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当ブログでは、「あの映画(小説)、一度観たんだけど、どういう話だったかが思い出せない・・・」とお困りの方のために、映画(小説)のストーリーを完全に網羅したデータベースを公開しております。詳しくは、カテゴリ内の「映画(小説)ネタバレstory紹介」をご参照ください。なお、完全ネタバレとなっていますので、未見の方はくれぐれもご注意ください。
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1 ![]() 『イカとクジラ』(2005、米) 監督 ノア・バームバック 出演 ジェフ・ダニエルズ ローラ・リニー ブルックリンで暮らす4人家族、バークマン家。父は元売れっ子作家だが、最近は鳴かず飛ばずで大学講師暮らし。一方、母は作家デビューが決まり、父はあまり面白くない。2人の息子、ウォルトとフランクは、カフカやディケンズという言葉が普通に食卓で飛び交う環境で育ったためか、少し変わった一面を持っている。そんな中、夫妻に離婚話が持ち上がる。2人の息子は、1週間の半分ずつを父母それぞれの家で暮らすことになるが・・・・。 『イカとクジラ』。なんだかユニークなタイトルですが、ストーリーもまたとってもシュールな映画です。 家族の映画、ということになるんだと思います、一応。「ホームドラマ」というようなほのぼのした響きは全く似合わない映画ですが、そこで描かれているのは、ある1つの家族の姿です。不思議なストーリーに身を委ねているうちに、気が付いたらエンドロールになっていた、そんな感じでした。 面白い!という風に表現していいのかは正直わかりません。かといって、よくわからない、というような複雑な映画というわけでもありません。なんと言えばいいのか、本当に不思議な映画、としか言いようがないです。 少し変わった家族なんですが、元凶は誰だ、となったらやっぱりお父さんでしょう。このお父さん、全然人間ができてないんです。偏った理屈ばっかり述べては息子に悪影響を与えてしまうし、仕事がうまくいかないことに対しても言い訳ばかりだし、12歳の息子とテニスや卓球をプレイしてはムキになってしまうし。要するに、ただの子供みたいな人なんです。 かといって、お母さんが大人なのかといえば、そうでもありません。このお母さん、本心が非常に見えにくいのですが、僕にはナンダカンダで子供たちのことを深く愛しているようには感じられませんでした。本音を言ってしまえば、自分のことが誰よりも可愛い、というタイプの人なんだと思います。 そんな両親のもとで育った2人の息子。当然と言ってしまえば当然なんでしょう、少し変わったキャラクターになってしまっています。 お兄ちゃんのウォルトは、自分でも認めているように、お父さんに似たところがあります。プライドだけはやたら高いので、ほぼ女性経験がないのにプレイボーイぶったり、プロのロック歌手が作った曲を自作と偽ってコンクールで演奏してしまったり、読んでもいない小説を駄作と批判してみたり。 弟のフランクは、性に目覚めはじめ、そこらじゅうで自慰行為を繰り返しては精液をあちらこちらにこすりつけるイタズラを繰り返します。 要するに、4人とも、大人と子供の中間にいるような感じなんですよね。両親は大人なのに子供みたいな面をたくさん持っているし、息子たちはまだ子供なのに大人ぶろうと背伸びをしています。そして誰も、互いの本当の気持ちを掴むことができません。家族なのに・・・。 皮肉がきいているなぁと思いますが、とてもシャープな視点だよな、と感心しました。家族というものの本質を、ある意味とても鋭くついていると思います。子供たちは、自分たちが大人に近づくにつれ、自分たちの親が実はそれほど大人ではないということに気付きます。そんな時期のことを、「思春期」と呼ぶんですよね。こういう家族の現象って、万国共通なのではないでしょうか。これがもう少し成長すると、子供ももっと寛容になるんですけどね。そして、改めて親への感謝の思いを強くする。そういうものではないでしょうか。 普通の映画だと、そんな関係が、後半何らかの変化を見せるものなのですが、この『イカとクジラ』に関してはそのままパタっと終わってしまいます。「あれ、もう終わり?」というのが僕の感想でした。 最後に少しだけネタバレしちゃいます。この家族は、最後に少しはわかりあうことができたのか?非常に微妙なところです。お母さんとの子供の頃の記憶を思い出したウォルト。お母さんに「覚えてる?」と聞きますが、結局その答えはウヤムヤになってしまいました。僕は、なんとなくの感覚として、お母さんはきっと覚えてないんだろうなぁと感じました。 一方、お父さんは、その無駄に高いプライドをかなぐり捨てて、お母さんに復縁を提案します。でも、お母さんはその提案を、鼻で笑ってしまいます。これ、お父さんには相当ショックだったろうなぁと思います。きっと、お母さんなりの、お父さんに対する復讐という意味もあったんだと思います。ちょうど、オープニングのテニスシーンで、お父さんがお母さんに対してしたことと同じように。 ただ少なくとも、エンディング近く、家を出て行った猫を追いかけたあの瞬間、やはりあの4人は家族になっていたと思います。わかりあうことも出来ていないし、何も状況は改善されてはいないのだけれど、それでも家族であることをやめることはできないんですよね。 チグハグなダブルスをこれからも続けていくであろうその家族の未来を案じつつも、うまくいくといいなぁって、そんなことを感じました。 ▲
by inotti-department
| 2007-02-25 00:42
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![]() 『ディパーテッド』(2006、米) 監督 マーティン・スコセッシ 出演 レオナルド・ディカプリオ マット・デイモン ボストンを牛耳るマフィアのボス、フランク・コステロ。ボストン州警察は、なんとかして彼を捕まえるため、ビリーを潜入捜査官として組織に送り込む。一方、コステロもまた、警察内部の情報を手に入れるため、手下のコリンを警察官として働かせていた。ビリーはコステロの犯罪の動きを警察へ知らせ、コリンは捜査の動きをコステロに伝える。しかし、警察もコステロも、自分たちの組織の中にスパイが潜んでいることに気付きはじめ・・・。 香港映画の大傑作『インファナル・アフェア』のハリウッド・リメイクです。しかも、監督はあの大巨匠マーティン・スコセッシ。そして、レオナルド・ディカプリオ&マット・デイモン&ジャック・ニコルソンという最強のキャスティング。これはもう、期待しない方がウソでしょう! 『インファナル・アフェア』、この映画、僕もう大好きなんです。特に、3部作のパート1は最高の大傑作です。公開当初、あまり話題になっていなかったこの映画を、僕は何人の友人に勧めたことか。そんな風に誰に対しても自信をもってオススメできるような映画って、そうそう何本もあるわけではありません。それぐらい、本当に面白い映画なんです。 で、この『ディパーテッド』です。いよいよ3日後に発表される米アカデミー賞にも、ノミネートされています。アメリカでは、非常に評判が良いようですね。 ただ、僕に言わせれば、そんなの当たり前じゃん!って感じなんです。だって、あの『インファナル・アフェア』のリメイクですよ!?普通にやれば面白くなるに決まってます。 さて、そんなわけで、ようやく観ることができました、『ディパーテッド』。期待に違わぬ、素晴らしい映画でした。ひたすら面白い、エンタテインメント性あふれる快作に仕上がっています。テーマとか社会性とかそんなことはどうでもよくて、とにかく、ストーリーが面白い。 さきほど、面白くて当たり前だと言いましたが、リメイクって決してそんな簡単なものじゃないですよね。今までにも、「あんなに面白い映画(あるいは原作と言い換えてもいいですね)が、どうしてこんなにつまらなくなってしまったんだろう?」というようなリメイクを、僕は何本も観てきました。その作品の本当の面白さを理解して、それを的確に再現する。これって、案外大変なことなのです。 そんな中、この『ディパーテッド』の完成度の高さといったら。オリジナルの香港版の面白い部分を、ほぼ100%抽出することに成功していると思います。そして、例えばジャック・ニコルソンのキャラクターなどは、オリジナルをも凌駕していると思います。もちろん、名優の怪演あってこそのものですが。なんちゅう俳優なのでしょう。凄すぎます。 マーティン・スコセッシという監督の怖ろしいほどの才能を、改めて再認識させられました。あれほどの大巨匠にもかかわらず、オリジナル版に最大限の敬意を払って映画を作っていることが強く伝わってきます。僕は、ひょっとしたら『インファナル・アフェア』とは別物の映画になってしまっているんじゃないかと心配していたのですが、非常に忠実なリメイクになっています。 何に感心したかというと、僕がオリジナル版の中で「凄い!」と感じた部分が、全てきっちりと残されていたことなんです。マーティン・スコセッシは、この物語の面白さを、とても的確に理解できているんだと思います。そして、香港映画とは全く違った、立派なアメリカ映画に仕上がっている。これは、決して簡単なことではありません。 ただ、同時に、この監督はやはりリメイクよりオリジナルに向いている監督だなぁとも感じました。この人、頭が良すぎるんです、きっと。もともと面白い物語をリメイクするとなったら、その面白さを出来るだけ崩さずに表現しようとしてしまう監督だと思います。だから、逆に言うと、オリジナルを上回るような大胆なリメイクを作ろうという発想にはならないんだと思います。 おそらく、『インファナル・アフェア』と出会う前に『ディパーテッド』を観ていたら、もっと震えるほど興奮していたと思います。でも、僕は既に『インファナル』を3回も観てしまっています。その『インファナル』に対する愛情を上回るほどの感動を、『ディパーテッド』から得ることはできませんでした。 僕の中で『インファナル』は★9つの映画で、『ディパーテッド』は★8つです。その差は何なのか?ストーリーはほぼ一緒。どちらも面白い。じゃあ、その★1つ分の差は何なのか? もちろん、オリジナルとリメイクの差、という不公平な部分もあるのだと思います。でも、それだけじゃない。 少し考えてみましたが、2つあるんだと思います。1つは、キャスティング。ディカプリオ&デイモンも悪くないけれど、僕はトニー・レオン&アンディ・ラウのコンビに軍配を上げたいと思います。特に、寂しげな笑顔ひとつで潜入捜査官の哀しみを表現したトニー・レオンほどの深みを、ディカプリオからは感じられませんでした。ただ、ディカプリオのパワフルで野生的なアプローチも、さすがだなぁとは感じましたが。これはもう、好みの問題でしょうね。同じ役でも俳優によって肉付けが全然違うという、とても興味深い好例だと思います。 そしてもう1つは、”アジア”ということなんです。『インファナル』がもっている、あの独特の粘っこい空気感。あれってまさしくアジア的なもので、人によってはそれが耐えられない人もいるかもしれません。でも、僕はこのドロドロしたストーリーには、ボストンより香港が似合うなぁと感じました。音楽の使い方も、すごく面白いんですよね。 とはいえ、非常によくできた映画です。特に、『インファナル』を観ていない人にとっては、最高に楽しめる映画になっていると思います。この素晴らしいストーリーが、アメリカや日本の人に広く伝わったというだけでも、このリメイクにはアカデミー賞の価値が十分にあると思います。 そして、『ディパーテッド』を観て大興奮した方は、ぜひ『インファナル・アフェア』もDVDでチェックしてみてください。でも、その順番だと、きっと『ディパーテッド』のほうが上に思えるでしょうね。オリジナルとリメイクの関係って、本当に不思議です。 ▲
by inotti-department
| 2007-02-22 21:50
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![]() 『それでもボクはやってない』(2007、日) 監督 周防正行 出演 加瀬亮 瀬戸朝香 役所広司 フリーターの徹平は、就職活動の面接会場へ向かう満員電車で、女子高生から痴漢に間違われ逮捕されてしまう。徹平はたまらず無実を主張するが、警察官は一向に聞き入れてくれず、長期にわたって身柄を拘束される羽目に。徹平の主張を信じてくれる人間は警察や検察にはおらず、徹平はついに起訴され、裁判で争うことになる。徹平を弁護を担当するのは、元裁判官のベテラン弁護士・荒川と、新米女性弁護士の須藤。徹平と2人の弁護士は、無実を証明するためにあらゆる反論を法廷でぶつけるが・・・。 すーーーごく楽しみにしていた映画で、本当は公開1週目ぐらいに観に行きたかったのですが、他の12月公開作品から優先的に観ていたもので、公開から1ヶ月たっての観賞となりました。 それほど拡大ロードショーをしていないので興行ランキングこそ5・6位ぐらいでくすぶっていますが、メディア等で非常に話題になっている映画です。この1ヶ月、何度「日本の裁判」特集をテレビで目にしたことか。とにかく、あまりにもしょっちゅう特集が組まれているので、映画を観る前からなんだかもう観たような気になってしまいました。 「本格裁判モノ」で、ひたすらリアルで、いつもの周防監督らしいコミカルな部分は全くない社会派作品。これが僕の事前に持っていた基礎知識だったのですが、なるほど、確かにそんな映画になっていると思います。 でも、その面白さ、興味深さについては、僕の想像のさらに上をいっていました。この映画、本当によくできていると思います。丹念な取材、綿密な調査の賜物なのでしょう。あるひとつの「痴漢冤罪事件」を題材に、日本の刑事裁判制度の矛盾を見事に浮き彫りにしています。 主人公は、どこにでもいるような普通の青年です。演じてる加瀬亮の芝居もこれまたナチュラルなので、ハッキリ言って全く特徴のないキャラクターと言えます。この青年がどういう人物で、どんな性格の持ち主なのか、といったことは映画の中では全く描かれません。 それこそが、周防監督の狙いだったのだと思います。どこにでもいる、色のついていない青年。誰もが、「もしも自分がこの立場だったら・・・」と考えずにはいられない、そんな大いに共感できる主人公です。この、何の罪も犯していないごくごく普通の青年が、被害者の証言というたったひとつの証拠をもとに、犯罪者のレッテルを問答無用に貼られていきます。 すごく怖いなぁと思います。でも、きっと、こういうことって実際しょっちゅう起こっているのでしょうね。裁判という制度だけの問題じゃないんでしょう。私たち国民ひとりひとりの責任もあるのだと思います。だって、私たちって、誰かが逮捕されただけで、いやそれどころかただ事情聴取をされたというだけで、もうその時点でその人のことを犯罪者扱いしてしまうじゃないですか。まだ、裁判で「有罪」と言われたわけでもないのに。 裁判って、よくよく考えると、本当に怖い制度ですよね。100%の真実を法廷で明らかにできることなんてほとんどないだろうに、何らかの結論を出さなくてはいけないのです。そして、その結論は、その人の人生を一生左右してしまいます。こんな怖ろしいことって、あるでしょうか。 ラストの主人公のナレーションが非常に興味深かったです。「結局、裁判で正しく人を裁けるのは、自分自身しかいない。自分が罪を犯したのか犯していないのかを知っているのは、自分しかいないのだから」というようなことを言うのです。 その通りかもしれません。そう言われると、今までそんなこと考えたこともなかったけれど、裁判官っていうのも辛い仕事ですよね。目の前の被告に対して判決を言い渡す。「有罪」あるいは、「無罪」。その判決が、その時点では確かな真実となるのだけれど、”本当の真実”は、目の前の被告のみが知っている。きっと、冤罪の場合、被告は心の中で裁判長のことをあざ笑っているのでしょうね。「コイツ、偉そうなこと言ってるけど、全部間違ってるよ」ってな感じで。 ひとつネタバレをすると、裁判の途中で、裁判長が交代します。これがある意味においてターニングポイントとなるのですが、おそらくこういう展開を映画の中にもってきたということは、こういうことが往々にして実際の裁判では起こっているということなのでしょう。そして、裁判長のキャラクター・思想ひとつで、判決は180度別のものになりかねない。映画は、そんな裁判の不思議を、極めてわかりやすく、そして皮肉たっぷりに教えてくれます。 この最初の裁判長は、無罪判決をよく出すことで有名な人なのですが、この人が映画の途中でとても面白いことを言います。「裁判官の仕事はただひとつ。無実の人間を有罪にしないことだけだ。だから、有罪であることに少しでも確信が持てなければ、迷わず無罪判決を出す」と。 この考え方が正しいのかどうかは、僕にはわかりません。この考え方だと、ひょっとすると、実際に罪を犯した多くの犯罪者を無罪として野放しにしてしまうことになるかもしれない。そんな気もします。でもきっと、裁判というものの危険性を考えると、それぐらいの慎重さはあってしかるべきなのかもしれないなぁと個人的には感じます。 にもかかわらず、映画の中のセリフによると、ほとんどの裁判官はよっぽどのことがない限りは無罪判決は出さないそうです。理由は2つ。裁判官の評価は裁判をいくつこなしたかで判断されるという事実。そして、無罪を言い渡すということは、警察や国を敵にまわすということだという事実。この2つです。 なんだかなぁ、と思います。でも、そりゃそうですよね。裁判官だって、人を裁いてはいるけれど、僕たちと同じ人間なのですから。人間とはえてして、自分に都合のいいことだけを考えて、行動や意思を決定していく生き物です。 話が長くなりました。結論だけ最後に述べるとすれば、この映画、本当に怖い映画です。「人が人を裁く」ということが、どれだけ無謀で、どれだけ不確実なことなのかということを、この映画は2時間かけて僕たちにしっかりと教えてくれます。裁判という強大なモンスターの前では、「それでもボクはやってない!」という真実の叫びになど、誰も耳を傾けてはくれないのです。 この映画の登場によって、少しでも日本の刑事裁判に良心が宿ることを、切に祈りたいと思います。そして、とりあえずそれまでの間、僕にでも出来る対策といえば、満員電車には出来るだけ乗らない、ということぐらいしかないような気がします。 ▲
by inotti-department
| 2007-02-22 01:47
| cinema
![]() 『魂萌え!』(2006、日) 監督 阪本順治 出演 風吹ジュン 三田佳子 仕事一筋だった夫の定年から3年。あまりにも呆気なく、夫はこの世を去ってしまう。気持ちを整理できない妻・敏子だが、夫のスーツの中の携帯電話が突然鳴り、電話に出ると女性の声がする。数日後、家にお焼香にきた昭子という名のその女性を問い詰めると、彼女と夫は10数年不倫関係にあったという。さらに、海外生活をしていた息子・彰之が同居したいと言い出し、混乱した敏子は家を飛び出しカプセルホテルへ向かうが・・・。 平日の昼間という時間のせいもあったのでしょうが、観客は中高年の女性ばかり。「もしや、劇場内で自分が一番若い!?」などと余計なことを考えながら、”若者代表”(!?)”として観賞してきました。 桐野夏生さん原作の同名小説の映画化です。ミステリーを読まない方には馴染みのない作家かもしれませんが、『OUT』を書いた人、と聞けばピンとくるかと思います。映画にもテレビドラマにもなりましたしね。『OUT』は彼女(女性作家です)の代表作です。 さてさて、この『魂萌え!』。タイトルもなんだかユニークで、ずっと気になってはいたのですが、原作は未読の状態で映画を観ました。ということで、原作との比較という観点はいっさいありませんので、原作ファンの方、悪しからず。 感想。面白い映画でした。物語のバックグラウンドは決して楽しい設定ではないのですが、全体を通してコミカルで、とてもエネルギーがあって、最後はすごく元気の出るような、そんな映画でした。『魂萌え!』というタイトルも、観る前はあまり好きではなかったのですが、映画を観終えてみると、「フムフム、素敵なタイトルだなぁ」と思えるから不思議です。 最近ニュースを見ていると、「2007年問題」というキーワードと出くわすことが多々あります。あるいは、「団塊の世代」というフレーズも同様です。この映画が描いているのは、まさにその団塊の世代の退職後の生活そのものです。 仕事一筋で生きてきた夫と、その夫をひたすら家で待つことが人生の全てだった妻。夫が定年退職し、「さぁ、これからどう生きる?」というところで、夫はあっさり死んでしまいます。仕事を辞めることで”張り”をなくして病気になってしまう男性って、案外多いそうです。 問題は、残された妻の方です。こちらもまた、”夫を支える”、あるいは”子供を育てる”ということを人生の”張り”にしてきました。夫がこの世を去り、子供が自分の手を離れたいま、彼女はこれからどう生きていけばいいのか?これが、この映画の最大のテーマです。 第2の人生を自らの手で力強く切り開いてくる彼女の生き様が、僕にはとても心に強く残りました。ひとりでカプセルホテルに泊まってみたり、怪しげな老女に騙されてみたり、自分より容姿の優れた女性と恋のバトルを繰り広げてみたり、性格もキャラクターもバラバラな友人たちとケンカしたり仲直りしてみたり、ちょっと素敵そうな男性と恋愛をしてみたり、失恋して傷ついてみたり、ヤケ酒してみたり、大好きな映画関係の仕事をはじめてみたり・・・。そのエネルギーに、なんだかとっても勇気付けられました。 「人生を楽しむのに、15歳も60歳もないんだ!」僕が感じたのはそんなことです。実際、そうなんだと思います。そしてまた、小さなことでクヨクヨしたりウジウジしたりするのにも、子供も大人もありません。 僕は自慢じゃありませんが、25歳を過ぎても15歳の頃と精神年齢がほとんど変わってないような実感が自分の中にあります。そして、それはおそらく、今後30歳になっても40歳になってもその感覚は変わらないんじゃないか、という妙な確信もあります。 この主人公も、同じような感覚で生きているのではないでしょうか。だって、この映画って、彼女が60歳じゃなくて30歳だったとしても同じように成立する話ですから。まぁ、とはいえ、60歳の彼女がそういうパワフルな生き方を選択していくところに、この映画の魅力はあるわけですが。 風吹ジュンが主人公を好演しています。ベッドシーンあり、入浴シーンありの大盤振る舞い。これが、そのへんの60歳だったら、「そんなババアの裸、誰が見たいねん(おっと、失礼!)」ということになるのですが、そこはさすが名女優。年齢を重ねたからこその美しさを、見事にスクリーンで表現しています。もちろん、その美しさは、容姿だけではなく主人公の内面の魅力からくるものです。この主人公の”かわいらしさ”を、見事なまでに愛くるしく表現しています。素晴らしいです。 そして、同じく素晴らしい演技を見せているのが、三田佳子。この存在感には恐れ入りました。少し気が早いですが、来年の今頃は、映画賞の助演女優賞を総ナメにするのではないでしょうか。出演時間は決して長くないのですが、映画の面白さを倍増させる役目を見事に果たしています。 この2人の描き分けが、非常に巧いんです、この映画。特に感心したのが、三田佳子演じる昭子の足の指のペティキュアの表現です。最初に敏子の家に乗り込んできたときの昭子の指には、見事なまでにペティキュアが塗られています。それを見て敏子は、女性としての敗北を感じます。 一方、その後、今度は敏子が昭子の蕎麦屋を訪れる場面。このとき、バッチリメイクの敏子に対し、昭子は髪もボサボサで当然足指も手付かずなまま。 そして、その後の2人のセリフがまた素晴らしいんです。昭子は「奥様が優位に立てるのは、あなたが妻の立場だから」と言い放ち、一方の敏子は「勝ち負けじゃない。私の気持ちもわかって」と叫びます。 2人とも、それぞれ違った苦しみを抱えて生きてきた、ということなんですよね。妻である悲しみ。愛人である悲しみ。そして、2人とも「ひとりの女性」という意味では、妻も愛人も関係ない同じ立場なんです。攻守交替したときの互いの変化は、まさにそんなことを意味しているのだと思います。 男性としては、「女性は強いよなぁ」というような感想を持ってしまう部分もあります。確かに、女性たちの逞しさと比べて、まぁ、男たちの情けないこと。 でも、僕はあまりそういう見方はしたくありません。「自分の人生を、自分で切り開いていく」ことがどれほど大切なことか、その点に男女も老若も全く関係ない。それこそが、この映画の本当に伝えたかったことなのだと思うからです。 それにしても、これからの60代・70代が、どんな社会を作り上げていくのか。なんだか楽しみなような、怖いような・・・・。少なくとも、「おばあちゃん」という言葉の定義は、これから変わっていかざるを得ないような気がします。 ▲
by inotti-department
| 2007-02-21 00:31
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![]() 『硫黄島からの手紙』(2006、米) 監督 クリント・イーストウッド 出演 渡辺謙 二宮和也 伊原剛志 1945年、硫黄島。アメリカ軍の上陸が迫る中、日本軍は戦力も消耗し疲弊しきっていた。そんな中、新しい司令官として栗林中尉が島に到着する。アメリカでの生活経験をもつ栗林は、欧米流の合理的な考え方の持ち主で、日本軍の古臭い習慣を次々に改革し斬新な戦略を導入する。そしてついに米軍との戦いが始まる。栗林は、「命を捨てるな」と、少しでも長く生き延びるように兵士たちに命じるが・・・。 米アカデミー賞にもノミネートされ、話題になっている作品です。昨年末に観たときには、体調が優れず何となく映画に集中できなかった感があったので、改めて劇場で観てきました。 もはや説明するまでもありませんが、この作品は『父親たちの星条旗』と対になっています。『父親』がアメリカ側からの視点で硫黄島の激戦を描いているのに対し、『硫黄島』は日本軍の視点から同じ戦いを違う角度で描いています。 個人的には、映画としてのクオリティは『父親』のほうが相当に上回っていると思います。僕は、結果的に『父親』と『硫黄島』を2回ずつ劇場で観ることになったわけですが、その思いは1回目も2回目も変わりません。切り口のユニークさ、物語の魅力、心に訴えかけるパワー、どれをとっても軍配は『父親』にあがります。 にもかかわらず、世間的にはこの『硫黄島からの手紙』のほうが、高い評価と話題を集めています。といっても、日本でそうなるのは当然です。キャストはオール日本人ですし、セリフも全て日本語なのですから。あのクリント・イーストウッドが日本人俳優を起用して映画を撮った!というだけでも、話題になって当たり前です。 しかし驚くべきは、アメリカでも『硫黄島』のほうが評価されているという事実です。アカデミー賞でも、『父親』が技術系の2部門ノミネートにとどまっているのに対し、『硫黄島』は作品賞・監督賞など主要4部門にノミネートされています。 おそらく予想するに、映画の主人公が日本人兵士で、セリフも全て日本語ということが、アメリカ人にとっては相当に新鮮なのだと思います。だからこそ、アメリカ人の観客にとって、心に残る映画になりえたのでしょう。 でも僕は日本人なので、その点に関しては特に何の感想も持ちません。1本の日本映画としてこの映画を観たとき、この作品は決してアンビリーバブルな映画ではないと思います。極めてシンプルで、王道の戦争映画という感じが僕にはしました。逆に、日本人の僕たちが観ても全く違和感を感じさせないパーフェクトな日本映画を作り上げたクリント・イーストウッドの才能には、「アンビリーバブル!」という言葉を掛ける以外ありませんが・・・。 この『硫黄島からの手紙』という作品を本当に理解するには、やはり『父親たちの星条旗』とセットでとらえるべきなのだと僕は思います。『硫黄島』の中で僕が最も印象に残ったシーンは、伊原剛志演じる西中佐が、捕虜として捕らえたアメリカ兵と交流を深めるところです。結局、この兵士は死んでしまうのですが、その遺体から見つかった英文の手紙を、西は和訳して日本兵たちに読み聞かせます。 そこに書かれていたのは、死んだ米兵の無事を願う母親の愛情溢れる言葉です。それを聞きながら、日本兵たちは、故郷で自分の帰りを待つ母親の顔を思い浮かべるのです。 戦争という”怪物”を前に苦しむのは、日本兵もアメリカ兵も、日本の家族もアメリカの家族も同じ。この硫黄島2部作の観賞を通じて浮かび上がってくるのは、そんな事実です。 『父親』の中で主人公たちを苦しめる日本兵は、残虐に命を狙ってくる化け物のように感じられます。『硫黄島』の中で主人公たちを苦しめるアメリカ兵は、残虐に命を狙ってくる化け物のように感じられます。でも結局、『父親』の中の化け物は『硫黄島』の主人公であり、『硫黄島』の中の化け物は『父親』の主人公なのです。 本当の化け物は、”戦争”そのものなのだと思います。 もしもその化け物を前に、僕たちが少しでも互いのことを想いあえたら。相手の国のことを、相手の兵士のことを、少しでも考えることができたなら。この2部作にこめられた願いは、そういうことなのだと思います。 その”戦争”というものを、少し角度を付けて捕らえたのが『父親』なのだとしたら、この『硫黄島』は”戦争そのもの”を描いています。欲を言えば、そのあまりの王道っぷりに、僕は少し物足りなさを覚えてしまうのですが。 今年のアカデミー賞ノミネート作品の顔触れを見る限り、この『硫黄島からの手紙』が最優秀作品賞を受賞する可能性は、十分にありそうです。でももしも、『硫黄島』がその栄誉を獲得することがあったとすれば、それは『父親たちの星条旗』というもうひとつの作品とあわせての受賞、ということなのだと思います。 そういう意味では、米アカデミー賞に『硫黄島』がノミネートされ、日本のキネマ旬報ベスト10で『父親』が第1位に輝いたというのは、とても素敵なことだと思います。アメリカ人の心の中に日本兵の苦しみが伝わり、日本人の心の中に米兵の苦しみが伝わる。こんな価値ある相互理解をもたらすパワーこそ、映画という文化の素晴らしさなのだと思います。 ▲
by inotti-department
| 2007-02-19 10:38
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![]() 『敬愛なるベートーヴェン』(2006、英・洪) 監督 アニエスカ・ホランド 出演 エド・ハリス ダイアン・クルーガー 1824年、ウィーン。音楽学校を首席で卒業したアンナは、大作曲家・ベートーヴェンのもとでコピースト(写譜家)として働くことに。最初は女性であるというだけでアンナを追い返そうとするベートーヴェンだが、その確かな才能と自分の音楽への理解の深さを知り、次第に信頼を寄せるようになる。そして、ついに『第九』が完成し、大公や著名作曲家を集めての初演会当日を迎えるが、耳の聴こえないベートーヴェンは本番を前に急に弱気になりはじめ・・・・。 ベートーヴェン映画に駄作なし! そんな根拠のない思いが私の中にはあり、『敬愛なるベートーヴェン』を観てきました。あまり話題にもならないまま公開が終わってしまったので、観ていない方も多いかと思います。 もう10年以上前になるのでしょうか、『不滅の恋 ベートーヴェン』という映画を観たことがありました。おそらく、私はまだ中学生だったと思います(って、年がバレますね・・・)。もはや内容は全く覚えてないのですが、確かベートーヴェンが生涯の中でただひとり本当に愛した女性を探し求めるとか、そんな物語だったように記憶しています。そして、話の結末などもまた何も覚えちゃいないのですが、とにかく「面白い映画だった」ということだけはハッキリと記憶しています。 この『敬愛なるベートーヴェン』という映画も、話の切り口こそ違えど、ベートーヴェンの知られざる一面をフィクションと史実を交えて描いていくという意味ではよく似た映画だと思います。 ベートーヴェンという人は、生涯を独身のまま終えたようです。そして、聴力に障害をもっていたということもよく知られています。そんな謎に満ちた人物だからこそ、史実だけではわからない想像の許される部分を題材に、様々な映画が撮られているのかもしれません。 そして、僕はそんな映画が好きなんです。別にベートーヴェンだけではありません。歴史上に実際存在した人物を題材に、実際にそんなことがあったのかなかったのかはあまり気にせず、自由に物語を描く。そういうイマジネーションこそまさに、フィクションの醍醐味だと思うんです。 よく時代劇なんかがハチャメチャやってると、「史実と違う」とか「史実に忠実じゃない」と血相を変えて文句を言う人がいますが、僕はそういう人を見ると「おかしなことを言う人だなぁ」と思ってしまいます。だって、数百年前の出来事ですよ?「史実」って言ったって、所詮は文献に載っているとか、その程度の根拠です。誰もその頃は生きちゃいなかったんですから、「史実」もヘッタクレもあったものではありません。(ちなみに、「歴史=history」の語源は、「his story」なのだそうです。歴史とは、結局は「物語」(ストーリー)に他ならないんですよね)。 と、今回は「歴史論」のようになってしまいましたが、少しは映画の話題にも触れなくてはなりませんよね。『敬愛なるベートーヴェン』、とても面白い映画だと思います。物語の自由度は極めて高く、ほとんどのエピソードはフィクションだと思いますが、非常に力強さをもった映画です。 ベートーヴェンとアンナの2人のキャラクターが、とてもしっかり描けている点が素晴らしいと思います。恋人のような、母子のような、師弟のような、様々な側面をもった2人の関係性がとてもユニークなんですね。愛情・同情・憧憬・羨望・嫉妬などのいろんな感情が渦巻きながらも、2人の根底には揺るがない尊敬と信頼があります。それが、映画における2人のキャラクターの魅力をより深めています。 エド・ハリスとダイアン・クルーガーの2人の演技も、とても素晴らしいと思います。フィクションでありながらも、まるで実際にあった出来事のように思えてくるのも、2人の演技力ゆえなのでしょう。映画に説得力をもたらしています。 そして圧巻は、中盤の『第九』コンサート。映画の中のかなりの時間を割いてじっくり描いているこのコンサートシーンは、もはやストーリーとは関係のない感動を、観ている僕たちに与えてくれました。このシーンを観るためだけでも、1500円を払う価値は十分にあると思います。 もちろん、映画としての工夫があったからこその感動でもあるのですが、僕はそれ以上に、この感動は音楽そのものの力なのだろうな、と強く感じました。『第九』という曲がもつ、圧倒的なエネルギー。パワー。僕はしばらく、涙を止めることができませんでした。 ▲
by inotti-department
| 2007-02-13 12:49
| cinema
![]() 『父親たちの星条旗』(2006、米) 監督 クリント・イーストウッド 出演 ライアン・フィリップ アダム・ビーチ ある1人の老人が、今まさにその生涯を終えようとしていた。彼こそは、1945年硫黄島での激戦を戦い抜いた”英雄”ドクだった。彼は生涯、戦争について何も語ろうとはしなかった。ドクを英雄にした、1枚の写真。6人の兵士が星条旗を立てている姿を捉えたその有名な写真の裏には、隠された真実があった。そして、戦場から戻ったドクらを待っていた、激動の日々とは。その真実に、ドクの息子が迫る・・・。 実は12月に一度観ていたのですが、なんだか急にもう一度観たくなり、劇場へ行ってきました。一回目に観たときもスゴイ映画だと思いましたが、いやこれ、本当にとんでもない傑作ですね。 クリント・イーストウッドによる硫黄島二部作の第一弾、”アメリカ編”です。世間的には、第二弾である”日本編”『硫黄島からの手紙』の方が圧倒的に話題を集めていますが、両方観た僕はハッキリと断言します。『硫黄島から・・・』よりも、この『父親たちの星条旗』の方が、映画としてのクオリティは遥かに上だと思います。 まず称賛すべきは、ストーリーの魅力。1枚の写真の裏に秘められた真実とは何なのか?ある種のミステリー的要素も含みながら、グイグイ観客をひきつけます。しかも、映画の終盤(だいたい1時間30分ぐらいのところでしょうか)で明かされる真実の、なんともやるせないというかしょーもないこと。そして、そんな風に撮られた、なんてことのない1枚の写真が、戦争の行方や兵士の人生を大きく左右してしまう皮肉。1枚の写真を軸に物語を丁寧に進めていくその語り口は、見事の一言です。 さらに、登場人物の心の奥に鋭く迫る心理描写の深さも、実に見応え十分です。冒頭のナレーションも凄いと思いました。「戦場を知らない奴に限って、戦争について語りたがる。本物の戦場を経験したものは、決して戦争を語ろうとはしない。忘れたいからだ」。これほど説得力のあるナレーションが、かつて存在したでしょうか。 自分たちを英雄視しようとする政府や世間に振り回される3人の心理描写の書き分けも巧みです。それをチャンスと捉え、人生を切り開いていこうとするレイニー。これはこれで責められるものではありません。一方で、そんな日々に違和感を感じつづけるアイラの苛立ちにも、心揺さぶられるものがありました。死んだ戦友たちの母親と顔を合わせるシーンの、なんと切ないことか。名シーンだと思いました。 社会を見つめるクールでシャープな視点にも、唸らされました。結局、世間というのは表面的に物事を捉えようとするもので、ひとりひとりの人間の心理にまで想いを馳せることはないのかもしれません。果たしてどれだけの人が、アイラやドクの悲しみに気付いていたでしょうか?いや、そんなことは百も承知で、利用したのかもしれません。世間や社会の横暴さの前に、個人はいつも無力だということを改めて痛感させられました。 そして、この映画が何よりも素晴らしいのは、そのパーフェクトな構成力にこそあります。もしもこの映画をただただ時系列に並べたとすれば、これほどの傑作にはなっていなかったと思います。硫黄島の戦闘シーンと、戦争後のキャンペーンと、現代におけるドクの息子によるインタビューを巧みに織り交ぜた見事な構成。これらを交互にミックスさせながら、少しずつ写真の真相と戦争の真実を紐解いていきます。映画を観終えた今、「これほどベストな繋ぎ方が他にあるだろうか?」とすら思ってしまいます。 アイラやドクの回想への持っていき方もうまいんですよね。電車の騒音から戦場の銃声に繋げたり、ストロベリーソースから兵士の血に繋げたり、打ち上げ花火から爆撃音に繋げたり。時間軸の移動の仕方が、本当に巧いです。写真の真相を明かすタイミングも、ベストだったと思います。そして、その後、戦友の死が立て続けに描かれ、ドクやアイラが抱える虚無感の深さが一層明らかになります。 ネタバレになるので詳細は伏せますが、ラストシーンも素晴らしいです。ドクの息子によるナレーションには、心揺さぶられるものがありました。僕らが同じ過ちを繰り返さないためには、結局それしかないのだと思います。戦争で犠牲になった方々を、ひとりひとりの個人として見つめ、その苦しみに思いを馳せること。まずはそこからなのだと思います。 さてさて話を戻して、なぜ『硫黄島からの手紙』のほうが称賛されているのか?それは日本だけの現象ではなく、むしろアメリカにおいてこそ顕著なようです。アカデミー賞作品賞にノミネートされたのも、『硫黄島』の方だけでしたし。 おそらく『硫黄島からの手紙』は、全編日本語によるセリフで戦争における日本人がきちんと描かれていることが、アメリカ人にとってはとても新鮮なのだと思います。でも、日本人の僕からすると、そんなことはいつもの日本映画となんら変わらないので、特に驚きはありません(もちろん、ハリウッドのイーストウッドがあれだけの質の高い”日本映画”を作り上げたことにはただただ脱帽ですが)。 ということで、もしも『硫黄島からの手紙』のみを観てこの『父親たちの星条旗』を見逃した方がいらっしゃいましたら、必ずいつかDVDでチェックしていただきたいと思います。何度も言いますが、映画としての奥深さ・面白さでは、『父親たち・・・』の方が遥かに上だと思います。個人的には、アカデミー賞作品賞を受賞しても何ら不思議のない傑作だと思っています。 って、ノミネートされてないのか・・・。 ▲
by inotti-department
| 2007-02-04 01:07
| cinema
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映画・小説・音楽との感動の出会いを、ネタバレも交えつつ、あれこれ綴っていきます。モットーは「けなすより褒めよう」。また、ストーリーをバッチリ復習できる「ネタバレstory紹介」も公開しています。
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