実というものをシビアに直視するような映画もあれば、現実社会をふと忘れさせてくれるようなイマジネーション豊かな映画も存在する。

で、この『ある子供』という映画は、典型的な前者タイプ。
そして、僕はどっちが好きかというと、やっぱり後者のほうが好きなんだよなぁ。

スゴイ映画だと思う。BGMは全くなし。ナレーションも、説明的なセリフも皆無。要するに、映画的な、あるいはフィクションとしての全ての要素を取っ払って作られた映画なのだ。

いっさい装飾がないにも関わらず、圧倒的な力強さ。まるで本当に起こっていることを目撃しているような、そんな錯覚に陥り、気が付くと画面から目が離せなくなってしまう。

俳優もスゴイ。主演の2人。あそこまでいくと、もはや演技なのか素なのかということすら定かではない。究極のリアリズム。カンヌ映画祭で絶賛されたというのも、たしかにうなずけるような力作だ。

でも、なんだろう。僕は、やっぱり、あんまり好きなタイプの映画じゃないんだよなぁ。このブログのタイトルにもなっているように、僕が映画とか小説に求めるのは、エンタテインメントというものなのだ。笑いでも感動でも驚きでもなんでもいいんだけど、その作品と接している間、至福の喜びを感じられるようなもの。リアルを追及するにせよ、それでいてエンタテインメントとしても成立している、そんなものが見たいのだ(うーーん、我ながらヘタクソな説明だ。すみません。)。

この作品が追及するリアリティと、僕が考えるエンタテインメントというものは、残念ながら一致しなかったということだと思う。おそらく監督にとっては、この映画もひとつのエンタテインメントと考えているだろうから、要するに僕とは噛み合わなかったという、ただそれだけのこと。カンヌでグランプリを取っているということは、映画祭の審査員とはその感覚がピタリと合ったということだろう。そして、僕の両隣で観ていた見知らぬ男性たちが2人とも爆睡していたということは、彼らとはその感覚が合わなかったということだろう。ただ、それだけのことなんだと思う。

ただ、感覚的に好きにはなれなかったとはいえ、これだけ1時間半ぶっ通しでリアルな世界を見せられると、やっぱりいろんなことを嫌でも考えさせられる。

”ある子供”。タイトルの子供が差しているのは、売られてしまった”子供”のことだけではないだろう。”子供”を売り飛ばしたブリュノもまた、ただの”子供”でしかない。子供が子供をもってしまったが故に起こった悲劇。でも、僕の中では、ただ単に「あ、コイツ、バカだなぁ」では終わらなかった。なんかわかるなこの感覚、って。

実際、僕はいま25歳だけれど、もしも今自分に子供が突然できたら、おそらく相当パニックになるだろうと思う。情けないけど、自分のことをまだまだ子供だなぁって思うし、人の親になるだけの覚悟がまだ自分には備わっていない。ブリュノもきっと、怖かったんじゃないかな。20歳にして、他人の人生を背負わなくちゃいけないっていう状況が。

すごく絶望的な気持ちになる映画なんだけれど、でも、救いもあった。赤ちゃんを売ってしまったブリュノが、ソニアに叱責されたあとで、渋々ながらも赤ちゃんを取り戻しに行ったこと。それによって、事態はさらに絶望的な方向に向かってしまったけれど、でも、このブリュノの行動にはすごく意味があったと思う。そして、ラストシーン。ネタバレはしないけれど、ここは素晴らしかった。この映画が感覚的にピタリとはまった人にとっては、きっと映画史に残るようなエンディングになったと思う。僕もそこまではいかなかったにせよ、強く心揺さぶられた。

”生きる”ということ、そして命というものの意味を、改めてシビアに考えさせられる力作。いつか自分が”親”になったときに、もう1度観てみたいなって思う。
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# by inotti-department | 2006-01-10 00:22 | cinema
『SAYURI』 ~「なんで英語!?」は禁句です~
e0038935_0204629.jpg満足度 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点)

『SAYURI』(2005、米)
    監督 ロブ・マーシャル
    出演 チャン・ツィイー  渡辺謙

9歳のときに置屋へ売られた千代は、姉とも離れ離れになり、たったひとりで芸者としての道を歩みはじめる。彼女の唯一の願いは、かつて自分を慰めてくれた紳士「会長さん」と再会すること。15歳になった千代は、一流の芸者・豆葉の妹分となり、彼女のもとで修行を開始。そんなある日、豆葉の紹介で会長さんと再会を果たすが・・・。

「なんで英語やねん?」
この疑問を、自分の中で消化できるかどうか。
日本人である僕たちがこのハリウッド映画を楽しめるかどうか、全てはこの点にかかっていると思う。

舞台は日本。キャラクターはみな日本人。当然、言語が英語である必然性は全くない。でも、交わされる言葉はオール英語。ときどきいろんなキャラクターが唐突に発する日本語は、なぜかカタコト。「なんで英語やねん?」この映画は、そのことに対して変な言い訳的な逃げ道はいっさい用意しない。「なんで英語かって?だって、ハリウッド映画なんだもん!」ある意味、潔いとも言えるけども(笑)。でも、ここで引っかかっちゃって抜け出せなかった人にとっては、たぶんこの映画はB級映画か、もしくはただのコメディになりさがってしまったかもしれない。

でもこれって、ハリウッド映画では珍しいことではない。例えば、ヨーロッパが舞台の映画で、現地の人たちがみんな当たり前のように英語のみを話す、そういう場面はよく目にする。でも、日本人の僕たちにとって、欧米人が細かくどういう言語を話しているのかということはあまり馴染みがないし、正直に言うとドイツ人とルーマニア人の顔の違いなんて区別がつかない。だから、ヨーロッパ系の主人公が英語で2時間押し切ったとしても、さほど違和感は感じない。

でも、この『SAYURI』は、舞台が日本だからね。日本人である僕たちは、この映画を観た全ての国の人たちの中で、最もそのことに対する違和感をおぼえざるを得ない。そもそも、チャン・ツィイーとかコン・リーなんかが、ときどき”なんちゃってジャパニーズ”を喋ったりするのが、気になって仕方がないのだ(この感覚は、今回に限っては日本人だけの特権ですね)。

でも、それを言ってたら、先へは進めない。そこはわりきって、いかにこの”米国人が作った日本映画”を楽しめるかどうか。せっかく1300円払うんだもん、細かいツッコミは我慢、我慢。

じゃあ、1本の映画として、この作品はどうだったか。なかなか面白い。何がって、やっぱり、”外国人が撮った日本の風景”だよね。『ロスト・イン・トランスレーション』のときも思ったけど、日本人が撮る絵とは、やっぱりちょっと雰囲気が違う。

この『SAYURI』に関しては、かなり監督の中で確固たる映像のイメージが最初から出来ていたんじゃないかと思う。着物、日本舞踊、お茶、温泉。ひとつひとつの描写が、すごく繊細で、そして美しいのだ。海外の人から見ると”日本らしさ”ってこういうことなのかなって、普段生活していても思い至らないようなことを、映画を観ながら考えたりした。

ストーリーもまずまず。決して派手さはないけれど、エピソードを丁寧に積み重ねることで、観客を飽きさせない。サユリの幼少期のエピソードを丁寧にじっくり描いていた点にも好感がもてた。普通、この手の映画って、開始5分とか10分ぐらいで主人公が成人になっちゃうものなんだけれど。序章がしっかりしていたぶん、中盤のストーリーに厚みが出たと思う。ずっと描かれる初桃とサユリのやりあいなんか、単純に面白かったしね。そして、映像、音楽とのハーモニーもとても素晴らしい。

ただ、どうなんだろう。もうちょっと話を整理できたんじゃないかな、っていう気は個人的にはしたけれど。サユリと会長の異質なラブストーリー、サユリと初桃の歪んだライバル関係、サユリと豆葉のユニークな師弟関係、時代に翻弄されたサユリの一代記。いろんなことを同時並行で描いていて、でも結局何が言いたい映画だったのかということは、もうひとつピンとこなかった。まぁ、テーマを絞るほどの大した話でもないから、あえていろんな要素をとりいれることで、映画に厚みをもたらそうという狙いもあったんだろうけど。それにしても、もう少しクリアにできなかったかなぁ。特に、後半の展開はどうもピンとこなかった。

俳優陣は健闘。アジアのオールスターキャストとしての意地を、十分にハリウッドに示してくれたと思う。チャン・ツィイー、コン・リー、ミシェル・ヨー。3人とも、日本人を英語で演じるという二重の難しさがあったと思うが、それぞれがすごく存在感を見せていた。特に、ミシェル・ヨーの貫禄が、個人的には強く印象に残った。

日本勢も頑張った。でも、やっぱり日本人の目から観ると、「この役を日本語で演じさせてあげたかったなぁ」って思っちゃうんだよね。特に、役所広司は、普段の良さの半分も出ていなかったと思う。まず英語っていう苦労が最初にあるぶん、セリフの言い方とか役作りに、全エネルギーを注げないっていう難しさがあったんだろうな、って。それを考えると、渡辺謙は、やっぱりハリウッド慣れしている強みがあるぶん、さすがの貫禄を放っていた。あと、桃井かおりも最高。英語の発音として、欧米の人にはどう聞こえるんだろうっていういらぬ心配は抱かせたものの、英語を通してもいつもの”桃井節”が健在だったのは素晴らしかった。

それにしても、日本が舞台の映画なのに、主演が日本人女優じゃないっていうのは悔しい!というか、日本映画界として、恥ずかしいって思わなくちゃダメでしょ。サッカーだって野球だって国際化の時代。俳優さんも、もっと世界に飛び出さなくちゃ。世界を股にかける国際派女優、そろそろ出てきてもいいんじゃないかなー。チャン・ツィイーに負けるな!でも、カワイイけどね(笑)
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# by inotti-department | 2006-01-09 01:18 | cinema
『古畑任三郎ファイナル第3夜 ラスト・ダンス』 ~素晴らしき完結。また観たい!~
e0038935_23453391.jpg『古畑任三郎 ラスト・ダンス』

脚本 三谷幸喜
出演 田村正和  松嶋菜々子


いよいよ最終夜。ゲストは松嶋菜々子。

彼女の役どころは、売れっ子脚本家。しかし、その正体は実は双子姉妹で、姉のほうが死体で発見される、という展開。

実は我が家では(家族そろって、最初のシリーズからの古畑好き)、この設定を耳にしたときから、誰が言い出すでもなくこんな会話が交わされていた。

「もしかして、オチは○○○じゃないのー?」
「いや、それじゃありきたりすぎでしょ」
「でも、古畑って、トリック自体はけっこうありきたりだったりするからね」

結論から言っちゃえば、この推理、ドンピシャで当たってました(詳しい内容は、ひょっとするとこれからビデオで観るっていう人もいるかもしれないので、伏せておきます)。といっても、うちの家族がとりたてて推理力に秀でたファミリーだという記憶もないので、おそらくかなりの人が今回のトリックは見破れたのではないかと思う。

これがもしも、推理をベースとした本格ミステリードラマであれば、この作品は失敗作ということになるかもしれない。でも、第1夜のあとにも書いたが、『古畑』に関してはそうじゃない。犯人はわかっている、トリックもなんとなく予想がつく、それでも抜群に面白い。それが、この『古畑』のスゴイところなのだ。

今回の話にしたって、三谷さん、このトリックで視聴者を騙そうという意図はさほど強くもってなかったと思う。もしもそういう意図があれば、かえでと古畑の待ち合わせシーンでの黄色いコートのくだりなんか、あんな風にあからさまに演出しないだろう。グラスに付着した口紅にしたって同じ。本当に騙したいんなら、もっといくらでもやりようはあったと思う。むしろ、あまりにも積極的にヒントを出しまくるので、僕はもうひとひねり裏があるのかと深読みすらしてしまった。

しかし、話が予想できたにもかかわらず、今回のストーリーは非常に素晴らしかった。物語としての完成度の高さは、3夜の中でも群を抜いていたと思う。キャラクターの掘り下げ、セリフの洗練、スリリングでユーモラスな捜査、そして、秀逸のラストカット。この『古畑』シリーズが12年かけて築きあげてきた全てが、力強く表現されていた2時間だったと思う。

松嶋菜々子も素晴らしかった。巧みに1人2役を演じ分けていたとかそういうことではなく、とにかく、ファイナルにふさわしい輝きを放っていた。かつて、人気絶頂期の山口智子がこの『古畑』に犯人役で出たことがあったが、あのときも同じようなことを感じたものだ。やっぱり、古畑さんの相手には、華のある美しい犯人がよく似合う。

あと、いまさらだけど、今泉って面白いよね(笑)。このキャラクターがこんな風に育たなかったら、『古畑』はここまで人気シリーズにはなってなかったかもしれない。西村雅彦っていう人は、やっぱりものすごい演技力を持った俳優だなぁ、と改めて感じさせられた3日間でもあった。古畑&今泉コンビ、これはもう日本のドラマ界が誇る最強の2トップでしょう。

そして、田村正和。あなた、いくつですか(笑)?松嶋菜々子とじゃ、親子ほどの年齢差があるにもかかわらず、あんなにダンスシーンが絵になるんだもん。ホントにすごい男だ。田村ー古畑というラインに関しては、”ハマリ役”なんていう言葉じゃ表現できない絶対的なものがある。だって、他の俳優がやる古畑なんて、もはや想像できないでしょ。

シナリオ、俳優、音楽。ドラマを構成するあらゆる要素がハイクオリティなバランスで調和した、傑作ドラマ。これほど完成度の高いテレビドラマには、今後もそうそうお目にかかることはできないだろうと思う。

願わくば、これで「ファイナル」なんて言わず、また新たな『古畑』として復活してほしい!かといって、『帰ってきた古畑任三郎』なんてのが作られたら、「じゃあ、あのファイナルは何だったんだぁ!?」って、それはそれで微妙なんだろうけど(笑)。
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# by inotti-department | 2006-01-08 00:23 | TV
『古畑任三郎ファイナル第2夜 フェアな殺人者』 ~イチロー、堂々たる俳優デビュー~
e0038935_2335824.jpg『古畑任三郎 フェアな殺人者』

脚本 三谷幸喜
出演 田村正和  イチロー


3夜連続ファイナル、第2夜の注目は、何といっても犯人役。
イチロー。言わずと知れた野球界のビッグスター、衝撃の俳優初挑戦である。

正直言って、僕は心配していた。この『古畑』シリーズは、ただでさえセリフが膨大なうえに、登場人物が少ないため、犯人役ともなるとほぼ出ずっぱり状態。ましてや、古畑と犯人のスリリングで軽妙なやりとりの面白さこそ、このドラマの生命線である。もしもイチローの演技がド下手かったら・・・・・。おそらく、観ていて体じゅうがかゆくなるような、悲惨な結果となってしまう。

しかし、いい意味で裏切られた!ビックリビックリ、イチロー、堂々たる俳優デビューであった。

演技がウマイとかヘタだとかいうことではなく、とにかく堂々としていることが、何よりも素晴らしかった。スポーツ選手って、CMなんかでもスラスラ喋れる人と棒読みになっちゃう人とハッキリわかれる(イチローなんかは、典型的な前者タイプ)けれど、その分かれ目は、”照れずにやれるかどうか”。少しでも恥ずかしさを残してしまうと、その”照れ”が動きやセリフに出てしまうのだ。

で、『古畑』のイチロー。全くといっていいほど、”照れ”がなかった。おそらくすごくドキドキしていただろうし、緊張も恥ずかしさもあっただろうけれど、彼はそれを決して表には出さなかった。演技のプロではないにせよ、出るからには最大限の力を注ぐ。そういう彼の本気っぷりが、観ていてとても清々しかった。スポーツ選手がオフにテレビではしゃいだりするのって、ともするとイメージダウンになりがちだけれど、イチローに関しては相当イメージが良くなったんじゃないかな。視聴率もすごく高かったようだし。

イチローって、普段のインタビューでもちょっと芝居くさい喋り方(よく考えてから言葉を発することが原因と思われる)をするから、それが幸いしたという面もあったと思う。それにしても、あそこまで自然にやれるっていうのは、素人としては驚異的。イチローよりヘタなアイドル女優なんて、星の数ほどいるからね(笑)。それにスタイルもいいから、絵になるしカッコイイんだ、これが。

しかし!ストーリーはどうしたことだ、ストーリーは。三谷さん、もうちょっといい話書いてあげてよ、せっかくイチロー出てくれたんだから(笑)。

といっても、三谷さんもまた彼なりに、自分自身にチャレンジを課してこのシナリオ作りに取り組んだのだと感じた。僕が購読している新聞の夕刊に週1回掲載される三谷幸喜の連載コラムによると、今回の脚本を書くにあたって、イチロー選手からは「ドラマの中でも自分はフェアな人間でありたい」という要望が出されたらしい。おそらく三谷さんはそのときに、”フェア”というキーワードを軸に脚本を書くことを決意したに違いない。

そういうテーマ設定は面白いんだけど、うーん、もうひとつ消化しきれなかったのかな。いろいろと無理が生じていたというか。ウソをつかないというわりに1回ついちゃったり(”お兄さんのためだから”という説明が後からなされていたが、どうせなら1回もウソはついてほしくなかったなぁ)、「私もフェアにいきます」と言いながら、最後の古畑の追い詰め方が全然フェアじゃなかったり、そもそも、あの素朴な向島さんが殺人に加担しちゃうっていう設定自体もあんまり個人的には好きじゃない。

でも、この第2夜は、コメディだったのだと思う。第1夜が王道ミステリーとしての『古畑』だとすれば、この第2夜はコメディとしての『古畑』。向島とイチローが腹違いの兄弟だという設定(こういうフザけた設定自体は、いかにも三谷幸喜的で大好き)しかり、向島が元甲子園球児だったというどうでもいいミニ設定しかり。「犯人は、世界一の肩と足を持つ男だ」っていうくだりも、くだらなくて大好き(笑)。トリックとか推理のもっていきかた自体は、本当に他愛のないものだったけれど、十分に楽しませていただきました。

さぁ、いよいよ『古畑任三郎』も次でファイナル。こうなってくると、ものすごく寂しくなってくる。さぁ、最終夜はどんな締めくくりになるのやら?
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# by inotti-department | 2006-01-07 23:40 | TV
『古畑任三郎ファイナル第1夜 今、甦る死』 ~凄い才能、藤原竜也~
e0038935_20334155.jpg『古畑任三郎 今、甦る死』

脚本 三谷幸喜
出演 田村正和
    石坂浩二  藤原竜也


さてさて、待望の古畑ファイナル。まずは第1夜。

いやぁ、やっぱり面白いよ、このドラマは。

話がどうこうということはまず置いといて、ドラマとしての”型”が完成されている。冒頭の古畑の語り→事件の発生→古畑の登場→古畑と犯人の対峙→CM前の古畑の語り→謎解き。流れがスマートでカッコイイ。事件やトリックの内容が多少物足りなくても、ドラマとしての”型”がパーフェクトだから、飽きないしダレない。タイトルバックも、音楽も、ドラマを構成する全ての要素が美しいハーモニーを奏でている。

ファイナル第1話。
コアなファンの方にとっては、ケチのつけどころもいろいろあったかもしれない。トリックはそれほど凝ったものではないし、事件の骨格に関しての見通しは大体途中で見当がつく。

でも、忘れちゃいけないのは、古畑はただの”本格ミステリー”ではないということ。犯人はわかっているけれど、それでもスリリングで、かつ面白い。適度にコミカルで、適度にミステリアスで、適度にドラマチックで。そんな古畑の魅力は、やっぱり健在だったと思う。

同時に、この物語は金田一耕助のパロディという面が強かったようだ(僕はリアルタイムで見てないので、詳しくはわからないが)。人里はなれた村、崇り、手毬歌、密室殺人。これぞミステリーというような、おどろおどろしい設定の数々。古くからのミステリーファンにとっては、石坂浩二(金田一を演じた俳優)と田村正和が同じ画面の中にいるだけで、感慨深いものがあったかもしれない。

でも、僕にとっての最大の驚きは、藤原竜也。素晴らしかった!前からウマい役者さんだとは思ってたけど、こりゃスゴイや。この人、本当にスゴイ演技をする。同世代の役者さんと比べても、実力は断トツでナンバーワンではないだろうか。でもウマすぎて、テレビという枠にはおさまらないタイプかもしれない。例えば、妻夫木聡なんかと比べると、良くも悪くも・・・(どちらが優れているということではなく、俳優としてのタイプの問題でもある)。

玄人の目から見れば、この藤原竜也のハツラツとして新鮮で無邪気な芝居をもたらしたのは、田村&石坂の”受けの芝居”ということになるのかもしれない。たしかに、田村”古畑”の圧倒的なキャラクターは言わずもがなだし、石坂浩二の懐の広い役作りも素晴らしかった。でも、でも、正直に言おう。この古畑ファイナル第1話の中で最も魅力的だった俳優は、間違いなく、3人の中では最も若い1人の天才俳優だった。彼が画面を駆け回った前半の1時間30分が、まぎれもなくこの第1夜のハイライトであったと思う。

さてさて、今夜は第2話。犯人役は、こちらは野球の天才、イチロー選手。

イチロー選手といえば、パーフェクトな”型”を持つ男。
古畑みたいな”型”を重んじるスタイルのドラマにはうってつけの人選だと思うのだが、さて、その出来やいかに。
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# by inotti-department | 2006-01-04 20:56 | TV
あけましておめでとうございます!
あけましておめでとうございます!
みなさま、よい新年を迎えられましたでしょうか?

私はといえば、おせち→おぞうに→おかし→みかん→すきやき→おせち→おぞうに→おかし→みかん、という元日スペシャルコースを満喫したおかげで、体重計が人生最高の数値を表示することとなりました(汗)。いやぁ、参った、参った。

お正月。子供の頃は、いくらテレビを観ても飽きなかったものだけれど、この年になると見るものないっすね。「芸人さん頑張ってるなーー」と思う程度で、これといってどうしても観たい番組もないし。

そんな中、昨日の夜は、NHKハイビジョンで『土方歳三 最期の一日』を観ました。良かったです、とても。実はハイビジョンは先行放送で、本チャンは3日のNHK地上波の方になるかと思いますので、詳しい内容に触れることは避けます。でも、お時間のある方は、ぜひご覧になってみてください。普通、”後日談”みたいな話って、オマケっぽい感じになって完成度が低いことも多いのですが、この『土方』に関しては、かなりしっかりした作りになっています。土方歳三という男のカッコイイ生き様が、ビシビシと画面から伝わってきました。

でも、実はこの『土方』の裏で、3日は『古畑任三郎』のファイナル・スペシャルが放送されるんですよね。同じ三谷脚本、しかも出演者もかぶっている(藤原竜也)のになぜ同じ時間!?という疑問はありますが、どちらも必見だと思います。『土方』に興味ある方は、どちらか録画するのがよろしいかと(笑)。

2006年前半は、三谷幸喜に要注目ですね。『土方』に『古畑』3連発、さらに1月14日からは監督作品『THE有頂天ホテル』が。これも、予告を観たかぎり、かなり期待できるのではないでしょうか。さらに3月には、渋谷PARCO劇場にて三谷さん初の歌舞伎が上演。これもすごく楽しみ!テレビで、スクリーンで、ステージで、円熟味を増した三谷幸喜の大活躍を目の当たりにできる年になるのではないでしょうか。

さぁ、とにもかくにも、2006年が始まりました!いったい、どんな年になるのやら?なにはともあれ、このブログをしっかり更新していくことを今年の目標の1つにしたいと思います。”しっかり”って具体的には?といいますと、そうですね、最低週3回は記事を書くことを目標にしたいと思います。昨年は、週1回ということもザラでしたので。。。

そんで、1年間しっかり映画や読書の記録をつけて、2006年の年末には、”年間ランキング”のような企画もやりたいなーと思ってます。さぁ、映画観るぞーー!本も読むぞーー!もちろん、仕事もしっかりやるぞーーー(笑)!

まずは3夜連続の『古畑』スペシャルに期待ですね。時間がうまくとれたら、感想も書きたいなと思ってます。
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# by inotti-department | 2006-01-02 22:59 | 自己紹介
『Mr. & Mrs. スミス』 ~ザ・エンタメ・ムービー!~
e0038935_22563862.jpg満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

『Mr. & Mrs. スミス』(2005、米)
 監督 ダグ・リーマン
 出演 ブラッド・ピット アンジェリーナ・ジョリー

早いもので、2005年も今日で終わり。

今年もたくさんの映画を観てきたが、とうとう最後の1本。
『Mr. & Mrs. スミス』。豪華スター競演の娯楽大作。
大いに笑って、楽しんで、とても良い1年の締めくくりになりました。

では、あらすじ。
結婚から5~6年。情熱的な恋愛関係は今や昔、スミス夫婦は深刻な倦怠期に突入していた。理由は明白。お互いに、重要な隠し事をしているからだ。ある日、ついに2人はその秘密を知ってしまう。2人は、それぞれ凄腕の殺し屋だったのだ。相手に正体を知られてしまった2人は、互いの組織の存続を賭け、自宅を舞台に殺し合いをはじめるが・・・。


なーーんて、あらすじだけ読むと妙にヘヴィーな感じがするかもしれないけれど、なんてことはない。その正体は、ポップで気軽な超おバカ映画(笑)。

いやいや、これ、褒め言葉ですから。今年もいろいろ大作系映画はあったけれど、けっこうシリアスなテーマのものも多かった(スターウォーズにしたってそうだしね)。そんな中、2005年の最後の最後にして、ようやく出てきた究極のエンタメ・ムービー!なーーんにも余計なこと考えないで、ただただスクリーンに身を委ねちゃえばいい。細かいことは言いっこなし。ただただ楽しんじゃったもん勝ちだ。

要するに、ただの”夫婦ゲンカ”。
「実は殺し屋なんです」なんてことはないにせよ、多かれ少なかれ、どんなおしどり夫婦にだって秘密の1つや2つはあるだろう。夫婦じゃなくって、カップルに置きかえたっていい。そして、その秘密が重大なものだったりすると、「何で黙ってたのよーー!」てな感じで、大変な修羅場を迎えてしまう。くわばら、くわばら(笑)。

そんなときは、大いにやりあっちゃえばいいのだ。といっても、スミス夫婦の場合、それが殺し合いになっちゃうところが異常なんだけれど(笑)。でも、散々銃をぶっ放しあったあとで、夫婦の絆はより深まる。愛を確認しあう。だって、相手のことを想っているからこそ、怒りとか悲しみの気持ちも湧いてくるわけで。互いに対してどんどん無関心になっていた映画の冒頭の状況と比べたら、ストレートに気持ちをぶつけてやりあうぐらいの方が、よっぽど健全なのかもしれない。

ブラピ&ジョリーのセレブ・パワー(?)が全開!これぞ、ビッグ・スター競演の醍醐味。演技力うんぬんじゃなく、2人がスクリーンにおさまっているだけで、なんだか胸がワクワクしてしまうのだ。おちゃめなブラピもグッドだったけれど、やっぱりジョリーだよなぁ。そのセクシー・パワーには参りました。はい。この人、いつのまにこんなにキレイになってたのだろう?でも、あの2人の息の合いっぷりは、やっぱり私生活が・・・。って、プライベートへの言及はやめとこう(笑)。

と、カタカタとキーボードを叩きつつ、テレビを見たり年越しそばを食べたりしているうちに、年が明けてしまいました(笑)。

みなさま、ハッピー・ニュー・イヤー!
”エンタメ!あれこれ百貨店”、2006年もよろしくお願いいたします!
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# by inotti-department | 2006-01-01 00:58 | cinema
村上春樹『1973年のピンボール』 ~新たな1歩を踏み出すために~
e0038935_0273543.jpg
満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

『1973年のピンボール』
村上春樹・著
1980、講談社文庫

村上春樹の再読作業を開始します!
と宣言しながら、すっかり間が空いてしまいました。すみません。

というわけで、よーーやく、第2弾『1973年のピンボール』を読むことができた。

では、まずあらすじ。
直子を失って以来、心を閉ざして淡々とした日々を過ごしていた”僕”。ある朝、”僕”が起きると、ベッドには双子が寝そべっていた。その日から、”僕”と双子との奇妙な共同生活が始まる。一方、”僕”のかつての友人・”鼠”は、そこから700キロ離れた街にとどまっていた。なじみの店であるジェイズ・バーで酒を飲みながら、新たに知り合った女との交際を楽しむ鼠。しかし、”僕”も鼠も、他人には触れられない孤独感を抱え、そんな日々に決着をつけることを考えはじめていた・・・。

と、あらすじをウダウダ書いても、この小説の面白さは少しも伝わらない。残念ながら。ストーリーの筋だけ追っていても気付けない良さが、この一風変わった小説にはあるのだ。

デビュー作『風の歌を聴け』の感想をブログに書いたときに、「これは”アマチュア春樹”の書いた小説だ」というようなことを書いたが、この『1973年のピンボール』もやはりその延長線上にあると思う。まだまだ、その後に開花するストーリーテリングの魅力は、この小説では爆発しきっていないからだ。

とはいえ、デビュー作と比べると、格段に技術が上達している。心を惹きつける個性的な文章、胸騒ぎのするストーリー展開(特に、後半のピンボール探しのくだりはとても素晴らしい)、余韻ある読後感。村上春樹の持ち味が、確実に、この第2弾から芽を出しはじめている。

さて、内容について。

<ここから、ストーリーの内容に関してネタバレ含みます。未読の方、ご注意を。>

物語の主役は、”僕”と”鼠”。2人の人物の物語が交互に描かれるという流れは、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や『海辺のカフカ』でも見られる、著者お得意のパターン。そして、その2つの物語は、最後まで交わらなかったとしても、必ずリンクしあっているのだ。

”僕”と鼠は、どうやら1970年の時点では、共に同じ場所で青春時代を過ごしていたらしい。しかし、それから3年経った現在、鼠は相変わらずその街にいるが、”僕”はそこから700キロ離れた場所に拠点を移している。そして、2人は全く連絡をとりあってはいないようだ。

まず、”僕”について。”僕”は、直子という女性を亡くした傷を、未だに引きずりつづけている。直子が死んだ時期については明記されていないが、おそらく、1970年の出来事なのだろう。そして、”僕”は街を出た。それから3年。”僕”の前に現れた、謎の双子。双子に誘われるように、”僕”は、かつてハマったピンボールの記憶を甦らせる。そして、その失われしピンボール・マシンを、なんとしても見つけ出そうと必死になる。

一方、鼠。鼠は、いまだに同じ街にいる。彼が街を出ようとしないのは、彼の中に、人生に対する一種の諦めのようなものがあるから。変化しても、どうせ人はやがて滅びる。その街で、様々な女と出会い、別れてきた鼠。そんな彼が、新たに出会った女。週1回のデート。満ち足りているかのように見える日々。しかし、彼は決意する。街を出よう、と。その前に、彼にはしなければならないことがあった。それは、彼女との別れ。

”僕”と鼠。一見、正反対の方向へ進もうとしているかのように見える2人の主人公。失われしものにすがり、”変わらずにそこにあるもの”の存在を信じようとする”僕”。一方、”いまそこにあるもの”から離れ、変化を受け入れようとする鼠。

街から”外”へ出た僕は”内”へ向かい、街の”内”にいつづけた鼠は、”外”へ向かう。

しかし。正反対の方向へ進もうとした2人の歩みは、実は結局のところ、同じ方向へ向かっていたのだということに気付かされる。ピンボール・マシンとの再会。それは”僕”にとって、失ったものとの永遠の別れの儀式でもあった。マシンを”彼女”と呼ぶ”僕”が話している相手が、ただのピンボール・マシンではないことは容易に想像がつく。”彼女”との別れ。”内”へ”内”へと向かった”僕”の旅路は、その儀式を終えたとき、はじめて”外”へと向かいはじめる。そして、双子は、”僕”の前から去る。彼女たちの役目は、そのとき終わったのだ。

一方、鼠も同じようなプロセスを辿る。彼女との別れ。親友ジェイとの別れ。そして、街との別れ。全ての儀式を終え、彼は、ついに街を出る。それは、心を閉ざしたまま日々を生きてきた青年にとって、はじめて、他者に心を開いた瞬間とも言えるのかもしれない。鼠がなぜ彼女と別れなければならなかったのか?と感じた人も多いかもしれない。でも、僕にはなんとなく、その気持ちがわかった。その街にいる限り、きっとやがて、彼女との恋にも終わりがくる。今までと同じように。鼠は、そう悟ったのではないだろうか。

新しい1歩を踏み出すためには、僕たちは必ず、過去の自分と向き合わなければならない。それが、どんなに辛い作業だとしても、その儀式は避けては通れない。”僕”と鼠は、その儀式を乗り越えた。何か(誰か)を失い、それを乗り越え、そしてまた新しい何か(誰か)と出会うために。人生とは、結局、その繰り返しなのだと思う。

「入口があって出口がある。大抵のものはそんな風にできている。」
最後の最後で、冒頭のこの言葉がジンワリと心の中にしみわたってきた。

と、少し話が理屈っぽくなった。でも結局のところ、僕が最もこの小説の中で好きなのは、”僕”と双子のユニークな日常だったりする。全く2人の見分けがつかない”僕”が、シャツの柄で区別しようと2人にニックネームをつけると、2人はそれをあざ笑うかのようにシャツを交換してしまうシーン。この場面なんか、最高に微笑ましくて、もう大好きなシーンだ。

何かを乗り越えようと思ったとき、僕らの側には必ず支えてくれる”誰か”の存在がある。
”僕”にとっての双子、鼠にとってのジェイは、そのことを象徴するような存在だったのだと思う。
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# by inotti-department | 2005-12-21 02:17 | book
『カーテンコール』 ~素材は良いけど、料理がヘタね~
e0038935_2201921.jpg満足度 ★★★★★☆☆☆☆☆ (5点)

『カーテンコール』(2005、日)
     監督 佐々部清
     出演 伊藤歩 藤井隆 鶴田真由

日本版『ニュー・シネマ・パラダイス』。
これ、この映画の宣伝用コピー。

なるほどなるほど。こういうあらすじなのである。

東京の出版社で働く香織は、仕事でのミスが原因で、福岡への異動を命じられる。そこで彼女が興味を抱いたネタ。それは、下関の小さな映画館に昭和30年代から40年代にかけて、映画と映画の間に形態模写や歌を披露して観客を沸かせていた芸人がいた、というもの。取材のため、しばらく会っていない父親が暮らす故郷でもある下関へ向かう香織。取材を重ねるうちに、映画館「みなと劇場」における、芸人・安川修平とその家族を巡る悲しい物語が浮かび上がってくる・・・。

ね。要するにこれ、古きよき時代の映画館を舞台にした物語、なのである。
まさに、『ニュー・シネマ・パラダイス』じゃないですか!というわけで、相当な期待をして劇場へ向かったわけなのだ(ちなみに、『ニュー・シネマ・パラダイス』は、僕の大好きな映画なのです)。

で、感想。
うーん、なんだか、すごくもったいない感じがした。つまらなかったわけじゃない。だけど、なんだかスッキリしない感じ。もっとスゴイ傑作になりそうな感じだったのに、いまいちパッとしない映画に終わってしまった、という印象なのだ。

素材は、最高と言ってもいいぐらい魅力的なもの。小さな映画館。幕間芸人。よだれが垂れてきそうな、絶好のキーワード。こんなおいしいネタ、よく見つけてきたなー。映画のアイデア自体は、100点満点だと思う。

というわけで、前半はとっても面白い。藤井隆演じる幕間芸人・安川修平の物語。すごく良い。そして、どうやら現在、修平は「みなと劇場」にはいないらしい。彼に何があったのか?いま、彼はどこに?映画の種蒔きとしては、申し分ない。

しかし、主人公・香織が修平の行方を追う展開になってから、物語がおかしな方向へ。

<ここから、内容に関してネタバレ入ります。未見の方は、ご注意ください。>

安川修平。彼は実は、在日朝鮮人だった。そんな修平に対する差別。そして、娘・美里もそんな生い立ちに翻弄され、やがて安川一家に悲しい別れが訪れる。

うーーーん。これ、必要だったかー!?映画館を舞台にした心温まる話かと思いきや、映画のテーマが少しずつブレはじめる。在日朝鮮人に対する差別。確かに、昭和という時代を語るうえで避けて通れない重大な問題なのだが、果たしてこの映画で扱うべきテーマだったのかどうか。。。こんな言い方も何だが、『GO』や『パッチギ!』を意識したんじゃあるまいか?と勘繰りたくもなる。

そして、この安川父娘の物語に、香織の青春時代の苦い恋の思い出が絡んでくる。これもよくわからん(笑)。なんだか、とってつけたようなエピソードに感じられた。話が、どんどん「みなと劇場」から離れていくことに、戸惑うばかり。

さらに映画は欲張る。安川父娘にダブらせるように、香織と父親が絆を取り戻すエピソードをくっつけていく。えーー、香織と父親の話なんて、前半ではろくに触れてなかったじゃん?それで泣かせようなんて、虫がよすぎる。僕はちっとも泣かなかった(むしろ、修平が妻と娘とともに最後のステージに立つ前半のハイライトシーンのほうが、何倍もグッときた)。

ひとことで言えば、語り口がヘタクソなのだ。例えば、修平の思い出を、映画館で働く絹代に語らせることだけで描くこと。例えば、韓国へ渡ってから、修平と出会うまでの道中の描写。例えば、美里が修平にやっぱり会いに行こうと思い立つまでの盛り上がりのなさ。過去と現在の繋ぎ方に、また感動の演出の仕方に、あまりにも芸がないのだ。

ツッコミどころはまだまだある。最初に出てきた伊原剛志が最後に登場しなかったこと。安川修平という人物の生涯が、1本の線として繋がって見えないこと。もうやめましょう、このへんで(笑)。

素材が良すぎたがために、欲張りすぎちゃったのだと思う。

映画と映画の間に芸を披露する幕間芸人が、かつて映画館には存在した。映画の斜陽化が原因で、彼は引退を余儀なくされた。そんな彼が、映画館が閉鎖される最後の日、数十年ぶりにステージに立つ。

これだけで十分だったのだと思う。余計なエピソードなどいらない。ただこれだけのことで、十分、感動的な映画になっていたはずだ。

もったいない。実にもったいない。この苦言のオンパレードは、すごく素材に魅力を感じたがゆえの、愛情溢れるものなのです。いや、ホントに(笑)。

ちなみに、本家『ニュー・シネマ・パラダイス』は、12月23日から期間限定でシネスイッチ銀座にて公開されます。こちらは、余計なエピソードのない、すごくシンプルな名作です。

観たことのない方は、ぜひこの機会にどうぞ。
そして気が向いたら、『カーテンコール』と見比べてみてください。
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# by inotti-department | 2005-12-19 23:02 | cinema
『親切なクムジャさん』 ~クリスマスに観ちゃダメよ(笑)~
e0038935_20541144.jpg満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

『親切なクムジャさん』(2005、韓)
     監督 パク・チャヌク
     出演 イ・ヨンエ  チェ・ミンシク

『オールド・ボーイ』っていう映画、観たことありますか?

スゴイんです、これが!スンゲー面白いんです!

お隣の国に、まさかこれほど成熟したエンタテインメント文化が育っていたとは。この映画を観たとき、日本は1歩も2歩も差をつけられてしまったなぁ、と僕は痛感した。まして、『オールド・ボーイ』の原作は、日本のマンガ。確か、日本の配給会社が映画配給権を買った金額が、原作の映画化権利額の何百倍だか何千倍だかになっていたとかいう話を、どこかで耳にした気がする。まったく、日本人としては情けなくなる話だ。

僕は劇場に2回観にいったほど、この映画にハマってしまった。で、いろんな人に薦めた。スゴイ映画があるよ、って。そしたら、返ってきた反応は真っ二つ。「面白かったよ、ありがとーー!」っていう感謝の声と、「オマエはなんちゅう映画薦めとんねん!」っていう抗議の声と(笑)。そう、何がスゴイって、ストーリーも映像もかなり過激なのだ。テーマが復讐っていうのも重いし、舌をちょん切ったりとかの目を背けたくなるような描写も少なくないから、決して万人ウケする話ではない。そのことを、すっかり忘れていたのだ(一方的に薦めてご迷惑をかけた皆さん、スミマセン(汗))。

で、『親切なクムジャさん』の話。
この映画の監督パク・チャヌクこそ、『オールド・ボーイ』を世に送り出した人。テーマは、またしても復讐。『復讐者に憐れみを』とあわせて、復讐3部作の完結編という位置づけらしい。さぁ、今度はどんなスゴイ映画になっていることやら。

では、あらすじ。
6歳の男児を誘拐し殺害した罪に問われ、13年の服役を命じられたクムジャ。刑務所の中で、彼女は困っている人をたびたび助け、その微笑を絶やさない表情から、”親切なクムジャさん”と呼ばれた。しかし、13年ぶりに外に出た瞬間、その表情は豹変。彼女の目的はただひとつ。それは、自分を無実の罪で刑務所に送り込んだ、事件の真犯人ペクに復讐することだった・・・。


いやぁ、これもまたスゴイ映画でございました。相変わらず重い。暗い。怖い。しかも、ときおりブラックな笑いもあったりするから、一体どんな顔して観たらよいのやら。

観客にあくび一つ許さないパワフルな演出は相変わらず。好き嫌いとか、ことの是非は置いといて、スクリーンから一瞬たりとも目が離せないそのパワーは圧巻のひとこと。心臓をわしづかみにされるような緊張と興奮のあとに、切ないような哀しいような、不思議な余韻が胸に残る。

とりあえず言えること。
クリスマスに恋人とか家族と見ちゃダメ(笑)。悪いことは言いません。黙って、ブラピかオールウェイズにしときましょ。

<以下、ストーリーに関してのネタバレあります。未見の方は、ご注意ください。>

十分に楽しめたんだけど、ちょっと物足りなさもあったかな。あんまり『オールド・ボーイ』と比べてばかりいても仕方ないんだけど、その差は何かっていうと、今回の映画にはミステリー的なドキドキがないこと。

『オールド・ボーイ』のスゴイところは、ハードな映像とシビアなテーマ、そしてミステリアスな謎解きが見事にミックスされているところ。一方、『親切なクムジャさん』は、クムジャさんの行動に関しては全て理由とか状況はクリアになっているので、観客としては、とにかく彼女の行動を見守ることしかできない。そのぶん、ドキドキやスリルはそれほどなくて、残されたのは、ただただ凄まじい彼女の復讐劇。ストーリー性がないぶん、余計に、胃の中をかきまわされるような不快な感覚が強く残る。

でも、後半の展開はスゴイのひとこと。たしかに”親切”だよね、クムジャさんって(笑)。それだけのシビアな状況にもかかわらず、そこに集まった人たちの会話が意外にコミカルなのも、とても面白かった。究極のブラックユーモア、というか。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」っていう言葉を、僕は思い出してしまった。その方法が正しいとは僕は思わないけれど、彼らの行動を観ながら、「やってまえ~!」って後押ししてしまうような気持ちって、みんな誰しも持ってるんじゃないかな。復讐心って、誰の心の中にも潜んでいるものなのだと思う。それが爆発するかどうかは、何かのきっかけひとつ、なのかもしれない。

でも、結局何も残らないんだよね。救われない。クムジャさんは、最後に、自分の方法が間違っていたことを知る。そして、観ている僕ら観客も。たしかに、途中は「やってまえ~!」って思ったけど、最後に残ったのは、嫌な後味だけ。

クムジャさんが望んだのは、ペクの血や叫び声なんかじゃなかったんだと思う。彼女が欲しかったのは、謝罪の言葉。「おれが悪かった」「許してくれ」ペクは最後まで、そういった言葉を発さなかった。そのひとことがあれば、彼女も多少は救われたかもしれないのに。そして、観ているこちらも。この映画が不快な感覚を残すのは、悪魔が最後まで悪魔のままだから。だったら、「やってまえ~!」って、そういう誤った展開になっちゃったのだと思う。

でも、救いはあった。ラストシーン。彼女を包みこむ”許し”。ペクには訪れず、クムジャには待っていたもの。許し。2人の違い、クムジャは謝罪した。自分は罪人だ、と。人に謝れるということ、それは、人と交われるということ。交わりたい、ということ。僕らが欲しいのは、憎むべき相手の苦悶の表情でも、復讐によるカタルシスでもない。人の温もり。ただそれさえあれば、僕たちは何度でも、失敗から立ち直れる。

復讐シリーズは、これで終わり。次はどんな作品を見せてくれるのか。
パク・チャヌク、いまや世界を興奮させる、要注目の監督です。
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# by inotti-department | 2005-12-14 21:53 | cinema
『エリザベスタウン』 ~音楽という名のマジック~
e0038935_2328195.jpg満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

『エリザベスタウン』(2005、米)
    監督 キャメロン・クロウ
    出演 オーランド・ブルーム 
        キルティン・ダンスト

『ザ・エージェント』『バニラ・スカイ』『あの頃ペニー・レインと』。キャメロン・クロウ監督の映画は何本か観てきたけれど、どれもなかなか印象深い良作だった。この監督に関しては、そうそう駄作は撮らないのではないか。そんな信頼を抱かせてくれる、数少ない監督の1人である。

というわけで、観てきました、『エリザベスタウン』!
CMなんかじゃ、「アカデミー賞最有力」などという、非常にうさんくさい宣伝をしている。で、観た感想。間違いなく、アカデミー賞は取らんよ、この映画(笑)。だって、そういうタイプの映画じゃないもの。


では、あらすじの紹介。
ドリューは、大手シューズメーカーで働く敏腕デザイナー。生活の全てを、仕事に注ぎこんできた。しかし、社運を賭けた一大プロジェクトでドリューは大失敗を犯し、会社に10億ドルの損失を出してしまう。社長から解雇を言い渡されたドリューは、家で自殺を試みる。そのとき、電話が鳴る。掛けてきたのは、妹のヘザー。父親が、故郷ケンタッキーで死んだのだという。ドリューは、遺言に従って父親の遺灰を海に撒くため、母と妹を残し、父の遺体の待つエリザベスタウンへと向かう・・・。


アカデミー賞が取れないからといって、誤解してもらっちゃ困る。別に、つまらなかったという意味じゃない。というか、むしろ、なかなか面白いですよ、この映画!

ハッキリ言って、ストーリーはなんのこっちゃわからない。ちょっと掴みにくい話だし、ウケを狙ってるんだかなんなんだかよくわからない「?」なシーンも多いし。コメディとラブストーリーとヒューマンドラマが、消化不良のままゴチャマゼになってるような印象。

でもなぜだろう。中盤あたりから、僕は不思議とこの映画の世界にズイズイと引きずりこまれてしまった。特にラスト30分は、もうすっかり虜になっていたといっても過言ではない。いったい何に魅かれたんだろう?ストーリーじゃないし。映像でもないし。

答えはひとつしかない。この映画の最大のマジック、それは「音楽」だ。

クロウ監督は、たしか映画監督になる前に音楽関係の仕事をしていたという話を聞いたことがある。だからなのだろう、この人の作る映画、いつもBGMのセンスが抜群に素晴らしい。

この『エリザベスタウン』の中でも、映画を盛り上げるために、効果的な場面で音楽がジャンジャン流れる。僕は全くの洋楽音痴なので、曲名とか歌手とかは全くわからないのだけれど、どの曲もすごくいいんだよなー。思わず座席の下で足踏みしながらリズムを取ってしまうような、小気味いい音楽が次々に聴こえてきた。

<以下、ストーリーに関して少しネタバレします。未見の方は、ご注意ください。> 

そして、この映画のハイライト。あそこしかないでしょう!名女優スーザン・サランドンによる、独壇場オン・ステージである。

ユーモアと愛情に満ち溢れたスピーチもすごく良い。そして、なんといっても極めつけは、名曲「ムーン・リバー」にあわせたタップダンス。このシーン、すごいです。鳥肌ものです。なんだかよくわからないんだけれど、気が付いたら涙が出てしまう。言葉ではうまく説明できないんだけれど、素晴らしい名シーンだ。

ラストもいい。さすがにラストシーンなので、詳しく書くのはやめときますが、すこぶる後味が良いです。ただ、ひょっとすると、この映画にあまり馴染めなかった人にとっては、「結局そういう終わり方かい!」って感じなのかもしれないが。でも、僕は大満足!「こうなったらいいなぁ」って思ってたとおりの終わり方だったので、ストレス・ゼロで劇場を後にできたしね(笑)。そしてこのラストシーンでも、音楽が重要な役割を果たしている。

最初の1時間は、この映画が言わんとしていることがサッパリわからなかったんだけれど、途中からなんとなくテーマがクリアになっていった。

どんなに絶望的な状況でも、人がいて、想いがあって、そしてそこに愛があれば、やっぱり人生は素晴らしいって思える。よーし、生きていこう!って。単純明快なメッセージなんだけれど、映画は2時間かけて、面白おかしくそんなことを感じさせてくれる。”エリザベスタウン”って、まるで御伽ばなしのような非現実的な空間なんだけれど、でもきっと、僕たちのまわりにはそういう世界が広がっているはず。そして、その世界をひとつにしたのが、あのスーザン・サランドンの拙いタップダンスだったっていうのも、この映画のユニークなところだと思う。

さて、キャストについて。オーランド・ブルームに関しては、はじめて本格的にリアリティある演技をしているところを観たのだけれど、まだよくわからないなぁ。とりあえずカッコイイことは間違いない(笑)。でも、個性が出てくるのは、まだこれからなのかなって気がした。なんか、日本でいうと妻夫木聡みたいな印象。無個性というか、ナチュラルというか。

この映画に関しては、女優陣のほうが魅力がよく出ていたと思う。スーザン・サランドンもさることながら、キルティン・ダンストもベリーグッド!この人、最初に『スパイダーマン』で見たときは、「えっ、これでヒロイン?(失礼!)」って正直思ったんだけど、どんどんキュートになってますね。クレアというキャラクターの魅力を、何倍にもアップさせていたと思う。きっと、すごく演技力のある人なんだろうな。これからが楽しみ。さっきアカデミー賞はないって言ったけど、ひょっとしたら女優賞はあるかもしれない。

ストーリーはピンとこなくても、不思議な感動と余韻が残る、素敵な作品。
マジックにかかりたい人は、音響の優れた劇場で、ぜひどうぞ。
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# by inotti-department | 2005-12-14 00:26 | cinema
伊坂幸太郎『魔王』 ~考えろ考えろ、マクガイバー~
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満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

『魔王』
伊坂幸太郎・著
講談社、2005


<あらすじ>
混迷する日本社会に、突如として現れたカリスマ政治家・犬養。今はまだ弱小野党の一党首にすぎないが、その明快で力強い物言いによって、国民の支持は急速に高まりつつあった。そんな状況に、”ファシズムの台頭”を予感して不安を抱く安藤。ある日、彼は自分に特別な能力が備わっていることに気付く。それは、他人の身体にイメージを重ねあわせて念じると、その相手に思い通りの言葉を喋らせることができる、という不思議な力だ。安藤は思考に思考を重ね、自分のとるべき道を模索しはじめる。


考えろ考えろ、マクガイバー。

主人公の安藤が、ことあるごとに心の中で唱えるこの”呪文”。安藤が子供の頃にテレビで見ていたヒーローものの決まり文句なのだが(って、どんなヒーローものだよ(笑))、これこそ、この小説のキーワード。

「行動する」という目に見えたアクションと比べると、地味で軽視されがちな「考える」ということ。僕たちが日々、どれだけのことをしっかり考えながら生きられているか。きちんと考え、選択して、世界と向き合えているかどうか。著者十八番の、軽妙でユーモアに溢れた文体で包みながら、そんなシビアな問いを投げかけてくる小説だ。

いつもの伊坂作品を期待していると、少し肩すかしを食らうかもしれない。絶対的な悪と対峙する勧善懲悪、爽やかで心地のよい後味、巧みな伏線と唸らされるオチ。そういったキーワードに溢れたいつもの伊坂ワールドとは、今回は少し趣きが違う。小説全体を、モヤモヤっとした得体の知れない空気が覆っているような、そんな不思議な雰囲気の物語だ。

この小説の重要なキーワードに、「ファシズム」「ナショナリズム」「憲法改正」といったものがある。この3つを煽るのが、カリスマ政治家・犬養。ここまで読んだ時点で、「おいおい、犬養って小泉首相のことか?」と誰もが勘付くだろう。もう少し物語を読み進めると、実はこの小説の舞台はもう少し先の未来(小泉的な人が改革半ばで倒れ、政治不信がさらに一層進んだ社会)であるということが判明するのだが、とはいえ犬養に小泉首相を重ねあわせる読み方は間違いではないと思う。

国民全体が、何かに突き動かされるかのように、ひとつの方向へと進んでいる社会。あくまでフィクションとはいえ、小泉自民党が歴史的圧勝を収めた現実社会が自然とオーバーラップしてくる。もちろん、作者自身もそれは織り込み済みだと思う。

最初、ちょっと読んでて嫌な感じだった。正直いって。なんだか、ファシズムとかナショナリズムについての議論がすごく浅く感じられたからだ。付け焼刃、というか。後半の短編『呼吸』(といっても、前半の『魔王』と後半の『呼吸』は、セットでひとつの”長編”だけど)で描かれる、憲法改正の是非に関する論議も同じ。入門編としては良いとして、小説のテーマにするには、ちと”一夜漬け”すぎる。

でも、途中で気が付いた。違う、違うぞ。この小説のテーマはそんなことじゃない。「ファシズムを止めろ」とか「独裁政治に気をつけろ」とか「憲法を改正させるな」とか、伊坂幸太郎が伝えたいのは、そんなメッセージじゃない。伝わってきたのは・・・

考えろ考えろ、マクガイバー。

物語のある場面で、犬養がテレビから国民にメッセージを送る。

よく、考えろ。そして、選択しろ。

安藤の弟である潤也の彼女・詩織は、そのときふとこう感じる。「犬養さんもお兄さん(安藤)も、よく似てる」と。思想的には全く相容れない2人の人物。彼らの唯一の共通点、それが「考える」というキーワードなのだ。2人とも、考えに考えを重ねた末、結果的に、全く違う思想に達したのだ。しかし、途中までのプロセスは、2人ともよく似ている。

それにひきかえ、僕たちはどうだろう?本当に、しっかり考えた末に、自分たちの思想を決定しているだろうか?「改憲」「護憲」「軍隊派遣」「戦力不保持」様々な考え方があるとして、果たしてどれだけのことを考えたうえで、その言葉を発しているだろうか?ただなんとなく、雰囲気だけで、思想をチョイスしてやしないか?

小説の中に、象徴的なエピソードがある。憲法改正に関する国民投票が目前に迫る中、詩織の会社で、大きなトラブルが発生する。社員たちは、そのトラブルへの対応に追われ、みんな「憲法改正」のことなど少しも考えられなくなってしまう。目の前で大変な問題が起こっているのに、のんきに憲法の話など誰もしていられない。

あ、そのとおりだな、って僕は感じた。確かに、例えば好きな人がいて、その人にどうやって想いを伝えようなんて考えているとき、世界情勢とか国会の動きなんてのは、どうでもよく感じられてしまう。例えば、主婦の人にとっては、憲法改正よりも夕飯の献立のほうが大切な問題かもしれない。

僕たちは、日々の暮らしに精一杯で、実感のわかないような問題に関してはときに何も考えられなくなってしまう。でも、本当にそれでよいのか?その間にも、世界は、社会は動いている。そして、最終的に、変貌した世界は、僕たちにも変化を迫るのだ。例えば、戦争とか。

国民投票当日。投票を終えた詩織は、こう感じる。「何か取り返しのつかないことをしたような気持ち」。たかが一票。でも、その積み重ねが、世界をつくる。例えば、100円からはじめた競馬が、単勝を当て続けることで、1億円になるように。されど一票。僕たちの選択には、常に責任がつきまとう。

何も考えない心にこそ、「魔王」は棲んでいる。

特別な力を持っているのは、何も安藤と潤也だけではない。僕たちは誰もが、特別な力を行使する権利と責任を持っている。そんなメッセージもこめられているのかもしれない。

小説の中では、いろいろな考え方が説明されている。安藤や詩織の同僚が感じる漠とした不安もよくわかるし、一方で、犬養支持者たちの理論にもなかなかの説得力がある。どちらが正しいのか、それは僕にはわからない。でもとにかく。考えろ考えろ、マクガイバー。

でたらめでもいいから、自分の考えを信じて、対決していけば、世界が変わる。

でも、僕が最も共感したのは、後半の『呼吸』の主役・潤也だったかもしれない。空を見上げ、ただただ鳥を観察することを仕事とする潤也。そんな彼を見ながら、詩織は、「鳥を探して、ただ呼吸する。それで、充分かもしれない」と思う。潤也は、ふと冗談めかしてこんなことを口にする。「いっそ、武器なんか持たなきゃいい。ヘタに持つから、狙われるんだ。丸腰の相手なら、誰も攻撃しようなんて思わない」

すごく子供じみているかもしれない。小説の中でも、あっさり詩織によって却下される。でも、究極的なことをいえば、こういう考え方こそ真実なんじゃないかって、僕は思う。

本音はオブラートで包む伊坂作品のことだ。
案外、これが本音なのかもしれない、なんて。
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# by inotti-department | 2005-12-11 11:09 | book
『ALWAYS 三丁目の夕日』 ~愛すべき"ダサダサ"映画~
e0038935_21234056.jpg満足度 ★★★★★★★★☆☆(8点)

『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005、日)
    監督 山崎貴
    出演 吉岡秀隆  堤真一  小雪 

何がヒットして、何がコケるかなんて、誰にもわからない。

とはいえ、まさかこの映画がこんなに大ヒットするなんて、僕は正直想像もしていなかった。『ALWAYS 三丁目の夕日』。同時期公開の『春の雪』が霞むほどの大ヒットである。

というわけで、またしても僕のミーハー魂が発動(笑)。たいして観たいとは思ってなかったんだけど、チェックしてきました!

で、感想。大して期待してなかったんだけど、いやぁ、素晴らしかった!2回泣きました。これはいいっすね、もう大好きなタイプの映画!

ちっとも新しくないし、ちっともカッコよくない。でも、最高に愛すべき、素晴らしい”ダサダサ”映画だったのである。

では、まずはあらすじ。
昭和33年。青森出身の六子は、自動車会社に就職するために、大きな期待を胸に東京へ。しかし、着いてビックリ。そこは自動車会社とは名ばかりの、小さな汚い自動車修理工場だったのだ。おまけに、経営者の則文は短気で粗野で口汚い。六子は不安を抱えつつ、新生活をスタートさせる。一方、その向かいで駄菓子屋を経営しつつ、小説家を夢見る茶川は、想いを寄せる飲み屋の女主人・ヒロミから頼まれ、縁もゆかりもない少年・淳之介を預かることになり・・・。

<以下、ネタバレ含みます。未見の方は、ご注意くださいまし。>

「昔はよかったよなぁ」
そういう言い方って、僕はあまり好きじゃない。僕らは今を生きてるんだから、必要以上に過去を振り返るべきではないし、必要以上に現在を憂うべきではないと思う。例えば会社とかで、「昔はもっといい会社だったんだけどなぁ」なんて言ってるベテラン社員なんかを見ると、「それなら今が良くなるように、少しは改善する努力をせえよ」とイライラする(笑)。

しかし。この映画を観た僕は、感じてしまった。
「なんか、いい時代だなぁ」って。

こういうノスタルジックな気持ち(しかも、僕はその時代を知らないというのに、だ)にさせてくれたのは、ストーリーももちろんだけど、映像によるところも大きいと思う。最初に、昭和30年代の下町を舞台にした人情もの映画の監督が、VFXの名手でありSF畑の山崎貴監督(『ジュブナイル』『リターナー』)だと聞いたときは、ちょっと意外な組み合わせすぎてイメージが沸かなかった。

でも、映画を観たら納得。さすが映像派の監督、素晴らしい仕事っぷりだ。街並みの映像のかなりの部分は、セットではなくCGで描かれているのだという。でも、僕はそれがCGであるという違和感は、ほとんど感じなかった(一部、なんだか人が浮いているように感じたシーンもあったけれど)。これこそ、まさに正しいCGの使い方だと思う。

ストーリーも素晴らしい。
物語は、自動車工場”鈴木オート”と駄菓子屋、その2箇所を基点に進められる。描かれるのは、家族の触れ合い。そして、人と人との繋がり。

鈴木オートの話は、鈴木夫妻、息子の一平、居候の六子、四者四様のキャラクターがとても良い。最初は、六子も則文も互いをあまり良く思っていなくて、ついに両者が本音をぶつけあったことで大衝突してしまう。このケンカのシーンが、気持ち良いぐらいにスカっとしていて、最高に面白い。そして、最後はお互いに「言い過ぎた」と謝罪しあい、わかりあう。ケンカを通じて仲良くなる、という古い手法だけど、最近こういうスカっとしたケンカとはすっかりごぶさただったので、なんだかすごく新鮮だった。それを見守る奥さんと一平も、ヌケてるんだけどツッコミは鋭かったりで、とても微笑ましい。

一方、駄菓子屋。こちらは、作家志望の茶川、飲み屋のヒロミ、2人が面倒をみる淳之介の3人の交流。いわば、”擬似家族”のお話だ。笑わせてもらったのは鈴木ファミリーの方だったが、僕が泣かされたのは2回ともこちらの茶川ファミリーのほうだった。

特に良かったのは、自分を捨てた母親に会いに高円寺まで行った淳之介が、夜遅くに帰ってくる場面。それまでは、一緒に行方不明になっていた一平を責めたりするばっかりで、少しも心配する素振りを見せていなかった茶川が、短気な則文よりも速く淳之介の頬をひっぱたく。「心配させるな!」そして、やさしく抱きとめる。いつもはヘラヘラしてるだけの茶川が見せた、”父親”の顔。ここは泣いたなぁ。ベタなんだけど、素晴らしかった。

そのほかにも、笑えるシーン、泣けるシーン、心がジーンと温まるシーンが目白押し。なんだかかゆくなるぐらいにベタベタでダサダサなんだけど、ひとつひとつのシーンが微笑ましくて、「こういうの、なんかいいなぁ」って、僕はずーーっとそんな風に感じていた。

さっき、「なんか、いい時代だなぁ」って書いたけど、ひょっとしたら、別に時代がどうのこうのって話じゃないのかもしれない。「いいなぁ」って感じたのは、時代じゃなくて、その中で生きていた人々の姿。生き方。携帯電話も電子メールもなかったけれど、スクリーンの中の人々は、間違いなく繋がっていた。人と人が繋がってるって、こんなにも素晴らしいことなんだって、そう思ったのだ。貧しくても、物がなくても、人はこんなに想いあえる。幸せになれる。

役者たちが素晴らしい。主要キャストが、揃いも揃ってみんな最高の演技をみせている。子役の無邪気さ。小雪の気高さ。吉岡の表現力。みんな素晴らしい。さらに、最高にキュートな、津軽弁を駆使した堀北真希の演技。

でも、あえて2人挙げるなら、やっぱり鈴木夫妻を演じた堤&薬師丸コンビかな。役者としてあまりにもタイプ違うこの2人が、こんなに息のあった夫婦像を見せてくれるとは。これこそ、演技の醍醐味。短気で口は悪いが、情には人一倍厚い父親。おっとりしてて、でも芯は強くて、だけどやっぱりおトボケの母親。誰もが大好きになる理想の夫婦を、2人が最高の演技で表現している。特に、薬師丸のお茶目な母親には、もう参りました。

と、褒めに褒めに褒めまくりましたが、最後に唯一の欠点を。映画の中盤、一平と六子と淳之介のもとに、サンタクロースからプレゼントが届く。これ自体は、すごく感動的で微笑ましい良いシーンなんだけど、ちょっとその表現方法に問題が・・・。この映画、もし子供が観たらどうすんのよ?というか、このタイプの映画だから、おそらくファミリーで観る人もたくさんいるだろう。しかし、これマズイよ。こんなにリアルに開けっぴろげにサンタクロースの正体について触れた話を、僕は正直聞いたことがない。ここ、唯一、すごく残念だったところ。ほかに方法なかったかなぁ。

とはいえ。いい映画です、ホントにこれは。ベタベタ系が好きな人には、もうたまらない映画だろうと思う。今年の映画賞、『パッチギ!』と『メゾン・ド・ヒミコ』の一騎打ちだと思ってたけど、思わぬところから対抗馬が現れた。
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# by inotti-department | 2005-12-07 22:57 | cinema
映画『春の雪』 ~価値ある日本映画!しかし・・・~
e0038935_2113151.jpg満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

『春の雪』(2005、日)
     監督 行定勲
     出演 妻夫木聡  竹内結子

僕の大学時代の恩師が最も敬愛する作家、それが三島由紀夫だった。そして、その恩師が三島の最高傑作と称してやまなかったのが、『豊饒の海』4部作だった。

また、僕の大学時代からの親友で、卒論で三島由紀夫について書き上げた男がいるのだが、彼は「豊饒の海シリーズの中でも、圧倒的に面白いのが、第一作の『春の雪』」と断言していた。

そんなわけで、生まれて1作も読みきったことのなかった三島作品(実は高校時代に1度チャレンジしたのだが、文章がスーっと入ってこず、やがて挫折してしまった経験がある)に、『春の雪』で今さらながら初挑戦したのだ。よくある”「読んでから観る」or「観てから読む」”論争で言えば、僕は前者の道を選んだのである。

で、先読みの感想。いやぁ、ぶったまげました!すんげえ面白い。そんな陳腐な言葉で表現していいのか悩ましいほどの、圧倒的な読み応え。とにかく素晴らしいのが、その表現力、描写力。ページを10ページ進めても、表面的な物語は何一つ進んでいなかったりもする。しかし、その圧倒的な日本語表現の豊かさによって、激しく心揺さぶられ、感動的なまでにその風景や情感が変化するのだ。まさに、小説を読むということの醍醐味が、その文章には満ち溢れていた。

そして、映画版をついに観た。監督は、『GO』『世界の中心で、愛をさけぶ』でお馴染みの行定勲。僕の大きすぎる期待に見事に応える、堂々たる日本映画の良作に仕上がっていた。でも一方で、原作を先に読んだがゆえの、不満や違和感もチョコチョコと・・・。

では、まずはあらすじ。
松枝侯爵の息子・清顕。汚されることを嫌い、常に冷静さを保つ彼が唯一ペースを乱される相手、それが綾倉家の娘・聡子の存在だった。2人はやがて互いの想いを確認しあい、深く愛しあうようになる。しかし、そんな中、聡子に宮家との政略結婚の話が持ち上がる。2人は別れを余儀なくされるが、聡子を諦めきれない清顕は、許されぬ愛へと踏み出していく・・・。

<以下、ネタバレ含みます。未見(あるいは未読)の方は、くれぐれもご注意ください。>

まず素晴らしい点。それは、ナレーションという手法を用いなかった、ということ。これは驚いた。原作において丹念に丹念に綴られるのは、清顕の繊細で複雑な心の揺れ、葛藤。それをしっかり表現するためには、おそらく映像とセリフだけでは辛いだろうから、ナレーションである程度清顕に語らせるしかないだろう。僕はそう予想していたのだが、行定監督はそういう安易な方法は取らなかった。あくまでも、映像と音楽とセリフと役者の表現で勝負する。その意気込みが、素晴らしいと思ったのだ。

しかし、ひょっとすると、その手法を取ったことが、この映画の方向性を決定したのかもしれない(詳しくは、またのちほど)。

脚本も大健闘。あれだけの壮大な物語だ。どこを使ってどこをカットするか、とても困難な作業だったと思うのだが、ベストとは言わないまでもベターな凝縮版になっていたと思う。行定監督は、原作ものの映画化を好む人だが、決して物語を破綻させない。そのバランス感覚は、いつもながらスゴイなぁと感心させられる。

映像も美しい。大正という時代の空気。現代的かつ中世的、そして東洋的かつ西洋的、そんな特殊で神秘的な時代を、見事にスクリーンに表現できていたと思う(って、オマエ生まれてないやろ、と自分にツッコミ(笑))。話はそれるけど、あの時代の上流階級の人ってオシャレだったよなー、なんてことを感じた。日本人にも、あんな風にオシャレできていた時代があったんだなぁ。

そう、とても良い映画なのだ。今年観た日本映画の中でも、間違いなくトップの方にくる出来ばえだったと思う。それに、三島由紀夫という日本人が世界に誇るべき才能の再評価を新たに促したという点でも(現に、僕はこの映画がきっかけで三島文学と出会うことができたのだ)、とても価値ある日本映画だったと思うのだ。

と、ここまで褒めちぎっておいて、以下に苦言を書きます(笑)これは僕の個人的な感じ方なので、もちろん人それぞれだとは思いますが。

<ということで、以下、ネタバレしつつ言いたい放題。>

ひとつ気になったこと。それは、「原作を読んでいない人にとって、この松枝清顕という人物は、どういう風にとらえられたのだろう?」ということ。ひょっとしたら、ただのクソガキ、ハナタレ小僧。そんな風にしか、映らなかったのではないだろうか?

しかし、原作を読んだ方はおわかりだと思いますが、ことはそんなに単純ではない。この男、ものすごく屈折していて、面倒くさい男なのだ。

清顕という男。彼は、美しいもの、あるいは美しくあることを好む。彼にとって、感情を表に出すというのはとても醜い行為なので、彼は常に冷静でクールでいようとする。また、他人から支配されることも好まない。しかし、そんな彼が唯一そのペースを乱される相手、それが聡子なのだ。

例えば、序盤に、聡子から「私がいなくなったら、清様はどうする?」と問いかけられ、清顕がその晩に聡子が死ぬ悪夢を見るというエピソードがある。これなどは、まさにその象徴。そしてその後、聡子の問いの意味を知り、安心すると同時に自分を弄ぶ聡子に腹を立てた清顕は、聡子に仕返しに屈辱的な手紙を送るのだ。

このあたり、清顕という人物を表現するうえですごく大事なシーンだったと思うのだが、うーん、どうだろう。あれだけサクっと物語を進めてしまって、果たしてちゃんと伝わっただろうか?僕は不十分だったと思う。

それから、本多という友人に関して。原作における彼の位置づけはすごく微妙で、清顕のそういう繊細な面を最も理解し、最も嫉妬し、最も愛した男。それが、この本多という男なのだと僕は感じた。ところが、この映画版においては、本多のそういうカリスマ性のようなものが、全く表現されていないのだ。それどころか、前半の使われ方などは、清顕と聡子の恋愛模様を盛り上げるための一道具のようになってしまっていた。これは、すごく残念な点だった。

小説『春の雪』を読んで、僕が感じたこと。それは、「絶対的な美を愛し、全てを自分の思い通りに支配することを望む男が、その信念(美意識)と、それに反する聡子への感情の狭間で激しく葛藤する物語」ということだった。小説は、その葛藤を堂々と5:5の比率で描いているが、映画版はその比率が若干違うのだと思う。4:6か、あるいは3:7か。とにかく、信念とか美意識うんぬんの話は薄めておいて、ラブストーリーとしての側面が濃くなっているのだ。小説と映画における本多のキャラクターの違いなどは、まさにその象徴だと思う。そして、先に書いたナレーションの有無という問題も、ひょっとするとこのあたりに理由があるのかもしれない。

ちなみに、映画は2時間半あるのだが、聡子の政略結婚が決定するまでがちょうど1時間。そして、その後の禁断の愛が1時間半。このバランス、僕は逆で良かったかな、という気がする。前半部分にもっと時間を使えば、もっと清顕の人物像を掘り下げることができたと思うのだ。

僕が、この物語の最大のハイライトだと思うシーン。それは、聡子の婚約以来、沈黙を守っていた清顕が、ついに意を決して聡子に会いに行くシーン。そして、そこで2人は、ついに結ばれる。

ここ、小説と映画でハッキリ方向性が分かれた象徴的なシーンだと思う。まず、小説。この決断に至る清顕の葛藤の描写が、もう圧巻なのだ。美意識か、聡子への素直な想いか。どちらを取るかで葛藤した清顕の心に訪れる、ある発見。誰もが反対し、絶対に許されぬこの状況で、聡子を愛すること。これこそ、全てを自分が支配するということではないか!これこそ、究極的に美しいということではないか!2つのベクトルで揺れ動いた清顕の心が、ついにひとつとなって飽和する瞬間。動き出す清顕。これがスゴイのだ。

一方、映画。破り捨ててしまった、聡子からの手紙。その欠片を拾いあげた清顕が目にする、「清様」の文字。愛する聡子、僕はやはりあなたを愛している!走る清顕。悪くない。でも、うーん、ちと浅い!でも仕方ない、映画は前半で、美意識うんぬんの話をほぼ放棄しているのだから。恋愛物語として動き出してしまった物語は、こうやって進むしかないのだ。

これを、役者のせいにするのは酷だと思う。確かに、原作をベースに考えるならば、妻夫木聡は清顕の屈折した繊細な心を表現しきれていたとは言いがたい。ひょっとしたら、彼の子供っぽい一面が、今回は悪い方向に作用してしまったかもしれない。でも、彼が演じたのは、小説ではなく、あくまでも脚本なのだ。脚本がラブストーリーとしての側面を重視した以上、彼の演技もそうなってしかるべきだ。そういう意味で、妻夫木聡の演技は、よく頑張っていたと思う。

竹内結子も良かった。特に、僕がハッとさせられたのは、「聡子が書いた手紙を宮家にバラされたくなかったら、僕とこれからも会いつづけろ」と脅す清顕に、困ったような顔をしながら、でも喜びを隠せないという聡子の表情の芝居。これは素晴らしかった。本音を言うと、僕がイメージしていた聡子にはもう少し”魔性”的なところがあったのだが、まぁでも、竹内版聡子も十分に魅力的だったと思う。

長くなりました。でも、こんな風にいろいろと言いたくなる。それだけの魅力が、この映画にはあるということ。そろそろ公開も終わりますが、興味がおありの方は、ぜひ劇場でどうぞ。そして映画を楽しまれた方、ぜひぜひ原作もどうぞ。
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# by inotti-department | 2005-12-04 22:44 | cinema
『イン・ハー・シューズ』 ~家族の愛は、全てに勝る~
e0038935_03565.jpg満足度 ★★★★★★★☆☆☆(7点)

『イン・ハー・シューズ』(2005、米)
   監督 カーティス・ハンソン
   出演 キャメロン・ディアス  トニ・コレット

「あなたは、どんな映画が好きですか?」

こんなバックリした質問をされたら、とっても答えに困る。「アクションもの」とか「ハッピーエンドの話」とか、答え方は人それぞれだと思うけれど、僕ならウーンと考えたあと、おそらくこう答える。

「家族もの。もしくは、友情もの。」

家族や友達の物語、僕は大好きなのだ。特に、仲の良くなかった家族(友人)が仲直りする話とか、ケンカばかりしてる友人同士(家族)がナンダカンダで固い絆で結ばれてる話とか、もうたまらないものがある。

で、この『イン・ハー・シューズ』である。
気のせいだろうか、この映画、あまり話題になってない気がする。でも、いいですよ、この映画。すごく良い。とりあえず、僕が先に挙げた2つの要素を、この映画はパーフェクトに満たしている。

女優2人も素晴らしい。キャメロン・ディアスは、魅力全開。この前テレビでSMAPの稲垣吾郎が「キャメロンを嫌いな男はいないでしょう」って言ってたけど、なんかわかる気がする。アップになると、さすがに肌の衰えも見えはじめてきたが、でも持ち前のキュート&セクシーっぷりは相変わらず。姉役のトニ・コレットも、はじめて観たけど魅力的な女優さん。今回は”ブサイク役”だけど、この人、とてもキレイな顔をしていると思う。表情とか仕草の演技がなかなかウマくて、すごくいい味を出していた。

ではでは、あらすじの紹介。
堅物の女性弁護士ローズの頭痛の種は、美人だが生活が乱れっぱなしの妹・マギーの存在。その夜も、ローズが彼氏と過ごしているところに電話が入り、迎えに行くと、マギーはベロベロに泥酔していた。義母から家を追い出されたマギーを、ローズは仕方なく家にあげる。しかし、ローズの家でマギーが起こしたある事件がきっかけで、2人の間には修復しがたい亀裂が生じてしまい・・・。

<以下、ネタバレ含みます。未見の方は、ご注意くださいませ。>

決して派手さはない話だが、その語り口に関しては、ほぼパーフェクトと言っていいぐらい欠点が見当たらない。

主人公の姉妹のキャラクター設定が、それぞれにとても素晴らしい。性格も仕事も恋愛も全く正反対の2人。お互いに、自分の人生観とあまりにも違う生活を送る相手に対してイライラを隠そうとしない。そして妹は、姉に反発するあまり、とんでもない過ちを犯してしまう。

ひょっとすると、映画を観た方の中には、このエピソードの時点で主人公マギーに見切りをつけてしまった人もいたかもしれない。たしかに、このマギーの行動は、許しがたいぐらいに残酷なものだ。でも、この映画の見事なところは、ここに至るまでの描写がとっても丁寧な点。例えば、マギーがこの行動に至るまでの葛藤。彼女なりの孤独と恐怖、そして、それを姉に理解してもらえなかった悲しみと嫉妬。そういった心の揺れを、映画は丁寧に描いているため、余計にこのエピソードが生きるのだ。まぁ、だからといって、許されるってもんでもないだろうけど(笑)

それから、姉妹がカフェで笑いあうシーン。物語を進めるうえではなんてことないシーンなんだけど、こういうシーンをさりげなく前半に織り込んでいるところもウマい。2人が性格が違っても、心の底の部分では固い絆で結ばれているということが伝わってきて、とても微笑ましい。

そして、終盤。ローズの婚約者サイモンは、妹のことなど自分のことをほとんど話そうとしない秘密主義者のローズに嫌気がさし、婚約を解消してしまう。そこでの、涙を流しながらのローズの告白が感動的。「妹の話はできない。それをしたら、妹がサイモンから嫌われてしまうから・・・」

どうだ、この姉妹愛!絶対には許さないとか口では言いながらも、やっぱり妹への愛情は揺るぎないのだ。さらに、母の死因が実は自殺だったということを、妹を守るためにローズがずっとマギーには隠していたことが判明して、僕は完璧にノックアウト。いやぁ、参った。素晴らしき、家族愛。それが女同士っていう点が、またグッドなのだ。家族もののような、友情もののような、どちらにせよ清々しい感動が、この映画にはある。

やっぱりいいよね、家族って。どんなに許しがたいようなことをされても、どんなに救いようのないケンカをしようとも、家族はやっぱり家族なのだ。それは、決して揺るがない。例え世界中が敵になろうとも、唯一守ってくれる人。家族の愛は、全てに勝る。


と、ちょっとクサイことを言ってしまいました。ま、要するに、家族フェチなのです(笑)

もしも同じようなご病気をお持ちの方がいらっしゃいましたら、この映画、ぜひぜひオススメします。あ、もちろん、そうでない方にも(笑)。誰が見ても決して不満のでない、そんな良作だと思います。
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# by inotti-department | 2005-12-04 01:01 | cinema
『Mr.Children DOME TOUR 2005 "I ♥ U"』 ~<レポート後編>”また会いましょう!”~
※ 今回の記事は、ミスチルのライブレポートです。曲目含め、ネタバレをガンガンしてしまいますので、これからツアーへ行かれる方は、くれぐれも、くれぐれもご注意くださいませ。


『ランニングハイ』が終わって一息ついているうちに、いつの間にかステージには、ギターをもった桜井さんがひとりで座っている。この時間は、何を歌うかは桜井さんひとりに任されているという”弾き語りタイム”。さぁ、何を歌うのか?

歌い始めたのは、名曲『抱きしめたい』。そう来ましたか。誰が何と言おうと、やっぱりこの曲はいい。いろんなことを経験して、いろんな曲を書くようになったいまの桜井さんが歌うからこそ、ああいう響き方をするのだろうなと思う。だからだろう、いつも思うのだけれど、この曲に関しては、ライブのほうがCDで聴くよりも何倍も素晴らしい。ちなみに、2番の入りで音程を外して、観客も桜井さんも大爆笑。このハプニングのおかげで、2番の響き方が全然変わったのも、ラッキーなプレゼントだった。

そして、『ラララ』『蘇生』『Worlds end』の3連発。ひとことで言うなら、「前へ突き進む」というイメージ。詩の内容もそうなんだけど、やっぱり”音”の力なんだろうなぁ。力強さ。そう、ミスチルはよく桜井さんのワンマンバンドだと言われるし、確かにその通りなんだけど、でもあくまでもソロではなくバンドなのだ。ロックバンドだろうがポップスバンドだろうがどっちでもいいんだけど、とにかく彼らはバンドなのだ。そんなことに、改めて気付かせてくれた。僕は音楽の専門家じゃないから、ギターがどうのとかドラムがどうのとかはあんまりわからないけれど、でも演奏の素晴らしさだけはハッキリと感じることができたライブだった。

そして本編クライマックスは、『Hallelujah』~『and I love you』。この繋ぎがスゴかった!ミスチルは毎回必ずこういう繋ぎで感動させてくれる(『ポップザウルス』の『花』しかり、『シフクノオト』の『掌』しかり)のだけれど、今回のスケールは特に圧巻だったと思う。『and I love you』って、シングルで聴いたときはそれほどスゴイ曲だとは思わなかったんだけれど、このライブでの響き方は鳥肌ものだった。

ここで本編が終わり、いったんメンバーが引っ込む。そして、アンコール。

ここでふと考える。あと歌ってない歌は?アンコールだから、せいぜい多くて4曲。『未来』と『Sign』はやるだろうし、『終わりなき旅』『名もなき詩』あたりもきそうだし。意表を突いて『ヨーイドン』もあるかなぁ?

結局やったのは、『未来』『僕らの音』『潜水』の3曲。全て、最新アルバムからのナンバー。いやぁ、なんともミスチルらしいチョイス(笑)。『僕らの音』はアルバムの中でも大好きな曲だったから、生で聴けたのはハッピーだった(そして、本当に素晴らしい演奏だった)んだけど、正直アンコールでやるとは思わなかった。

そしてそれは、最後の『潜水』も同じ。曲を始める前に、「最後の最後に歌うこの曲の最後のフレーズこそ、いま僕たちが伝えたいことの全てです」というMCが入ったときは、てっきり『Sign』かなぁと思った。アルバムを最後を飾る歌でもあるこの曲は、”生きてるって感じ”というフレーズで終わる。でも、案外、桜井さんが指してたのは、そのあとの

”ラララ”

だったりして、なんて僕は思ってもいる。”音”を届けようとした今回のライブに最もふさわしいのは、ハッキリしたフレーズより、案外”ラララ”っていう音のほうなんじゃないかな、なんて。

以上、全23曲。大満足の3時間。

そうそう、最後にもうひとつプレゼントが。会場が明るくなって、退場するときに『Sign』のCDが流れたんだけど、なんと桜井さんがワンフレーズだけマイクを通して歌ってくれたのだ。その前に、かなりの観客の人たちがCDに合わせて合唱してたから、それに応えてくれたんだと思うんだけど、これはすごくハッピーな瞬間だったと思う。もちろん、『Sign』歌って~!っていう想いから起きた現象だったんだろうけど、僕にはなんだか、奇跡的な瞬間に感じられたのだ。やっぱり、音楽ってスゴイ、って。

最後に、全体通しての感想をちょっとだけ。

今回のセットリストに関しては、おそらく不満を持った人もすごく多かったと思う。シングルが少なめで、アルバムの中の曲がほとんどだったから(事実、僕が一緒に行った(ムリヤリ連れて行ったという説もあるが(笑))、決して熱心なミスチルファンではない友人は、「”シフクノオト”ツアーに比べて、地味な曲が多かった」と感想を語っていた。もちろん、”すごく楽しかった”と満足していたけれど)。僕だって、大満足だったとはいえ、あれをやってほしかった!っていう曲をあげだしたら、もうキリがない。

でも、それがミスチルなのです。良くも悪くも。彼らは、決してファンや世間に媚びたりしない。そりゃ、「ここで”シーソーゲーム”でもやったら、ファンは大喜びするだろう」って、彼らだってわかっている。でも、そういう安易な安売りは決してしない。だからこそ、消費されてすぐに消えていく他のアーティストと違い、ミスチルは長くトップに君臨しつづけているのだと思う(そういう意味じゃ、アルバム出すのに7年かけちゃうサザンなんかは、まさにその先駆者ですね)。

常にCDが100万枚近く売れ続けるトップバンドでありながら、決してファンや世間に媚びることなく、自分たちの伝えたい音楽を鳴らしつづける。しかし同時に、「わかる人だけわかってくれればいいや」というアングラ的な姿勢ではなく、常にファンや世間の存在を意識して、セールスも一流のポップバンドとしての地位を保ち続ける。それが、自らを”ポップ・ザウルス(ポップスの恐竜)”と名付けた、彼らの宿命なのだ。

このギリギリの孤独な戦いをつづけるためには、すごく大きなモチベーションが欠かせない。これまで彼らは、常にアルバムを出しライブを行うたびに、新たなモチベーションを見つけて戦いつづけてきた。今回は、それが”音を鳴らす”ということだったのだと思う。

さて、このツアーが終わったとき、彼らはどんなモチベーションを発見するのだろう?そしてそのモチベーションを、いつまで保つことができるだろう?全力疾走しすぎて燃え尽きないといいんだけど、なんて余計な心配もしたくなる。

でも今はとりあえず、今日の喜びに浸りつつ、また次の新曲を待つとしよう。

「また会おうね!」その言葉を胸にしまって。
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# by inotti-department | 2005-11-29 00:14 | music
『Mr.Children DOME TOUR 2005 "I ♥ U"』 ~<レポート中編>さまざまな”愛”のかたち~
※ 今回の記事は、ミスチルのライブレポートです。曲目含め、ネタバレをガンガンしてしまいますので、これからツアーに参加される方は、くれぐれも、くれぐれもご注意くださいませ。

さて、7曲目から、それまで上がりっぱなしだったテンションがまた少し変化する。

この歌を始める前のMCで、桜井さんがこんなことを言っていた(これまた、うろ覚えです)。『自分たちにとっての答えのようなものが書いてあるような気がする曲』

さーて、何を歌うのだろうか?ここで『終わりなき旅』とか『名もなき詩』とかだったら「なるほどね~」って感じだったのだろうけど、まさか『くるみ』を歌うとは。正直、すごく意外だった。

このツアーのタイトルからもわかるように、いまミスチルは、ひたすら”愛”を歌っている。でも、愛と言っても、ただ「好きだ」「嫌いだ」というラブソングではなく、もっと深く、もっと広い意味での愛。この『くるみ』という歌の中でも、シンプルなんだけど複雑な愛のかたちが描かれている。

ここから再び、MCなしのノンストップ・タイム。『CANDY』から『ファスナー』まで、チョイスされた曲はどれも、”愛”の歌。といっても、泣きのラブソングを連発したわけじゃなく、そのかたちは様々。”愛”のいろいろな側面を、ユニークな映像も交えつつ綴っていく。

どれも良かったんだけど、特に、『隔たり』が素晴らしかった。僕はCDでこの曲を聴いたとき、「あ、これって、”究極のラブソング”」だなと感じた。男と女の間に立ちはだかる隔たりを”合成ゴム”と表現し、それを外す(すみません、何か嫌な表現ですね(笑))ことで一つになろうとする物語。スケール感溢れる演奏も含めて(特に間奏が素晴らしい!)、すごく壮大な曲だなぁと思ってたものだから、ライブのスクリーンに宇宙空間のような映像が映し出されたのを見て、「うわぁ、イメージ通りだぁ!」と感動してしまったのだ。ことの賛否は置いておいて(ていうか、世の男性諸君、ミスチル好きだからって、気軽に”応じちゃ”ダメですよ(笑))、”愛”というものの一側面が見事に描かれている歌だと思う。桜井さんの歌も素晴らしかったし、このライブの中でも抜群に光っていた1曲だった。

そして、12曲目の『Monster』から、また少しライブのムードが変わる。これまで描かれてきた様々な”愛”の世界を力強く切り開いていこうとするかのような、”Knock! Knock!”の大合唱。そして、『CENTER OF UNIVERSE』。”Knock! Knock!”の混沌としたシャウトの果てに待っていたのは、「自分が立っているこの場所こそ、世界の中心なんだ」というシンプルな答え。最後の「あぁ、世界は素晴らしい」という詩が、感動的なまでに美しく響きわたっていた。

そして、『ランニングハイ』。桜井さん、走る走る。まさに、”ランニングハイ”状態(笑)。アレンジもカッコよかった。まさに、これこそライブ映えする曲の典型。これもやっぱり詩はほとんど聴き取れなかったんだけど、とにかく”音”を鳴らす、鳴らす。”音”で伝えるんだという姿勢は、序盤から一向に衰えない。

さぁ、こうしてノンストップ・タイムを全力疾走で駆け抜け、ライブはいよいよフィナーレへ。

<”レポート後編”へつづく>
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# by inotti-department | 2005-11-28 22:56 | music
『Mr.Children DOME TOUR 2005 "I ♥ U"』 ~<レポート前編>伝わった”音”。~
※ 今回は、ミスチルのライブレポートです。以下、セットリスト(曲目)含めてかなりネタバレしますので、これからツアーに参加される方は、くれぐれも、くれぐれもご注意くださいませ。

11月27日、Mr.Childrenのライブに参加するため、東京ドームへ行ってきました!

”シフクノオト”ツアー以来のミスチルライブ。ずーーっと首を長くして待っていた、待望の瞬間。もう、始まる前から、心臓が高鳴りっぱなし。

約3時間、全23曲の大熱演。いつもどおり、ミスチルはやっぱり最高でした!

ということで、ライブのレポートを前編・中編・後編の3回に分けて書きます。しかし、先に申し上げておきますが、ガンガン曲目をネタバレしてしまいます。ですので、繰り返しになりますが、


このあとの名古屋や福岡での公演、また東京での追加公演に参加される方は、くれぐれも目を触れないようになさってください!





それでは、まずは前半戦のレポート。まず最初に、曲目をざざっと一気に紹介!

1, LOVEはじめました
2, Dance Dance Dance
3, ニシエヒガシエ
4, 跳べ
5, innocent world
   <MC>
6, 言わせてみてぇもんだ
   <MC>
7, くるみ
8, CANDY
9, 靴ひも
10, 隔たり
11, ファスナー
12, Monster
13, CENTER OF UNIVERSE
14, ランニングハイ
   <MC>
15, 抱きしめたい(弾き語り)
16, ラララ
17, overture ~ 蘇生
18, Worlds end
19, Hallelujah
20, and I love you
  ~アンコール~
   <MC>
21, 未来
22, 僕らの音
   <MC>
23, 潜水
   <退場> ~Sign~


僕はミスチルのライブには過去何度か参加してますが、彼らのライブの特徴は、とにかく”聴かせる”こと。例えばヒップホップグループやハードロックバンドなどに比べると、ライブのノリ自体はそれほどイケイケ(死語!?)ではない。それよりはむしろ、曲順などの構成を重んじ、スクリーンなどの映像もうまく活用して、しっかりとメッセージを伝えようとする。だから、ライブに参加する人も、ワイワイ騒ぐよりは、じっくりと詩やメッセージと向き合おうとする人が多い。

ところが!

このライブに関しては、僕は全く違う印象をもった。今回、ミスチルが届けようとしたのは、”詩”ではなく”音”だったのではないだろうか。

とにかく、ガンガン音を鳴らす。特に、MCを一切はさまずにノンストップで幕を開ける1~5の演奏は圧巻のひとこと。ハッキリ言って、手拍子や東京ドームの音響の悪さ(これは仕方ないとはいえ、ちょっと残念!)も相まって、詩なんて何一つ聴こえやしない。でも、何だろう。僕には、ガンガン胸に響いてくるものがあった。いまライブ全体を振り返っても、間違いなくハイライトはこの5連奏だったと思う。楽しみにしていた『跳べ』も本当に素晴らしかった。『innocent world』も、今回はいつにも増して音が重厚な感じがしてダイナミックだったし。

ここでようやくMCを挟んで一息つく。しかし、このMCの内容にまた驚いた!なんだか、妙に力強いのだ(もちろんジョークもはさみつつ、だが)。正確な言葉は忘れたが、『歌を、音を、想いを届けたい』『何かを感じたら、声に出して、音に出して表現してみてほしい』というようなことを熱く語っていた。印象に残ったのが、”音”という言葉。詩ではなく。”音”。これ、今回のキーワードとみた。

そして、MCのやりとりからそのまま始まった『言わせてみてぇもんだ』(この繋ぎもカッコよかったなぁ)。アルバムで聴いたときから好きな歌だったけど、こんなにカッコイイ曲だったとは。改めてその魅力を再認識。ライブの中で一番良かったかもしれない。

休憩をはさむわけじゃないので区切りが難しいんだけど、僕の中ではここまでが”前半戦”という印象。

6曲、バラードなし。
詩は、ほとんど聴こえなかった。
でも、たしかに届いてくる”音”があった。

<”レポート中編”につづく>
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# by inotti-department | 2005-11-28 22:17 | music
『ティム・バートンのコープスブライド』 ~さては、手抜いたなぁ?~
e0038935_2384464.jpg満足度 ★★★★★★☆☆☆☆(6点)

『ティム・バートンのコープスブライド』(2005、米)
   監督 ティム・バートン マイク・ジョンソン
   声の出演 J・デップ H・ボナム=カーター

今も愛されつづける伝説の傑作アニメ『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』から12年。奇才ティム・バートンが、再びアニメ映画を完成させた。

僕はあの映画が大好きなので、当然この『コープスブライド』にも相当な期待をもっていた。まして、バートンの最新作『チャーリーとチョコレート工場』が会心の出来だったので、その期待はさらに高まるばかり。

さてさて、あらすじはこんな感じ。
成り金夫婦の内気なひとり息子・ビクターは、没落貴族の娘・ビクトリアと政略結婚することに。しかし、気の小さいビクターは、結婚式のリハーサルで失敗ばかり繰り返し、完璧にセリフを言えるようになるまで結婚式は延期に。ひとり練習をはじめるビクターだが、枯れ枝に指輪をはめたつもりが、なんとそれはコープスブライド(死体の花嫁)の指だった。婚約者に裏切られて命を落としてから、結婚を渇望する幽霊となったコープスブライドは、ビクターが自分にプロポーズしてくれたと早とちりして大はしゃぎする。ビクターは死者たちが暮らす地下世界にさらわれてしまうが・・・。

うーん、どうなんでしょ、この映画。

悪くはないのだ、悪くは。ストーリー展開には安定感があり、安心して映画を楽しむことができる。持ち前のミュージカルシーンも楽しいし、映像もしっかり練られている。間違いなく、平均レベルよりは高い水準にあるアニメ映画だと思う。

でもなーー。なんか、こんな風に思ってしまったのだ。「バートン、手抜きしたなー?」って。

ハッキリ言って、この程度のアイデアなら、バートンじゃなくたって出せる。『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』には、間違いなく彼にしか作れないと感じさせるオリジナリティがあったけれど、そういう特殊性がこの『コープスブライド』にはないのだ。

キャラクター設定もなんだか地味だし、ストーリーにも妙味がない。せっかく楽しいミュージカルシーンも、あまり回数が多くなくて、ちょっとガッカリ。

この映画は、『チャーリー・・・』と同時並行で製作されたらしい。力の入れ具合でいったら、”チャーリー7:3コープス”といったところかな?要するに、いい映画を作ったる!っていう気概が感じられないのだ、この映画には。別に肩に力を入れて作る必要はないのだけれど、でもやっぱり、「おっ!」と思わせる何かがもっと欲しいな、とは感じた。とはいえ、30%の力でもこれだけのものが作れちゃうのは、さすがだとは思うけれど。

そういえば、主人公ビクターの声は、ジョニー・デップだったんだよなー。なんか、全然感じなかった。それだけナチュラルなセリフまわしが出来ていたということか、それともまさかデップも手を抜いていたのか?まぁ、どちらにせよ、キムタクのハウルよりは良かったけれど(笑)
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# by inotti-department | 2005-11-25 23:38 | cinema
『TAKESHIS'』 ~わからないこと。わかろうとすること。~
e0038935_0335155.jpg満足度 ★★★★★☆☆☆☆☆ (5点)

『TAKESHIS'』(2005、日)
  監督 北野武
  出演 ビートたけし 京野ことみ 岸本加世子

満足度、☆5つ。
久しぶりに、厳しい点をつけてしまった。

でも、実をいうと、映画自体の出来に関しては、僕は6点をあげても良いと思っている。ものすごく満足したわけではないけれど、まずまず楽しい2時間を過ごすことができたからだ。

にもかかわらず、なぜ5点を付けなければならないのか?それは、映画の内容の問題ではない。僕が憤りを感じているのは、この映画の宣伝方法、そしてメディアの取り上げ方について、なのである。

では、まずはあらすじの紹介。
多忙を極める大スター・ビートたけし。ある日、彼のもとに、たけしに外見がそっくりな北野という名前の男が、サインを求めて訪ねてくる。北野は、たけしのようなスターになる日を夢見て、コンビニでバイトしながらオーディションを受け続けているが、まだ1度も役をもらったことはなかった。そんな北野が、たけしと遭遇したその日を境に、夢とも現実ともつかぬ不思議な体験を繰り返すことになる。それは、拳銃と暴力が渦巻く、憧れのたけし映画の世界だった・・・。

この映画に関する、公開前のマスコミの前評判をまとめると、大体こんな感じだ。
「これは難解な映画である。ストーリーを追いかけても、話の筋はよくつかめない。この映画は、わからなくて当然。映画を楽しめるかどうかは、その”わからなさ”加減をどれだけ楽しめるかどうかだ。観客は、夢と現実の区別がつかない不思議な世界に、ただ身を委ねて楽しめばよい。」

わかるよ、言いたいことはわかる。でも、なんかそれっておかしくないか?映画を観る前から、わからないことが前提になっている。それって、やっぱり健全じゃないと思うのだ。

「わからない」ということ、あるいは、「わからなくてよい」ということ。それに対して、「わかろうとする」ということ。最終的に「わからなかった」という結果は同じだったとしても、前者と後者の間には大きな違いがあると僕は思うのだ。

おそらく、映画評論家の面々は、わかろうとしたけれどもわからなかったのだと思う。だから、こう僕たちに紹介する。「この映画はどうせわかりませんよ。わからないなりに楽しむしかありませんよ。」と。

そりゃ専門家にわからないものが僕ら一般の観客に理解できるわけはないんだろうけど、それにしたって、わかろうとする権利を奪われちゃったら、こっちはたまったもんじゃない。そんな映画、いったい誰が観に行くのさ?この映画が興行的に大失敗しているのは、当たり前だ。観る前からそんなこと言われたら、そりゃ普通の人は『消しゴム』か『イン・ハー・シューズ』の方を観に行くに決まってる。

でも、僕はあえて、この映画を観に行った。それは、少なくとも僕は、やっぱり後者でありたいと思っているから。せっかく1300円払って映画を観に行くんだもの、わからないまま終わるなんて、絶対に嫌だ。百歩譲ってわからなかったとしても、せめて、わかろうとする努力だけは怠りたくない。そう思う。

さてさて、こんな勇ましいことを言って、結局僕は理解できたのか?いやーー、わけわかんなかった(笑)ここまで筋がない映画に対して、「面白い!」なんて、よっぽどの度胸がないと言えない。この映画が万が一ベネチアで賞でも取ってたら、僕はもう世界中の映画賞を全く信用しない人間になるしかなかっただろう。

でも、さきほども宣言したように、頑張ってわかろうとする努力はしたつもりだ。ということで、全く的外れかもしれないけれど、僕が感じたことを最後に書く。

<ということで、以下ネタバレです。ここまで読んで、「よし、挑戦したろ!」と思った方は、観終えてからもう1度覗きにきてください。>

この映画が表現しようとしたのは、スター「ビートたけし」と市民「北野武」という同一人物のせめぎ合いだったのだと思う。おそらく「たけし」の中には、国民的大スターとなった今でも、「北野」としての感覚が消えてないのだと思う。中身はコンビニ店員のままなのに、スターとしてもてはやされている今の状況。「北野」がドンパチやったらただのクレイジーな市民としかとらえられないのに、「たけし」がドンパチやると、それはたちまち芸術的表現として崇められる。こういう状況を、痛烈に皮肉ったのが、この映画だったのではないか。

映画の中盤から、物語の語り部は完全に「北野」に移行する。「たけし」は市民「北野」の姿を借りて、現在の「ビートたけし」の状況を自らあざ笑う。自分の映画のシーンを再現し、そこに「北野」を存在させ、痛烈にパロディにしてその世界をぶっ壊す。拳銃をぶっ放しまくる「北野」を見ながら、僕には、たけしの悲痛な心の叫びが聞こえてくるような気がした。

そしてついに終盤、「北野」は「たけし」に襲いかかる。しかし、市民「北野」がスター「たけし」に勝利したかに思えた瞬間、映画の語り部は再び「たけし」に戻る。「北野」の叫び、それは全て幻として処理され、最後に残されたのは結局「たけし」ただひとり。「たけし」は荒れ狂ったかのように拳銃をぶっ放し、映画は幕を下ろす。

「北野武」はこれからも、「ビートたけし」として生きていく。この映画は、そんな決意表明の映画とも取れるし、また逆に、「ビートたけし」としての人生を放棄することを暗示しているとも取れるような気もする。

でも、ひとつだけ言えることは、監督「北野武」は極めて冷静に論理的に、この映画を撮っただろうということ。だから、こうやって「たけしと北野がどうの・・・」と言っている時点で、僕はまんまと監督の術中にはまってしまっているのかもしれない。

さて、この僕の解釈はどうだろうか?たぶん、全然見当ハズレなことを書いてしまっているのだろう。

でも、僕はそれでもよい。
「わからなかった」としても、「わかろうとした」。
そのことだけで。
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# by inotti-department | 2005-11-25 01:30 | cinema
『私の頭の中の消しゴム』 ~涙を流したい全ての人へ~
e0038935_0274959.jpg満足度 ★★★★★★★☆☆☆(7点)

『私の頭の中の消しゴム』(2004、韓)
     監督 イ・ジェハン
     出演 チョン・ウソン  ソン・イェジン

最近、ある新聞か何かで、「いま、日本人は”泣きたい症候群”を患っている”」というような記事を読んだ。

歌もテレビもドラマも小説も映画も、国民的大ヒットを飛ばす作品は、みな涙を誘うような感動ものばかりだというのだ。
そんな中、この秋の映画興行を引っ張ったのが、この『私の頭の中の消しゴム』である。

なんだか、タイトルから言って凄そうだ。なにしろ、「の」が3つ続いている。昔、学校で作文の時間に「あんまり”の”が続かないように気をつけましょうね!」と言われた記憶がある僕は、どうにもこのタイトルが引っかかって仕方がないのだ(笑)

さてさて、祝日とレディースデーが重なったこの日、劇場は超満員。しかも、みんな年が若い!ざっと計算したところ、平均年齢21歳とみた。館内の異様な若い熱気は、予告編が始まっても一向におさまらない。おいおい、劇場暗くなったんだし、静かにせーよ。。。

ところが!!映画が始まると、若き観客たちは一斉にシーンとなった。そして1時間30分後、この劇場は、異様なすすり泣きの嵐に覆われることとなったのだ。

では、簡単にあらすじを。
社長令嬢のスジンは、不倫相手と駆け落ちするはずが裏切られ、心に深い傷を負っていた。そんなとき、彼女は工事現場で働く無愛想な大工チョルスと出会う。2人は瞬く間に恋におち、そして結婚。幸せ一色の新婚生活を送るが、そんな日々は長くは続かなかった。もの忘れのあまりの激しさに病院で検査をしたスジンに告げられたのは、「若年性アルツハイマー」という病名だった・・・。

いやぁ、これは泣きました。参りました。映画の出来がどうこうというのは別にして、とりあえず、これは泣きますわ。反則ですわ。

ストーリー自体に特別な凄みがあるわけではない。筋は全て予想通りに転がるし、何ら驚きのエピソードはない。しかし、この映画の素晴らしいところは、とにかく期待を裏切らないところ。ツボをはずさない。泣かせどころを逃さない。監督がもつその感覚の鋭敏さは、もうアッパレのひとことだ。

しかし、自分が泣いといて言うのもなんだけど、みんな泣きすぎ!泣く気マンマンすぎ!僕の横に座っていたカップルの男性(推定19歳)は、「泣く準備しとこーっと」と言って事前に膝の上に置いておいたタオルハンカチを、その時点では冗談だったのだろうが、最後は本当に使う羽目になっていた(笑)。また、斜め前の席の男性(推定21歳)は、映画が終わったあと、「見て見て!」と言って、隣の席の彼女に瞳から流れ落ちる涙を見せびらかしていた。おいおい、何の自慢だよ(笑)

ふと、あるお笑い芸人が言っていた、こんな話を思い出した。「舞台の笑いは簡単だ。お客さんは笑いたくて来ているのだから。大変なのは、笑いたいとは思っていない客を笑わせることだ。だから、テレビは難しい。」少し違うかもしれないが、たしか大体、そんな話だったと思う。

この映画の観客のうちかなりの人たちは、「今日は泣いたる!」と思って観に来ていたのではないか、そう感じたのだ。じゃあ、僕はどうだったのかというと、やはりそれを否定はできない気がする。そして実際、涙を流して、妙に気分がスッキリしたような感覚さえあるのだ。涙には、ストレス発散の効果があるのかもしれない。

劇場が明るくなったあとも、みんな、無理に涙を拭こうとはしていなかった。「これだけ泣いたーー!」そう実感することで、ぱーっとリフレッシュしたかったからなのかもしれない。でも、男にはエンドロールの間に拭いておいてほしかったけど。見知らぬ男の涙は、全然美しくないからね(笑)

「泣きたい!」と願う人を確実に泣かせることで、見事大ヒットしたこの作品。でも、どうしてだろう。映画を観ているとき、あれだけ高ぶっていた僕の気持ちは、映画が終わって5時間ほど経過したいま、自分でもビックリするほど落ち着いてしまっている。そして、細かいストーリーが、驚くほど頭に残っていないのだ。涙には、映画の内容を全て消去してしまうような、そんな危険なパワーも宿っているのかもしれない。僕がいまこの映画に関して言えるのは、「この映画は泣ける」ということだけ。おそらく何年か後、僕には何一つこの映画の記憶が残っていないだろう。「いっぱい泣いた」ということ以外には。

僕の頭の中の消しゴムは、この映画の記憶をどんどん消し始めている。
って、ウマくないか(笑)
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# by inotti-department | 2005-11-24 01:12 | cinema
   
映画・小説・音楽との感動の出会いを、ネタバレも交えつつ、あれこれ綴っていきます。モットーは「けなすより褒めよう」。また、ストーリーをバッチリ復習できる「ネタバレstory紹介」も公開しています。
by inotti-department
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