> ご案内
当ブログでは、「あの映画(小説)、一度観たんだけど、どういう話だったかが思い出せない・・・」とお困りの方のために、映画(小説)のストーリーを完全に網羅したデータベースを公開しております。詳しくは、カテゴリ内の「映画(小説)ネタバレstory紹介」をご参照ください。なお、完全ネタバレとなっていますので、未見の方はくれぐれもご注意ください。
> 最新のトラックバック
welsh blacks
from welsh blacks
テラびしょびしょw
from お・な・に・ぃ
gilroy high ..
from gilroy high sc..
luniz videos
from luniz videos
mortgage loa..
from mortgage loan ..
elizabeth ar..
from elizabeth arde..
animator fro..
from animator from ..
負けても勝ち組w
from ドンパッチ
korean women..
from korean women n..
pcbyte
from pcbyte
『ミリオンズ』 ~好き嫌いは分かれます、これは。~
e0038935_22174363.jpg満足度 ★★★★★★★☆☆☆(7点)

『ミリオンズ』(2004、英・米)
  監督 ダニー・ボイル
  出演 アレックス・エテル ルイス・マクギボン

予告編で一目ぼれして以来、公開を待ち望んでいた映画『ミリオンズ』。

何に惹かれたかって、とにかくそのユニークな設定。ということで、まずはストーリーの入口だけ、さっそく紹介を。

母親を亡くした少年ダミアンは、父親と兄のアンソニーと3人で、新しい街での生活をスタートさせる。ある日、ダミアンは上から落ちてきたバッグを拾う。中を開けると、そこには大量のポンド紙幣が。しかし、イギリスはいよいよポンドからユーロへの切り替えを行うため、あと12日以内に使い切らないとただの紙クズになってしまう。大人に知られると税金を取られてしまうと危ぶみ、内緒で使いきってしまおうと目論むアンソニーに対し、お金は神様からの贈り物だと信じるダミアンは、貧しい人たちに配り歩こうと提案する。しかしその頃、紙幣の持ち主である現金強盗犯が、お金を追ってダミアンたちに迫ってきていた・・・。

どうだろう、このユニークな設定は!なんだか面白そうでしょう?ちなみに、言うまでもないことだが、今のところ現実社会において英ポンドは健在。要するに、この映画の設定はフィクション。作り物の設定なんだけど、なんだかちょっとありそうな話という感じで、物語はスタートする。

さらにそこに、母親を亡くしたばかりという設定を加え、家族ものとしての要素もプラスで絡んでくる。この予告を観た瞬間、これは相当な傑作になるだろうと、僕はかなり大きな期待を抱いたのだった。

ところが、映画を観て、良くも悪くも裏切られた。この『ミリオンズ』、なんだかとっても風変わりな映画なのだ。少なくとも、僕が期待していたような、設定の妙味を活かしてグイグイとひきつけるようなストーリーではなかったし、ストレートな涙が溢れる感動作とも違う。

さて、ここまで読んで「映画を観よう!」と思った方がもしいましたら、この先はネタバレしますので読まれないことをオススメします。とりあえず言えることは、
①観た人全員が好きになるようなタイプの映画ではない 
②でも、少なくとも、僕にとっては楽しい映画だった
ということだけです。観る価値は十分にあると思います!

<ということで、以下、ネタバレ含みますのでご注意を。>

何が風変わりって、とにかくダミアン少年が変わってるのだ。信心深すぎるあまり、神様の幻みたいな人を見て、その幻と会話しちゃったりする。このへんの感覚は、宗教心のない僕のような人間にはちょっと理解しにくい。特に、ただでさえ設定がフィクションなだけに、ここまでやられてしまうとあまりにもウソっぽすぎてついていきにくいという面は、この映画の最大の欠点だと思う(CGを駆使した映像も同じ。アイデアは面白いが、さらにウソっぽさを増長していた)。

でも、僕が面白いと感じたのは、このダミアン少年のキャラクターだった。お金を拾って、それが神様からの贈り物だと信じて、貧しい人たちに寄付しようとする。ここまではよい。現実に、こういう善人がどれだけいるかという疑問はさておき、映画の主人公としてはいかにもよくあるパターンだ。

ところがこのダミアン少年、そのあとが面白い(というか、カワイイ)。「使っちまおう!」と提案する兄に対し、もちろん抵抗はするのだけれど、結局お兄ちゃんと一緒に買物を楽しんじゃうのだ。さらに、途中でお父さんにバレたあとも同じ。「使っちまおう!」と主張するお父さんに不満を感じるが、ナンダカンダで一緒になって楽しんでしまう。それどころか、ユーロに換金するためのアイデアを自ら出したりする。ダミアン、オマエは何がしたいねん(笑)

一緒に観た友人は、この主人公の少年に全く共感できなかったと言っていた。むしろ「使っちまおう!」で一貫していたお兄ちゃんの方が、はるかに一貫性があって子供らしかった、と。

たしかにそれも考え方のひとつだ。でも、僕は逆だと思った。「使っちゃダメだよ~」と言いながら、結局お兄ちゃんやお父さんに従ってしまう心理。彼は、すごく心優しい少年だから、だからこそ愛する家族の気持ちを尊重したのだ。家族が喜んでいる姿を見るのが、何よりもうれしい。家族がうまくいくなら、喜んで銀行の人たちだってダマす。これって、とっても、人間らしいではないか。子供なんて(そして大人も)、案外こんなものだろう。

ダミアン少年の心理の揺れが、僕にはとても共感できるものだったのだ。そして、騒動が大きくなって家族の間に亀裂が走り、少年はとうとう家を飛び出す。そんな少年に起こった奇跡・・・。

この甘いファンタジックな展開に、全然ノッていけない人も多いかもしれない。でも、家族を誰よりも大切にするダミアン少年に訪れたその奇跡に、僕は素直に感動することができた。落ちてきたお金は神様からの贈り物ではなかったかもしれないけれど、ダミアン少年には、もっと素敵なプレゼントが届いたのだ。ラストカットも同じ。あまりにも甘く偽善的な展開と言う人もいるかもしれないけれど、そんな甘いメッセージがあったって良いではないか。

設定の妙味を十分に活かせなかったことは、とっても残念。
でも、それを補ってあまりある不思議な感動が、この映画にはある。
[PR]
# by inotti-department | 2005-11-14 23:19 | cinema
槇原敬之コンサート『cELEBRATION 2005 ~Heart Beat~ in 日本武道館』 ~<興奮の第2部>レポート~
さてさて、休憩も明け、いよいよ<第2部>のスタート。
それではまず、セットリストのご紹介。

<第2部>
⑨ 彗星
⑩ 優しい歌が歌えない
⑪ SPY
⑫ どうしようもない僕に天使が降りてきた
⑬ LOVE LETTER
⑭ HAPPY DANCE
⑮ I ask.
⑯ 花火の夜
⑰ Home Sweet Home
⑱ 明けない夜が来る事はない
⑲ 太陽
⑳ 僕が一番欲しかったもの
21.ココロノコンパス
 → (”21”だけ丸で囲む方法がわからず、スミマセン。)


後半戦の幕開け⑨は、事件による活動休止からの復帰アルバム『太陽』の1曲目を飾った曲。15周年を振り返ったのが<第1部>だとしたら、ある意味この<第2部>は、”これからへの歩み”を宣言するものになるということか。復帰を境に、音楽性を変化させる始まりとなったこの曲を、丁寧に丁寧に歌いあげるマッキー。詩・メロディとも感動的な、素晴らしい名曲。さらに、奥深いメッセージソング⑩がつづく。

と思いきや、ここで再びシフトチェンジ!⑪⑫と、懐かしのアップテンポ・チューン連発。曲と曲の間をつなぎ、メドレー方式で会場を興奮の渦に。それをさらに盛り上げたのが、洗足学園コーラス隊!そのパワフルな歌と踊り(?)のパフォーマンスに、僕の視線はすっかりマッキーを離れ彼らに集中(笑)。⑫では、武道館の至るところで”白いハンカチ”が振られた。僕は席が2階だったので、その美しい風景をじっくりと上から眺めることができたが、その壮大な情景たるや、まさに圧巻のひとこと!しかし、僕は白いハンカチを持っていなかったため参加できず、仕方なく白いティッシュペーパーを振って応戦しようかと思ったが、みっともないので断念(笑)

そして⑬。もはや紹介するまでもない超名曲。2曲つづいてハイになった心に、スーーっと入りこんでくる美しいメロディライン。この曲順のメリハリは、今ライブ中でもナンバーワンのハイライトだったと思う。感想は、もはや語りませぬ。感動のひとこと。

ここでMCがはいり、いよいよコンサートのサブタイトル”Heart Beat"の意味が明らかに。ここからコンサートは、怒涛の勢いで一気にクライマックスへ。とりわけ圧巻は、⑯。正直、僕はCDで聴くかぎり、そんなに好きな方の曲ではなかったのだが、これは盛り上がった!それも全て、アレンジの素晴らしさと、何より洗足コーラスチームのおかげ。彼らの存在なくして、このコンサートの成功はありえなかったと思う。本当に、学生のみなさん、おつかれさまでした!

⑱⑲も聴き応え十分。暗闇にスッと光が差し込んでくるような曲調と照明のハーモニー。そこにズシリと届いてくる詩のメッセージ。後期マッキーの世界観を凝縮したような2曲だった。

そして、”世界に一つだけの花 PART2”とも言えるような、ストーリー性豊かな詩が感動的な⑳。マッキー、「愛を愛を愛を 愛を祝いあおう」のフレーズを連呼。途中から、マッキーが音楽の先生みたいに思えてきて笑えたけど(僕だけですね、失礼しました)、そのおかげで、ここでまた会場がひとつに。いよいよ本編最後を飾るのは、最新シングル。メロディは地味なのだが、力強い詩が印象的な力作。15周年を振り返り、”いま”を見つめるという意味で、このコンサートの最後に相応しい曲だったと思う。

アップテンポなナンバーが中心の<興奮の第2部>も終了。しかし、まだまだ終わるには早すぎるとばかりに、場内からはアンコールを求める拍手が。数分が経過し、マッキーらメンバーが、再びステージへ。

<アンコール>
① 見上げてごらん夜の星を
② どんなときも。
③ 天国と地獄のエレベーター


①は、まさか生で聴けるとは全く思ってなかったので、イントロを聴いた瞬間、ざぁ~っと鳥肌がたった。シンガー槇原の魅力を再認識。平井堅も良いけど、マッキーもやっぱり歌がうまい!

そして、代表曲②。”世界に一つだけの花”がどんなに騒がれようが、やっぱりこの曲には叶わない。ファンの中で、この曲が一番好きだという人は、おそらく意外に少ないと思う。でも、この曲は、やはり全てのマッキーファンにとって特別なのだ。会場、まさに総立ち。今日一番の盛り上がり。

フィナーレは③。たぶん、いまマッキーが一番届けたい歌なのだと思う。”LOVE! PEACE! JOY!”の大合唱とともに、3時間を超える感動のコンサートは幕を閉じた。


以上、長くなりましたが、レポートでした。
さて、全体を通しての感想。
メッセージ性溢れる<第2部>も、確かに素晴らしかった。でも、やっぱり<第1部>と<第2部>前半で歌われたような過去の名曲たちのほうが、個人的には好きだなぁ。復帰してからのマッキーは、まるで何か悟りを開いたかのようで、その深いメッセージから感動させられることもしばしば。でも、やっぱりマッキーにはもう1度、肩の力を抜いて、優しくて切なくて愛しい素敵なラブソングを書いてほしいなぁ、って思う。今回のコンサートを聴いて、そんなことを感じたのだ。

とにもかくにも、素晴らしき24曲。感動と興奮の3時間(超)に感謝、感謝。
まさに”セレブレーション”と呼ぶにふさわしい、喜びに満ちた夜となった。
[PR]
# by inotti-department | 2005-11-14 02:27 | music
槇原敬之コンサート『cELEBRATION 2005 ~Heart Beat~ in 日本武道館』 ~<感動の第1部>レポート~
11月10日、槇原敬之さんのコンサートに行ってきました!

オーケストラをバックに名曲の数々を歌うコンサート。休憩をはさんでの2部構成、全24曲の熱唱は、3時間を超えるフルボリュームのライブとなった。

なにはともあれ、いやぁ、素晴らしかった!
今まで何度かマッキーのコンサートに参加してきたけれど、その中でも過去最高に満足したコンサートになりました。歌も演奏も曲目も、文句のつけようがないくらい素晴らしかったと思います。

ということで、コンサートの感想を、1部と2部にわけてレポートします。
では、まず第1部から。

<第1部>
① The Future Attraction
② 君が教えてくれるもの
③ 今年の冬
④ Star Ferry
⑤ 桃
⑥ 世界に一つだけの花
⑦ ANSWER
⑧ 君は僕の宝物


オープニングは、オーケストラによるファンファーレのような壮大な演奏から。しかし、ここで困ったことが!僕のうしろに座っていたオバチャン3人組が、演奏が始まって場内が静まりかえっているにもかかわらず、ずーーーっとベチャクチャと喋りつづけているのだ。もしや、この人たち、この調子でずっと騒ぎつづけるつもりだろうか。歌に集中できなくて嫌だな~、とイライラの予感。

しかし、ここで救世主が!同じように感じていたらしい2つ隣の席の男性が、「静かにしていただけませんか」と注意をしたのだ。これはスゴイ!なんと勇気ある行動か。オバチャンたちは注意されたことが不服だったのかブツブツ言っていたけれど、そのあとはおしゃべりをやめた。この男性のアクションには、もう本当に感謝感謝。世の中には勇気ある素晴らしい人がいるものだね、と僕と連れは帰り道で同じ感想を語り合った。ありがとうございました!

さて、話をコンサートの内容の方に戻そう。幕開けの①は、正直ちょっと意外な選曲。サビの「今から2人で恋に落ちるんだ」のフレーズに、これから何かが始まるワクワク感が高まる。②は、一転してしっとりムード。愛犬との触れ合いから学んだことを描いた詩が、ジンワリと心に入ってきた。

そして名曲③。これは生で聴けてよかったー。初期の名バラードなのだが、詩もメロディもほぼパーフェクトに近いと思う(たしか平井堅も、大好きな曲としてラジオか何かで挙げていたような記憶が)。会場の雰囲気も、いきなり感動ムードに。

④は地味な曲なのだけれど、個人的には、今年はじめに香港に旅行をしてまさに”Star Ferry"に乗る経験をしたばかりだったので、そのときの思い出が甦ってきてなんだかすごくセンチメンタルな気分になった。オーケストラとの相性もバッチリ。

そして圧巻が、⑥⑦⑧の3連発。このライブの中でも、ハイライトと言っていい素晴らしい時間だった。客席が一体となった⑥ももちろん最高だけれど、個人的にはやっぱり⑦と⑧。⑦は、マッキー伝説の原点である名バラード。デビューアルバムの1曲目に収録されている。やっぱりファンの間でも特別な曲として認識されているのだろう。イントロが鳴った瞬間、静かな曲にも関わらず大きな拍手が巻き起こっていた。これは聴かせた!

⑧は、マッキーが「これからもずっと歌っていきたい曲」と紹介して歌いはじめた。僕も大好きな曲。とにかく詩がいいのだ、詩が。人を好きになったことのある全ての人が、共感できる曲ではないだろうか。曲に奥行きをもたらすオーケストラの演奏も素晴らしかった。

ここまでで第1部が終了。しばしの休憩タイムに突入。
このセットリストは、もう最強に近いでしょう!マッキー自身、「デビュー15周年を振り返り、自分のルーツを辿るような曲を集めた」と語っていた第1部。シングル曲に限らず、アルバムの名曲、そしてファンに愛されている曲ばかりで構成したラインナップという印象。特に、初期の”ラブソングの帝王”期のファンにとっては、もうたまらないセットリストだっただろうと思う。

僕も、③⑦⑧は大好きで、何度も何度もCDで聴いてきた曲だったので、生で聴けたことが本当にうれしかった。でも、前半にこれだけ感動が凝縮されてしまったら、後半戦の第2部は大丈夫だろうか。休憩しているうちに、そんな不安さえ出てきてしまった。

しかし、そんな余計な心配は無用であった。第2部には、第1部とはまたひと味違う興奮が待ち受けていたのだ。
コンサートは、<感動の第1部>から、<興奮の第2部>へ。
[PR]
# by inotti-department | 2005-11-12 02:09 | music
『シン・シティ』 ~映画のような漫画のような映画(笑)
e0038935_0503761.jpg満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

『シン・シティ』(2005、米)
 監督 ロバート・ロドリゲス フランク・ミラー
 出演 ブルース・ウィリス クライヴ・オーウェン

またしても、公開終了直前に、滑り込み鑑賞。

ずっと観たい観たいと思ってたんだけど、案外話題にならずに、もちろんロングランなどという声も聞こえることなく、あっさりと公開終了となってしまった。

でも、ここはひとつ、声を大にして言いたい。
これ、面白いッスよ!!

とてもクセのある映画なので、万人にオススメとは言えないけれど、ハードボイルド好きの人、スタイリッシュな映画が好きな人、とにかく新しい切り口が好きな人、そんな人たちには文句なしにオススメ。

では、簡単に映画の紹介。
犯罪や裏切りがはびこる街”シン・シティ”。そんな”罪の街”で、愛する者を守るために立ち上がった、3人の男。病気のために刑事の職を離れることを決めたハーティガンは、11歳の少女ナンシーを守るため、幼女誘拐犯を追う。傷だらけの顔のために、女性から愛されたことのない前科者マーヴは、はじめて自分に愛を教えてくれた娼婦ゴールディの仇討ちを誓う。そしてドワイトは、恋人のシェリーに暴力を振るったジャッキー・ボーイを倒すため、女たちが支配する”オールド・タウン”に足を踏み入れる・・・。


舞台は架空都市、バイオレンスありエロスありのクールかつハードなストーリー。まるで漫画のような映画だけど、それもそのはず、もとは漫画なのだから(笑)

原作は、フランク・ミラーという人が書いたコミックなのだそうな。で、その原作の大ファンであるロバート・ロドリゲス監督が、念願かなって映像化したのがこの作品。

そこまでなら良くある話なんだけど、このロドリゲス監督、とにかく原作に対する思い入れの強さが半端じゃなかったらしい。映画化するにあたって彼がとった手法は、”原作のコマ割にできるだけ忠実にカットをつなぐこと”。僕はもちろん原作は読んだことがないので比較はできないけれど、おそらく相当に忠実なのだろう。僕は映画を観ている最中ずっと、「まるで漫画みたいな映画だなぁ」と感じていたのだから(笑)

全編モノクロ映像(こういう映像をなんと呼ぶのだろう?おそらく、正しい名称がありそうな気がする。モノクロというのとは、またちょっと違う肌触りの映像なのだ)で通したのも、コミックの世界観を壊したくなかったからだろう。ちなみにこの映画、監督として、ロドリゲス監督と原作者のフランク・ミラーがダブルでクレジットされている。「ミラーさんのカット割りで撮っているのだから、あなたも監督ですよ」ということなのだろう。なかなか心憎い。

とにかく、その映像が、もう最高にカッコイイのだ!オープニング、モノクロの映像の中で、金髪美女の来ている紅いドレスだけが、色彩を放っている。この入りの素晴らしさから、僕はすっかり”シン・シティ”の世界にドップリとはまってしまった。

キャストも豪華。そして、ビッグネームたちが皆楽しそうにそれぞれのキャラクターを演じている。こういう”作り物の世界”っていうのは、役者にとっても入り込みやすいのかもしれない。誰が良いというより、みんないい味を出している。

まるで”漫画のような映画”。でも、そのコミック自体が、映画的アプローチで書かれた世界観を放っていることを考えると、これはいわば”映画のような漫画のような映画”。

なんのこっちゃわからなくなってきたが(笑)、とにもかくにも、映画史にまた新しい1ページが刻まれたことは間違いない。
クールでオシャレでカッコイイ、新しいスタイルの映画の誕生だ。
[PR]
# by inotti-department | 2005-11-05 01:31 | cinema
『四月の雪』 ~”ヨン様でしょー?”と侮るなかれ~
e0038935_21164923.jpg満足度 ★★★★★★☆☆☆☆(6点)

『四月の雪』(2005、韓)
    監督 ホ・ジノ
    出演 ペ・ヨンジュン  ソン・イェジン

「『四月の雪』観たいなー」なんて人前でうっかり言うと、「えー、あのヨン様(あるいは、ヨンと呼び捨てにする人も多い)の映画でしょー?全然観たくない!」と一蹴されてしまう。

ペ・ヨンジュンという俳優に関しては、溺愛するか嘲笑するか、どちらかの選択肢しか許されないようなところがあるように思う。溺愛派は、徹底的に韓流ブームを追いかける。一方、嘲笑派は、「ヨン様、キモーーい」と言って韓国ドラマなどには見向きもしない。

で、僕はどうなのか。実は、ヨン様の演技というものを、生まれて1度も見たことがなかった。もちろん、『冬ソナ』もいまだ未見。とりあえず、時々テレビで目にするペ・ヨンジュンをカッコイイと感じたことは1度もないが(笑)

ただ、僕は韓国映画に関しては、かなり評価している。『オールド・ボーイ』の衝撃はいまだに忘れられないし、『ブラザーフッド』『殺人の追憶』『JSA』など、感動作や力作も非常に多い。”韓流”という言葉はあまり使いたくないが、韓国映画のパワーは、今のところ間違いなく日本映画のそれを超えていると思う。

だから、この『四月の雪』に関しても、別にヨン様が出ていることなどどうでもよかったのだ。むしろ、ホ・ジノ監督が以前に撮った『八月のクリスマス』という映画がなかなか良かったので、それで観に行ったというほうが正解。

そして期待通り、『四月の雪』は、ヨン様がうんぬんというのは別にして、なかなかの良作であった。

では、あらすじ。
照明ディレクターのインスの妻スジンが、交通事故で病院に運ばれた。駆けつけたインスは、事故に遭ったスジンが乗っていた車には別の男が同乗していたことを知り、ショックを受ける。同乗者は、ギョンホという男。病院には、ギョンホの妻ソヨンも駆けつけていた。インスとソヨンは、事故の被害者家族のところへ一緒に謝りに行くなどしているうちに、同じ立場であるという親近感もあり、次第に心を通わせていく。そして2人は、許されぬ恋へと踏み出していく・・・。

<以下、ネタバレ含みます。未見の方は、ご注意ください。>

ダブル不倫という素材自体は、決して目新しいものではない。そして一歩間違うと、昼メロのようなドロドロの展開になりかねない。

この映画にも、そういうチャンスは何度もあった。インスとソヨンが密会しているホテルの部屋を、スジンの父親が訪れたとき。インスとソヨンの熱愛が最高潮に達しているときに、スジンが意識を取り戻したとき。ドロドロにしようと思えば、いくらでもそういう方向にもっていけたはず。でも、ホ・ジノ監督は、それはしなかった。説明的なセリフやわかりやすい展開はことごとく排除し、2人の心理を丁寧に丁寧に拾いあげていくことに専念した。

『八月のクリスマス』という映画もそうだった。静かに丁寧に、抑制した心理描写を重ねることで、味わい深さを出していく。これは、この監督の最大の持ち味だと思う(一方で、刺激的な展開が好きな方にとっては、全くもって物足りない監督だろう)。

僕の記憶では、ペ・ヨンジュンという俳優は、「微笑みの貴公子」と呼ばれていたような気がする。しかし、この『四月の雪』において、彼は常に悲しげな表情を浮かべており、ほとんど笑顔を見せない。さしずめ、「物憂げな貴公子」とでも呼びましょうか(笑)

でも、僕の印象では、彼はすごくこの役柄にハマっていたように感じた。ヨン様の笑顔を期待していた人にとってはどうだったかわからないけれど、とても巧みに、丁寧に演じていたのではないかと思う。韓国ではボロクソに言われているという噂も耳にするが、僕の中では確実に彼に対する印象はアップした。

ストーリーに話を戻すと、正直言って、僕には主人公2人の関係が”恋愛”と呼べるものなのかどうか、途中まで判断できなかった。好きとかっていうんじゃなくて、ただ寂しくて寄り添いあってるだけでしょ?という風にしか感じられなかったのだ。2人がすぐに互いの身体に手を触れ、肌の温もりを最優先に求めようとするのが、その何よりの証拠だろう、と。

でも、最後、僕はハッとさせられた。意識を戻した妻との生活に戻ったインスを見つめる、ソヨンの涙。ソヨンのいなくなった部屋で感情を爆発させる、インスの涙。

そうか、最初、それは”恋愛”ではなかったにせよ、いつしか2人の間には確実に”愛”が芽生えていたのだな、と僕は思い知らされた。愛には、いろいろな形があるのだ。誰にも理解されず、誰にも応援されなかったとしても、やっぱりそれは紛れもなく”愛”なのだ、と。

ラスト、2人を包み込む”四月の雪”。
たとえ許されない愛だとしても、それでも一緒にいていいんだよ。
そう、語りかけているような気がした。
[PR]
# by inotti-department | 2005-11-03 22:09 | cinema
『ダ・ヴィンチ・コード』 ~犯人よりも聖杯探し!~
e0038935_043244.jpg
満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

ダン・ブラウン著
『ダ・ヴィンチ・コード』
2004、角川書店


最近、とても悲しいことに、映画も本も、すべてチェックが後手後手にまわっている。

映画を例にすると。公開が終わる直前に、慌てて劇場へ足を運ぶ。公開されたばかりの作品は、とりあえずあとまわしにして。しかし、やがてその作品も、公開が終わる。慌てて観に行く。すると、また次の新作は、ひとまずあとまわし。その繰り返し。

まさに、負のスパイラルである(涙)。

そんなわけで、いまさら、『ダ・ヴィンチ・コード』を読み終えたわけです。はい。僕は常に何かしら本を1冊携帯しているので、周りの人から「いまは何を読んでるの?」と聞かれるパターンが少なくない。でも、今回ほど、いろんな人から「あ、それ読んだよ。面白いよね~」と、ちょっと誇らしげな顔で言われまくったことはなかった(笑)。

というわけで、今回は「面白いから、ぜひ読んでみて!」なんてことは言いませぬ。「面白く読ませていただきました!」という感じで、とどめておこうと思います。

では、簡単なあらすじ。今さらですが。。。
ルーブル美術館の館長ソニエールが殺された。パリに滞在していた象徴学者ラングドンは、ファーシュ警部から呼び出される。理由は2つ。ひとつは、彼がソニエールと会う約束をしていたこと。もうひとつは、現場に謎のメッセージが残されていたから。ラングドンはメッセージの意味を解こうとするが、現場に現れた、ソニエールの孫であり暗号解読官であるソフィーから驚くべき事実を伝えられる。警部は隠しているが、現場には「ラングドンを捜せ!」というメッセージが残されていたため、ラングドンは事件の重要参考人になっているというのだ。ラングドンは、自分の無実を証明するため、またソニエールが残したメッセージの意味を解くため、ソフィーとともに美術館を脱出するのだが・・・。

<以下、多少ネタバレ入ります。でも、ミステリーなので、犯人の名前は伏せます。>

世界的ベストセラーになっているというのも、十分に納得。ページを捲る手が止まらない、魅力的なミステリー小説である。

といっても、その魅力は、「犯人捜しのミステリー」としてのものではない。というより、実際にソニエール殺しを実行した人物に関しては、小説の冒頭ですでに明らかにされている。だから、ここでいう犯人とは、全ての事件を裏で操る”導師”の正体なのである。が、その”導師”が誰なのかということなど、物語の中盤あたりからどうでもよくなってしまうのだ(しかも、”導師”の正体の見当は、途中で大体ついてしまう)。

『ダ・ヴィンチ・コード』のミステリー。それは、イエス・キリストにまつわる伝説。そして、キリスト教の暗部に触れる”聖杯”を探すミステリーとしての魅力なのである。

イエス・キリストは神ではなく、ただの1人の人間だった。彼は、普通の人間と同じように、恋もしたし結婚もした。その相手は、マグダラのマリア。

しかし、イエスを神として絶対的な存在にすることで組織力を増したいキリスト教会は、その事実をひた隠しにしてきた。そして、聖書は書き換えられ、マグダラのマリアは娼婦として貶められた。

その事実を証明する文書をずっと守りつづけてきた秘密結社。それが、シオン修道会。殺されたソニエールは、そのシオン修道会のトップだった。ソニエールを殺した”導師”が狙うのが、まさにこの文書。それは、”聖杯”と呼ばれ、常に人々の関心の的となってきた。さて、”聖杯”はどこにある?ラングドンは、それを手に入れることができるのか?

これは、西洋史に興味がある人にとっては、もうたまらない小説だろうと思う。僕は、全くそのジャンルには詳しくないのだが、それでも十分に楽しむことができた。というより、この小説は、例えば敬虔なクリスチャンの方などにとっては、一番読むのが難しい物語かもしれない。だから僕のように、信仰心もなく宗教的関心も低い人間のほうが、かえって小説世界に純粋に入っていけたということもあったと思う。

これでもか、これでもか、と言わんばかりに謎を引っ張りまくる展開が素晴らしい。ひとつ暗号を解くと、また別の暗号が。ひとつ箱をあけると、その中にはまた箱が。これはミステリーの古典中の古典的手法で、「ええかげんにせえよ!」とツッコミたくもなるけれど、そのしつこさがたまらなく心地よいのだ(笑)腰が抜けるほどビックリするような衝撃的展開があるわけではないのだが、グイグイと引き付けられてしまう。

ただ、欲をいえば、最後の処理がもうひとつだったかなーという気もする。”導師”の正体があっさりわかって、「さぁ、あとは聖杯を見つけるだけ!」となって、そのあと。ラングドンとソフィーが最後に訪れた地で待っていたもの。不思議な感動があり悪くない展開のだが、うーん、何かおかしいぞ。僕らが望んでいたカタルシスは、そういうことではなかったような・・・・。

でも、謎を謎として残したまま余韻をもって終わるラストは、なかなか良いと思う。変に安っぽいオチをつけられるぐらいなら、この終わり方でベストだろう。

さてさて、この話、来年映画になるとか。主演はトム・ハンクス、監督は『ビューティフル・マインド』や『アポロ13』のロン・ハワード。

これはかなり期待でしょう!というのも、この『ダ・ヴィンチ・コード』、間違いなく映画向きの話だと思うから。途中あたりから、僕はまるで映画を観ているような気分に陥ったぐらい。話の展開の仕方、ミステリーとしてのわかりやすさ、これはまずハズレないだろうと思う。

なかなか上下巻を読むヒマがなくてお困りの方、来年公開の映画を待ってもよいと思います!

って、まだ観てもいない映画を勧めるなんて、我ながらなんと無責任なヤツなのだろう(笑)
[PR]
# by inotti-department | 2005-11-03 01:41 | book
『タッチ』 ~マンガとは別物。でも、悪くない!~
e0038935_1936937.jpg満足度 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点)

『タッチ』(2005、日)
   監督 犬童一心
   出演 長澤まさみ 斉藤祥太 斉藤慶太

あだち充、実は大好きなんです。

読んでない作品もいくつかあるので、熱狂的フリークとまではいかないけれど、間違いなく大好きなマンガ家のベスト3には入ってくる(ちなみに1位は、浦沢直樹。この人については、またおいおい書きます)。

中でも『タッチ』は、やはり特別な存在。個人的に一番好きなのは『ラフ』なのだけれど、やっぱり代表作といったらこれでしょう。まさに、知らない人はいないであろう、国民的名作マンガである。

その『タッチ』が、なんと実写で映画化された。なぜいま、『タッチ』をこの時期に!?

事情はよくわからないけれど、『タッチ』が映画化されるとあっては、観ないわけにはいかない。監督は、いま要注目の犬童一心(『ジョゼと虎と魚たち』『メゾン・ド・ヒミコ』)だし、浅倉南を演じるのはこれも注目の長澤まさみだし。

といっても、期待などこれっぽっちもない。あれだけの物語を2時間でまとめるのは困難だし、ましてそれが実写。観終わって出てくるのは、きっと文句だけだろう。

ところが!意外や意外!!

観終えた感想。この『タッチ』、これがなかなかの出来栄えなのだ。もちろんツッコミどころは満載だけれど、十分に楽しめる青春映画になっていた。

さて、今さら紹介するまでもないが、一応あらすじを。
上杉達也と和也は、双子の兄弟。お隣の浅倉南とは、同学年の幼馴染。幼少の頃から、3人はいつも一緒だった。いつしか3人の夢になったのは、甲子園。その夢を叶えるため、弟の和也は野球をつづけ、いまや野球部の優等生エース。一方、兄の達也は何をやっても中途半端な劣等生で、今はボクシングをやっている。南は野球部のマネジャーとして、和也を支える。しかし、南が想いを寄せるのは、和也ではなく達也の方だった・・・。

<以下、ネタバレ含みます。といっても、マンガでご存知の方も多いでしょうが(笑)>

ストーリーの基本線は、マンガに忠実。といっても、細かいエピソードやセリフはオリジナル。だから、「あのシーンはどういう映像になっている?」といったような楽しみ方は、この映画に関してはナンセンスだ。

あだち作品の最大の魅力は、あの飄々とした「間」だと僕は常々思っている。以前、『H2』をテレビ朝日がアニメ化したときに大失敗したのは、その「間」が全く生かせていなかったから。一方、日本テレビの『タッチ』のアニメがマンガと同じくらい面白いのは、その「間」をしっかり表現できているからだ。この違いは大きい(余談だが、日本テレビはアニメづくりが実に上手い。『YAWARA』しかり『シティーハンター』しかり『コナン』しかり)。

さて、実写版『タッチ』はどうだったか?犬童監督は、「間」という土俵にあがることはあえて避けたのだと思う。実写であの「間」を表現するのは、とても難しい。そして、失敗すると目もあてられないような悲惨な事態になってしまう。だから、監督のジャッジは賢明だったと思う。

『タッチ』は、設定やストーリーそのものが、すごく魅力的なパワーをもっている。だから、監督は、あえて小細工を使わずに、王道かつ普遍的な青春物語として『タッチ』の世界を表現してみせた。

そう、これはマンガとは別物の1本の映画なのである。だから、「長澤まさみと浅倉南は似てない」とか「新田が左利きになっている」とか「パンチが実写だとリアルで変だ」とか「原田が妙に常識人だ」とか、そういうツッコミは野暮だと思う(ツッコミをいれて楽しむ分には、問題ないけれど。というか、ここに挙げたのは全て僕自身がいれたツッコミ(笑))。

改めて感じたのは、『タッチ』って面白いよな、ということ。南と達也と和也の関係性なんて最高にスリリングだし、野球モノとしても文句なしに楽しい。こうして王道の青春映画になってみると、素材自体の魅力が改めて浮き彫りになる。

ただ、やっぱりマンガと比べると、出来は落ちる(比べるのは野暮とかいいながら、比べちゃってスミマセン(笑))。最大の欠点は、達也の魅力が映画にはちっとも出ていないこと。達也の良さは、飄々とした裏に熱いハートを秘めていること。でも、その熱さを決して表には出さず、あくまで表向きは3枚目。その奥深さが、カッコよくて魅力的なのだ。

でも、映画版の達也に、そういう魅力はない。特に後半、和也が死んでからは、ただの普通の主人公になってしまっている。野球を辞めたり、やっぱり戻ってきたり、そのへんの心理の揺れも、ちょっとわかりにくい(南に関しても、それは同じ。マネジャーを辞めたり、試合を見に行かなかったり。いまいちわからなかった)。

上杉兄弟のキャスティングは、ちょっと間違いだったかもしれない。といっても、双子という時点で、かなり制限されるから、難しかったのだろうけれど。斉藤兄弟は、顔がそっくりなだけでなく、演技までそっくりなのだ。だから、マンガが持っている達也と和也それぞれの魅力が、映画ではしっかり表現できていなかった。

一方、長澤まさみの浅倉南は、堂々たるものだったと思う。女優にとってこういう役柄への挑戦は、普通あまりプラスには働かない。ブーイングを浴びて失速するパターンも多い。でも、この「長澤版南ちゃん」に関しては、多くの人を納得させる説得力があったのではないだろうか。この人は、将来が楽しみな女優さんだと思う。

決勝戦、グラウンドへと走る南のバックで、主題歌「タッチ」が流れた。このタイミングは最高。胸がカーーっと熱くなってしまった。こういうセンスが、この監督にはある。

なぜいまさら『タッチ』を実写で映画化したのか?その疑問は、最後まで観ても解けなかった。

でも、やっぱり『タッチ』は面白い!そう改めて思わせてくれる、素敵な実写映画。
もしもまだマンガ版を読んだことのない人は、ぜひぜひ読んでみてほしい。あまりの面白さに、ビックリすること間違いなしです!
[PR]
# by inotti-department | 2005-10-26 20:25 | cinema
『メゾン・ド・ヒミコ』 ~これはスゴイ傑作です~
e0038935_13205436.jpg満足度 ★★★★★★★★☆☆(8点)

『メゾン・ド・ヒミコ』(2005、日)
   監督 犬童一心
   出演 オダギリジョー 柴咲コウ 田中泯

仕事がバタバタしておりまして、久しぶりの更新となりました。

で、今日、紹介するのは『メゾン・ド・ヒミコ』という映画。
実はこれを観たのは、もうかれこれ1週間ほど前。

とても素晴らしい映画だったので、観てすぐに感想を書こうと思ったのだが、不思議と何を書いたらいいのかわからなかった。
一体何が素晴らしかったのか、この映画はなんだったのか。うまく言葉で説明できない映画というのがたまにあるが、この映画はまさにそんな感じなのだ。

1週間たっても、やっぱりよくわからない。
ただ言えるのは、これはスゴイ傑作だ、ということだけだ。

さて、ストーリーの紹介。
塗装会社で働く沙織のもとを訪れた青年・春彦。彼は、ゲイのための老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」の経営者である卑弥呼の恋人。卑弥呼は沙織の父親だが、母親と沙織を捨ててゲイバーをはじめて以来、絶縁。春彦は、1日3万円で「メゾン・ド・ヒミコ」でバイトしないかと沙織を誘う。借金を抱える沙織は、金に目がくらんで「メゾン」へ。しかし、卑弥呼は末期ガンで、余命あとわずかとなっていた・・・。

<以下の感想、ネタバレ含みます。未見の方は、ご注意ください。>

「ゲイ」というのは、なかなか繊細なキーワードである。
声高に嫌悪感を表に出す人もあまりいないが、かといって「全面支持」を高らかに掲げる人もほとんどいない。いわば、本気で議論されることはあまりない、ある種の「タブー」である。

でも、当事者にしてみれば、それはとんでもない話だ。
ゲイ同士の恋愛だって、男性と女性の恋愛と何も変わらない。にもかかわらず、それが同性同士であるというだけで、白い目で見られてしまう。

日本社会の根底に、ゲイに対する差別が残っているのは、まず間違いない。感情の問題はさておき、それを事実として受け止めることから、この映画はスタートしている。

映画の主人公である沙織も、それは同じ。
自分を捨てた父親に対する嫌悪感。その父親がゲイであるということへの嫌悪感。はじめて「メゾン・ド・ヒミコ」に足を踏み入れた沙織は、ホームで生活するゲイ住人たちへの嫌悪感を露骨にあらわにする。

この彼女の目線が、社会一般の人たちの目線と重なる。そして、映画を観ている観客の目線とも。沙織は、ゲイを受け入れることができるのか?そして、父親を許すことができるのか?
それを最大のキーワードに、映画は物語を進めていく。

次第にゲイ住人たちとの交流を深めていく沙織。その繋がりは、ディスコでのダンスシーンで頂点を迎える。このシーンのもつ、滑稽なまでのハッピーっぷりが最高に素晴らしい。

「あ、沙織はゲイを受け入れることができたんだな」そう思いたくなるが、ことはそんなに甘くない。彼女の前に立ちはだかる「ゲイ」という壁。沙織と春彦は恋に落ちるが(はっきりと告白するシーンこそないが、間違いなく2人は想いあっていたと思う)、一線を越えられない。ゲイである春彦には、女性をどうやって愛したらよいのかがわからないのだ。

そして、沙織とゲイたちとの間に生じる亀裂。ゲイの1人であるルビイが病気になり、住人たちはルビイを家族に引き取らせる。ゲイである事実を隠したまま。これに激怒する沙織。「ご家族がどれだけこれから苦しむかわかる?あんたたちゲイのエゴのせいで」

沙織と春彦も、沙織と住人たちも、彼らがゲイであるという事実さえなければ、もっとスンナリとわかりあえたはず。

そして、沙織と父親も。

沙織は結局最後まで父親を許せないまま、父親はこの世を去る。父親の荷物を全て引き取って、メゾンを去る沙織。沙織とゲイたちとの、切ない永遠の別れ。

しかし、映画は最後に素敵なクライマックスを用意している。

塗装会社の仕事に戻った沙織のもとに届いた1枚の写真。そこに写っていたのは、あるイタズラ書き。それを塗装で消すため、沙織はそのイタズラ書きの書かれた場所へ向かう。

そこは、「メゾン・ド・ヒミコ」。書かれていたのは、「沙織に会いたい」のイタズラ書き。現れた沙織を住人たちは温かく迎え、映画は幕をとじる。

犬童監督は、前作『ジョゼと虎と魚たち』でも、障害を抱えた少女と健常者(言葉の是非は別にして)の青年の恋を描いた。社会的弱者とされる人たちとの交流。それは、決して簡単なことではない。

でも、この『メゾン・ドヒミコ』が持つ温かさは何だろう。簡単ではないけれど、かといって難しいことでもない。そう教えてくれるかのようだ。

なぜ沙織は再び「メゾン・ド・ヒミコ」へ行ったのか。それは、もう1度彼らに会いたかったから。それだけのこと。彼らがゲイであるとか、そんなことは関係ない。この瞬間、沙織と彼らの間に立ちはだかっていた壁は、あっけなく崩れた。

そしてまた、沙織と卑弥呼の間の壁も崩れたのではないかと僕は思う。ベッドから卑弥呼が告げた言葉。「あなたが好きよ」。沙織はそのとき「何よ、それ」と相手にしなかったけれど、きっとそのとき、何か氷のようなものがゆっくりと解け始めたのではないかと思うのだ。

柴咲コウが最高の演技を見せている。眉間にシワを寄せた頑なな表情が、少しずつ温和になっていく表情の変化の素晴らしさ。複雑な感情の揺れを、ごくごく自然に見せる演技の豊かさ。

そして、田中泯。その存在感のスゴイこと。ベッドの上から動かないのに、常に世界の中心にいる存在感。世間からさんざん蔑まれ、それでもゲイたちの心の支えとしてありつづけようとした男の強さ。彼の揺るぎない強さがなければ、映画は説得力を持たなかっただろうし、沙織も「メゾン・ド・ヒミコ」に通いつづけることはなかっただろう。

社会には、人と人の交流を阻害する要因がたくさん潜んでいる。それってとてもおかしなことなんだけれど、でも、やっぱり認めざるをえない。誰が悪いとかそういうことじゃなく、でも、やっぱり確かにそれはある。

だけどそれをなくしていけるような素敵な力が、やっぱり確かに人間にはあるのだ。
[PR]
# by inotti-department | 2005-10-26 14:24 | cinema
『NANA』 ~漫画ファンたちの呟き~
e0038935_13173361.jpg満足度 ★★★★★☆☆☆☆☆ (5点)

『NANA』(2005、日)
   監督 大谷健太郎
   出演 中島美嘉 宮崎あおい 松田龍平

自慢じゃないけど、少女マンガと呼ばれるものを、生まれて読んだことがない。

というわけで、もちろんこの『NANA』に関しても同じ。
バカ売れしているマンガがあるぞ、というウワサはかねがね聞いていたけれど。

そんな僕が、なぜ映画『NANA』を観る気になったのか?なんてことはない、ただのミーハーだから(笑)。世間で広く受け入れられているものをチェックするのは、僕の性分なのだ。

観たのは水曜日の夜で、レディースデイということもあり、劇場はほぼ満席。お客さんの大半は若い女性(僕がどれだけ浮いていたことか(笑))。

映画の上映中、客席からはクスリとも笑い声があがらなかった。ただの1度も。満席のときって、普通もうちょっと盛り上がるものなんだけど。僕がクスっと笑い声をあげそうになっているときも、周りの人たちは「そこで笑ってるの、君だけだよ」といわんばかりに平静を保っていた。

ところが!
エンドロールが終わり場内が明るくなった瞬間、いままで沈黙を守っていた女性陣が、堰をきったようにダァーーーっと喋りはじめた。僕は、エンドロールが終わったらとっとと帰ろうと考えていたので(さほど余韻を楽しむような映画じゃあるまいし)、その騒然とした感じにはそりゃもう驚いた。

一体、彼らは何を喋っているのだろう?すごく興味があったから、少し劇場内にとどまって、会話に耳を傾けてみた。

さて、その内容とは?
ひとことで言うなら、彼らは「ツッコミ」を入れていた。「あの役にあの俳優はどうなんだ」とか「あのキャラクターが」とか「あのシーンが」とか。

そうなのだ。お客さんのほとんどは、漫画ファンだったのだ。
彼らは上映中、「あの漫画をどう映画に料理してくれるのか、お手並み拝見といこうじゃないの」といわんばかりに、ずっと黙っていたのだ(って、僕の勝手な推測だけれど)。

漫画ファンにとって、この映画は満足できるものだったのか?それは、原作を読んだことのない僕にはわからない。

ただどちらにしても、この映画は、漫画『NANA』ファンのための映画だと思う。

映画の出来は、お世辞にも褒められるものではない。役者たちの演技はあまりにも拙いし(恥ずかしくて見ていられないようなシーンも前半は多かった)、ストーリーにも妙味はなし。1本の作品としてこの映画を存分に楽しむのは、簡単なことではない。

となると、この映画の楽しみ方は、漫画との比較ということしかない。いろんな点を比べながら、おもしろおかしくツッコミをいれて、再び漫画に戻っていく。それが一番正解だろう。

もう1つ思うこと。この映画、予告編の出来が良すぎた。”ここ!”っていうシーンが、みんな予告に登場しちゃってるから、本編と印象が変わらないのだ。ナレーションとか歌の絡め方もすごく上手かったし、僕は予告に惹かれて観たっていう面もあった。

文句ばっかり言ってる感じだけど、2人のナナが「トラネス」のライブに行く、あのシーンは素晴らしい。そこで歌われる『ENDLESS STORY』という歌もとてもよい曲だし(かなり売れているようだ。納得)、それを聴きながら涙を流す中島ナナの芝居もとても良かった。そして、そんな中島ナナの涙を見て、横にいる宮崎ナナがそっと中島ナナの手を握る。このシーンも良い。

しかーーーーーし!
そこ、予告編のメインで使われちゃってるのだ!だから、「あ、ここで手を握るな」っていうのが事前にわかってしまう。いやぁ、ここは本当に残念だった。とっても良いシーンだったのに。

予告の作り方も難しいものだ、ホント。
でも、それでまた1人のバカな男が動員に貢献したのだから、製作側はバンバンザイだろうけど(笑)
[PR]
# by inotti-department | 2005-10-15 14:06 | cinema
『シンデレラマン』 ~しごく”マジメ”な力作!~
e0038935_0291084.jpg満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

『シンデレラマン』(2005、米)
   監督 ロン・ハワード
   出演 ラッセル・クロウ レニー・ゼルウィガー

井筒さんがCMで絶賛したことでも知られるこの作品。
大体、おすぎとか井筒さんが予告とかに出てくると、ロクなことにならないというのが僕の考え(笑)

でも、今回に関しては、その心配は杞憂に終わった。
『シンデレラマン』、なかなかの力作である。

では、あらすじ。
ジミー・ブラドックは、世界チャンピオン目前まで行ったボクサー。しかし、アメリカを襲った大恐慌により生活が苦しくなり、故障をおして出場した試合での散々な内容が原因でライセンスを剥奪されてしまう。貧困はどん底まで進み、妻のメイは3人の子供たちを別の家に預けようとする。しかし、家族は自分が守ると誓うジミーは、必死で日雇い労働をつづける。そんなジミーのもとを、元マネジャーのジョーが訪ねてくる。彼が持ってきた土産は、一夜限りの試合だった・・・。

<以下、ネタバレもはいります。ご注意ください。>

ロン・ハワードという監督は、『アポロ13』や『身代金』などのヒット作、最近ではアカデミー賞作品である『ビューティフル・マインド』などで知られている。
この監督の特徴は、とにかくダイレクトに直球勝負の映画を撮ること。
今回の『シンデレラマン』にも、そのポリシーは受け継がれている。

物語自体は、全くもってどうってことのない話だ。
衰えて貧乏になった元スターボクサーが、家族を守るためにもう1度立ち上がる”シンデレラ”ストーリー。
2時間を優に越える力作だが、この映画が描いていることは、それ以上でもそれ以下でもない。ストーリーに新鮮味やアイデアを求める人にとっては、この映画は退屈以外の何物でもないだろう。

でも、その表現の力強さといったら、なかなかのもの。どうってことのないストーリーなのに、グイグイとスクリーンに引き込まれてしまう。
この監督、たぶんすごくマジメな人なのだろう。例えば三谷幸喜とかクドカンなんかには、間違っても作れない映画だ(笑)

大恐慌の中で、どれほど庶民が苦しい生活を強いられていたのか。そういうバックグラウンドを丹念に描いていることが、まず何よりも素晴らしい。
それがあるから、主人公ジミーの生き様に感動が生まれる。応援したくなる。

奇跡の復活を遂げていくジミーに、庶民は勇気づけられる。「この生活から抜け出したい!」そう願う人にとって、ジミーの戦いは自分自身の戦いでもあったのだ。
最後の試合、必死に戦うジミーの姿も感動的だが、僕が涙を誘われたのは、そんな彼を必死に応援する人々の姿だった。

ところで、この「ジミー・ブラドック」というボクサー、実在した人だそうな。
彼の最後の試合の結末に、”いかにも実話”という感じが出ている(フィクションだったら、最後はスカっとKO勝ちでしょう)。
観客をおもいっきり泣かせたいなら、もっと感動を煽る方法もあったはずだけど、この映画はそこまでやりすぎない。そんなエンディングにも、この映画のマジメさが出ている。

欲をいえば、もう少しストーリーにメリハリが欲しかったかな、という気はする。
特に後半、あまりにもトントン拍子すぎたような。もうひと苦労あってもよかったのかな、と。って、実話じゃ仕方ないか(笑)

なにはともあれ、こういう”マジメ”な映画もたまには良いものだな、と思う。
とかく、最近はストーリーのネタも尽きてきて、”変化球勝負”みたいになってきている風潮があるし。
直球勝負、大変アッパレではないか。

余談だけど、先日の選挙。
「民主党の敗因は、党首がマジメすぎたこと」という意見に対し、あるニュースキャスターが、
「マジメであることが悪く言われてしまう世の中。なんだかイヤですね」
みたいなことを言っていた。それを聞いたとき、僕も「たしかに」と思った。

いいじゃない、マジメ。
真っ当なことを、真っ当に表現する。それって、とても偉大なことではないか。ある意味、変化球より、よっぽど勇気が必要なのだから。

って、不マジメな僕が言っても、説得力がないのだけれど(笑)
[PR]
# by inotti-department | 2005-10-14 01:08 | cinema
『チャーリーとチョコレート工場』 ~最高!ウンパ・ルンパ(笑)~
e0038935_1341249.jpg満足度 ★★★★★★★★☆☆ (8点)

『チャーリーとチョコレート工場』(2005、米)
   監督 ティム・バートン
   出演 ジョニー・デップ フレディー・ハイモア

やーーーーーーっと、この映画を観れました!!

実はもう2回ほど劇場まで行っていたのだけれど、なんど2度とも満席で入れなかったのだ。
大して長くはない映画ファン歴だけれど、それにしてもこんなにも、映画を観るのに苦労したのは生まれてはじめてだ。

満席で映画が観られないなんて、よっぽどヘコむかと思いきや、なんだか妙にうれしかったりするから、人間って不思議なもの(笑)

『シザーハンズ』に魅了されてから、ずっと応援しつづけているティム・バートン監督の映画が、まさかこんなに大ヒットするなんて。そりゃあもう、喜びもひとしおだ。

これから観たい!と思っている方もいるかもしれない。
そんな方は、ここから下はネタバレしちゃうんで読まないでください(笑)

でも、ひとつだけお約束できることは、「この映画、最高!!」ってこと。
ぜひぜひ、劇場で観てほしい、そんな最高のファンタジー映画だ。

では、簡単なあらすじを。
貧しくも、温かい家族に囲まれて幸せに暮らすチャーリー。そんな彼のもとに、ある日飛び込んだニュース。それは、世界一のチョコレート工場を経営するウィリー・ウォンカが、5人の子供たちを工場の中に招待するというもの。チャーリーは、見事に工場行きの”ゴールデン・チケット”を当て、いざチョコレート工場の中へ・・・。

<以下、ネタバレ含みます。ご注意ください。>

これはもう、ストーリーがどうこうというような種類の映画ではない。
とにかく、チャーリーが見学するチョコレート工場の様子が、もう最高に楽しい!

CGをふんだんに使ったりする映画は、昨今はとかく非難されがちだが、この映画にそれはあてはまらない。”CGの正しい使い方”を、スクリーンいっぱいに広がる豊かなイメージの世界で教えてくれる。

チャーリーと一緒に工場内を回る4人の子供たちは、わがまま放題に勝手な行動をとる。
そんな彼らを待ち受けているのは、ウォンカによるブラックなお仕置き。
そこで登場するのが”ウンパ・ルンパ”。
その動きが、もうサイコーーーーに笑える。

ブラックな歌の数々も最高!
映画を観終わってまる1日が経過したが、いまだに僕の頭の中からは、あの奇妙なメロディーと歌詞が離れてくれない(笑)

そして、ジョニー・デップ。
”怪演”と言っていいようなユーモラスな語り口(笑い方もウマイんだ、これが)。ウィリー・ウォンカという奇妙な工場主を、最高にユニークなキャラクターとして表現している。これはもう、アカデミー主演男優賞決定ではないだろうか(マトモな芝居ではないから、無理かもしれないが・・・。)

物語は、ひとことで言うと「ファンタジー」。
でも、そこは百戦錬磨のティム・バートン。もちろん、ただのファンタジーでは終わらない。とにかく、味付けがブラックなのだ。そこが、この映画の最大の魅力。

もうひとつのキーワードが、「家族」。
前作『ビッグ・フィッシュ』もそうだったけれど、もはやこのキーワードは、バートン映画に欠かせないものになってきている(バートン自身が父親になったことが、やはり関係あるのかもしれない)。

チャーリー一家のアット・ホームな佇まいが、最初から最後までとても良い。
貧乏という欠点はあるけれど、ある意味において”理想的な家族”だと思う。

一方、チャーリー以外の4人の子供たちはヒドイ。
ブタのようにお菓子を食べまくる少年と、それを放置して注意もしないブタのような母親。
ワガママ放題何でも欲しがる娘と、それを叶えてしまう父親。
他人に勝つことしか考えていない傲慢な娘と、そんな娘を誇りに思っている母親。
理論だけを重視し人生をゲームのように考えている少年と、そんな息子とうまくコミュニケーションがとれない父親。

様々な”問題家族”にお仕置きしたうえで、最後に待っている結末。
それが、ウォンカと父親の和解というエピソード。

正直、とってつけたような感じがなくもないのだけれど、ファンタジーのエンディングとしては悪くない。
一番子供だったのは、お仕置きをする側であるウォンカ自身だったのだ。彼は父親の愛情を受けてこなかったせいで、子供のような性格のまま、大人になってしまった。
そんな”問題家族”で育ったウォンカに、家族の大切さを教えたのは、チャーリーの存在。

映画は、最も素直で、最も家族を大切にする少年に、最もハッピーな結末をプレゼントする。
「家族を大切に」「謙虚に」「素直に」
映画が教えてくれるメッセージは、シンプルかつ普遍的なものばかり。

でも、この映画がすごく心に残るのは、その味付けがユニークだからなのだ。
どんなに声高にストレートに言われても、僕らは白けてしまいがち。
でも、こんな風に、ユーモアも交えて言われると、「あ、やっぱりそうだよな」なんて素直に思えるから不思議だ。

いっぱいいっぱい笑ったあとで、なんだか温かい気持ちにもなれる素敵なファンタジー。
子供の頃にこんな映画と出会えたら、いまの1000倍ぐらい楽しめただろうなぁ。

でも、ウンパ・ルンパで爆笑できるのは、大人も子供も変わらないか(笑)
[PR]
# by inotti-department | 2005-10-11 14:07 | cinema
槇原敬之『Listen To The Music 2』 ~全曲レビュー!~
e0038935_1332190.jpg満足度 ★★★★★★★☆☆☆(7点)

槇原敬之のカバーアルバムが発売された。
1998年に発表されたカバーアルバム『Listen To The Music』の第2弾である。

僕は前作も持っているのだけれど、前作に関しては、正直ちょっと選曲が地味だったかな、という印象をもった。
それに比べると、今回はなかなか豪華。
タイトルを見ただけでも、エルトン・ジョン『Your Song』、宇多田ヒカル『traveling』、オフコース『言葉にできない』など、おなじみの名曲たちが並んでいる。

それにしても。マッキーファンのひとりとしては、やっぱり感慨深い。
よくぞここまで復活したものだ、と。

『Listen To The Music』発売の翌年、マッキーは逮捕された。
そのときは、まさか再びミュージックシーンの最前線に戻ってくる日がくるなんて、全然想像もできなかった。まさか、『Listen To The Music2』が出せるようになるなんて。

彼が芸能活動をつづけていることに関して、違和感を感じている人もいるかもしれない。彼の犯した罪は、決して許されるものではないのだから。
でも、僕はそれについてはゴチャゴチャ言うつもりはない。
彼の人間性なんて、しょせん他人の僕たちにはわからないのだから。
僕たちにできることは、マッキーが発表する音楽を、ひとつの作品として受け止めることだけだ。

ただ、良くも悪くも、事件前と後で、彼の音楽性は180度変化したと思う。
事件から復帰したあとのマッキーに、以前の”ラブソングの帝王”としての面影はない。

昔と今とどっちが好きかと言われると、正直返答に困る。
どっちも、それぞれに良さがあるから。
でも、最近の”悟り”をひらいたかのようなメッセージソングには、いろいろと考えさせられる部分は多い。
名曲『世界に一つだけの花』だって、いろいろな苦い経験をしてきたマッキーだからこそ書けた、そんな曲だと思う。

で、前置きはさておき、このアルバム。
ひとことで言うと、とても良いです!
オリジナルアルバムだと、どうしても説教臭さが前面に出ちゃうのだけれど、このアルバムには良い意味でそれがない。って、他人が書いた曲を歌っているんだから、当たり前なんだけれど。

このアルバムを聴くと、思う。
あー、やっぱりマッキーは”シンガーソングライター”なんだよな、って。

例えば平井堅のカバーアルバムなんかは、”シンガー・平井堅”という面が強い。
でも、それに比べると、マッキー版は”歌”だけでなく、”アレンジ”の魅力が目立つのだ。
ひとりのアーティストとして、自分が尊敬する名曲に、正面から立ち向かっている。そんな印象を受ける。

”音”に対するこだわり。
まさに、『Listen To The Music』というタイトルにふさわしい、素敵な作品だと思う。

では、全曲レビュー、ざっと書きます!

M-1:『Smile』(ナット・キング・コール)
CMなんかでも使われている、おなじみの名曲。ポップで明るいアレンジが新鮮。はじめてちゃんと訳詩を読んだのだけれど、すごくいいこと言ってたんですね(笑)

M-2:『Your Song』(エルトン・ジョン)
このアルバムで一番好き!名曲中の名曲。素晴らしい。
原曲の良さを最大限に引き出す、シンプルなアレンジもグッド。マッキーの歌のうまさが際立っている。

M-3:『野に咲く花のように』(ダ・カーポ)
恥ずかしながら、原曲知らず・・・。まるで童謡のような、シンプルな曲。
マッキーの伸びやかな声には、とてもあっている。面白みはないけど(笑)。

M-4:『traveling』(宇多田ヒカル)
マッキー×宇多田という異色の組み合わせ。思ったよりも、スンナリ歌いこなしていてビックリ。
爽快なアレンジも心地よい。マッキーが楽しんでいるのが伝わってくる1曲。

M-5:『I Will Be Here For You』(マイケル・W・スミス)
すごく良い曲!はじめて聴いたのだけれど、忘れられない1曲になった。
まさに、究極のラブソング。こういう曲に出会えるのが、カバーアルバムの醍醐味。

M-6:『Forget-me-not』(尾崎豊)
尾崎豊のトリビュートアルバムに収録の1曲。トリビュートの中でも際立って完成度の高かった曲だけあって、やっぱり聴き応えがある。イントロは鳥肌もの。非のうちどころなし。

M-7:『島育ち~人の歩く道~』(山弦)
癒し系の1曲。『Forget-me-not』の余韻を、そのままスっと伸ばしてくれるようなやさしい曲。
マッキーの自作による詩が素晴らしい。

M-8:『TIME AFTER TIME』(シンディ・ローパー)
これもおなじみの曲なんだけれど、ちゃんと聴いたのは意外にはじめてかも。
テクノっぽいアレンジがカッコイイ。それにしても、英語の発音いいなぁ(笑)

M-9:『言葉にできない』(オフコース)
これ、実は聴く前、最も期待してた曲。良くも悪くも裏切られました(笑)
面白いアレンジなんだけれど、うーーむ。策におぼれた感じがなくもない。
個人的には、ピアノ弾き語りで、涙させてほしかった!

M-10:『ヨイトマケの唄』(美輪明宏)
ライブでもカバーしてた曲。超名曲。とにかく、詩が圧巻のひとこと。
サザンの桑田さんも、前にソロでカバーしていて、僕の中では桑田版の印象が強い。
カントリーっぽいポップなアレンジが面白い。でも、個人的には桑田版に軍配。

M-11:『ファイト!』(中島みゆき)
最初(1番)は、「なんじゃこりゃ!」って思いました(笑)でも、1番終りの間奏が圧巻!急激に曲が盛り上がってくる。
そして最後は感動もの。これは、まさにアレンジの勝利。

M-12:『ごはんができたよ』(矢野顕子)
個人的には、あんまり好きじゃない(笑)でも、アルバムの中で一番声を張り上げている曲。
でも、やっぱりあんまり好きじゃない(笑)

M-13:『見上げてごらん夜の星を』(坂本九)
これはもう、”シンガー・槇原”の真骨頂。アレンジうんぬんじゃなく、”歌”に全てのエネルギーを注いでいる。
平井堅バージョンにも負けていない魂の熱唱。最後にふさわしい感動の1曲!

以上、ざっと書かせていただきました。

今のところのベスト3は、
『Your Song』
『Forget-me-not』
『I Will Be Here For You』

といったところ。

ぜひぜひ、第3弾も出してほしい。
今度は、『言葉にできない』は弾き語りでね(笑)
[PR]
# by inotti-department | 2005-10-05 03:00 | music
イチローの2005年 ~「206安打」「.303」の意味~
マリナーズのイチロー選手の2005年シーズンが、今日で終了した。

最終成績は、206安打、打率.303。

悪い成績ではない。5年連続200本安打を達成し、打率も一流選手の証である3割を上回ったのだから。
でも、やっぱり世間の受け止め方は違う。
「今年のイチロー、不調だったな」と。

なんといっても、去年がスゴすぎた。
シーズン最多安打記録を塗り替え、文句なしの首位打者。
名実ともに、「世界一ヒットを打つのが巧い選手」となった昨シーズンの輝きを思うと、確かに今シーズンの成績は物足りなかった。

ひょっとすると、イチロー選手も30代になりピークを過ぎつつあるのではないか、とみる向きもあるかもしれない。
でも、僕はいま、こう考えている。
来年、また彼はすごい記録を残すのではないか、と。

注目すべきは、「206安打」の「6」と、「打率.303」の「3(最後の位のほう)」である。

正直、2週間ぐらい前までは、今年は「200本安打」も「打率3割」も苦しいのではないか、と僕は内心では心配をしていた。
イチロー本人も、そんな風に弱気になったこともあったのではないだろうか。今年に関しては。

でも、彼はやってのけた。
ラスト3試合を残すのみという土壇場の状況で、「5打数4安打」「4打数3安打」と、連日の猛打をみせたのだ。
この2試合で結果が出ていなければ、今年は「199安打」「.295」ぐらいで終わっていただろう。

そんなイチロー選手を見て、僕は昨シーズンのことを思い出した。
シーズン最多安打記録を塗り替えられるかどうかと世間が騒ぎ出した9月。
そのときも、僕は内心では「最後、惜しくも記録に届かないんじゃないかなぁ」と、内心では心配をしていたのだった。

でも、彼は最後の1ヶ月、連日の猛打を披露した。
そして、記録を塗り替えたのだった。

イチロー選手が何よりも素晴らしいのは、プレッシャーというものに恐ろしく強いことだ。
追い詰められたときこそ、彼は真価を発揮する。
「やってほしい!」そういうファンの無責任な期待に、彼はいつも見事に応えてみせるのだ。

実をいうと、「200本打てるかなぁ」「3割いくかなぁ」と心配しながらも、僕は心のどこかで、「きっと彼はやるだろうな」と確信していた。
昨年の終盤の彼のプレーを、僕は覚えていたから。

だから、実は1週間ぐらい前に「がんばれ、イチロー!」的な記事をこのブログに書こうかと思ったのだけれど、結局それは書かなかった。
きっと、200本安打と3割を達成するだろう、と思ったから。
記事はそのときに書けばいい、と僕は決意したのだった。

206安打、打率.303。
確かに、物足りない数字ではある。

でも、この「6」と「3」がきっと来年、意味をもってくるんじゃないかなと、僕は睨んでいる。
[PR]
# by inotti-department | 2005-10-04 01:24 | sports
村上春樹『東京奇譚集』 ~なんだか”ホット”な短編集~
e0038935_12535839.jpg
満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

村上春樹・著
『東京奇譚集』
2005、新潮社


村上春樹の最新作。
相変わらず、よく売れているようだ。
書店にズラっと並んでいるのを見ると、ファンとしてはやっぱりとてもうれしい。

しかし、いつも思うのだけれど、村上春樹が国民的人気作家だという事実は、本当に不思議だ。

だって、読んだ人が全員同じように満足できるようなタイプの小説家では、決してないだろう。
ストーリーは個性的で難解(個人的にはそうは思っていないのだが、客観的にみればそうだろう)だし、少なくとも万人受けするような物語を書く人ではない。

この最新作『東京奇譚集』も、やはりそういう村上春樹らしさに溢れている。
東京を舞台に起こる、5つの不思議な物語を集めた短編集である。

しかし一方で、村上春樹を何冊か読んだことのある人にとっては、また違った印象も残ったかもしれない。
僕も、そのひとり。

何が違うのかって、この新作、なんだかとっても”ホット”なのだ。

<以下、ネタバレも含みます。未読の方は、ご注意を。>

村上作品の主人公たちって、いつもだいたいすごくクール。
あまり、目に見えるような感情の昂ぶりは見せず、物事をとらえていく。
しかし、今回は、ちょっと趣が違うのだ。

例えば、1話目の『偶然の旅人』(ちなみに僕は、この短編が一番好き)。
ゲイの主人公は、偶然出会った女性のホクロを見て、絶縁状態になっていた姉のことを思い出す。そして10年ぶりに電話を掛け、再会を果たす。

そのときの彼と姉の会話が、すごく”ホット”なのだ。
お姉さんは号泣しているし、彼も涙をぐっとこらえている。
なんだかとっても人情味あふれる、家族の物語ではないか。

4話目の『日々移動する腎臓のかたちをした石』もそう(これが、2番目に好きな短編)。
淳平は、16歳のときに父親から言われた「人生で本当に意味のある女は、3人しかいない」という言葉が頭から離れず、それ以来、女性と深く付き合えなくなってしまった。そんなある日、キリエという女と出会う。

これは、ラストが”ホット”。
キリエと別れた淳平は、ついに気付く。
「大事なのは数じゃない。大事なのは、1人を受容しようという気持ち。それは常に、最初であり最終でなくてはならない」
直接的な表現はできるだけ避ける村上作品において、このダイレクトで”ホット”なメッセージは、極めて異例といっていい。

他の3篇も含め、この短編集は”ホットである”という点において、どの物語にも一貫性がある。
そして、どのエピソードにも共通しているのが、”他者との繋がりを求める気持ち”である。

偶然知り合った女性との出会いを通じて、姉との繋がりを回復する男の物語である『偶然の旅人』。
息子のような2人の若者との交流を経て、息子の死という事実を受け入れる母親の前向きな姿を描いた『ハナレイ・ベイ』。
様々な人たちと交流しながら、謎の失踪をとげた男の行方を追うことを仕事とする男の話である『どこであれそれが見つかりそうな場所で』。
ある女性との交際によって、誰か1人を愛することの大切さに気付く男を描いた『日々移動する腎臓のかたちをした石』。
”自分の名前が思い出せなくなる病気”にかかった女性が、”名前”を盗んだ猿の言葉によって、心に蓋をすることで誰も愛せなくなってしまっていた自分に気付かされる『品川猿』。

どの主人公たちも、最初は心に大きな闇を抱えている(『どこであれ・・・』は、ある意味では主人公が不在の”象徴的”な話なのでちょっと違うが)。
それが、他者との関係をもつことで、その心の闇と向き合う気持ちを持つようになる。
そして、心の闇を消し去るために、新たな”繋がり”を求めるのである(あるいは、”繋がり”を回復することで、心の闇を消し去ることに成功する)。

「喪失と再生」というのは、常に村上春樹が向き合いつづけている最大のテーマであり、今回もその点は変わらない。
ただ、アプローチの仕方が違うのだ。

いつもはもっとオブラートに包む”クール”なアプローチが持ち味なのだが、今回はずっと表現がダイレクト。
「人と繋がっていたい!」
そういう前向きな気持ちが、とてもわかりやすく描かれている。

また、”家族”という関係に重点を置いていることも興味深い。
姉、息子、夫、父親、母親。
どのエピソードにおいても、主人公の心の闇には、家族が大きく関わっている。
そういう意味でも、とってもダイレクト、なのだ。

人と人が関わるから、心には闇が発生する。
しかし、人と人が関わるからこそ、その闇は晴れるのだ。
そのメッセージをよりクリアに表現するために、”家族”という最も近い人間関係を描いたのかもしれない。

そういえば、『海辺のカフカ』の最後の文章を読んだときにも、僕は同じような感想を抱いたのだった。
これほどダイレクトに読者に語りかけてくる文章は、かつてなかったのではないか、と。

そういう意味では、この『東京奇譚集』は、さらにその”ホット”路線が強まった作品であると言えるのかもしれない。

さて、次に村上春樹は、どんな作品を書くのだろう?
願わくば、それが『海辺のカフカ』以来の大長編であれば、とってもうれしいのだけれど。
[PR]
# by inotti-department | 2005-10-01 03:40 | book
映画『世界の中心で、愛をさけぶ』 ~映画監督のプライド~
e0038935_1258416.jpg
満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004、日)   
   監督 行定勲
   出演 大沢たかお  柴咲コウ  長澤まさみ  森山未來


大ヒット映画『世界の中心で、愛をさけぶ』が、テレビで初放映された。

僕は劇場公開時にすでに観ていたので、これが2回目の鑑賞。

原作は、言わずと知れた大ベストセラー。たしか、発行部数は300万部を超えたとか。しかし、この物語、原作・映画ともに、意外に世間の評判が芳しくない。

特に、映画版に関しては、公開当時、ボロクソにこきおろしていた人がかなり多かったように記憶している。

でも、僕は、この映画版『世界の中心で、愛をさけぶ』が、けっこう好きだ。
そうやって言うと、すごく意外な顔をされるから、あんまり声高に友人たちの中心ではさけべないのだけれど(笑)

僕がなぜ、この映画に満足できたのか。
それは、映画の中に、行定勲という人の”映画監督としての意地”を感じ取れたことが、映画ファンとしてとてもうれしかったからだ。

では、簡単なあらすじ。
台風の日。朔太郎は、婚約者の律子が失踪したことを知る。テレビ画面の中に彼女を発見した朔太郎は、彼女を追って故郷の高松へ。それは、自分の背負った悲しい過去への旅でもあった・・・。17年前、高校生の朔太郎は、同級生の亜紀と恋に落ちた。しかし、彼女は白血病を患ってしまう。若い2人に残された時間は、あとわずかだった・・・。

<以下、ネタバレ含みます。「まだ観てないから言わないで~!」という方は、ご注意を。>

この映画が否定的に言われてしまうのは、やはり律子の存在が原因だろう。
原作では触れられていない彼女の存在。そして、朔太郎と亜紀の恋愛の中に幼い日の律子が登場する、いささか奇妙な展開への嫌悪感。

前にも『フライ、ダディ、フライ』の感想のときに書いたと思うが、原作ファンを納得させる映画化というのはとても難しい。特に、原作にないことをしてしまった場合、あるいは原作に出てこないキャラクターを登場させた場合、その風当たりは恐ろしく強くなる。

『世界の中心』は、まさにその典型的なパターン。
「あの律子ってのが出てくるから、つまんなくなるんだよーー」そんな声を、どれだけ耳にしたことか。

でも、僕には、この”律子”というオリジナルキャラクターの存在が、とても興味深かった。

僕が思うに、律子というのは、ひとつの”象徴”なのだと思う。

律子が負った足の障害は、朔太郎が抱え続ける心の傷の象徴。
また、彼女が届けられなかったテープは、亜紀にいまだに「サヨナラ」できずにいる朔太郎の心情を表しているのだと思う。

朔太郎は、亜紀の死から17年経っても、彼女の死を受け止めることができずにいる。
だから、亜紀の幻を見てしまうし、彼女の声が聞こえてしまう。
そんな朔太郎の前から律子が姿を消したのは、ある意味では当然のことと言える。

その朔太郎が、故郷を歩きながら当時のことを回想することで、次第に、亜紀の死という動かせない事実を受け入れはじめる。
そして、律子と再会し、彼女を力強く抱きとめる。

朔太郎の心の象徴である”律子”と共に生きていくということは、亜紀の死を心の中に受け入れ、亜紀と共に生きていくということでもあるのだ。

ラストシーン、亜紀に別れを告げ、彼女の灰を撒いたあとで、朔太郎はこうつぶやく。
「ここに来て、”世界の中心”がどこにあるのかがわかったよ」

”世界の中心”とは、ひとりひとりの心の中にあるものであり、朔太郎は最後に亜紀を心の中にしまいこむことで、ようやく”愛”を取り戻すことができたのだ。


と、ここまで説明しておいて何なのだが、この”朔太郎と律子”のパートが、少し理屈っぽすぎるのも一方で事実。
ラスト30分のこういう”理屈っぽい”展開が、この作品の魅力である”青春”や”純愛”といった良さを消してしまっていることは否めない。

つまり、せっかくの「心で感じる映画」が、「頭で考える映画」になってしまっているのだ。
この映画が不評なのは、この点に尽きるのだと思う(森山未來と長澤まさみのパートに関しては、それほど不満は大きくないのではないだろうか)。

ただ、それでも、僕はこの映画の”挑戦”を、大いに評価したいと思う。

原作のメッセージを忠実に伝えるための手法として、原作を忠実に再現するのではなく、あえてそこには登場しない”律子”というキャラクターで勝負することを選択した、行定勲監督の挑戦。
僕はそこに、映画監督のプライドを見た気がするのだ。

なんとなくあらすじを追いかけているだけの映画化作品が増えてきている中で、こういう冒険はとても良いことだと思う。
たとえそれによって風当たりが強くなろうとも、そんなことは気にしない。
僕は1人の映画ファンとして、そういう意欲的なチャレンジ精神がとてもうれしかったのだ。

そして、最後にもうひとつ、この映画に関して触れておかなければならないことがある。
長澤まさみと、森山未來。
2人の若き俳優の、その素晴らしい演技について。

特に、森山未來。
彼は、とりたてて顔が美しいわけではない(森山ファンのみなさん、怒らないでくださいね(笑))。
にもかかわらず、この映画の中の彼が、どんなにか魅力的に見えたことか。

作品の随所で、彼は、こちらがビックリするような魅力的な表情を何度もしてみせた。
そして、その表情をずっと見ていると、17年後の大沢たかおの顔が不思議と浮かんでくるのだ。
意識的なものなのか、無意識的なものなのか。それはわからないが、とにかく、この『世界の中心で、愛をさけぶ』の森山未來の演技に関しては、ケチのつけようがないと思う。

長澤まさみに関しては、表情ももちろんだが、僕は特に”声”が良いなと思った。
テープから流れてくる亜紀の声、大沢たかおが回想する亜紀の声。
その声が、はかなげで、美しくて、僕にはすごく魅力的に感じられた。

欠点もたくさんあるけれど、いろんなうれしい発見がある映画。
「たかがセカチュウ」などと、あなどるなかれ。
[PR]
# by inotti-department | 2005-09-30 00:54 | cinema
『リンダ リンダ リンダ』 ~青春って、素晴らしい!!~
e0038935_1302284.jpg
満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

『リンダ リンダ リンダ』(2005、日)
   監督 山下敦弘
   出演 ペ・ドゥナ  前田亜季  香椎由宇  関根史織


青春って、素晴らしい!!

突然の書き出し、失礼いたしました(笑)

『リンダ リンダ リンダ』の感想をどうやって表現しようか、いろいろと考えたのだけれど、やっぱりこの言葉しか思いつかない。

どんなにブツクサとウンチクを垂れても、しょせんこの言葉にはかなわない気がするのだ。

青春って、素晴らしい!!

以下、簡単なあらすじ。
文化祭を目前に、中心メンバーが脱退し、大ピンチの女子高生バンド。残ったのは、3人。いまさらオリジナルの歌は間に合わない。そこで、ブルーハーツをカバーすることに。しかし、肝心のボーカルがいない。リーダー格の恵は、3人の前を通りかかった韓国人留学生のソンに声をかけ、ソンもボーカルを受諾。3人は、信頼を深めながら練習を重ね、いよいよ当日を迎える。しかし、徹夜の練習がたたり、4人は本番に寝坊してしまい・・・。

<以下、ネタバレも含みます。ご注意くださいませ。>

はっきり言って、ストーリーはメチャメチャ(笑)。
全然まとまってないし、さほど印象的なエピソードが途中にあるわけでもない。

登場人物もいろいろ出てくるのだけれど、しっかり描けているような、描けていないような・・・。
無駄なシーンはたくさんあるし、「女子高生が”リンダリンダ”を歌う」というひとことだけで、この映画の大筋は説明し尽くせてしまうような、単純な物語だ。

しかし。しかし。

この映画は、素晴らしい!青春映画の傑作、と呼んであげて良いと思う。
映画ってストーリーが全てじゃないんだよなぁ、って、僕は改めて教えてもらった気がする。

青春時代というかけがえのない素晴らしい時を、この映画は見事に表現している。

文化祭を前にした、ウキウキするようなお祭りムード。
高校生たちの、他愛ないやりとり。
好きな人への、淡くて切ない想い。

屋上で漫画喫茶開いちゃうスカした女子高生とか、やたら凝った記録映像を残そうとするオタク少年とか、「あー、こういう奴、いたいた!」っていうリアルな高校生たちがたくさん出てくる。

これほど正確に”青春”というものをスクリーンに映し出してみせた映画は、そうそうない。

主人公4人のやりとりが、すごく良い。
作ったところが全然なくて、とっても自然で、「そう、高校生の会話って、こんなのだよなぁ」って、僕は高校生当時のことを思い出して大いに共感した。

4人とも、女優として、すごく将来有望なのではないだろうか。
普通、この年代の俳優さんって、自然であればあろうとするほど不自然になりがちなんだけれど、みんな見事なまでに自然体。
監督の指導も、きっと素晴らしかったのだろうと思う。

本番を直前に控えた夜の学校で、ドラムの望が言うセリフがとても印象的だった(正確な再現ではないですが)。

「きっと、本番は頭の中が真っ白になって、たいして思い出せない。だから、こういう準備とかが、思い出に残るんだよ、きっと」

クールで寡黙なツッコミ役の望(ちなみに、僕は4人の中ではこの子のキャラクターが一番好きだった)が、ボソッとものすごく良いことを言うのだ。
これ、まったくもって、そのとおり。

運動会でも、合唱コンクールでも、イベントって何でもそうだけれど、大人になった今になって思い出そうとすると、鮮明に憶えているのって意外に本番よりも準備とか練習のときのことだったりする。

仲間とワイワイ集まったこと。
些細なことでモメて、ギクシャクしたこと。
でも、そこからもう1度話し合って、頑張ったこと。

そういう日々のことを思い出すと、胸がキューーーンとなる(ちょっと死語ですね、これ)。


最後の本番シーンも、文句なしに素晴らしい。

劇中、練習のときの曲は、ほとんどが『僕の右手』。
でも、本番では、『僕の右手』の演奏シーンはカットされている。
変わりに歌われるのが、『終わらない歌』。

これは、監督の見事なテクニック。大成功。
『僕の右手』は、正直なところ散々聴かされて、ちょっと飽きてしまっている。
だから、最後に歌われる『終わらない歌』が、すごく新鮮で感動的に聴こえてくるのだ。
そのまま、本家ブルーハーツの『終わらない歌』に繋がるエンディングもベリーグッド。

『リンダリンダ』に関しては、もう何も語る必要はないだろう。
”青春”というキーワードに、”リンダリンダ”の組み合わせ。
これは、もう最強コンビみたいなもの。
映画のタイトルにも、そのエネルギーがそのまま表現された。
とても良いタイトルだと思う。


本番の直前、ドラマーの響子が、想いを寄せる男子と2人きりになる。告白するために。
その後、本番ステージに現れた響子に、恵が聞く。
「どうだった?」
響子は答える。
「言えなかった。」

普通の映画だったら、響子の告白は成功しているところ。
でも、人生って、そんなにわかりやすいものじゃない。
青春って、そんなに単純なものじゃない。

ゴチャゴチャしてて、まとまりがなくて、大味で、わけわかんなくて。
だけど、ものすごく強いエネルギーを持っている。

そんな、”青春”というものが持つ不思議なパワーを、そのまま映画自体が備えているような、そんな作品。

青春って、素晴らしい!!!
[PR]
# by inotti-department | 2005-09-29 02:09 | cinema
『ヒトラー ~最期の12日間~』 ~問われているのは、僕らの心。~
e0038935_139228.jpg
満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

『ヒトラー ~最期の12日間~』(2004、独)
   監督 オリヴァー・ヒルシュビーゲル
   出演 ブルーノ・ガンツ  アレクサンドラ・マリア・ララ



エンドロールが終わって劇場が明るくなっても、すぐに立ち上がれなくなるような映画が、ときどきある。

『ヒトラー ~最期の12日間~』は、僕にとってまぎれもなく、そういう映画だった。

重い。あまりにも、重い。

「ヒトラーってとんでもない奴だったんだね!あーー、怖い。」
そう言ってこの映画の存在をすぐに忘れてしまうのは、簡単だ。
でも、この映画が伝えたかったことは、たぶんそんなことじゃない。

さて、簡単なあらすじ。
1942年、ヒトラーに個人秘書として雇われたユンゲは、それから2年半、彼の最期のときまで共に地下要塞で過ごすことになった。戦況は悪化し、敗戦は免れない状況。にもかかわらず、ヒトラーは将校たちの意見を全く聞き入れず、降伏しようとはしない。しかし、忠臣の裏切りがつづき、ヒトラーは自殺を決意する。ユンゲは、彼の側で最期を看取る決意を固めるが・・・。

<以下、ネタバレ含みます。内容を知りたくない方は、ご注意ください。>

僕の個人的な考え方としては、映画を観るからには、スクリーンに映し出されることは全て理解したいと思っている。共感できるかどうかは別として、だが。
でも、この映画の中のヒトラーという人物だけは、どうしても僕には理解できなかった。

彼の世界は、全て地下要塞の中で完結してしまっている。地上で、罪のない市民にどれほどの被害が出ているのかなんて、彼は全く把握していない。というか、興味がないのだ。

いったい、彼のどこにカリスマ性があったのだろう。映画の中のヒトラーは、神経質で、横柄で、すごく器の小さい人間に僕には思えた。
そして実際、少なからぬ腹心たちが、彼に対していろいろ不満も抱えていたようだ。

一方で、親しい女性たちに彼が見せる態度は、なんだか妙にやさしい。どこか頼りなげで、母性本能をくすぐるような素振りさえ覗かせる。

そう、ヒトラーは世界史に突然現れた怪物のような存在として語られることが多いが、彼だって、ただの1人の人間だったのだ。そんな当たり前のことを、この映画は一貫して僕たちに示しつづける。

何か恐ろしいことが起こると、僕たちは、すぐに何かに原因を押し付けたがる。
例えば、JRの脱線事故だってそうだ。運転手に全ての責任を負わせて、それでおしまい。JRの態度には、そうやって事態を収束させたい思惑がありありと感じられた。

ドイツが、世界があんな風になったのは、ヒトラーのせい。彼さえいなくなれば、もう安心。
この映画を、そんな風に消化してしまうことは、少なくとも僕はしたくない。

この映画のベースになっているのは、ヒトラーの秘書ユンゲが、死ぬ直前に語った回想録。
そういう意味では、非常に史実に近いことが描かれているのだろう。

映画のラストで、ユンゲが死ぬ直前に応じたインタビューがスクリーンに映し出される。
そこで彼女は、こんなことを言っている(正確な引用ではありませんので、あしからず)。

「私は、当時まだ若くて、何も考えずにヒトラーのもとへ飛び込んだ。
でも、だからといって、自分には何も責任がなかったのだとは絶対にいえない。
若かったとしても、私にも、自分で判断できたはずなのだ」と。

そう、ことはヒトラーだけの問題ではない。
怪物を生んだのは誰?怪物は、本当にヒトラーだけだったのか?

この映画の監督、オリヴァー・ヒルシュビーゲルは、2001年に『es』という映画を撮った人だ。
『es』という映画は、ある心理実験によって、普通の被験者たちが怪物になっていく様をドキュメンタリー形式で撮った、非常に興味深い作品だった。

誰の中にも、怪物はいる。
もしかしたら、僕やあなたが、ヒトラーになっていたかもしれないのだ。

全ての責任をヒトラーに押し付けて、安らかな日々を過ごそうとすることは簡単だ。
でも、それは決して真実じゃない。
ヒトラーの周囲には、彼を暴走させる様々な要素があったのだ。戦争とは、それほどまでに恐ろしいものなのだ。

映画の終盤、ヒトラーが死に、ユンゲはベルリンを脱出する。
そこで、はじめて目撃する光景。
そこらじゅうに転がっている死体。砲撃のあと。

そのとき、ユンゲは何を思ったのだろう。
彼女は、ヒトラーを慕って、彼を信じた。
しかし、その彼が作り上げた世界は、あまりにも悲惨なものだった。

これから先、もしも戦争が起こったとして、そのとき僕たちは、何に原因を求めようとするのだろう?
テロリスト?独裁者?マスコミ?

問われているのは、僕たちひとりひとりの心、なのだ。
[PR]
# by inotti-department | 2005-09-26 21:28 | cinema
『愛についてのキンゼイ・レポート』~映画よりレポートが読みたい!~
e0038935_13471143.jpg満足度 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点)

『愛についてのキンゼイ・レポート』(2004、米・独)
   監督 ビル・コンドン
   出演 リーアム・ニーソン  ローラ・リニー


久しぶりに映画の話題。

22日、シネスイッチ銀座で『愛についてのキンゼイ・レポート』を観た。
なんと、この日が公開最終日。時間も最終回。

僕は前売券を持っていたので、「これはなんとしても見ねばならん!」ということで、ムリヤリ仕事を片付けて、劇場へと飛び込んだ(そのうちクビになるぞ、ホント)。

最終日の最終回を観るなんて久しぶりの体験だったけど、あまりの混雑っぷりにビックリ。
「お立ち見の可能性がございます」なんて案内が出てたときには、まぁ驚いた。
「もっと余裕をもって早めに観に行けよ」って思われる方もいるかもしれないが、意外と同じような方はいるものだな、とちょっと安心(笑)

さて、本題に入ろう。
まずまず話題になったこの映画。公開していた劇場がそんなに多くないから、泣く泣く見逃したという方もいたかもしれない。
そんな方は、DVDが出たらぜひどうぞ。
劇場で観る醍醐味があるような性質の作品ではないから、家で観ても同じように楽しめると思うのでご安心を。
不満もいろいろあるけれど、なかなか興味深い映画です。

では、簡単なあらすじ。
生物学者のキンゼイ博士は、世の中の人たちがどんなセックスをしているのかをまとめた「キンゼイ・レポート」を発表。一大センセーションを巻き起こす。しかし、タブーに踏み込んだこのレポートは、賞賛と同時に批判も浴びる。栄光から一転、どん底へと叩き落とされるキンゼイ博士。彼を支えるのは、妻のクララ。キンゼイ博士が最後にたどり着いた、愛についての真実とは?

<以下、ネタバレ含みます。DVD観るつもりなので知りたくない!という方はご注意を。>

恥ずかしながら、僕はこの「キンゼイ博士」という人物の存在を全く知らなかった。
そう、この映画、実話がベースになっているのだ。キンゼイ博士は実在の人物だし、「キンゼイ・レポート」は実際に大ベストセラーになったのだそうな。

このレポートが、ものすごく興味深い。僕は、映画の内容よりもむしろ、「もっとレポートの内容を教えてーー!!」と思ってしまった。

映画は、たしかにレポートの内容にもしっかりと触れているが、その視線はむしろ、キンゼイ博士という人物、さらにはその周囲の人たちへと向けられる。

キンゼイ博士の幼少期の体験。父親との確執。生物学への興味。セックスへの悩み。
博士がいかにしてレポートを発表するに至ったのかが、とても丁寧に描かれていく。
そう、要するに、これは人間ドラマなのだ(少なくとも、R15指定にするような映画じゃなかろうに)。

キンゼイ博士と奥さんのクララの関係がとってもユニーク。
博士は、研究の過程で同性愛に興味を抱き、ついに自分もそれを経験してしまう。だったら黙ってればいいのに、博士は正直だから、奥さんにそれを告白してしまうのだ。
奥さんも奥さん。「私も浮気したい!」とか言って、博士の目の前で、堂々とセックスを楽しんだりする。やれやれ、ホント変な夫婦だ。

でも、映画は、こういうある種の”アブノーマル”な行動に対して、とてもやさしい視線を向ける。
「だって、みんな多かれ少なかれ、異常な部分があるでしょ?だから、自分が異常だと思っても、安心していいんだよ」
そんな風に、スクリーンを通してやさしく微笑みかけてくれる。

そもそも、「キンゼイ・レポート」発表の動機自体がそうなのだ。みんな、セックスに関しては、あまり他人と情報が交換できない(特に、1950年ぐらいは余計にそうだったのだろう)。だから、自分は他人と違う異常なことをしているんじゃないか、とひそかに不安に思っている。でも、それを確かめる術はない。
そんな人たちの疑問に答える、それがこの「キンゼイ・レポート」だったのだ。

このレポート、読んだら絶対に面白いはず!えー、どんなことが書いてあるのー?
と、僕は座席のところでジタバタしてたんだけど、映画はそれについてはあんまりしっかり教えてくれない。まぁ、映画はレポートの報告じゃないんだから当たり前なんだけど、もうちょっと知りたかったなぁ。なにしろ、途中でチョコチョコ出てくるインタビューのやりとりが、もう抜群に面白かったものだから。

個人的なそういう”恨み”があるから言うわけじゃないけれど、この映画の欠点を挙げるとすれば、やはりそこなんだと思う。
もうひとつ、全てが中途半端なのだ。

映画の後半は、キンゼイ博士がいかにしてバッシングから復活するか、それを支える夫婦の愛が描かれる。でも、それで感動させられるほど、前半と中盤でしっかりと夫婦愛を描けていただろうか?

さらに、この映画の裏テーマに”同性愛”がある。
キンゼイ・レポートの中で明らかになる、同性愛者の存在の多さ。そして、彼らの苦しみ。
レポートは、そこに触れているからこそバッシングを浴びることになったのだから、その問題に映画が突っ込んでいくのは当たり前だ。が、ちょっとそこに重点をおきすぎだったのではないか?

僕には、この映画が本当に描きたいのが、「夫婦愛」だったのか「キンゼイ・レポート」だったのか、はたまた「同性愛」だったのか、いまいちわからなかった。
たぶん、全てを描きたかったのだと思う。でもそのぶん、映画の印象が、全体に弱くなってしまった気がするのだ。

これだけ面白い題材なのだ。もっともっと傑作になる可能性があったと思う。そこが惜しい。

でも、僕をこれだけ「キンゼイ・レポート読みたい病」に陥らせてくれたのだ(笑)。やっぱり、それだけ、興味深い映画だったということなんだと思う。

この映画を機に、みんながセックスについて赤裸々に語るようになったりして。
それはそれで、怖い気もするけれど(笑)
[PR]
# by inotti-department | 2005-09-26 02:06 | cinema
小田和正コンサート『大好きな君に』 ~偉大なるマンネリの美学~
ここのところ、このブログで取り上げている話題はミスチルばかり。

「おまえは1日じゅうミスチル聴いて生きてるヒマ人なのか!」と心配されていた方(?)もいたかもしれない(笑)。
でも、ひそかに、ちゃんと活動してましたよ。
9月21日、日本武道館で行われた、小田和正さんのコンサート『大好きな君に』に行ってきた。
ちょっと遅れたけれど、そのときの報告を。

先に断っておくと、僕は小田和正さんの大ファンではない。
CDは、ベスト盤『自己ベスト』と、最新盤『そうかな』の2枚しか聴いていないし、オフコース時代の曲もほとんど知らない(熱烈なファンの方で、今回のライブに参加したくてもできなかった方、ゴメンナサイ。でも、みなさんのぶんも、ちゃんと楽しんできました!)。
でも、日本のポップ・ミュージックを愛する者として、やはり小田さんは特別な存在。好き嫌いはさておき、小田さんとか井上陽水さんとかサザンの桑田さんとかは、日本の音楽の歴史を語るうえでは絶対にはずせない。

コンサート(なんか、小田さんの場合、”ライブ”っていうより”コンサート”っていう感じ。定義はよく知らないが。)前日の9月20日が、小田さんの誕生日だったそうな。しかしこれが、年齢を聞いて驚いたのなんの。なんと、58歳になられたそうな!!

驚異の58歳。
でも、たしかに動きとか喋りはオヤジ(すみません。。。)くさい。
歌いながらファンに手拍子を求める姿は、カッコイイというよりは、子供に歌を教えている音楽好きなおじちゃんといった感じ(笑)
トボけて飄々としたトークも、老成していてやっぱり若者とは一味違う。でも、自虐的でひねくれたMCは、かなり面白くて笑える。あんなにトーク好きな人だとは、コンサートへ行くまで知らなかった。

しかし、このオヤジ、歌を歌わせるとスゴイのだ。驚異の高音。美しい声。今までいろんなアーティストのコンサートに行ってきたけど、小田さんの歌の魅力は、やはりオンリーワンだ。

この夜歌った曲は、最新アルバム『そうかな』収録曲を中心に、全29曲。

ミーハーファンの僕としては、いきなり2曲目に『ラブストーリーは突然に』を歌ってくれたことがうれしかった。あれは盛り上がったな。

あと面白いなと思ったのが、ステージ後方のスクリーンに、歌詞が映し出されること。「みんなで一緒に歌いましょう!」と言ってくれているようで、歌詞をまったく知らない僕にとっては、ああいう配慮がすごくうれしかった。でも、小田さんはすごく声がきれいだから、歌詞がみんな聴き取れるんだけれど。

6曲目の『さよなら』もよかった(生で聴くと、意外に”ロック”な曲なのね。もっと繊細なイメージだったけど、アレンジがけっこう迫力あり。でも、そこがすごく良かった。)けど、コンサートのハイライトはやっぱり後半かな。

前半は、ほぼ1曲歌うごとにMCをはさんでいたけれど、後半は一気に歌いまくり。それでも、声は少しも衰えない。『Yes-No』(有名な、♪君を抱いていいの♪ってやつです)→『キラキラ』(一緒に行った友人は、この曲でグっときたと後で語っていた)→『YES-YES-YES』とつづいて、盛り上がりも最高潮に。

そして、その次の、『明日』。最新アルバムからの1曲なのだけれど、この曲がすごく良かった。
アルバムで聴いたときも、いい曲だなとは思ったけど、メロディの良さを生で聴いて再認識。感動したなぁ。

『僕ら』という曲をはさんで、いよいよ本編最後の曲。『言葉にならない』
これはもう、名曲中の名曲。この曲を歌っているときだけ、会場の雰囲気が変わったように感じた。みんなが、呼吸ひとつせず、じっと聴いている感じ。小田さんの声の良さが、最も生きる歌だと思う。これはスゴイ。鳥肌もの。

アンコール、『だからブルーにならないで』『またたく星に願いを』と続くところで、熱心なファンの人たちの興奮がさらに高まる。ところが、悲しいかな、僕は2曲とも知らない(笑)。でも、知らないながらも、一緒に楽しみました!

ダブルアンコール、最後にもう一度『Yes-No』で盛り上がり、最新アルバムから『そして今も』を歌って、コンサート終了。3時間近かったんじゃないかな。大満足。

こういうとき、あんまり曲を知らないと、「あれもやってほしかったな~」っていう不満が出なくて、我ながら良いなと思う。これがミスチルだったら、「生で”花言葉”聴きたかったなぁ」とか、キリのない欲が出てくるところ(笑)。強いていうなら、『愛を止めないで』も聴いてみたかったけれど。


さて、コンサート全体を通しての感想。(いちミーハーが勝手に感じたことを書くだけなので、ファンの方々がもしお気を悪くされたらごめんなさい)。

小田さんの魅力。それは、大いなるマンネリ。
ファンじゃない人はわかると思うけど、小田さんの曲って、どれもすごく雰囲気が似ているように感じる。例えば、今回のコンサートでも、イントロやAメロを聴いて「あ、あの曲かな」と予想すると、サビになってはじめて違う曲だったことに気付く、というケースが何度かあった。

よく、曲の幅広さが魅力だと言われるアーティストがいるけれど、小田さんの場合はそれはあてはまらない。というか、むしろ逆。”幅狭さ”が最大の特徴なのだ。

詩にしてもそう。ハッピーな曲もあれば、切ない曲もあるけれど、一貫して描かれるのは、”君”と”僕”にまつわる物語。今回のコンサートでも、”君”と”僕”という歌詞が何回出てきたことか。

批判しているんじゃない。それって、スゴイことだ。とてつもないことだ。

58歳にもなって、いまだに、”君”と”僕”がどうのこうのと延々と歌いつづけている。それで、世間から支持を集めつづけている(というより、小田さんの場合、年齢を重ねてからさらに評価が高まっているような感さえある)。
そんな人、日本の音楽界を見渡しても、小田さん以外に存在しない。

だからなのだろう。コンサートに行って感じたのだが、若いOLのようなファンの方が、すごく多いこと。小田さんの歌は、良い意味で、枯れていない。普通、あれだけキャリアを重ねると、年齢の重みみたいなものが音や歌詞に出てくるものなのだけれど、小田さんにはそれがないのだ。こっ恥ずかしくなるぐらい、青臭い58歳の歌。だから、あれだけ若いファンが多いのではないだろうか。

偉大なるマンネリの美学。
小田さんは、これからも、お得意の切ないメロディに乗せて、”君”と”僕”の物語を歌いつづけるのだろう。

僕は、個人的には、ミスチルとかバンプとかマッキーとか、重たいメッセージ性を音楽に込めようとする人たちの歌が大好きだ。
でも、それだけじゃつまらない。

マンネリと言われようが、ひたすらシンプルなラブソングを歌いつづける。
そんなポップなメッセージ性も、音楽にはあって良い。
[PR]
# by inotti-department | 2005-09-25 11:01 | music
Mr.Children『I♥U』 ~全曲レビュー!独断ですが。~

e0038935_1251124.jpgミスチルのNewアルバム発売から、はや3日。

仕事と私事に追われながらも、何度か繰り返しアルバムを聴いた。
やっぱり、何度聴いても素晴らしい!


そして、ミスチルの良いところは、聴けば聴くほど、印象が変わってくるということなのだ。

例えば、『DISCOVERY』というアルバムに収められている『I'll be』という曲。
最初に聴いたときは、良い曲だとは思ったけど、心にググっと入りこんでくるところまでは至らなかった。
ところが、何度も何度も聴いているうちに、どんどんこの曲に虜になっていき、そして何十回目か何百回目かに聴いたとき、僕はついにこらえきれず涙を流してしまった。

自分の心理状態だったり、曲の歌詞に対する共感度によって、聴こえ方が全然変わってくるのだ。
そして、往々にして、そういう現象は、ともすると地味にとらえられがちな楽曲においてよく起こる。

そして早くも、このアルバムに関しても、1回目に聴いたときとでは少しアルバムの聴こえ方が変わってきた。

ということで、ここで全曲レビュー発表!

すでにアルバムを聴かれた方は、ご自分の感想を比べてみてください。
まだ聴いてなくて、「これからぜひ!」という方は、聴くときの参考にしてみてください。

では、スタート!!

M-1:『Worlds end』
いまのところ、最も僕の胸に響いた曲が、これ。
このアルバムの全てが詰め込まれてる、象徴的な曲だと思う。
タイトルは、”世界の果て”という意味なのだが、一方で”世界の終り”というニュアンスもこめられているのではないだろうか。
「暗闇」「行き止まり」という言葉に象徴される”世界の終り”を認識しながら、そこから抜け出し、そして希望や愛を胸に抱え”世界の果て”へと旅する。

僕らはきっと試されてる  どれくらいの強さで  明日を信じていけるのかを

「ジャカジャーン」という強烈なイントロとともに、壮大な旅が幕をあける。
なお、意外に音が大きいので、アルバムをかけるときは音量に注意です(笑)

M-2:『Monster』
たぶん、アルバムの中では、あまり人気のないほうの曲だろう。
ただ、こういう心の闇をシャウトするような曲は、やっぱりミスチルのアルバムには欠かせない。
そして、「Knock Knock 誰かいますか?開けてくれますか?」
この歌詞が、アルバムの後半へ向けた、重要な伏線になっている。

M-3:『未来』
爽やかなタイトルとメロディ、そしてポカリスエットのCMに一瞬騙されそうになるけど、この曲、実は全然爽やかじゃない(笑)
他人を拒絶して、人とうまくコミュニケーションがとれなくて、孤独で、待っているのは先の知れた未来だけ。生きてる理由なんてない。絶望的な状況が、悶々と語られる。
ポップなメロディに、平気でこういう詩を乗っけて、シングルとしてヒットさせちゃうところがミスチルのユニークなところ。
でも、最後に小さな希望が描かれる。
少しだけあがいてみる  先の知れた未来を変えてみせると
アルバムを象徴するメッセージ。絶望の中での、希望への旅はつづく。

M-4:『僕らの音』
最初3曲の、張り詰めたような緊張感が、この名曲でフッと緩められる。いい曲。
個人的に、サビがちょっとスキマスイッチっぽいなと感じた。
虹を見たんだ  そこで世界は変わった
この”世界の転換”は、このアルバムの一貫したキーワード。

M-5:『and I love you』
実をいうと、シングルとして聴いたときは、世間の評判ほど僕はこの曲を好きになれなかった。
でも、『僕らの音』のあとに続くことで、後半の詩がすごくクリアになり、壮大さが増した。屋上で孤独に月を見上げる”僕”。その”僕”に、未来が近づいてくる。そして最後は、
”僕ら”に近づいてる」として締めくくる。後半が良い。

M-6:『靴ひも』
アルバム『Q』に収録された『ロードムービー』という曲(これがまた、名曲なのだ)に似た印象。
前半は文句なしなんだけど、サビが惜しいなぁ(って、個人的な好みだけれど)。
細かいことを言うと、「一秒でも早く君の待つ場所へ」の「場所」より「へ」の音が上がるのが気に入らない(笑)
曲の終わり方は最高。最後だけ、「へ」が上がらないからね(って、しつこいか)。

M-7:『CANDY』
ひょっとすると、世間的にはこれが1番人気かな。僕も大好きな曲。
全体の印象は、アルバム『Q』の『つよがり』に近い。ミスチルの美メロ炸裂!といった感じ。
でも、僕はなぜかAメロで、ミスチル初期の曲『さよならは夢の中へ』を思い浮かべてしまうのだけれど。
メロディはさておき、詩は意外に難解。聴きこんでいくと、また印象が変わりそうな曲。
注目すべきは、
ほろ苦いキャンディー → 胸のポケットに「あった」(過去形)
甘酸っぱいキャンディー → 胸のポケットに「あるんだ」(現在形)
となっている点。
キャンディーの味が甘くなったのは、「君」の存在のおかげ。

M-8:『ランニングハイ』
詩のまとまりのなさでは、文句なしにナンバーワン!まさに、「ハイ」になってる感じ(笑)
でも、すごく良い曲。ゴチャゴチャしてるんだけど、主メロディは、良く聴くとやっぱり美メロだし。
この曲があるから、次の『Sign』が生きてくる。

M-9:『Sign』
どちらかというと『シフクノオト』のイメージなので、このアルバムに収録されることに、発売前は違和感を感じていた。でも、改めてこうして聴くと、やっぱり名曲だなぁって思う。
このアルバムの前半戦は、この曲で終り。
最後から2曲目の”ベストポジション”に置いてもよさそうな曲なんだけど、そういう意味では、この順番も納得。

M-10:『Door』
ミスチルファンじゃない友達に聴かせると、「何か1曲だけ変な曲があったね」と言われてしまいそうな曲(笑)。
というか、これは曲という感じじゃない。言うなれば、前半と後半を繋ぐ「合いの手」みたいなもの(手拍子が鳴ってるしね)。
ここで思い出されるのが、2曲目の『Monster』。
「開けてくれますか?」の問いかけに応じるように「開けてくれ」と絶叫する。
さぁ、ドアは開くのか?勝負は、ラスト3曲!

M-11:『跳べ』
この曲、最高!あと100回ぐらい聴いたら、『Worlds end』より好きになっちゃいそう。
曲のエネルギー、詩のカタルシス。どれをとっても、素晴らしい。
跳べ!
希望へ。明日へ。そして、未来へ。

M-12:『隔たり』
アルバム中、最大の問題作。何がすごいって、歌詞カードの絵が・・・。
全国のピュアハートをお持ちの方々、あるいはお子様方、「これって、何を表してるのー?」とか、無邪気に質問はしないように(笑)
でも、これって、究極のラブソングなのではないだろうか。
どうしても消えない隔たりを越え、確かな愛を掴むためには、こういう”跳び方”もあるのかもしれない。
ことの賛否は置いといて。

M-13:『潜水』
アルバムの最後を飾る曲。万人受けする美しいメロディラインでラストを締めくくるパターンが多いミスチルアルバムの中では、異色のフィナーレ。メロディが、あまりクリアじゃないのだ。
ただ、数日前のこのブログにも書いたけど、『深海』と比較すると、やっぱりとてつもなく感慨深いものがある(詳しくは、前回の記事をごらんください)。
「過去→未来」「絶望→希望」「混沌→発見」「孤独→繋がり」
様々な”転換”、言い換えれば”跳び方”を一貫して見せてくれたこのアルバムを締めくくるには、ふさわしい曲だと思う。
迷いや不安、絶望を感じつつ、それでも1歩ずつ前進をつづけること。それこそが、
生きてるって感じ
なのだ。
最後の「ラララ」がすごく良い。


ふーーーーー。
やっぱり、長くなっちゃいますね(笑)

いまのところ好きな順に並べると、

M-1 Worlds end
M-7 CANDY
M-11 跳べ
M-4 僕らの音
M-12 隔たり


といったところ。

といっても、また何回か聴いてるうちに、このレビューを削除したくなるぐらい、感想が変わるのだろうけれど。

そしたら、また長く書きますね(笑)
[PR]
# by inotti-department | 2005-09-24 23:21 | music
Mr.Children『I♥U』 ~『深海』から9年。いざ、潜水。~
e0038935_1351930.jpg待ちに待ったMr.Childrenの最新アルバムが、ついに発売日を迎えた。

前にも書いたことがあるが、最も好きなミュージシャン(バンド)を1人選べと言われたら、僕は迷わず”ミスチル”を選ぶ。


ミスチルのアルバムをはじめて通して聴く瞬間。
それは、僕にとって、最高に胸躍るひととき。
だから、ニューアルバムをはじめて聴ける今日という日は、僕にとって1年に1回あるかないかの特別な日なのだ。

さっそく聴いてみた。
やっぱり、素晴らしい。いつもどおり、捨て曲なし。

作品の雰囲気自体は、『IT'S A WONDERFUL WORLD』『シフクノオト』と続いた、ここ数年のミスチルの流れを汲んだものだと思う。
悲しみや絶望に覆われることも少なくない日常の中で、それでも、未来への希望や喜びを見出そうとする、そんな優しさや力強さに溢れている。

ただ、『IT'S~』『シフク』の”まとまり感”と比べると、この『I♥U』は、ちょっとゴチャゴチャしている。曲の順番とかも、ここ2作のアルバムとは少し様子が違って、まとまりがない。

そういう意味では、『IT'S』の前に出された、『Q』というアルバムに似ているかもしれない(ちなみに、僕は『Q』というアルバムの持っている、ゴチャゴチャした得体の知れないエネルギーが大好きなのだ)。

でも、アルバムの最後に収められた『潜水』という曲を聴いて(正確に言うと、そのタイトルを見て)、僕が思い出したのは、『深海』というアルバムだった。ミスチルが活動初期に出した、もはや伝説となっているアルバムである。

『innocent world』『Tomorrow never knows』と立て続けに大ヒットを飛ばして、国民的バンドとなったミスチル。その彼らが、人気絶頂の中発表したのが、『深海』だった。

『深海』は、それまでのミスチルにファンが抱いていたイメージを、完全に裏切るものだった。内省的な歌詞、ヘヴィーなサウンド。爽やかなポップソングをミスチルに望んでいた多くのファンたちが、この『深海』を機に、ミスチルから離れていった(ちなみに、僕の中では、このアルバムが日本音楽史上最高のアルバムだと思っているのだけれど)。

その後、活動をいったん休止し、名曲『終わりなき旅』(本当に素晴らしい名曲)で復活。それ以後、彼らの曲は1歩ずつ明るさや希望、純粋さを取り戻していき(その間、桜井さんの脳梗塞でのダウンと、病からの復活という感動的な出来事もあった)、そして昨年の『Sign』で、その歩みはひとつの到達点を迎えた。

そして、満を持して発表された『I♥U』。その最後の曲のタイトルが、『潜水』!?

思えば、『深海』というアルバムは、”ブクブクブク”っと海の底へ潜っていく音が流れて、幕を閉じたのだった。そして、その後ミスチルは、まるで彼ら自身が深海へと消え行くかのように、活動を休止したのだった(彼らが抱えていた”苦しみ”の正体が何だったのかは、他人の僕らには残念ながらわからないけれど)。

まさか、このアルバムは、再び絶望への分岐点となるのか?
そんな胸騒ぎも感じつつ、僕はこの最後の『潜水』という曲を聴いたのだった。

しかし、違った。
これは、『深海』から9年たって、ミスチルがようやく出したひとつの”アンサーソング”なのではないだろうか。

詩の最後の部分に、その答えが出ていると思う。

そうだ 明日プールに行こう
澄んだ水の中 潜水で泳いで
苦しくたって 出来るだけ 出来るだけ
遠くまで あぁ あぁ あぁ 
あぁ 生きてるって感じ
あぁ 生きてるって感じ


9年前のミスチル(というべきか、桜井さんというべきか)は、苦しみを背負い込み、それごと深海へと潜っていった。
しかし、それから9年。彼らは、自らプールへと足を運び、水の中へ潜り、そして、その苦しみを「生きてるって感じ」と言い切った。苦しみを、楽しむことができるようになった。

『潜水』というタイトルをつけることにより、ミスチルはようやく、海へ潜っていったかつての自分たちと折り合いをつけることが出来たのではないだろうか。
相変わらず、世界が”混沌”としていることは変わらない。13曲、全ての中に、”混沌”とした状況は何らかの形で描かれている。それ自体は、『深海』と何ら変わらない。

でも、その”混沌”の、泳ぎ方が違うのだ。全てを受け入れ、それをむしろ楽しもうとする。
それが、現在のミスチルの姿なのだ。

7曲目の『CANDY』、11曲目の『跳べ』、4曲目の『僕らの音』など、どの曲も名曲揃いだが、中でも1曲目の『Worlds end』が素晴らしい。

暗闇に包まれた時  何度も言い聞かせてみる
いま僕が放つ明かりが  君の足下を照らすよ
何にも縛られちゃいない  だけど僕ら繋がっている
どんな世界の果てへも  この確かな思いを連れて


暗闇、混沌、世界の果て。
その中に見出される、力強く確かな、希望の明かり。

『I♥U』というシンプルなタイトルが、とてもとても、胸に響いてくる。
[PR]
# by inotti-department | 2005-09-21 03:18 | music
小説『LOVERS』 ~女性の視点って、いやはや・・・。~
満足度 ★★★★★☆☆☆☆☆(5点)

1週間ほど前に、『I LOVE YOU』という本を読み終えて、このブログにも感想を書いた。

『I LOVE YOU』は、人気若手男性作家6人が、恋愛をテーマに書き下ろした6篇の短編を集めたアンソロジー。
しかし、この企画には、実はルーツがあった。
4年前に出版された、江國香織、唯川恵ら女性作家9名による恋愛アンソロジー。
それが、『LOVERS』だ。


読んで驚かされた。
いやはや、男と女とは、こうも違う生き物か、と。

簡単に言おう。最大の違い。それは、
男版 → 「出会い」の話がほとんど。
女版 → 「別れ」の話がほとんど。


ディテールも違う。
男版 → ハッピーエンド。前向き。ピュア。幼稚。初恋。
女版 → クール。悲観的。性描写。達観。不倫。


この違いは、何なのだろうか?
「恋愛について、自由に書いてください」と同じことを言われて、こうも別個の作品が完成するとは。ものすごく興味深い。

『LOVERS』を読み終えると、『I LOVE YOU』がまるでおとぎ話のように思えてくる。でも、それが男性の恋愛に対する考え方なのかもしれない。いうなれば、ロマンティスト。

一方、女性版は違う。恋愛に対してものすごく情熱的(性描写の多さも、その表れだろう)だが、その反面、常に”別れ”や”終わり”を意識している。いうなれば、リアリスト。

どちらが面白かったかと聞かれれば、僕は、断然『I LOVE YOU』を推す。
正直、『LOVERS』は、読んでいて疲れてしまった。

『I LOVE YOU』で描かれた恋愛模様は、たしかに幼稚だ。実際には、男女の問題とは、そんなに甘いものではないだろう。でも、男性作家陣は、恋愛の可能性に対してとても前向きだから、物語に広がりがある。希望がある。だから、読んでいて元気になるし、話も個性的だ。

それに対して、『LOVERS』は、大人の視点。極めてリアルかつシビアに、恋愛というものを捕えていると思う。でも、あまりにも悲観的で冷めているが故に、物語に広がりがない。すごく狭い世界で話が完結していて、希望も感じられない。だから、読んでいて疲れる。

もうひとつ感じたことがある。女性版は、シビアな視点が貫かれているはいるが、物語の展開にはなんだか締まりがないのだ。起承転結というと古臭いが、要するに、物語の流れをコントロールできていないと感じる短編が少なくないのだ。

それは、作家の実力の問題?それもあるのかもしれない。でも、それ以上に、恋愛という厄介なテーマを扱うにあたって、必ずしもクールでいられなかったということではないだろうか。

心が震えるがあまり、物語もブレる。そんな風に感じる、未完成な短編も多かったと思う。そう、逆説的だが、クールでもあり、同時にとびっきり恋愛に対して情熱的。あるいは、情熱的なことを自覚してるからこそ、クールであろうとするのかもしれない。

とりあえず言えることは、恋愛に関しては、女性のほうが1枚も2枚も上手、ということだろう。
ただ、最後に恋愛を成功させるのは、案外、そういう男性の”幼稚さ”なのかもしれないが。

だから、僕は『I LOVE YOU』を支持する。幼稚でもいい。それでも、やっぱり、恋愛には希望を見ていたい。


と、ここまで書きながら、いま思った。結局、この感じ方も、僕が男だからなのだろう、と。
僕も間違いなく、恋愛に対しては”幼稚なロマンティスト”だという自覚がある。
いや、多かれ少なかれ、男性なら頷けるのではないだろうか?

となると、女性がこの2冊の本を読んだ場合、逆に『LOVERS』の方を支持するのだろうか?
ぜひ、女性の方々から、この2冊を読み比べた感想を聞きたいなぁ。
[PR]
# by inotti-department | 2005-09-19 10:16 | book
『SHINOBI』 ~”外見”はよいが、”中身”がちょっと・・・。~
e0038935_14372551.jpg
満足度 ★★★☆☆☆☆☆☆☆(3点)

『SHINOBI』(2005、日)
   監督 下山天
   出演 仲間由紀恵  オダギリジョー  椎名桔平


ひとつの用事がおわり、次の用事までにポッカリ空いた3時間のフリータイム。
そんなとき、あなたならどうやって、時間をつぶしますか?

僕の場合、そんなときはまず情報誌を立ち読みして、映画の時間をチェックする。
それで、時間の合うものがあったら、「いっちゃえ~!」という感じで、劇場へ突っ込んでいく。

こういう話をすると、「君は本当に映画が好きなんだね」と人から言われる。
「たいして観たくもない映画観て、1300円もったいなくない?」とも。

でも、僕の経験上、案外そういうときにこそ掘り出し物の映画と出会えたりするのだ。

さて、昨日、僕はまた劇場へと突っ込んでいった。
『SHINOBI』。
さほど観たいわけではなかったが、運命の出会いが待っているかもしれない、と期待して。

簡単なあらすじ。
1614年。長くつづいた戦国の世は終わり、平和な世の中が訪れた。そんな中、ぽつんと残された2つの里、伊賀と甲賀。そこには、妖しい力をもち、戦うことしか生きる術をもたない”忍”たちが暮らしていた。伊賀の朧と甲賀の弦之介は、引き寄せられるように出会い、許されぬ恋に落ちる。しかし、”忍”の力を警戒する徳川家康は、伊賀と甲賀の代表5名ずつによる戦いを命じる。
対立しあう互いの”忍”たちは、決着の機会の実現を喜ぶが、朧と弦之介は混乱する。そして、家康の真の狙いは、伊賀と甲賀それぞれの里を総攻撃することにあった・・・。


結論から言うと、僕が期待したような運命の出会いは、そこにはなかった。残念ながら。

この映画には、決定的に何かが欠けている。
ひとことでいうなら、それは”中身”だ。
って、それを言ったらおしまいなのだけれど(笑)

この映画を観終えて、僕の中に残った印象は、「あ、形から入ったんだな」というものだ。
映像には、たしかにこだわりが感じられる。それは、すごく良いことだ。

そう、この映画は、すごく美しい。
キャスティングしかり、映像しかり、音楽しかり。

僕は、『HERO』という映画を思い出した。
そう、あれも、とびっきり美しい映画であった。
ん、っていうか、パクリといってもいいぐらい、『SHINOBI』は『HERO』をかなり意識しているのかもしれない。

でも、『SHINOBI』には、哲学が感じられないのだ。ただ美しいだけで。
まず「こういう映像を撮りたい」という”形”から入ってしまったのではないだろうか。
「こういうことを描きたい」という”中身”が、全然伝わってこないのだ。

全ての描写が中途半端。
朧と弦之介の禁断の愛っていっても、2人がどれだけ愛しあっているのかが、全然描かれていない。だから、最後の2人の悲しき戦いが、盛り上がらない。2人が一緒に画面におさまる時間がすごく短いのが、物足りない。これじゃあ、人気スターだけにスケジュールの調整がつかなかったんじゃないか?と勘繰りたくもなる。

他の8名の”忍”も中途半端。それぞれが、個性的な術をもっていて、主張や考え方もひとりひとり違う。でも、そういうものがしっかり描かれる前に、みんな死んでしまう。椎名桔平しかり黒谷友香しかり、もっと面白くなりそうなキャラクターだったのに。すごくもったいない。

結局、何が言いたかったのだろう。
悲劇的な恋愛を描けていたわけでもないし、歴史の陰に隠されたもうひとつの真実を伝えようとしたわけでもないだろう(少なくとも、リアリティは意識してないだろうし)。

やっぱり、形が大事だったんだろうなぁ。ワイヤーアクションや特殊映像を用いた、スリリングな活劇シーン。それが全て。

でも、仲間由起恵はすごく良かった。表情の芝居が、素晴らしかった。”忍”の妖しげな魅力を、見事に表現できていたと思う。

それに、映像に重きを置いただけのことはあって、その点はなかなか見ごたえあり。
日本映画でこういうものって意外になかったから、そこはすごく評価されていいと思う。
こういうエンタテインメント性溢れる大作映画が、もっともっと日本にはあっていい。

でも、”中身”もなくちゃダメだけどね(笑)。
[PR]
# by inotti-department | 2005-09-18 10:13 | cinema
『魔女の宅急便』 ~ジブリ映画の最高傑作!~
e0038935_14503923.jpg
満足度 ★★★★★★★★★☆ (9点)

『魔女の宅急便』(1989、日)
   監督 宮崎駿
   声の出演 高山みなみ  佐久間レイ  戸田恵子


仕事から帰ってテレビをつけたら、『魔女の宅急便』をやっていた。

子供の頃、はじめて夢中になった映画、そして心の底から感動した映画、それがこの『魔女の宅急便』だった。

僕の中では、大人になったいまでも、最も大切な作品のひとつになっている。

だから、もう、何度も何度も見ている。ストーリーも、ほぼ完全に把握している。
ちなみに今夜10時から、『魔女』の裏では、TBSで『ドラゴン桜』が最終回。
さーて、どっちを観よう。10時になったら、チャンネルを変えようか。
うーむ。うーむ。

そして結局、僕は最後まで、このアニメ映画を観てしまった。


「ジブリは初期のほうがいい!」という人が多いが、僕も同意見。
とりわけ、『魔女の宅急便』は、『トトロ』と並んで、僕の中ではジブリ史上最高傑作と思っている。

簡単なあらすじは、こんな感じ。
13歳のキキは、自立するために、魔女の村を出て人間社会に飛び込んでいく。相棒は、黒猫のジジ。最初は新しい町に戸惑うが、パン屋のおソノさんら親切な人たちに囲まれ、次第にとけこんでいく。キキは、空を飛べる力を活かして、宅急便の仕事をスタートさせる。

冒頭の旅立ちのシーンから、美しくて気持ちのよい映像に魅了される。
特に、村から飛び立ったキキの姿にタイトルテロップが重なり、ユーミンの歌が流れるオープニングは、本当に素晴らしい。

そして、この映画の最大の魅力は、愛すべきキャラクターたち。
黒猫のジジのトボけたキャラも最高だし、トンボ、おソノさん、その旦那、パイを焼くおばあさん、そのお手伝いのおばあちゃん、画家の卵ウルスラなど、脇役たちがみんな温かくて魅力的な人たちなのだ。

物語は、あえて裏側を読む必要などないぐらいに楽しいストーリーなのだが、あえていうならば、「自分さがし」、そして「子供から大人になる」ということを描いた作品なのだと思う。

せっかく親しくなったトンボが、華やかな友達たちと話しているのを見て、キキは急に元気をなくしてしまう。キキの身なりは、地味で質素。それに、自分は魔女。普通の女の子とは違う。落ち込むキキは、好意を抱いていたトンボを自分から遠ざけてしまう。

こういう気持ちって、別に魔女じゃなくて人間でも、誰しも共感できるはず。そう、13歳って、必要以上に周囲と自分を比べてしまう時期。ちょっとしたことがすごく気になって、落ち込んで、自分に自信が持てなかったりする。

そして、キキは空を飛べなくなってしまう。さらに、ジジの声も、理解できなくなってしまう。

キキの台詞に、こういうものがある。「小さい頃は、何も考えなくても飛べた。でも今は、どうやって飛んだらいいのかわからない。」

この「飛ぶ」という言葉は、そのまま「生きる」という言葉に置き換えられると思う。
小学校ぐらいまでは、ただ毎日をガムシャラに楽しく生きていれば、余計なことを考えなくてもなんとかなったりする。
それが、13歳ぐらいになると、急に「生きる」ということが大変なことに感じられるようになるのだ。そして、ちょっとしたことで、まるで”世界の終わり”が来たかのように、悩んでしまったりする。

混乱状態のキキを、周囲の人々が温かく包みこんでくれる。そして、大切な人・トンボの大ピンチ。彼を助けるため、キキは再び空へ舞い上がる。

生きる力をくれるのは、周囲の人たちのやさしさや励まし。それから、自分は自分、他人と比べる必要なんてない、という気付き。そして何より、大切な誰かを想う気持ち。
キキがフラフラしながらも空を飛ぶシーンは、この映画の中で一番大好きな場面だ。そして、そんなキキに、町の人たちが一斉にエールを送る。僕は、何回観ても、ここで泣いてしまう。

そして、トンボを助けたキキは、少し大人になった自分を感じながら、新たな生活をスタートさせる。もう、飛び方のわからなかったキキは、そこにはいない。いや、また何かに悩み、飛び方が分からなくなる日がくるかもしれない。でも、大丈夫。彼女には、たくさんの仲間がいるから。

この映画が素晴らしいのは、そういういろんなメッセージを含みながら、それを声高に叫ぶことなく、ひたすら爽やかで楽しい映画でありつづけている点だ。『トトロ』にも、同じことが言える。

『千と千尋』や『ハウル』『もののけ姫』にも確かに見所はあるし、そのメッセージ性の高さはやはり素晴らしい。
でも、僕には、『魔女の宅急便』のようなシンプルで楽しい作品のほうが、ずっと心の奥深いところにまでメッセージが届いてくる。

メッセージっていうのは、メッセージそのものとしてダイレクトにアピールするよりも、ストーリーの中でさりげなく表現するほうが、ずっとずっと心に響くと僕は思うのだ。
こんな映画を、もう1度、ジブリには作ってほしいと、いつも思っているのだけれど。

そう、たとえば、僕に子供が出来たら。僕が伝えたいメッセージを、一番シンプルに、そして楽しく表現してくれる映画を見せるとしたら?

僕は迷わず、『魔女の宅急便』を見せたいな、と思う。
というより、隣に並んで、一緒に見たいな、と。
なんか、自分のほうが、夢中になってそうな予感もするけれど(笑)。
[PR]
# by inotti-department | 2005-09-17 00:21 | cinema
選挙へ行こう!
明日は、選挙。

政治的な話題は、それぞれの思想の問題もあるので、あまりゴチャゴチャ書くつもりはない。
ひとりひとりの日本人が、自分の信念に従って、行動すればそれでよいと思う。

ちょっとした小話。
昔、僕が思い描いていた、ある空想がある。
それは、「投票率100%、有効投票数ゼロ」。

簡単にいえば、有権者全員が投票所へ行き、そして、有権者全員が白票を入れる、というものだ。

一時、深刻な政治不信に思い悩んでいたとき、僕はそんな夢(?)を抱いていたのだ。
これが実現したとき、はじめて政治家たちは本気で、自分たちがやらなければならないことに気付くのではないか。本気で、反省するのではないか、と。

いまは、ちょっと考え方が変わった。
それでも、いまだに、それが実現したら面白いなーって、無責任に考えることもあるのだけれど。

さぁ、明日は選挙。
白票を入れましょうとは、言いますまい(笑)。
僕も、たぶんそうはしないと思うし。

言いたいことは、ひとつだけ。

さぁ、選挙へ行こう。
[PR]
# by inotti-department | 2005-09-11 00:45 | news
伊坂幸太郎、石田衣良他『I LOVE YOU』 ~やっぱり伊坂!本多もスゴイ!~
e0038935_14521518.jpg
満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

伊坂幸太郎・石田衣良他
『I LOVE YOU』
2005、祥伝社


今回紹介するのは、男性作家6名による短編小説集。
テーマは、「恋愛」。
参加メンバーは、伊坂幸太郎、石田衣良、市川拓司、中田永一、中村航、本多孝好の6名。

こういう、いわゆる”アンソロジー”の醍醐味は、普段読まない作家との運命の出会いのチャンスがあること。僕は伊坂幸太郎目当てでこの本を手にとったが、石田衣良(テレビではかねがね)や市川拓司(『いま、会いにいきます』は映画で観て泣いたが、小説は未読)の作品は1度も読んだことがない。こんな機会でもなければ、なかなか読むこともなかったかもしれない。

しかし同時に、参加する作家にとって、”アンソロジー”は残酷なものでもある。
「最後の話はよかったけど、3番目のやつは最悪ー!」こんな風に、読者は、容赦なくバッタバッタと順位づけをしていくものだからだ。

さぁ、待っているのは、運命の出会いか、残酷な出会いか?
伊坂幸太郎を超える作品は、果たしてあるのか?
そんな期待を胸に、僕はページを捲りはじめた。


結論から言おう。以下、面白かった順に並べる。

第1位 伊坂幸太郎『透明ポーラーベア』
第2位 本多孝好『Sidewalk Talk』
第3位 中田永一『百瀬、こっちを向いて』
第4位 石田衣良『魔法のボタン』
第5位 中村航『突き抜けろ』
第6位 市川拓司『卒業写真』


こんな順位をつけると、「まったく、これだから、ファンっていうのは視野が狭くて困るよなー。自分の好きなもの以外、認めようとしないんだから」などと言われてしまうかもしれない(笑)
でも、僕だって、そういうのは好きじゃない(例えば、ダウンタウンの大ファンの人がナイナイの文句を言っているのを聞くと、うんざりする。イチローと松井。三谷幸喜とクドカン。中田と俊輔。パターンはいろいろ)。だから、出来ることなら、伊坂作品より面白いのがあるといいなぁ、と読む前は思っていたぐらいなのだ(言い訳じゃないですから、これは)。

でも、良いものは良い。「透明ポーラーベア」、これは本当に素晴らしい短編だと思う。たぶん、この本を手に取ったほとんどの人にとって、最も心に残る作品になったのではないだろうか。

この本で初めて伊坂作品を読んで、興味を持った人がもしいたら、デビュー作の『オーデュボンの祈り』(文庫化済み)から順番に読むことをオススメしたい。出来ることなら、順番に。理由は、順番に読んでいけば、自然にわかるかと思います。

伊坂幸太郎が恋愛小説?と、最初はその不似合いな組み合わせに驚いたのだけれど、読んでみたらなんてことはない、いつもの伊坂ワールド。彼の描きたかったテーマに、うまく恋愛がリンクしてきたという印象だ。

テーマは、「繋がり」。
優樹には、千穂という2年交際中の恋人がいた。が、優樹の転勤が決まり、2人は未来に不安を感じていた。そんなとき、デート先の動物園で、富樫さんと再会する。富樫さんは優樹の姉の元彼氏で、会うのは姉たちが別れて以来5年ぶり。優樹は、富樫さんと話しながら、姉のことを思い出す。姉は恋愛に対して奔放で、優樹が紹介されただけでも相手は10人を下らなかった。
富樫さんは、最後に紹介された人で、優樹が一番好きになった男だった。優樹は、富樫さんと姉が結婚することを望んだが、2人にもやはり別れは訪れた。そして、姉はその後シロクマ(透明ポーラーベア)に会いに北極へ向かい行方不明になり、富樫さんの隣にはいま新しい彼女がいる。優樹が千穂との今後の”繋がり”に不安を感じるのは、姉の別れを何度も見てきたから。ずっと繋がっていることなんて、本当に出来るのだろうか?そんな優樹に、その夜、奇跡のような出来事が訪れる・・・。

描かれる情景や言葉のひとつひとつが、心に残る。
そして、”繋がり”というキーワード。僕は、震えた。そして、読み終えたとき、この小説に出会えたことに、心から感謝した。

僕たちの人生には、多くの別れがつきまとう。それは避けられない。でも、別れ=”繋がり”の消滅では、決してないのだ。僕たちは、目に見えない糸できっと繋がっている。世界は、僕たちが考えているより、ずっとずっと小さいものかもしれないのだ。だから、クヨクヨしたり、不安になることなど、まったくない。

伊坂幸太郎のメッセージは、いつも優しく、前向きで、心地よい。

そして、”繋がり”といえば、最も伊坂幸太郎が得意とすること。この短編でも、ひとつひとつのエピソードが伏線となり、最後に奇跡的な”繋がり”をみせる。

特に圧巻なのが、「成田山の法則」。成田山への初詣。元旦に行く人もいれば、2日や3日に行く人もいる。もし全員が初日に行こうと決意したら、元旦の成田山はパニックになる。でも、決してそんなことにはならない。そういう不思議なバランス、それが「成田山の法則」。でも、何の制限もないのだから、ひょっとしたら、全員が元旦の成田山に集結することだってあるかもしれないじゃないか?

これが、最後の最後、重要な伏線となって物語に奇跡を起こす。こんなところにも、”繋がり”ということを考えずにはいられない。

さて、他の5篇については、長くなってしまうので簡単に書く(詳しいstoryは、「ネタバレstory紹介」をご参照ください)。
では、後味の悪いのは好きじゃないので、順位の低い順に。

第6位:市川拓司『卒業写真』
偶然再会した中学生の同級生を違う人と勘違いして、自分のかつて好きだった人の話をしてしまう。しかし、実は目の前にいるその男こそ、かつて自分が想いを寄せていた人だったのだ。
このアイデアは面白い。ただ、しばらく勘違いしつづける主人公に対して、読んでいるこっちは、すぐにそのトリックに気付いてしまう。だから、話が意外なほど転がらないし、盛り上がらない。しかも、その片想いの相手”渡辺くん”に、僕は少しも魅力を感じなかった。

第5位:中村航『突き抜けろ』
大野は、彼女と奇妙な交際をしていた。それは、週3回決まった曜日の決まった時間にのみ電話して、デートも決まって週1回だけするというもの。そんな大野が、親友の坂本、そして風変わりな青年・木戸さんと出会う。
3位から5位は、ほとんど差がない。正直、これが3位でも良いぐらい。すごく荒削りで欠点も多いのだが、妙に心に残る部分もあった。主人公の3人は、現状を打破する勇気がもてずにいる。大野は彼女に嫌われたくなくて控えめな交際をつづけ、坂本は片想いの相手に告白する勇気がもてず、木戸は酒とタバコを恋人に冴えない生活をつづける。でも、彼らは彼らなりの方法で、その現状から”突き抜けて”いく。ラスト、「彼女にいますぐ電話しなくちゃ!」と決意する大野の”突き抜け”がすこぶる爽快。もう少し無駄がなくなりコンパクトに表現するテクニックをつければ、この作家は大化けするかもしれない。

第4位:石田衣良『魔法のボタン』
彼女にフラレて傷心の隆介は、幼馴染の萌枝と飲み歩くことで立ち直っていく。今まで異性として意識したことのなかった萌枝を、隆介は次第に女として見始める。
ベタベタ。話自体はどうってことない。ただ、やっぱり文章がうまいので、物語の展開に無駄がない。たぶん、この作家の力量なら、この程度の短編ならば短時間で書けてしまうのだろう。さすがだなと思うのは、タイトル。この”魔法のボタン”ごっこの存在が、クライマックスを印象的なものにしている。

第3位:中田永一『百瀬、こっちを向いて』
高校時代。相原は、先輩で幼馴染の宮崎から奇妙な依頼を受けた。それは、ある女と交際している演技をしてほしい、というもの。宮崎には神林という彼女がいたが、彼はその”ある女”とも交際していて、それをカモフラージュするのが狙いだった。それが、相原と百瀬の出会いだった・・・。
いまでいう”アキバ系”的キャラクター、相原が良い。「自分みたいな人間に、恋愛なんて」と考えていた彼が、百瀬と出会い、”欲”をおぼえる。恋愛の”欲”を知ってしまった相原は、もう昔の彼には戻れない。それを不幸なことを捉える相原の背中を、親友の田辺がそっと押す。「僕は恋愛を知らない。だから、僕は君が羨ましい!」と。このシーンはとても感動的だ。百瀬との未来を予感させる爽やかなラストも含め、なんだか映画のように、ひとつひとつの光景が目に浮かぶような素敵な物語だ。ちなみに、著者は、ある人気作家の覆面ネームだそうだ。

第2位:本多孝好『Sidewalk Talk』
彼女との、最後の待ち合わせ。目的は、離婚届を受け取ること。5年間の夫婦生活。浮気でも借金でもないが、自然に訪れた別れのとき。僕は、彼女との出会いや交際の日々を思い出す。
6つの物語の中で唯一、”別れ”を描いた物語。でも、後味は、すこぶる良い。なんといっても、最後の4ページが見事のひとこと。別れ際、すれ違った彼女の香水の匂いに誘われるように、交際して間もないときのあるエピソードを思い出す。そのときに、彼女が言った言葉。それを思い出したとき、主人公は、今日彼女が本当に伝えたかった想いに気付く。奇跡のような偶然がきっかけで結ばれた2人に、もう1度奇跡は訪れるのか?”別れ”を描きながら、”未来”さえ予感させつつ、この素敵な短編は幕をおろす。


6つの話、どれもそれなりに面白い。どの作家も、それぞれが個性を発揮しているし、読んで損のないアンソロジーだと思う。
ただ残念なのが、本全体のタイトル。『I LOVE YOU』って(10年以上の歴史を刻んできたミスチルが最新アルバムに『I♥U』とつけるのとは、わけが違う)。

6人の作家たちの、一生懸命考えた素敵なタイトルたちを見てほしい。『透明ポーラーベア』『魔法のボタン』。作家たちは、それこそ命をかけて戦っているのだ。だったら、出版社だって、それこそ命をかけて、本を手にとってもらう努力をしなければならない。

ただ、この本は、奇跡のような偶然によって、救われた。それは、掲載の順番。
よく見るとただの「あいうえお順」なのだが、偶然にも、伊坂幸太郎ではじまり、本多孝好で終わっている。

最初と最後の物語が素晴らしいので、この短編集は、読みはじめのワクワク感と読み終わりの後味が、すごく胸に残るのだ。

いや、でも、これって本当に偶然なのか?
ひょっとしたら、最初から順番のことを考えて、キャスティングしてたりして。
ひょっとしたら、「伊坂幸太郎ではじめたいから、「あ」ではじまる作家には声をかけるな!」なんて指示が出てたりして。

真相はわからない。
でも、僕はやっぱり、奇跡のような偶然を、信じてみたい。

この短編集を読み終えたいま、そんな気持ちになっている。
[PR]
# by inotti-department | 2005-09-10 17:14 | book
『マラソン』 ~素晴らしき直球勝負!泣けます!~
e0038935_14551827.jpg
満足度 ★★★★★★★☆☆☆ (7点)

『マラソン』(2005、韓)
   監督 チョン・ユンチョル
   出演 チョ・スンウ  キム・ミスク  イ・ギヨン 



難病ものとか障害者ものって、とかく風当たりが強くなりがち。
「安易に泣かせようとするな!」とか、「障害者=純粋なんて決めつけるな!」とか、いろいろと言われてしまう。

確かに一時、ウンザリするほど難病ものが乱立した時期があった。そして、「もういいだろ~」の声が大きくなりはじめると、やがてそういう作品の数は減少しはじめた。

そんな中、お隣の韓国から、1本の映画が届けられた。
『マラソン』。主人公が抱えるのは、自閉症。

それは、ビックリするほど直球で、そして見事なほどに感動的な作品だった。
そして、その作品が描こうとしたのは、「症状」ではなく「家族」だった。

さて、まずは簡単なあらすじ。
チョウォンは、マラソンとシマウマとチョコパイが大好きな20歳。自閉症のために他者とうまくコミュニケーションがとれないが、母親の愛情に支えられ、心優しい青年に育った。母親は、チョウォンをフルマラソンに挑戦させようと、コーチを雇って特訓させる。コーチとの信頼関係を築き、次第に親離れしはじめるチョウォンを、母親は複雑な思いで見守る。一方、チョウォンの弟は、兄にかかりっきりの母親に不満を抱き、非行へと走りはじめていた・・・。

<以下、ネタバレ含みます。未見の方は、くれぐれもご注意ください。>

もう一度言う。
この映画は、難病ものでも障害者ものでも断じてない。
これは、まぎれもなく家族の物語だ。

そして、この作品の主役は、チョウォンではないと僕は感じた。
この物語の主人公は、彼の母親だ。

母親の苦悩に関する描写が、深みがあって本当に素晴らしい。
息子に対する愛情の深さに感動させられるのはもちろんだが、何が素晴らしいって、彼女の心の陰の部分を丁寧に、そして正直に描いていることだ。

最初、母は強引なまでに、チョウォンにマラソンの練習を課す。そのために、コーチのもとに彼を預ける。しかし、コーチと息子の距離が縮まりはじめると、次第に母の態度が変わりはじめる。酒びたりで言葉遣いも汚いコーチを罵倒し、彼をクビにして、息子を自分のもとに取り戻す。

この時点で、観客はコーチのユニークなキャラクターに魅了されはじめているので、母親のこの行動には少し疑問を感じてしまう。さらに彼女は、兄の陰に隠れて放置されてきた弟の孤独に気付いてやれない。映画の中で絶対的な正義だった彼女の姿は、この時点で消滅してしまう。

でも、よく考えてみよう。いったい誰が、彼女を責められるというのか。彼女がどれだけの覚悟をもって、彼を育ててきたか。彼女のあるセリフが、痛々しいほどにグサリと、僕の心に響いてきた。
「私の願いは、チョウォンより1日長く生きること。そのために、100歳まで生きなくちゃ」

私が死んだら、一体誰がチョウォンの面倒をみてくれるというのか。彼女の抱える、あまりにも大きな苦悩。しかし、そんな彼女に対して、コーチはこんなことを指摘する。
「チョウォンがいなくちゃ生きていけないのは、あなたのほうだ」

そうなのだ。チョウォンが親離れできていないとの同様、母親もまた、子離れができていないのだ。いつまでも、彼女がチョウォンの面倒をみつづけられるわけではないのに。

疲れはてた彼女は、ふとした拍子に、彼の手を放してしまう。迷子になるチョウォン。彼は、駅のホームで、ボコボコに殴られていた。息子を抱き締める母。そんな彼女に、チョウォンは言う。
「子供のころ、お母さんが手を放したから、僕は迷子になった」
これを聞きながら、彼女は胃痛で気を失ってしまう。

この日を境に、母は決意する。もう、絶対に手を放すまい。もう、マラソンなどやらせまい。
この瞬間、チョウォンの自立への道は、完全に閉ざされてしまう。
かに思えた。

しかし、違った。チョウォンは、自ら決断した。彼は、周囲の反対を振り切り、そして母の手を自ら振りきり、マラソンのスタートを切る。

このマラソンシーンが、ユニークで素晴らしい。
チョウォンが走っていると、やがて、そのバックの景色が変わる。彼が走るのは、いつも母と買物に行くスーパーであり、彼が迷子になったホームであり、そして大好きなシマウマが走る草原なのだ。そして、彼は手を伸ばし、沿道の人々とタッチをかわす。そこには、彼をボコボコにした男もいる。

このシーンは、チョウォンがついに他者と、そして社会と向き合いはじめたことを象徴している。彼の手は、いつだって母親と繋がっていた。でも、この瞬間、彼の手は、社会と触れ合うのだ。
この描写は、見事のひとこと。僕は、このシーンで震えが止まらなくなり、涙が出てきた。

そして、ゴール。彼を迎える、母と弟。肩をよせあい、彼らはこう語り合う。
「家に帰ろう」

何度でも言う。これは、家族の物語だ。彼が自閉症であるとかどうとか、そんなことはあまり重要なことではない。この物語は、誰にでもあてはまり、訴えかける普遍性をもっている。子が親のもとを離れ、親が子の手を放す瞬間は、どんな家族にも共通して訪れる。

しかし、大切なのは、それでも僕らが帰る場所は「家」なのだということだ。手を放すことを、恐れてはいけない。だって、僕たちにはいつだって「家」があるのだから。何も不安がることはないのだ。

エンドクレジット、もうひとつこの映画はサプライズを用意していた。なんと、このチョウォンには、モデルがいるのだという。実際に、フルマラソンを3時間以内で走った青年の物語が、この映画のベースになっているそうだ。

そう、これはやはり、特別な障害を描いた物語では決してない。
現実の、直球勝負の、素晴らしき家族の物語なのだ。
[PR]
# by inotti-department | 2005-09-08 23:52 | cinema
『容疑者 室井慎次』 ~”踊る”シリーズ史上最低の凡作~
e0038935_1459504.jpg満足度 ★★★★☆☆☆☆☆☆ (4点)

『容疑者 室井慎次』(2005、日)
    監督 君塚良一
    出演 柳葉敏郎  田中麗奈  筧利夫

僕は、熱烈な”踊る大捜査線”フリークではない。
映画版の第1作を劇場で観たとき(あれはたしか、公開後すぐの土日だったはず)、周囲の熱気の凄さを実感して(みんな、映画がはじまるまでの待ち時間に、自分たちの”踊る”知識のお披露目会を行っていた)、「あ、こんなに人気あるんだー」と驚いた記憶がある。

特別な大ファンではないのだが、これまで、テレビドラマから映画まで全てのシリーズを一応観てきた。

僕が感じる”踊る”の最大の魅力は、「緩み→緊張」「笑い→涙」「ストレス→カタルシル」への劇的なまでに爽快なジャンプ力。ダラダラ、イライラ、ニヤニヤしながら観ていた軽いタッチの物語が、ある瞬間を機に、突然変化する。そのメリハリがすごい。さんざん笑わされることで生まれる感情の高ぶりは、ふとした展開ですぐに涙に変わってしまう。

そして、それを生み出すのが、愛すべきキャラクターたち。青島、室井、和久さん、真下、すみれ、スリーアミーゴス、などなど。キャラクターがしっかり確立されているから、たとえどんなに事件の内容がつまらなくても、毎回泣きどころや笑いどころが用意されるのだ。とりわけ、キャリアである室井と、現場の所轄のメンバーが心を通わせるシーンなどを見ると、僕はいつも胸が熱くなってしまう。

そんなわけで、要するに、僕は”踊る”シリーズ、けっこう好きなのだ。
と、なぜ最初にこんなことを書くかというと、これから批判・不満をいろいろと述べなければならないからなのだ。”踊る”をそれなりに愛するものとして、それはとても心苦しいのだが。

『容疑者 室井慎次』は、シリーズ史上最低の凡作になってしまった。残念ながら。

簡単なあらすじ。
室井、突然の逮捕。ことの発端は、ある事件だった。若い男が殺され、殺害の疑いをかけられたのは、交番勤務の警官。執拗な取調べに耐えかね、警官は逃走した。その途中、車ではねられ即死。警官の母親は、息子が取り調べで暴行を受け自白を強要されたとして、告訴する。その相手が、捜査の責任者であった室井。一方、警察庁と警視庁は、この一件を権力争いに利用しようとして、責任のなすりつけあいを開始。さらに、エリート弁護士軍団は、執拗なまでに室井を陥れようとし、真相を究明しようと奔走する室井を妨害する。室井逮捕の裏にひそむ、真相とはいったい?

<ここから、ネタバレも含みます。未見の方は、ご注意ください。>

この映画、なんだか最初からちょっと様子がおかしい。
殺人容疑で交番の若い警官が取り調べ。逃走して、事故で死亡。その映像のいいかげんさも含めて、なんだかどうもピンとこないのだ。とりあえずわかるのは、「この事件の裏には、巨大な何かが隠されているのだろう」という予感だけ。

さらに、室井の逮捕。その理由も含め、これもまた全然ピンとこない。『容疑者 室井慎次』っていうタイトルを掲げている以上、ここが話のメインにならなくちゃおかしいのだが、なんだかすごく陳腐なのだ。僕はてっきり、室井に殺人容疑でもかかるんだとばかり思っていた。

しかも、あっさりと釈放される。これも、ピンとこない。なんだか、全然気持ちが乗ってこないのに、話ばかりが進んでいく。気が付いたら、室井は停職を言い渡され、さらに辞職を迫られる。なんだなんだ、話はどんどん進んでるぞ。

事件や謎の素材自体に、僕はこれっぽっちも魅力を感じることができなかった。しかし、物語はどんどん大風呂敷を広げていく。現職警官の殺人容疑と、取調べ中の死亡。警察キャリアの逮捕。そのバックで蠢く、警察庁と警視庁の権力闘争。さらに、何かを企む怪しい弁護士軍団。さぁ、その裏にある真相とは!?製作側は、この時点で観客の気持ちは相当に盛り上がっていると踏んだのだろうが、それは大きな間違い。ピンとこないまま話ばかりが進んでいくから、気持ちが少しもついて行かないのだ。

こうなったら、もうあとは真相に期待するしかない。室井がハメられたことと、警察の権力闘争と、弁護士の陰謀が、どうやってあの小さな殺人事件のもとに繋がるというんだ?さぁ、驚かせてみせろ!スッキリさせてくれ!!(まぁ、実のところは、そんなに真相が気になっているわけではないのだが・・・。)

事件の裏にあったのは、杏子という女性を巡る三角関係。警官と被害者は、杏子をとりあっていた。被害者が邪魔になった杏子は、チンピラみたいな友人に、殺害を依頼。警官は真相を知りながら、杏子をかばっていたのだ。

あれま、またずいぶん陳腐なのね。まぁいいや、それはいいとして、弁護士たちの狙いは?どうしてあんなに室井の邪魔をしたの?

それは、杏子の父親に弁護を依頼されたから。真相を隠すために、被害者の母親に接近し、無理やり告訴させた。室井の動きを封じるため。全ては、お金のため。

・・・・。で、警察の権力争いは、見てのとおりということか。殺人事件に、弁護士や警察幹部たちが関わっていたっていうわけではなかったのね。おしまい。

狙いはわかる。そういう小さな小さなことに振り回される、警察や法というものを描こうとしたのだろう。そして、その狭間で苦悩する室井。そう、室井や青島が現場を通じて戦ってきたものは、いつだってそういう権力の横暴さだったのだ。ある意味、”踊る”シリーズの真骨頂といえなくもない。

しかし、それにしてもちょっとヒドすぎやしないか。これでは、何のカタルシスも、何の盛り上がりもない。あるのは、ただただ虚しさばかり。

無駄に思わせぶりなシーンが多いのもクエスチョン。一瞬だけ登場した大杉漣は、何だったのだ?さも、事件の真相に警察か弁護士が関与していそうな雰囲気をかもし出していたのは、いったいどういうこと?煽るだけ煽って、最後の空虚さをより鮮明に出そうとしたというのなら、ちょっと観客をバカにしている。どうせシリアスにやったって高が知れているんだから、もっとエンタテインメント性を追及しなくちゃ。”踊る”シリーズって、いつもそうしてきたじゃないか?

と、けなしてばかりでも虚しいだけだから、良い点を褒めよう。俳優たちは、それなりに健闘している。柳葉の”静の芝居”も素晴らしかったと思う。ただ問題なのは、やはり主役では、室井の良さが生きないということ。彼の”静”は、青島やすみれの”動”があって、はじめて生きるのだ。でも、これは、柳葉の責任ではない。彼は、主役の責任を、十分に全うしたと思う。

脇役陣もよかった。田中麗奈、柄本明、八嶋智人、筧利夫。みんな、いい味を出していた。脚本がよければ、もっともっと見せ場がつくれたと思う(特に、柄本。最後、彼がビシっと締めると期待してたんだけど。どうして、放置しちゃったんだろう)。

この映画の中で、唯一といっていいぐらい見ごたえがあるのは、室井が学生時代の切ない過去を語る場面。あそこは、確かに素晴らしい。静寂の中で訥々と語られる、室井の独白。一言も漏らすまいと、観客全員が耳をじっと傾けている緊張感が、劇場内にはあった。最も、印象深いシーンだった。

しかし、と僕は思ってしまう。室井のああいう過去。やや嫌な言い方をすれば、”とってつけた”ようにも感じられるぐらい、唐突に語られた過去。果たして、こういうエピソードが、”踊る”シリーズに本当に必要なのだろうか?最初のテレビシリーズで語られるならともかく、今さら明らかになったところで、かえって今後作られるであろう本編第3弾にとって、それは足かせになりやしないか?

あのエピソードは、この『容疑者 室井慎次』というサイドストーリーに色づけするためだけに安易に描かれたのではないか?そんな気がしなくもないが、本当のところはどうなのだろう。
ただの僕の邪推にすぎなければいいのだが。
[PR]
# by inotti-department | 2005-09-07 11:20 | cinema
『奥さまは魔女』 ~王道のラブコメ。でも、設定は”?”。~
e0038935_1541243.jpg満足度 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点)

『奥さまは魔女』(2005、米)
   監督 ノーラ・エフロン
   出演 ニコール・キッドマン  ウィル・フェレル  

空前のリメイク・ブームに沸いているのは、日本もハリウッドも同じ。
それだけ、オリジナルなネタが枯渇しているということなのだろう。
良作のリメイクを見られるのは嬉しいけれど、ちょっぴり寂しさも感じたりする。

さて、この『奥さまは魔女』も、元ネタはアメリカの超人気テレビドラマ。
日本にもファンは多く、ほとんどの人がタイトルぐらいは知っているだろう。
そういえば、米倉涼子主演で、連ドラにもなっていたような。(見てないけど。)

かくいう僕も、そのひとり。タイトルは知っているが、実際に見たことはない。
ということで、リメイクということは関係なく、1本のオリジナル映画を観る気持ちで、劇場へ足を運んだ。

では、簡単なあらすじ。
落ち目の映画スター・ジャックは、起死回生を図って、リメイクドラマ『奥さまは魔女』への出演を決める。問題は、魔女サマンサ役のキャスティング。自分を目立たせるために、ジャックは新人女優をサマンサ役に起用することを要求。偶然、町で出会ったイザベルに目をつけ、彼女の抜擢を決める。しかし、イザベルは、実は本物の魔女だったのです・・・。

というわけで、正確にいえば、この映画はリメイクではない。いわゆる、劇中劇のスタイルをとっているのだ。

しかし、すごく残念なのは、この設定が全く生きていないこと。
魔女を演じるのは本物の魔女。しかし、周囲は誰ひとり、そのことを知らない。となれば、当然、収録現場でイザベルが起こすドタバタで笑わせてくれるんだろうなーと期待する。

しかし、そういう笑いは、ほとんどない。映画の中には笑えるシーンもけっこうあるのだけれど、そのほとんどは、ジャックを演じたウィル・フェレルのしつこいキャラクターによってもたらされるものだ(そして、笑いをとったシーンの3倍ぐらい、彼はスベってもいるのだけれど)。

そうなってくると、この設定には、一体どういう意味があるのだろうかと考えてしまう。うーん。残念ながら、見当たらない。いかにして有名すぎるTVドラマ『奥さまは魔女』との差別化を図るか、そこに神経を使いすぎて、逆に裏目に出たのではないか。そう僕には感じられた。

と、不満ばかり述べてしまったが、1本のラブコメディとしては十分に楽しめる。キュートな魔女と、ドジだけど憎めない男の、笑える恋愛物語。『めぐり逢えたら』や『ユー・ガット・メール』の監督であるノーラ・エフロンにとっては、得意中の得意とするジャンルだ。ハズレの心配は、まずない。

ニコール・キッドマンも、とても良い。彼女が、これほど魅力的にロマンティック・コメディを演じることができるとは、正直思わなかった。女王メグ・ライアン(もはや過去の話か!?)に、全く負けていないと思う。彼女はまたひとつ、女優としての幅を広げたようだ。

これなら、余計な設定などもってこないで、王道のロマンティック・コメディ作りに専念すればよかったのに。と、オリジナルを全く知らない僕などは、そう思ってしまう。でも、それだとタイトルを変えなくちゃいけないから、今度は「パクリ」って言われかねないか。

ひょっとすると、オリジナルのファンにとっては、いろいろと感慨深いシーンがあったのかもしれない。でも、それに気付けない僕にとっては、オリジナルの存在が、かえって邪魔なものになってしまう。両方を納得させる方法なんて、本当にあるのだろうか?

まったく、これだから、リメイクは難しいんだよなぁ。
[PR]
# by inotti-department | 2005-09-03 21:34 | cinema
村上春樹『風の歌を聴け』 ~作家宣言!伝説の幕開け。~
e0038935_1565776.jpg満足度 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点)

村上春樹・著
『風の歌を聴け』
1979、講談社文庫


「好きな作家は誰ですか?」と聞かれると、バカのひとつ覚えみたいに「村上春樹」と答えていた時期があった。

ここ数年、意識的にいろいろな作家の本を読むようになってからは、「伊坂幸太郎」や「東野圭吾」など、同じ問いに対して答えを変えてみるケースも出てきた。自分の嗜好も、多少は幅広くなってきたものだなぁと思う。

でも、村上春樹に対する思いは、今もまったく色褪せたわけではない。
彼の長編は全て読んだけれど、ハッキリ言って全て面白かった。
今でも間違いなく、最も好きな作家のひとりである。

さて、ブログ開設を機に、新たに読んだ本の感想を日々タラタラと書いているわけだが、先日、突然ふと気付いた。
新たに読んだ本の感想を書く・・・。
「じゃあ、昔読んだ本の感想は、いつ書けば良いのだ!?」

というわけで、村上春樹作品を読み直すことを決意した。
そして、改めて1作ずつ、感想を記していこうと思う。

ただ、その前に、ひとつだけ断っておきたいことがある。
僕は村上春樹ファンではあるが、決して熱心な村上春樹マニアではない。

彼が熱心なヤクルトファンであることぐらいならなんとか知っているが、彼の生い立ちも知らないし、全発行作品を網羅したわけでもない。
世に言う”ハルキスト”ではない僕の感想である。ひょっとすると、熱心なフリークの方々には、読んでいてイライラするケースも出てくるかもしれない。

でも、僕は僕なりに彼の作品と向き合っていきたいと思っているので、無知を承知で自由に書こうと思う。彼の作品には、自由な解釈の余地が残されているものが多い。だから、僕も、自由に解釈して書く。

それでは、まず紹介するのは、伝説のデビュー作、『風の歌を聴け』である。

簡単なストーリー。
夏休み、生まれ育った街に帰省した大学生の僕は、友人の”鼠”と酒を飲みながら、毎日とりとめのない話をして過ごしていた。そんなある日、行きつけのバーのトイレで、倒れていた女性を介抱する。彼女と親しくなった僕は、デートらしきものをしつつ、互いの距離を縮めていく。しかし、彼女は突然旅行に発ち、そして”鼠”もまた、何か大きな悩みを抱えて口を閉ざす。僕の夏休みの終わりは、すぐそこまで迫っていた・・・。

<以下の感想、ネタバレ含みます。未読の方は、ご注意ください。>

何かが起きそうで、結局、何も起きないまま終わる物語。
何か重大なメッセージが隠されていそうで、結局、何も隠されていないのかもしれない、そんなつかみどころのない小説。

この小説を読み解くのは、本当に困難な作業だと思う。だから、自分なりに100%読み解くことができた人にとっては、「この作品が村上作品の中でも最高傑作だ!」ということになってもおかしくはないと思う。それが、作家の想いと100%一致しているのかどうかは、別として。

僕の感想を言えば、この作品にとびっきりの高得点を付けるわけにはいかない。そんなことをしたら、これ以後の彼の作品には、全て100点満点をつけなければならなくなるからだ。

『風の歌を聴け』を書いた時点の村上春樹は、まだプロの小説家とは言えないと思う。彼は、アマチュア的な気持ちで、アマチュア的な異色作を書ききった。しかし、そこにはまだ、第3作『羊をめぐる冒険』以後の彼の作品に見られるような、ストーリーテリングの魅力が欠如している。

ただ、この作品が、30年近くもの間、トップの小説家としてこの国に君臨している男のデビュー作だということを考えると、やはり何とも言えない感慨深さが沸きあがってくるのは確かだ。
そして、思う。
これは、彼の「作家宣言」だったのだな、と。

冒頭の独白が、とても感動的だ。
様々な人間や出来事が自分の前を過ぎ去り、そして、深い孤独を感じている”僕”。その”僕”が、こう言う。
「今、僕は語ろうと思う。」

語られるテーマは、「喪失の哀しみと孤独。そして、そこからの再生」。

物語の中で、主人公がかつて付き合った3人の女性の話が語られる。彼は、彼女たちを愛していた。しかし、失って時間が過ぎ去ったいま、彼は彼女たちの顔を誰ひとり思い出すことができない。

また、短い夏、一瞬だけ付き合った女性とも、別れが訪れる。冬に戻ると、もう彼女の姿はない。
そして数年たち、彼は結婚して、それなりに幸せな日々を送っている。
物語は、そこで終わる。

また、中盤に、こんなくだりがある。
「クールに生きたいと思い、自分の思っていることの半分しか口に出すまいと決心した。そして気が付いたら、思っていることの半分しか語ることのできない人間になっていた」
「他人に伝える何かがあるかぎり、僕は確実に存在している。でも、誰も僕になど興味を持たない。そして、存在意義を見失い、やがてひとりぼっちになった」

”僕”は、極めてクールな精神の持ち主だ。その語り口もクールで、無理に他人の感情に踏み込もうともしない。そして、自分自身の感情にも。
しかし、彼は、人生を諦めているわけではない。彼は、多かれ少なかれ、孤独や哀しみを感じている。そして、なんとか、そこから抜け出す術を手にしたいと願っている。

その方法が、”語る”、つまり”書く”ということだったのだ。

この”僕”が、イコール”村上春樹”なのかどうか、それは実際にはさほど重要なことではない。大切なのは、”僕”の抱えている孤独の正体が、この小説を読んで何かを感じ取った読者が抱えているそれと、ほぼイコールである、ということなのだ。

そして、この構図は、21世紀に入っても、何も変わっていない。また、村上春樹が一貫して書き続けているテーマも。「喪失と再生」。『ノルウェイの森』も『海辺のカフカ』も、内包しているテーマは、この『風の歌を聴け』と何ひとつ変わらない。

「今、僕は語ろうと思う」
伝説は、この言葉から始まった。
[PR]
# by inotti-department | 2005-09-03 02:53 | book
   
映画・小説・音楽との感動の出会いを、ネタバレも交えつつ、あれこれ綴っていきます。モットーは「けなすより褒めよう」。また、ストーリーをバッチリ復習できる「ネタバレstory紹介」も公開しています。
by inotti-department
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
> フォロー中のブログ
> ファン
> ブログジャンル
> 画像一覧