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当ブログでは、「あの映画(小説)、一度観たんだけど、どういう話だったかが思い出せない・・・」とお困りの方のために、映画(小説)のストーリーを完全に網羅したデータベースを公開しております。詳しくは、カテゴリ内の「映画(小説)ネタバレstory紹介」をご参照ください。なお、完全ネタバレとなっていますので、未見の方はくれぐれもご注意ください。
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> 『TAKESHIS'』 ~わからないこと。わかろうとすること。~
『TAKESHIS\'』 ~わからないこと。わかろうとすること。~_e0038935_0335155.jpg満足度 ★★★★★☆☆☆☆☆ (5点)

『TAKESHIS'』(2005、日)
  監督 北野武
  出演 ビートたけし 京野ことみ 岸本加世子

満足度、☆5つ。
久しぶりに、厳しい点をつけてしまった。

でも、実をいうと、映画自体の出来に関しては、僕は6点をあげても良いと思っている。ものすごく満足したわけではないけれど、まずまず楽しい2時間を過ごすことができたからだ。

にもかかわらず、なぜ5点を付けなければならないのか?それは、映画の内容の問題ではない。僕が憤りを感じているのは、この映画の宣伝方法、そしてメディアの取り上げ方について、なのである。

では、まずはあらすじの紹介。
多忙を極める大スター・ビートたけし。ある日、彼のもとに、たけしに外見がそっくりな北野という名前の男が、サインを求めて訪ねてくる。北野は、たけしのようなスターになる日を夢見て、コンビニでバイトしながらオーディションを受け続けているが、まだ1度も役をもらったことはなかった。そんな北野が、たけしと遭遇したその日を境に、夢とも現実ともつかぬ不思議な体験を繰り返すことになる。それは、拳銃と暴力が渦巻く、憧れのたけし映画の世界だった・・・。

この映画に関する、公開前のマスコミの前評判をまとめると、大体こんな感じだ。
「これは難解な映画である。ストーリーを追いかけても、話の筋はよくつかめない。この映画は、わからなくて当然。映画を楽しめるかどうかは、その”わからなさ”加減をどれだけ楽しめるかどうかだ。観客は、夢と現実の区別がつかない不思議な世界に、ただ身を委ねて楽しめばよい。」

わかるよ、言いたいことはわかる。でも、なんかそれっておかしくないか?映画を観る前から、わからないことが前提になっている。それって、やっぱり健全じゃないと思うのだ。

「わからない」ということ、あるいは、「わからなくてよい」ということ。それに対して、「わかろうとする」ということ。最終的に「わからなかった」という結果は同じだったとしても、前者と後者の間には大きな違いがあると僕は思うのだ。

おそらく、映画評論家の面々は、わかろうとしたけれどもわからなかったのだと思う。だから、こう僕たちに紹介する。「この映画はどうせわかりませんよ。わからないなりに楽しむしかありませんよ。」と。

そりゃ専門家にわからないものが僕ら一般の観客に理解できるわけはないんだろうけど、それにしたって、わかろうとする権利を奪われちゃったら、こっちはたまったもんじゃない。そんな映画、いったい誰が観に行くのさ?この映画が興行的に大失敗しているのは、当たり前だ。観る前からそんなこと言われたら、そりゃ普通の人は『消しゴム』か『イン・ハー・シューズ』の方を観に行くに決まってる。

でも、僕はあえて、この映画を観に行った。それは、少なくとも僕は、やっぱり後者でありたいと思っているから。せっかく1300円払って映画を観に行くんだもの、わからないまま終わるなんて、絶対に嫌だ。百歩譲ってわからなかったとしても、せめて、わかろうとする努力だけは怠りたくない。そう思う。

さてさて、こんな勇ましいことを言って、結局僕は理解できたのか?いやーー、わけわかんなかった(笑)ここまで筋がない映画に対して、「面白い!」なんて、よっぽどの度胸がないと言えない。この映画が万が一ベネチアで賞でも取ってたら、僕はもう世界中の映画賞を全く信用しない人間になるしかなかっただろう。

でも、さきほども宣言したように、頑張ってわかろうとする努力はしたつもりだ。ということで、全く的外れかもしれないけれど、僕が感じたことを最後に書く。

<ということで、以下ネタバレです。ここまで読んで、「よし、挑戦したろ!」と思った方は、観終えてからもう1度覗きにきてください。>

この映画が表現しようとしたのは、スター「ビートたけし」と市民「北野武」という同一人物のせめぎ合いだったのだと思う。おそらく「たけし」の中には、国民的大スターとなった今でも、「北野」としての感覚が消えてないのだと思う。中身はコンビニ店員のままなのに、スターとしてもてはやされている今の状況。「北野」がドンパチやったらただのクレイジーな市民としかとらえられないのに、「たけし」がドンパチやると、それはたちまち芸術的表現として崇められる。こういう状況を、痛烈に皮肉ったのが、この映画だったのではないか。

映画の中盤から、物語の語り部は完全に「北野」に移行する。「たけし」は市民「北野」の姿を借りて、現在の「ビートたけし」の状況を自らあざ笑う。自分の映画のシーンを再現し、そこに「北野」を存在させ、痛烈にパロディにしてその世界をぶっ壊す。拳銃をぶっ放しまくる「北野」を見ながら、僕には、たけしの悲痛な心の叫びが聞こえてくるような気がした。

そしてついに終盤、「北野」は「たけし」に襲いかかる。しかし、市民「北野」がスター「たけし」に勝利したかに思えた瞬間、映画の語り部は再び「たけし」に戻る。「北野」の叫び、それは全て幻として処理され、最後に残されたのは結局「たけし」ただひとり。「たけし」は荒れ狂ったかのように拳銃をぶっ放し、映画は幕を下ろす。

「北野武」はこれからも、「ビートたけし」として生きていく。この映画は、そんな決意表明の映画とも取れるし、また逆に、「ビートたけし」としての人生を放棄することを暗示しているとも取れるような気もする。

でも、ひとつだけ言えることは、監督「北野武」は極めて冷静に論理的に、この映画を撮っただろうということ。だから、こうやって「たけしと北野がどうの・・・」と言っている時点で、僕はまんまと監督の術中にはまってしまっているのかもしれない。

さて、この僕の解釈はどうだろうか?たぶん、全然見当ハズレなことを書いてしまっているのだろう。

でも、僕はそれでもよい。
「わからなかった」としても、「わかろうとした」。
そのことだけで。
by inotti-department | 2005-11-25 01:30 | cinema
映画・小説・音楽との感動の出会いを、ネタバレも交えつつ、あれこれ綴っていきます。モットーは「けなすより褒めよう」。また、ストーリーをバッチリ復習できる「ネタバレstory紹介」も公開しています。
by inotti-department
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