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当ブログでは、「あの映画(小説)、一度観たんだけど、どういう話だったかが思い出せない・・・」とお困りの方のために、映画(小説)のストーリーを完全に網羅したデータベースを公開しております。詳しくは、カテゴリ内の「映画(小説)ネタバレstory紹介」をご参照ください。なお、完全ネタバレとなっていますので、未見の方はくれぐれもご注意ください。
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10点満点で、満足度のみ載せています。
劇場へ足を運ぶ際や、DVD鑑賞の際の参考にしてみてください。 10点: 最高!文句なしの傑作! 9 点: 素晴らしい!絶対オススメ! 8 点: 面白い!観て損なし! 7 点: 満足!僕は好きです! 6 点: まあまあ。悪くはないが、不満もあり。 5 点: うーむ。不満いっぱい。 4 点以下: ダメだこりゃ。駄作。 <2006年12月公開> ・『リトル・ミス・サンシャイン』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『硫黄島からの手紙』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) <2006年11月公開> ・『デスノート the Last name』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『手紙』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) <2006年10月公開> ・『父親たちの星条旗』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『ワールド・トレード・センター』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『虹の女神 Rainbow Song』 ★★★★★★☆☆☆☆(6点) <2006年9月公開> ・『フラガール』 ★★★★★★★★★☆ (9点) ・『9/10』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『カポーティ』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『シュガー&スパイス』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『イルマーレ』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『グエムル -漢江の怪物-』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) <2006年8月公開> ・『キンキーブーツ』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『スーパーマン・リターンズ』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『マッチポイント』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) <2006年7月公開> ・『日本沈没』 ★★★★★☆☆☆☆☆ (5点) ・『M:i:3』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『ゲド戦記』 ★★★★★☆☆☆☆☆ (5点) ・『ゆれる』 ★★★★★★★★★☆ (9点) ・『カーズ』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) <2006年6月公開> ・『デスノート 前編』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) <2006年5月公開> ・『雪に願うこと』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『陽気なギャングが地球を回す』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『嫌われ松子の一生』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『ダ・ヴィンチ・コード』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) <2006年4月公開> ・『V・フォー・ヴェンデッタ』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『レント』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『ブロークン・フラワーズ』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『プロデューサーズ』 ★★★★★☆☆☆☆☆ (5点) <2006年3月公開> ・『かもめ食堂』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『ナルニア国物語 第1章』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『うつせみ』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!』★★★★★★☆☆☆☆(6点) ・『ブロークバック・マウンテン』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) <2006年2月公開> ・『ウォーク・ザ・ライン 君につづく道』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『クラッシュ』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『ミュンヘン』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) <2006年1月公開> ・『博士の愛した数式』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『僕のニューヨークライフ』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『オリバー・ツイスト』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『プライドと偏見』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『フライトプラン』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『THE有頂天ホテル』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) <2005年公開作品> ・『歓びを歌にのせて』 ★★★★★★★★★☆ (9点) ・『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『キング・コング』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『運命じゃない人』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『疾走』 ★★★★★☆☆☆☆☆ (5点) ・『ポビーとディンガン』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『ある子供』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『SAYURI』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『Mr. & Mrs. スミス』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『カーテンコール』 ★★★★★☆☆☆☆☆ (5点) ・『親切なクムジャさん』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『エリザベスタウン』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『ALWAYS 三丁目の夕日』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『春の雪』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『イン・ハー・シューズ』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『ティム・バートンのコープスブライド』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『TAKESHIS'』 ★★★★★☆☆☆☆☆ (5点) ・『私の頭の中の消しゴム』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『ミリオンズ』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『シン・シティ』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『四月の雪』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『タッチ』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『メゾン・ド・ヒミコ』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『NANA』 ★★★★★☆☆☆☆☆ (5点) ・『シンデレラマン』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『チャーリーとチョコレート工場』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『リンダ リンダ リンダ』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『ヒトラー ~最期の12日間~』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『愛についてのキンゼイ・レポート』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『SHINOBI』 ★★★☆☆☆☆☆☆☆ (3点) ・『マラソン』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『容疑者 室井慎次』 ★★★★☆☆☆☆☆☆ (4点) ・『奥さまは魔女』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『バットマン・ビギンズ』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『ロボッツ』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『皇帝ペンギン』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『宇宙戦争』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『ライフ・イズ・ミラクル』 ★★★★★★★☆☆☆ (7点) ・『フライ・ダディ・フライ』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『電車男』 ★★★★★★☆☆☆☆ (6点) ・『ミリオンダラー・ベイビー』 ★★★★★★★★☆☆ (8点) ・『スターウォーズ・エピソード3』 ★★★★★★★★★☆ (9点) ■
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by inotti-department
| 2005-08-30 18:15
| ”2006年観た映画”リスト
![]() 満足度 ★★★★★★★☆☆☆(7点) 雫井脩介 『犯人に告ぐ』 2004、双葉社 小説は、まず作家で選ぶ。 これが、本選びの僕の鉄則だ。 映画の場合、周りの友人の口コミとかテレビの新作紹介なんかで、ふと「観てみよう!」って思ったりする。でも小説の場合、そういう情報はほとんど入らない。 かといって、書評を読むのは好きじゃない。話がわかっちゃう危険があるから。って、ブログでさんざんネタバレしてる僕が言うのも何だけど(笑) そんなわけで、まず作家で選ぶ。信頼できる人の本なら、まず間違いはないだろうから。 でも、それだと問題が生じる。そう、いつまでたってもレパートリーが広がらないのだ。 だから、ときどきタイトルで選ぶ。これは、かなり危険な賭けだから、外れる場合も多いのだけれど。他に基準がないのだから、仕方あるまい。 さて、『犯人に告ぐ』。これも、タイトル買い。なんだか、面白そうなタイトルだ。表紙の豪快な明朝体も、パワフルで良い。 しかし、この作者の本はまだ読んだことがない。大丈夫か? 不安を感じつつも、ページをめくりはじめた。 簡単なあらすじ。 相模原で起こった男児誘拐事件。神奈川県警の巻島警視は捜査の現場指揮をとるが、犯人との接触に失敗し、男児は死体で発見される。その後の記者会見で巻島はメディアの総攻撃にあい、理性を失って暴言を連発。責任をとらされ、左遷される。それから6年。川崎で連続男児殺人事件が起こる。巻島は、かつての上司・曾根から呼び出され、事件の捜査指揮を依頼される。巻島は、曾根の捜査方針に興味を抱く。それは、テレビのニュース番組に出演して公開捜査を行い、犯人”バッドマン”を誘い出そうという「劇場型捜査」という手法だった。巻島は自らテレビに出演し、”バッドマン”との接触を図るが・・・。 <以下、ネタバレ含みます。未読の方は、ご注意ください> 最初の20ページぐらいで、グイグイ引きこまれた。パワフルで、エネルギッシュなストーリー展開。スピード感も最高だ。てっきり、この相模原誘拐事件の捜査の過程でテレビに出るんだと思ったら、大間違い。この事件は1章で終わって、舞台は6年後へ。 要するに、最初の事件はプロローグみたいなものなのだが、このプロローグがとても面白い。最後まで読み終えて振り返ってみても、一番面白いのはこの1章だと思う。 特に素晴らしいのが、記者会見のリアルな描写。自分の真意を伝えられない巻島のもどかしさ。他人の弱みにずけずけ踏み込んでくる、メディアの暴力的な言葉攻め。そして、巻島はポロっと、取り返しのきかない失言を吐いてしまう。 メディアのもつ暴力性と、警察という組織の本音。そして、それに翻弄される悲しき被害者たち。この小説のメインテーマの全てが、1章には詰まっている。 そして、2章から物語は本筋へ。巻島は、犯人にボロを出させるために、テレビからしきりに犯人を挑発する。かつて自分が嫌というほど思い知ったメディアの力を、今度は逆に利用するのだ。 しかし、この手法には批判の声があがる。巻島は、犯人とのやりとりを続けるために、犯人への共感めいた発言を繰り返す。湧き上がる疑問の声。さらに持ち上がる、巻島の証拠捏造疑惑。巻島バッシングに活路を見出そうとするライバル局も巻き込んで、捜査は混沌としはじめる。 メディアを巻き込んだ捜査の過程が、とにかくスリリングで面白い。しかし、その面白さはさておき、捜査の手法として、この「劇場型捜査」がどこまで有効なのかは、正直言って疑問だ。実際、バッドマンからの手紙が途中で届かなくなると、警察は捜査の手がかりを失ってしまう。「おいおい、警察、大丈夫か~!?」思わず、そんなヤジのひとつも飛ばしたくなる。 巻島の上司・植草がまたヒドイ。学生時代のフラれた恋人・未央子に再接近するために、現在ライバル局の看板アナウンサーになっている彼女に、捜査情報を流してしまうのだ。おいおい、警察、大丈夫か~!? 最初は、この植草の行動が、逆に公開捜査を盛り上げる効果を発揮したりもするのだが、行動はどんどんエスカレートしていく。そして、ついには、捜査の足を完全に引っ張りはじめる。植草のリークに気が付いた巻島は、架空の犯人逮捕をでっちあげて、植草を罠にはめる。この場面は、最大のカタルシス。植草のアホな行動にイライラされっぱなしだった読者は、ここでやっとスッキリできる。さぁ、あとは犯人を捕まえるだけ。 事件解決の決め手となるのは、犯人が落とした1通の手紙。犯人からの連絡が急にパッタリ途絶えてしまったのは、これが理由だったのだ。犯人の小心者っぷりを直感した巻島は、最後の賭けに出る。手紙の発見場所付近に犯人の居住地を絞って、片っ端から指紋を採取していくことをテレビで宣言する。そして、あっけないほど簡単に、犯人は逮捕される。 あれ、これだけ煽っておいて、意外に逮捕はあっさりなのね・・・。そして、動機の説明も特になし。そう、この小説は、犯人は誰かというところにミステリー性は全くないのだ。そのプロセスの面白さが、この物語の全て。でも、わかってはいても、正直、尻すぼみという感は否めない。だいたい、犯人が手紙を落としたという偶然を劇場型捜査の成果に結びつけるのは、ちょっと強引すぎやしないか? 他にも、最後の最後で詰めの甘さが目立つのが、この小説の惜しいところ。凋落した植草と未央子の絡みが、最後に描かれないのはなぜだ。最初に登場した未央子には、植草のような小物など太刀打ちできないような独特のオーラがあったのに、後半の彼女にそれは皆無。ただの俗人になりさがってしまっている。 僕はてっきり、未央子は植草に操られているように見えて、実は植草を利用していたのだという悪女っぷりが最後に描かれ、植草がどん底まで転落するというラストを想像していたのだが。結局、未央子という女の正体がよくわからなかった。彼女のような強い人間でさえも俗人にしてしまうのがメディア、とでも言いたかったのだろうか。 未央子の他にも、元伝説の刑事・迫田、カリスマキャスター・韮沢、未央子のライバルアナ・早津など、うまく使えばどうにでも話を広げられそうなキャラクターがいながら、どうも活かしきれていない。迫田など、後半はすっかり影が薄くなってしまった。その消費性こそメディア、って、しつこいか(笑)。 最後の最後に、1章の事件被害者の父親・夕起也が登場し、巻島を責め立てる。バッドマン逮捕は、このエピソードの前にかすんでしまう。この展開、悪くはないのだけれど、やはり個人的には、バッドマンと巻島の対決の方をハイライトに持ってくる盛り上がりが欲しかった。 でも、娯楽性という点に目をつぶれば、このエピソードをしっかり描いたことで、物語のテーマはより深まったのも確かだと思う。夕起也に刺され、彼の妻・麻美から謝罪された巻島は、嗚咽を漏らしながら麻美に謝罪する。それは、6年前の彼にはなかった、誠実で正直な態度だった。 警察は、果たしてどれだけ被害者の身になって行動しているだろうか?事件を解決することに、本腰を入れすぎていやしないだろうか?6年前の巻島が、まさにそうだった。彼は、犯人逮捕しか考えていなかった。その結果、被害者家族の信頼を失い、捜査は失敗に終わった。 しかし、今度の巻島は違った。公開捜査が始まる前に、まず被害者家族のもとへ向かった。そして理解を得たうえで、捜査を行った。その捜査も、常に事件を解決するためという点を忘れずに展開した。そこが、ただ事件を面白がっていた植草との、決定的な違いだった。だから、捜査の過程で巻島バッシングが広がっても、被害者家族たちはそれを煽ったりはしなかった。そして、捜査は成功をおさめたのだ。小説は、最後に被害者家族のひとりが巻島に礼を伝える場面を描き、幕を閉じる。 事件は、決して警察のものではない。あくまでも、被害者のものなのだ。 作者の問題提起の矛先は、メディアへも向かう。 メディアは、ただ物事を表層的にしか捉えようとしない。そして、表面上の発言や出来事に翻弄され、右往左往するのだ。巻島の記者会見もそうだ。確かに巻島にも非はあったが、果たして誰が彼の発言の裏にある悔いや悲しみに気付いていただろう。それを知る読者には、メディアの凶暴性だけが際立って見える。 バッドマン事件も同じだ。ライバル局は別として、共演者である韮沢や早津でさえも、巻島の真意に気付けず、次第に距離を置くようになる。 凶悪事件に対する、メディアの過剰で軽率な反応。しかし、それを引き出しているのは、結局のところ、僕たち情報の受け手側なのだろう。受け手は、常に刺激的な話題を欲している。 こういう刺激的な小説が書かれたことが、その何よりの証拠かもしれない。 ■
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by inotti-department
| 2005-08-30 18:07
| book
![]() 満足度 ★★★★★★★★☆☆(8点) 『バットマン・ビギンズ』(2005、米) 監督 クリストファー・ノーラン 出演 クリスチャン・ベール マイケル・ケイン シリーズものの途中で、キャストやスタッフが変わることはよくあること。 最近だと、『ハリー・ポッター』がそうだし、今年新作が公開された『マスク』なんかもそう。 そして、たいていの場合、新キャスト&スタッフに対するシリーズファンの風当たりは、恐ろしく強い。 まぁ、よく考えれば、それも当然なんだけれど。だって、そのシリーズのファンになるっていうことは、シリーズ第1作に魅了されてそうなったというパターンがほとんどなのだから。急にキャストとか世界観が変わったら、なにかとケチをつけたくなるのがファン心理というものだ。 だから、シリーズの途中から登板する人たちって、本当にかわいそう。「お手並み拝見」って感じで厳しく見られるうえに、結果を褒められることはほとんどない。 そしてまた、ひとりの若き映画監督が、そんな厳しい戦いに身を投じた。クリストファー・ノーラン。『メメント』で一躍脚光を浴びた、ハリウッドのニューウェーブの旗手ともいえる存在だ。 シリーズは、なんとあの『バットマン』。観たことはなくても、ほとんどの人がその名前ぐらいは知っているだろう、超有名シリーズだ。 『バットマン』といえば、なんといっても初期2作を撮った奇才ティム・バートンのイメージが強烈だ。さぁ、果たして若き天才は、ハリウッドNo.1の奇才を超えることができたのか? さて、簡単なあらすじ。 幼いとき、目の前で両親を殺されたブルースは、心に闇を抱えたまま大人になる。闇の正体は、恐怖。恐怖に打ち勝つ強さを手に入れるため、ブルースはヒマラヤで修行をする。修行を終えたブルースは、故郷ゴッサム・シティへ戻る。そこは、悪と汚職がはびこる犯罪都市となっていた。ブルースは悪を掃討するため、バットマンとなり、夜のシティへ飛び出して行くが・・・。 『ビギンズ』というタイトル通り、この作品は、スターウォーズでいうところの「エピソード1」のような位置づけだ。いかにして、バットマンは誕生したのか?ブルース・ウェインが抱える心の闇とは? 両親が目の前で殺されたエピソードに関しては、バートンが作った第1作でもチラっとは触れられていた(実際には、第1作ではその犯人はジャック・ニコルソン演じる”ジョーカー”ということになっていたから、この『ビギンズ』とは別の話ということになるのだが)。しかし、ここまでバットマンの心の闇に迫ったのは、シリーズの中でもこの作品だけだ。 バートンが作った2本の作品は、明らかに娯楽路線。さらに、そこに監督独特のオタクパワーが注入されることで、見事なファンタジー世界が構築されていた。派手な映像、個性的な悪役たち、シンプルなストーリーと、とにかく楽しい映画になっている。実際、いま改めて見直しても存分に楽しめる、見事な娯楽大作だ。 しかし、ノーランは、バートンの土俵には上がらなかった。娯楽路線、コミカルなファンタジー路線では、バートンが作り上げた”バットマン・ワールド”を超えることはできない。だったら、自分にしか描けない”バットマン”を作ろう。そして、ノーランが出した答えが、バットマンの内面に鋭く迫ることだったのだ。 この選択は、大成功だったと思う。結果、『バットマン・ビギンズ』は、シリーズ中最も暗いが、シリーズ中最も壮大で、そしてシリーズ中最も見ごたえのある傑作となった。「楽しい映画」となるとバートン作品に軍配があがるが、「面白い映画」となると、僕はノーラン作品の方が一枚上手だと思う。 <以下の感想、ネタバレ含みます。未見の方、ご注意ください> 正直言って、最初の修行のくだりは長すぎる。ここで退屈してしまう人もいるかもしれない(日本人の場合、ケン・ワタナベが出てくる唯一のところだから、別の楽しみ方ができるのだが)。ただ、結局ここで悶々と描かれることが、この作品の根幹なのだ。恐怖の正体とは何か?その恐怖に打ち勝つにはどうすればよいのか?本当の正義とは何か? この苦悶のときを乗り越えて、ブルースが出すひとつの結論。 自分は、悪を倒す。シティから、悪を全て一掃する。そしてそれは、自分の中に棲みついた恐怖を追い払うための戦いでもある。 こうして、バットマンが誕生するのだ。 そして見逃せないのが、物語の展開の巧みさ。豪華キャストを配してたくさんのキャラクターを登場させているが、そのそれぞれがとても効果的なのだ。ファルコーニが黒幕と見せかけて、裏にはラーズの存在が・・・という飽きさせないスリリングな展開も良い。 ラストも素晴らしい。バットマンの正体を知ったレイチェルが、ブルースに告げる言葉。 「あなたの本当の顔はバットマン。ブルースは去った。でも、きっといつか会える」 バットマンとしての終わりなき戦いをスタートしたブルースにとって、もはやブルースという人格こそが陰の存在になってしまうのだ。しかし、その宿命を、ブルースは静かに受け入れる。 さて、ノーラン監督はバートン路線と別の道を行くことで映画を成功させたと先ほど言ったが、実はこの『バットマン・ビギンズ』、第1作の『バットマン』を随所で上手く利用していることも見逃せない。 まずそもそも、ブルース=バットマンということは皆最初からわかっているわけで、それがあるからこそ最初の修行シーンをあれだけ長く描けるのだ。観客は、「この修行を経てバットマンになるわけだな」と、ドキドキしながら先の展開を期待することができるというわけだ。 バットマンが運転する車”バットモービル”もそう。ティム・バートンがとても魅力的にこの車を描いたために、”バットモービル”はバットマン・ファンにとっては特別なものになっている。それを逆手にとって、ノーランは、車の初登場シーンをやや大げさに描いている。そして、そのシーンには、やはりとても感慨深いものがあるのだ。 そして、ラストシーン。事件が解決し、ゴードン刑事はバットマンを呼び出す。「暴力は暴力を招き、仮面は仮面を呼ぶ。次の敵は、こいつだ」 指し示すトランプのカード。そこに写っているのは、「ジョーカー」。 この「ビギンズ」と旧シリーズは、繋がっているようで繋がっていない部分が多いのだが(設定以前に、そもそもみんな顔が違うしね)、最後は強引に「ジョーカー」で結びつけてしまう。ちなみに、「ジョーカー」とは、第1作でジャック・ニコルソンが怪演した悪役の名前である。ひょっとしたら、これは、”バットマン・シリーズ”をずっと観てきたファンに対する、監督なりのサービスだったのかもしれない。 どこまでも抜け目のない140分。 『バットマン・ビギンズ』のタイトルにふさわしい、シリーズの”エピソード1”にして、最高傑作の誕生だ。 ■
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by inotti-department
| 2005-08-26 01:55
| cinema
![]() 『ロボッツ』(2005、米) 監督 クリス・ウェッジ 声の出演 ユアン・マクレガー ハル・ベリー アニメーション映画を褒める言葉の常套句「大人も楽しめる映画です!」 確かに、アニメだから観客は子供ばっかりかなぁとか思って劇場へ行くと、ほとんど大人だけだったりして驚かされる。少なくとも、ここ日本においては、アニメは子供だけのものではない。 実際、宮崎駿の近年の作品なんか、子供が見たらどう思うんだろうって、すごく気になる。話を深読みしようと思えばいくらでもできるような難解で意味深なストーリー。「ハウル」なんか、わかったような気にはなれるけれど、実際に監督の意図を100%理解できた大人が、果たして何人いるだろうか。ましてや子供にとっては、さらに意味プーだろうに。少なくとも宮崎監督が、子供のためだけに映画を作っているとは、とても思えない。 しかし、そうは言っても、僕はこう断言したい。 「やっぱり、アニメは子供のもの!」 『ロボット』を観て、僕のその思いは、ますます確信に近いものになった。 さて、簡単なあらすじ。 貧乏な皿洗いロボットの家に生まれたロドニーは、両親の愛情を受け、貧しいながらも幸せに育てられた。ロドニーの憧れは発明家のビッグウェルド博士で、彼の夢は、博士のような偉大な発明家になって両親の生活を助けること。ロドニーは父親の後押しを受け、夢を叶えるために、博士に会いにロボットシティへと向かう。しかし、シティでは、中古ロボット一掃を目論むラチェットが力を持ち、ビッグウェルドは行方不明になっていた・・・。 <以下、ネタバレ含みます。未見の方、ご注意ください。> CG映画を観るたびに思うんだけれど、アニメーション技術の進歩は、本当に目覚ましいものがある。慣れきってしまっているため、もはや驚くということは少ないのだが、この『ロボット』の映像レベルもやはり極めて高い。まず、それだけでも十分に観る価値はある。 テーマも良い。「夢を叶える」。シンプルだけれど、やはりこれって、子供にとっても大人にとっても永遠のテーマだ。特に、ロドニーの父親の使い方がうまい。音楽家の夢を諦め、皿洗いロボットとしての生活を送る父親。ロドニーは、そんな父親を尊敬しながらも、「自分はそうはなりたくない!」と勇気を出して街を飛び出していく。そして父親は、夢を叶えられなかった自分の分もと、息子の背中を優しく押してあげるのだ。これを観て、自分の人生と重ね合わせる大人の観客も少なくないではないだろうか。かくいう僕もそうでした(笑) そう、大人も十分に楽しめる映画だ。出来も悪くない。 しかし、それでもやはり、どこか物足りなさを感じてしまう。 それは、僕が大人になってしまったからではないだろうか。 夢を叶えるために街を飛び出すロドニー。そこで、彼はたくさんの危機を迎える。夢を諦めそうにもなる。しかし、仲間に支えられ、彼は夢を貫き通す。そんな彼に周囲も刺激を受け、協力する。そして、夢の実現。家族も幸せに。めでたしめでたし。 絵に描いたような感動的なストーリー。しかし、不思議と心が揺さぶられない。それどころか、物語の底の浅さに、不満すら感じてしまう。 自分が子供のときは、どうだっただろう?こういう話が、いちばん好きだったような気がする。適度にコミカルで、適度にスリリングで、そして適度に感動できるような、そんなお話が。 でも、いまの僕は違う。ファンタジーや感動ドラマが好きなのは、いまも昔も変わらない。でも、何かプラスアルファや陰影のようなものがないと、単純に感動できなくなってしまったのは事実だ。 『ロボッツ』のようなおとぎ話を観ながら、ふとそんなことを考えてしまう自分に、少し寂しさをおぼえた。 ひょっとするとそれは、人生をガムシャラに突っ走る、主人公ロドニーに対する嫉妬だったのかもしれない。 ■
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by inotti-department
| 2005-08-25 10:56
| cinema
![]() 『皇帝ペンギン』(2005、仏) 監督 リュック・ジャケ 声の出演 大沢たかお 石田ひかり 神木隆之介 犬でも猫でも、動物を見るたびに、「かわいい~!」と歓声をあげる人がいる。 まぁ、わからんでもないのだけれど、あんまりしつこく「かわいい!かわいい!」って言ってるのを目にすると、なんだか急にウソっぽく見えてきて白けてしまうことがある。 あと、赤ちゃんとか。 しかも、赤ちゃんとか動物を前にしてクールな顔をしていると、冷酷な人間みたいな扱いを受けたりするのだから恐ろしい。いいじゃない、別に虐待しようってわけじゃないんだから(笑) そんなわけで、話題の『皇帝ペンギン』を観に行く前も、劇場中が「かわいい~!」ムードで満ち溢れてたら嫌だなぁ、と軽い不安を抱いていたわけである。 しかし、その不安は杞憂に終わった。この映画、ただ「かわいい~!」だけじゃ済まされない、なかなかの曲者だったのである。 さて、ストーリーの簡単な紹介。 氷に覆われたマイナス40℃の世界、南極。その極寒の地で、ペンギンたちがいかにして生きているのか。カメラは、出産から子育て、そして旅立ちまでを、ドキュメンタリー形式で追う。 <以下の感想、ネタバレ含みます。未見の方、ご注意くださいませ。> 最初は「かわいい~!」という声があがっていた劇場だが、開始直後にすぐ凍りついた。出産をするために故郷へと列をつくって行進するペンギンたち。しかし、過酷な行進ゆえ、脱落する者も出てくる。脱落したペンギンは、吹雪の中、孤独に泣き声をあげる。しかし、その声は誰にも届かない。そして、そのペンギンは、吹雪に飲みこまれながら、死んでしまうのだ。 その後も、思わず目を背けたくなるようなシビアなシーンが次々に登場する。海で魚に食べられてしまう母ペンギン。苦労して産み落とした卵を凍らせて死なせてしまい、悲しみに暮れる夫婦。自分の子供が死んだことに混乱し、他のペンギンの子を奪い取ろうと襲い掛かる母ペンギン、などなど。 リアルかつシビアな描写。ペンギンの世界も楽じゃない。弱き者は脱落する、まさに弱肉強食。みんな、生きるために、必死に、それこそ命を懸けて頑張っているのだ。 と、こんな風に書くと、「えー、暗い話は嫌だなぁ。癒されるって聞いてたから、観ようと思ってたのに・・・」とガッカリされる方もいるかもしれない。 が、ご心配なく。ただただ過酷なペンギン世界を描くのが、この作品の目的なわけではない。むしろ、シビアな世界をしっかりと描いているからこそ、感動と癒しの効果もより深まるのだ。 特に感動させられるのが、ペンギンたちのチームワーク。寒さに耐えるため、ペンギンたちは身を寄せ合って固まりを作る。さらに、一番外側のポジションが最も寒いため、外側で耐えたペンギンたちは、その次は一番内側に移動して暖まるのだ。なんたる団結力。自分のことしか考えない者が多い人間たちと、えらい違いだ。 両親が子供に注ぐ愛情にもまた心洗われる。ヒナへのエサをゲットするため、夫のもとを離れて吹雪の中を歩き始める母ペンギンの勇気。そして、そんな妻の戻る日を信じ、子供を必死に守る父ペンギンの忍耐。 極めつけはクライマックスだ。親ペンギンは、子供を成長させるため、断腸の思いで子ペンギンを解き放つ。親離れできない子ペンギンは、自分を置いて歩いていってしまう親ペンギンを必死に追いかける。しかし、親ペンギンは振り向かない。スタスタ歩いていってしまう。そうして覚悟を決めた子ペンギンたちは、両親たちがそうしてきたように、みんなで身を寄せ合って寒さに耐えるのだ。 声優陣のナレーションも効果的。 普段、僕は「吹き替え版」はあまり観ないのだけれど、今回は大沢たかお他による日本語吹き替え版を選択した。オリジナルにしたって、ペンギンにとってはどうせ”吹き替え”なのだから、それだったらペンギンに集中するために母国語で観ようと思ったからだ。 字幕版は未見なので比較はできないが、この選択は正解だったと思う。少しあざとく感じるセリフもあるのだが、ペンギンたちの懸命な頑張りを、吹き替えが優しく包み込んでいる。最後の「また出会って、一緒にダンスしましょうね」というセリフも、本当にそう言ってるかもしれないなぁって思わせてくれるぐらい、すんなり心に入ってきた。 決して動物好きとは言えない僕だけれど、今回ばかりは、ペンギンたちにしてやられた。 ■
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by inotti-department
| 2005-08-24 23:20
| cinema
![]() 満足度 ★★★★★★★★☆☆(8点) 法月綸太郎・著 『生首に聞いてみろ』 2004、角川書店 「このミステリーがすごい!」という本を知っているだろうか? 簡単に説明すると、その年1年間に出版されたミステリー小説のランキングを発表する本である。 宮部みゆきや横山秀夫など、人気ミステリー作家の新作から、新進気鋭の若手作家の傑作ミステリーまで、幅広い作品がランキングに名を連ねる。かなりしっかりと集計を取っているので、このランキングに対する書店・読者の信頼度は年々高くなってきている。 本屋さんで、「このミス」のトップ10にランクインした作品を集めてコーナー展開しているのを目にしたことがある人も多いのではないだろうか? さてさて、その「このミス」2005年版の栄えある第1位に輝いたのが、法月綸太郎の『生首に聞いてみろ』である。 実を言うと、この作家、名前は辛うじて聞いたことはあったが、実際に本を手に取ったのははじめて。にもかかわらず、読んでみようと思ったのは、要するに「このミス」1位だったから。やれやれ、なんたるミーハー(笑) でも、「このミス」の上位に食い込んでくる作品って、いざ読んでみると、やはりそれぞれ読み応えがあって面白い。だから、とりあえず1位の作品は読んどけ!みたいなところが、私の中にはあるのだ。 さて、簡単なあらすじ。 作家で探偵の法月綸太郎は、知り合いの翻訳家・川島敦志からある調査を依頼される。その内容は、「先日病気で死んだ敦志の兄・伊作が生前に制作した彫刻像の首が何者かによって切られてしまった。この像は、伊作の娘・江知佳をモデルにした”人体直取り彫刻”であり、首を切られたのは江知佳に対する殺人予告である可能性があるので、調査してくれ」というものだった。敦志は、犯人は江知佳のストーカー・堂本ではないかと疑う。一方、綸太郎は、事件のカギは16年前にあると睨む。伊作と妻・律子の離婚。その原因となったとみられる、律子の妹・結子と伊作の不倫。伊作の子を妊娠し、自殺した結子。その半年後の、結子の夫・各務と律子の電撃再婚。次第に見えてくる事件の裏側。そんな中、行方不明になっていた江知佳の生首が発見される。さて、犯人はいったい誰?そして、16年前、伊作ら4人に何があったのか? と、前半のあらすじを書いてはみたものの、残念ながらこの小説が面白くなるのはこのあと。本当なら、その後の展開をもう少し細かく紹介したいのだが、なにぶん物語の展開がものすごく緻密で入り組んでいるので、長くなってしまうのでここでは割愛する。(なお、詳しいストーリーは”ネタバレstory紹介”内に掲載しているので、知りたい方はそちらを参照してほしい。) 正直に言って、前半はもうひとつ話に乗っていけなかった。人体直取り彫刻や、川島一家の複雑な人間関係の説明が続き、なかなか事件の本筋が見えてこない。というより、事件そのものが、彫刻の生首が取れていたということだけなので、話の焦点が見えてこないのだ。 しかし、江知佳の生首が発見されるあたりから、話が俄然面白くなってくる。そして、真相が明らかになったとき、一見退屈に思われた前半が、実は全て伏線だったことに気付かされる。石膏像の作り方、敦志と伊作の絶縁、江知佳の謎の行動、などなど。 とにかく、ストーリーの進め方が、本当に巧い。全てを計算し尽くしたうえで、書いているのだと思う。ゴールをしっかりと見定めながら、いろいろなエピソードを小出しにしていく。 綸太郎が堂本の隣人だと思っていた人が、実は変装した堂本だったという部分もそのひとつ。そして、彼の手には大きなトートバッグ。中身は江知佳の生首だったのか!?と思わせておいて、実は石膏像の生首。 また、各務家訪問の場面もそうだ。各務の母親を名乗る女性の正体は、実は律子。しかしその律子の正体も、結局は律子になりすました結子だったのだ。 登場人物ひとりひとりの謎の行動も、最後には全て説明されるから、読み終えたあとに気持ち悪さがひとつも残らない。最後の「義弟」のエピソードなども、出来すぎだとは思うけれど、物語の締めくくりとしては見事だと思う。決して派手さはないけれど、全てを読み終えて振り返ってみると、その見事なまでに緻密な構成には、ただただ舌を巻くほかない。 2005年版「このミステリーがすごい!」第1位獲得。それも納得の、堂々たる本格ミステリーの傑作だ。 ミステリーらしいミステリーが読みたいなーと思っている方に、ぜひオススメ。 パズルがはまっていくような精巧なミステリーが読みたいなーと思っているかたには、さらにオススメ。 ■
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by inotti-department
| 2005-08-19 01:14
| book
ここのところ仕事が忙しくて、なかなか映画館に足を運べてません。
ということで、エンタメの感想はちょっと小休止して、今日は自己紹介を。 年齢:24歳 性別:男 職業:会社員 好きな映画監督:スティーブン・スピルバーグ、ウディ・アレン、ティム・バートン、ジム・ジャームッシュ 好きな脚本家:三谷幸喜、ウディ・アレン 好きな俳優(日本):深津絵里、唐沢寿明、西村雅彦、山口智子 好きな俳優(海外):モーガン・フリーマン、ジョニー・デップ、ニコール・キッドマン 好きなお笑い:ダウンタウン 好きな作家:伊坂幸太郎、村上春樹、沢木耕太郎、東野圭吾、スティーブン・キング 好きなミュージシャン:Mr.Children、槇原敬之、BUMP OF CHICKEN、THE YELLOW MONKEY こんな感じです。 「いっぱい挙げすぎ!もっと絞らんかい!」と思われた方、ごめんなさい。 これでも、だいぶ絞ったつもりなんです(笑) せっかくなので、惜しくも落選した方々も、順不同でご紹介しておきます。 周防正行、アレクサンダー・ペイン、クエンティン・タランティーノ、堤真一、佐藤浩市、鈴木京香、ジェニファー・ロペス、キャサリン・ゼタ・ジョーンズ、ロバート・デ・ニーロ、金子達仁、レミオロメン、平井堅、100s、weezer、、、 こんなところでやめておきましょう。 なんか、大事な人を忘れてしまっているような感じが消えないんですが(笑) 思い出したら、また書きますね。 といっても、こういう顔ぶれって、ちょっとしたことで変化するものです。 また変わったら、ちょくちょくお知らせします。 ■
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by inotti-department
| 2005-08-17 22:27
| 自己紹介
![]() 『宇宙戦争』(2005、米) 監督 スティーブン・スピルバーグ 出演 トム・クルーズ ダコタ・ファニング 「え、6点?高すぎないか?」 そんな風に感じた方も多いのではないだろうか? 2005年夏、話題の超大作『宇宙戦争』。 スピルバーグ&トム・クルーズの大物コンビ、宇宙人襲来もの、と話題も多く、公開前の期待はかなり高かった。しかし、蓋を開けてみると、その評判はボロボロ。『スターウォーズ』との”夏の一騎打ち”は、『宇宙戦争』の惨敗となっている。 そんな映画を2回観にいった人はあまりいないだろうが、ここにひとりいる。 そう、私です(笑) 先に断っておくが、面白かったからもう1回観たのではない。面白くなかったから、また観に行ったのだ。 私は、もともとスピルバーグ映画が好きなのだ。ご都合主義的なストーリー展開だとか、娯楽色が強すぎて話に中身がないだとか、えせヒューマニズムだとかいろいろと陰口を叩かれてるスピルバーグだが、その全てをひっくるめて、私は彼の映画が好きだ。どんな材料でも、誰でも楽しめるような立派な娯楽作品に仕上げる手腕は凄いと思うし、えせヒューマニストと揶揄されるが、それでも彼の作品の持っているそういう甘さが、私にはとても心地よいのだ。 そのスピルバーグが、こんなつまらない映画を作った。そんなバカな。 そして私は、それを確かめるべく、もう1度劇場へと向かったのである。 さて、簡単なあらすじ。 別れた妻から息子ロビーと娘レイチェルを預かって週末を過ごすつもりだったレイ。しかし突然、空に激しい雷鳴が轟く。そして、雷に乗って空からやって来た異性人たちは、はるか昔から地球の奥深くに眠っていた”トライポッド”を操り、人類を次々殺しはじめる。レイは、子供たちを守るため、車を走らせ妻の待つボストンへ向かうのだが・・・。 ちなみに、1回目を観終えたとき、私の満足度は4点だった。 が、前半は悪くない。人々が恐怖に逃げ惑う映像はスリルと迫力満点だし、混乱して争いをはじめる愚かな人間たちという描き方も、ステレオタイプではあるが、より絶望感をあおる。 しかし、問題はそのあとだ。後半、話はどんどんおかしな方向へ進んでいく。 <以下の感想、ネタバレ含みます。未見の方はご注意ください> 突然、ロビーが2人のもとを離れて、異性人と戦うために前線へとひとり突っ込んでいく。そのあと、2人きりになった父娘は、謎の男に出会う。この男を演じるのはティム・ロビンス。当然、物語の展開上、重要な役どころを演じるのだろうと期待する。ところが、この男の存在がよくわからない。ピンとこない会話をレイと交わしていると、やがてそこにも異性人の魔の手が忍びより、そこでこの男の出番は終了。 彼は何のために登場したのだ?そして、なぜティム・ロビンス?頭の中に次々浮かんでくるクエスチョン・マーク。そして、物語は、特大クエスチョン・マークのクライマックスへ。 世間で失笑されているのは、結局終わり方の問題だろう。宇宙人VS人間という図式の映画に、さしたるストーリーなど、もともと誰も期待しちゃいない。となれば、あとは、いかにカタルシスを感じさせてくれるか。圧倒的な力で侵略する宇宙人。なす術もなく立ち尽くす人類。さあ、人間たちよ、どうやって奴らに立ち向かう?その知恵と勇気とサスペンスに興奮させてくれれば、この手の映画は成功なのだ。 『宇宙戦争』には、それがない。レイがボストンに着くと、あれだけ猛威をふるっていたトライポッドが急におとなしくなっている。彼らは枯れてしまったのだ。何があったのか。理由もわらかないまま、レイは妻の家へ。すると、そこには妻とロビーの姿が。再会を喜びあう家族。そして、ナレーターの口から告げられるオチ。異性人たちは、地球の空気を吸って枯れてしまったのだ。地球上に住む無数の微生物。奴らを倒したのは、人類の知恵ではなく、地球の力だったのだ! ポカーーン。そして、エンドロール。観客、失笑。こうして、『宇宙戦争』は駄作のレッテルを貼られてしまったのである。 1回目に観たときは、私も同じ感想を抱いた。私が期待していたのも、スリルに満ち溢れた戦いと、その中で生まれる家族の絆だった。しかし、その期待は見事に裏切られた。 しかし2回目、もう少し冷静に観てみたら、いろいろな発見があった。そして、スピルバーグが描きたかったことが、なんとなく見えてきたのだ。 この映画が「9.11」を意識していることは、まず間違いないと思う。瓦礫の中を頭を真っ白にして走るトム・クルーズの映像は、あの日実際にNYで起こったことそのものだ。スピルバーグは、そういう危機に対するひとつの答えを提示した。それは、「逃げる」ということ。 主人公のレイは、全く戦おうとしない。ひたすら逃げる。彼が考えたのは、ひとつだけ。愛する家族を守ること。それさえ叶うならば、人類の未来など二の次。これが、従来のこの手の映画と決定的に違う点だ。今までの主人公たちは、家族を、そして地球を守るために、武器を取って敵に立ち向かうのが常だった。この映画の中でも、ロビーや、ロビンスが演じた謎の男は、逃げてばかりのレイを批判して敵へ向かっていく。しかし、レイは、そんな彼らを必死で止めようとするのだ。 このメッセージは、とても面白いと思う。暴力に暴力で立ち向かっても、何も生まれない。かえって絶望が広がるだけだ。私たちに出来ることは、戦わないこと。大きなことは考えず、目の前の大切な人のことだけを考えればよい。この考え方には、私は大賛成だ。 そしてラストのオチの根底にあるのも同じ考え方だ。人類の知恵(ここには戦争や暴力も、当然含まれている)なんかよりもずっと偉大な、地球そのものの力。戦いなどやめて、地球に敬意を払おう。それが、スピルバーグの言いたかったことなのではないだろうか。 このメッセージは素晴らしいと思う。いまのアメリカでこういう映画が作られたと思うと、なんだか希望さえ感じる。にもかかわらず、私の満足度が6点までしか上がらなかったのは、やはりこの映画には欠点が多すぎるから。 こうやって考えると、話のテーマは案外地味なのだ。しかし、それでも派手な映画を作らなければならないスピルバーグの宿命。そもそも、その組み合わせに、最初から無理があったのだと思う。逃げ続ける映画に、カタルシスなど求めるのが無茶というもの。後半の混乱した展開をみると、スピルバーグ自身も、消化不良のまま映画を作ってしまったではないかとさえ感じる。 息子ロビーの中途半端な描き方にも、スピルバーグの混乱が見てとれる。ロビーは後半、「逃げるレイ」に対するアンチテーゼ的な存在として使われる。しかし、ロビーが戦うシーンが登場するわけではない。その後、ロビーが画面に現れるのは、ラストシーンだけ。レイが妻の家に着くと、そこにロビーがいるのだ。抱き合う父子。この、家族再会の感動シーン。スピルバーグが最も得意とする”泣かせ”のハイライト的場面だ。しかし、泣けない。感動がない。 それも全て、ロビーが先に書いたような使われ方をしてしまったせいだ。「家族の再生」と「戦争との向き合い方」、2つのテーマをロビーに背負わせるのは無茶だろう。「戦争との向き合い方」に絞るのならば、ロビーは死んでしまうべきなのだ(過激な言い方だが)。逃げたレイが生き残り、戦ったロビーが命を落とす皮肉。そこから浮かびあがる”不戦”のメッセージ。逆に、「家族の再生」に絞るのならば、ロビーはレイのもとを離れるべきではなかったのだ。 どんなテーマでも娯楽作品にすることを求められるスピルバーグの宿命。今まではそれを難なくやってのけた彼だが、今回は失敗に終わった。 それだけ、「9.11」というものは、アメリカにとって重い重いものなのかもしれない。 巨匠の腕を、かくも鈍らせるほどに。 ■
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by inotti-department
| 2005-08-16 11:33
| cinema
<映画ネタバレstory紹介>につづいて、<小説ネタバレstory紹介>も開設します!
基本的な考え方は、<映画ネタバレ・・・>の冒頭に書いたものと同じです。 「あの小説、一度読んだんだけど、どういう話だったかなぁ。どうやって終わるんだっけなぁ」 そんな悩みをお持ちの方のために、さらっとstoryを復習できるデータベースを公開しようというのが狙いです。というか、要は忘れっぽい私自身のためのコーナーなのですが(笑) 映画版は「タイトル順」になっていますが、こちらの小説版の方は「作者順」にしたいと思います。アイウエオ順になってますので、気軽に探してみてください。 ただ、やはり完全ネタバレ状態になりますので、未読の方の予習目的でのご利用はあまりオススメいたしません。出来ることならば、復習のために使っていただければと思います。 劇場公開作の紹介が中心の映画版と違って、小説版は、新刊をガンガン紹介するという風にはいかないと思います。というわけで、たとえ古い文庫の紹介ばかりになってしまっても、温かい目で見守ってやってください(笑) ■
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by inotti-department
| 2005-08-12 02:28
| 小説ネタバレstory紹介
※完全ネタバレでstoryを紹介しています。未読の方はご注意ください。
<い> ・伊坂幸太郎『死神の精度』(2005) ★★★★★★★★☆☆(8点) <story> 死神である千葉の仕事は、8日後に死ぬことになっている人間と1週間接して、その人の死について「可」(実行)と「見送り」のどちらが適切かを判断すること。しかし、クールな千葉は、人間の死には何の興味もない。それが仕事だから一応しっかりと調査はするが、それによって「見送り」の結論が出されることはほとんどない。「人間は、いずれ皆死ぬ」それが、彼の基本スタンスだ。彼の楽しみは、音楽を聴くことだけ。そして彼が仕事をするときは、いつも雨が降る。そんな千葉が遭遇する、6つの物語。 ①「死神の精度」:調査対象の一恵は、22歳OL。大手メーカーで苦情処理の仕事をしている。仕事内容は精神的にきつく、最近も妙なストーカーに付きまとわれて困っている。その男は、一恵を何度も指名して電話で苦情を言ってきて、しまいには「歌を歌え」という意味不明な要求をしてくるのだという。冴えない日々を過ごしている一恵を見て、千葉は結論をほぼ「可」に固める。そして調査最終日。千葉は、一恵がストーカーに絡まれて困っている場面に遭遇する。しかし、千葉はその男を知っていた。男は、有名な天才音楽プロデューサー。電話で耳にした一恵の声に衝撃を受け、彼女を歌手にするためにコンタクトを取ろうとしていたのだ。千葉は想像する。もし一恵が将来歌手になり、その歌を聴けたら・・・。迷った千葉はコイントスで決めるが、表だったらどちらにするつもりだったのかを忘れてしまう。千葉は決意する。いいか、「見送り」で。 ②「死神と藤田」:調査対象の藤田は、やくざ。藤田は、自分の兄貴分を殺した栗木への復讐を企んでいた。藤田を慕う阿久津は、「藤田さんは負けない」と信じて疑わない。しかし、組の親分は、任侠を重んじる藤田に手を焼いており、藤田を罠にはめて殺すことを計画。そして阿久津は、親分から藤田の監視を命じられていた。思い悩んだ阿久津は、栗木を自ら殺すことを決意。千葉とともに乗り込むが、逆に捕えられてしまう。千葉は藤田の電話番号を栗木に教える。阿久津は千葉の裏切りに激怒する。しかし、千葉は知っていたのだ。今日はまだ7日目。藤田が死ぬのは明日だ。だから、藤田は栗木には殺されない。「藤田さんは負けない」そう信じる阿久津のもとへ、藤田は向かうのだった。 ③「吹雪に死神」:今回の調査対象は、聡江という老婦人。彼女は夫ともに旅行でとある洋館に宿泊していたが、激しい吹雪でそこの宿泊客たちは誰も身動きがとれなくなってしまう。そんな中、聡江の夫・幹夫が毒で殺される事件が起こる。さらに、元刑事の権藤、若い娘・真由子も続けざまに殺される。千葉は、残された聡江たちの前で推理を披露する。宿泊客たちは全員、真由子を殺すために洋館に集まったのだ。聡江の息子に結婚詐欺を働き、彼を自殺に追い込んだ真由子に復讐するためだ。権藤を殺したのは真由子。権藤に幹夫殺しの犯人と疑われたためだ。真由子を殺したのは、権藤の息子のフリをしていた英一。彼は聡江の息子の親友だったのだ。では、幹夫はなぜ最初に死んだのか?彼は、息子の復讐を自らやり遂げようとし、料理に毒を盛り込んだ。しかし、真由子は死ななかった。なぜなら、その料理を真由子は食べず、代わりに死神である千葉が全て食べたから。そして、不審に思い、毒の確認をしたため、幹夫は死んでしまったのだ。全ての謎が解けた洋館で、千葉は「可」の結論を出すのだった。 ④「恋愛で死神」:対象は、荻原という青年。洋服屋で働く彼は、片想いをしていた。相手は、向かいのマンションに住む朝美という女。店員とお客さんとして1度接して以来、ずっと密かに想いを寄せていた。朝美は、悪徳勧誘業者からの脅迫に悩んでいた。荻原はその相談に乗り、2人は意気投合する。千葉は2人の恋を見つめつつ、「可」の結論を出す。荻原は、朝美の部屋に侵入する男を目撃して、彼ともみ合った拍子に刺されてしまう。命を落とす荻原。荻原の死をまだ知らない朝美と会った千葉は、彼女から「以前ある洋服屋で、セール除外品を安く売ってもらった」というエピソードを聞く。彼女は店員の顔を覚えてなかったが、その店員こそ荻原だったのだ。 ⑤「旅路を死神」:対象は、森岡という青年。母親を刺し、さらに街で喧嘩した若者を殺し、車で東北へ逃げていた。運転するのが千葉。森岡は、奥入瀬渓流でもう一人殺したいのだという。彼は5歳のときに誘拐された経験があった。そしてそのとき、犯人グループの1人の深津という男が自分を励まし、逃がしてくれたことは、彼にとってその後の人生の支えだった。しかし、森岡が家に帰ると、母親が深津と電話で親しげに話していた。なぜ犯人の1人と母親が?みんなグルだったのか。取り乱した森岡は母親を刺し、深津が現在いるという奥入瀬へと向かうことにしたのだった。しかし、千葉はある仮説を立てる。深津は犯人ではなく、彼もまた誘拐の被害者だったのでは?しかし森岡少年を不安にさせないために、犯人のフリをした。そして、恩人である深津に、母親はずっと感謝し、連絡をとっていたのではないか?真相はわからない。が、とにかく森岡は、深津のもとへ駆け寄るのだった。 ⑥「死神対老女」:対象は、海辺の小さな美容院を経営するある老女。彼女は会っていきなり、千葉が人間でないことを見破る。彼女は、これまでに多くの知り合いを亡くしているため死の気配がわかるのだといい、千葉が自分の死を見に来たのだと確信する。老女は、千葉に依頼する。その内容は、街で10代の若者を勧誘して、明後日美容院へ連れてきてほしい」というもの。千葉は、その通りにする。全てが終わり、老女は理由を明かす。彼女には、音信不通の息子がいた。そして彼には子供がいた。つまり、老女の孫だ。その孫が、美容院へ来ることになったのだ。しかし、息子は条件を出した。それは、孫だと名乗らないこと。ところが、美容院には大して客がいない。だから、誰が孫だかわかってしまう。老女は、それが怖かった。だから、千葉に同世代の若者を連れてこさせたのだ。老女がカーテンを開けると、そこには晴れ間が広がっていた。千葉が初めて目にする青空。そして、千葉は気付く。老女の持っている洋服。それは、かつて自分が担当した荻原という青年の片想い相手・朝美が持っていたもの。千葉は、太陽を笑顔で見つめる老女の横顔を眺めるのだった。 <ひとことreview> 最後のエピソードを読み終えたときに浮かんでくるメッセージ。「限りある命。ならば、悔いなきように精一杯生きろ」。精一杯ジタバタ生きてきた老女が、最後に達する悟りの境地。そこに至るために必要なのは、藤田であり、荻原であり、森岡のような生き様なのだ。一見バラバラに思えた6つのエピソードが、最後の最後でひとつに繋がる。老女の正体がエピソード4の朝美で、エピソード1の一恵が6で実際に歌手になっているのは、その象徴だろう。この物語のテーマは、死というものが身近にありながら、それに気付かずに生きている人間の滑稽な姿をシニカルに描くことではない。そんな人間の姿を温かく見つめる、優しくてハッピーな物語なのだ。主人公たちがみな死を迎えながらも、各短編の後味がすこぶる良いのもそのためだろう。もちろん、常にユーモアを忘れない文章の楽しさによるところも大きい。最後、ついに太陽というものを目の当たりにする死神。それは、人間という存在に対する、温かい賛歌のように私には感じられた。 ・伊坂幸太郎・石田衣良他『I LOVE YOU』(2005) ★★★★★★★☆☆☆(7点) ①伊坂幸太郎『透明ポーラーベア』: 優樹には、千穂という付き合って2年の恋人がいる。が、優樹の転勤が目前に迫っており、2人は今後に大きな不安を感じていた。そんなある日、優樹は、デート先の動物園で富樫と再会する。富樫は、5年前に姉と交際していた男。今は、一緒に来ている芽衣子と付き合っているが、現在プロポーズを留保されている状態なのだという。優樹は、姉のことを思い出す。姉は奔放な性格で、手品好きのバーテンダーやギタリストなど、10人以上の男と付き合い、別れるたびに旅に出る習慣を持っていた。富樫は、一番優樹が好きだった人。今度こそ姉が結婚するかと期待したが、やはり別れた。その後、姉は北極に大好きなシロクマ(ポーラーベア)を見に行くと出掛け、以来行方不明になった。優樹は、芽衣子が結婚に踏み切れないのは、姉が原因なのではないかと睨む。芽衣子が、「今日はシロクマを見に来た」と言っていたからだ。一方、優樹たちも、今後の遠距離恋愛を懸念し、微妙な空気になっていた。姉の別れを散々見てきた優樹には、2人の”繋がり”への不安があるのだ。その夜の花火大会。会場では、ウェイターが手品を披露し、ギタリストが音楽を演奏していた。ウェイターは、手品で花束を出して、富樫に渡す。富樫から差し出された花束を、芽衣子は受け取る。そして、会場のギタリストに、優樹は見覚えがあった。彼は、かつての姉の彼氏。そして、ウェイターもまた同じく元彼氏。”繋がり”を感じた優樹は、涙を流す。「大丈夫」優樹は、隣の千穂にそう告げるのだった。 ②石田衣良『魔法のボタン』: 彼女にフラれ、傷心の隆介。幼馴染の萌枝と飲み歩き、慰められる。休みのたびに会ううちに、2人の親密度は増していく。そんなある日のデート、萌枝はおめかしをしてくる。さらに、初めて自身の恋愛話を告白。彼女は、大学の4年間、妻子持ちの男と不倫をしていたのだという。萌枝は、”魔法のボタンごっこ”を隆介に提案する。それは、右肩を押すと相手は透明人間になり、左肩を押すと石になるという遊びだ。萌枝は、隆介の右肩を押す。そして、透明人間になった隆介に、想いを告白する。それが終わると、隆介は萌枝の左肩を押す。そして、石になった萌枝を、うしろから抱き締めるのだった。 ③市川拓司『卒業写真』: 木内は、同級生の渡辺と、中学卒業以来の再会をはたす。”ミンク”というあだ名の彼は、恋愛感情こそなかったが、気の許せる数少ない異性だった。ミンクから「もうひとりの渡辺が、木内さんを好きだっていう噂があった」という話を聞き、彼女は舞い上がる。もうひとりの渡辺である”かわちゃん”を、彼女は好きだったからだ。しかし、どうも話がかみ合わない。そして、彼女はハッと気付く。彼女は、勘違いをしていたのだ。彼の話に出てきた”渡辺”というのは”ミンク”のことで、実は目の前にいる彼こそが”かわちゃん”だったのだ。「”かわちゃん”が自分を好きだった」という発言に舞い上がった姿を本人に見られてしまったこのに気付き、彼女は恥ずかしさで顔を真っ赤にする。そして、そのことを彼から突っ込まれ、彼女は何も言えなくなる。そんな彼女に、彼は告白する。自分も、ずっと君を好きだったのだ、と。彼からのデートの申し出を、彼女は迷わず承諾するのだった。 ④中田永一『百瀬、こっちを向いて』: 大学生の相原は、久々に戻った故郷で神林先輩とバッタリ再会する。出産間近の神林と、相原は高校時代の思い出話に花を咲かせる。神林は、高校時代、相原の幼馴染で兄貴的存在・宮崎と付き合っていた。ある日、宮崎に呼び出され、百瀬という女性と付き合っている演技をしてほしい、と相原は頼まれる。宮崎は、百瀬とも付き合っており、それを神林に隠すために、相原に協力を依頼したのだった。しかし、地味な相原と活発な百瀬では、話も全く合わない。しかし、次第に仲良くなり、宮崎と神林と一緒に4人でWデートしたりする。そのデートのとき、神林は宮崎にほおずきの花をプレゼントする。そんな親しげな2人の姿に、百瀬は取り乱す。相原は、宮崎を呼び出す。相原が、宮崎に意見をするなど、初めてのことだった。宮崎は、相原にとって、かつて命を救ってくれた恩人でもあったからだ。そんな相原の覚悟を知り、宮崎は百瀬に宛てた手紙を彼に渡す。相原は、手紙を持って百瀬のもとへ。手紙を読み、百瀬は涙を流す。宮崎は、神林を選んだのだ。2人の交際はその後もつづき、ついに、神林は宮崎の子を身ごもったのだ。宮崎は、資産家の娘である神林の資金で、父親の会社を建て直した。宮崎は、自分の夢のために、神林を選んだのだ。相原は、神林に聞く。「ほおずきの花言葉は”裏切り”。先輩は、それをあのとき知っていたのでは?」と。微笑む神林。1番の演技派は、実は神林だったのかもしれない。相原は、大学へ通うために東京へ行くとき、ホームで百瀬に告白した。そしてこれから、相原は百瀬に会いに行くのだった。 ⑤中村航『突き抜けろ』: 大学生の大野は、彼女と変わった付き合い方をしていた。それは、週3回決まったときにだけ電話して、週1回だけデートするというものだ。一方、親友の坂本は、同じクラスの飯塚に想いを寄せていた。坂本は、毎週火曜日に木戸という先輩の家へ通い、皿洗いや掃除をしていた。大野もそれに同行するようになり、3人は仲を深める。しかし、そんなある日、飯塚に彼氏ができたことが判明。木戸は、その彼氏を殴りに行くと宣言する。大野はそれを止め、木戸をボコボコにする。その後、3人は富士山へ登る。そこで、木戸は言った。「オレは全盛期を過ぎた。でも、必ず這い上がってやる」と。そして、大野と坂本を頂上へ送り出す。しかし、2人は登頂を断念する。その後、坂本には新たに好きな人が。そして、大野は木戸の家へ行く。すると、あれだけ彼の部屋にあった酒が、ついに底をつく。木戸は、「これは何かの啓示だ」と確信する。そして大野は、「今から彼女に電話しなくちゃ!」と思い立つのだった。 ⑥本多孝好『Sidewalk Talk』: 彼女との待ち合わせ。彼女は、いつも通り遅刻。でも、こうやって待つのも、もうこれが最後だ。レストランで、離婚届を受け取る。浮気でも借金でもないが、夫婦生活は5年で終わり。「子供がいたら、違ったかしら?」彼女はかつて、流産してしまったのだ。思い出を語り合う2人。彼女に想いを寄せる友人についていったのが、彼女との出会いだった。友人の引き立て役という立場に怒り、高価なネックレスを贈る友人の横から、拾った花を渡した。彼女は、友人ではなく自分に礼を言ってくれた。その後、何度もの偶然の遭遇を経るうちに、それらが全て奇跡に思え、彼女に告白して、交際をはじめたのだった。2人の残り時間は、あとわずか。「会社をやめる」といつになく弱音を吐く彼女に、何も気の利いたことを言ってやれない。2人は、店を出る。これで終わりでよいのだろうか?そのとき、横を通り過ぎた彼女の香りに誘われるように、ある記憶が甦ってくる。初めて、彼女の部屋に泊まった日。彼女は言った。「私は素直じゃないから、うまく謝ったりできない。だから、この香水をつけてたら、心の中で”とめんなさい”って謝ってると思って」と。しかしそれ以来、彼女がその香水をつけることはなかった。「もう少し歩かない?」彼女が提案してきた。見上げると、夜空には、奇跡のような丸い月が浮かんでいる。うなずいて、彼女とともに歩き出す。今夜、奇跡を見つけられるだろうか?と期待しながら。 <ひとことreview> 6人の男性作家による、恋愛短編集。面白い順に、①伊坂→⑥本多→④中田→②石田→⑤中村→③市川。③は、アイデアは良いが、読んでいる側はすぐに”人違い”のトリックに気付いてしまうため、話が意外なほど盛り上がらない。④②⑤は、ほとんど差がない。⑤の荒削りなパワーも魅力的。勇気をもてず冴えない日々を過ごしていた3人それぞれの最後の”突き抜け方”が、とてもユニーク。②は、王道の恋愛もの。話は平凡だが、”魔法のボタンごっこ”を用いた告白シーンが印象に残る。④は、映画のようなドラマチックな展開に、自然と風景が目に浮かんでくる。登場人物のキャラクターもそれぞれ良く、ハッピーエンドを期待させる終わり方も爽やかだ。⑥は、締めくくりにふさわしい良作。ラスト4ページの”香り”のクライマックスが、とにかく見事のひとこと。”別れ”を描きながら”奇跡”を予感させる前向きな終わり方で、読後感がすこぶる良い。そして、なんといっても傑作なのが①。人と人との”繋がり”を描いた、奇跡の物語。テーマもそうだが、構成の”繋がり”も凄い。「成田山の法則」(初詣参拝客は正月三が日に分散し、元旦に集中することはないというバランスの法則)が伏線となった、クライマックスの花火大会。ちょっとした会話や描写が全て伏線となっており、構成に少しも無駄がない。僕たちの人生には別れは付き物だけれど、みんなどこかでずっと繋がっている。作者のメッセージは、いつも温かく、やさしい。伊坂ではじまり本多で終わる、順番の妙。よくみるとただの作者「あいうえお順」なのだから偶然なのだろうが、ひょっとしたら製作側の意図的なキャスティングがあったのかもしれない。だけど、この本を読み終えた僕は、奇跡のような偶然の”繋がり”を、信じてみたい気持ちでいる。 ■
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by inotti-department
| 2005-08-12 02:27
| 小説ネタバレstory紹介
※完全ネタバレでstoryを紹介しています。未読の方はご注意ください。
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by inotti-department
| 2005-08-12 02:26
| 小説ネタバレstory紹介
※完全ネタバレでstoryを紹介しています。未読の方はご注意ください。
<し> ・雫井脩介『犯人に告ぐ』(2004) ★★★★★★★☆☆☆(7点) <story> 相模原で発生した、男児誘拐事件。誘拐されたのは、桜川夕起也と麻美の息子・健児。神奈川県警の警視・巻島は、娘の出産を控えて非番だったが、呼び出されて捜査にあたる。身代金受け渡し時の逮捕を狙うが、神奈川県警と警視庁の縄張り争いなどが原因となり、捜査体制に遅れや不備が生じ、接触に失敗する。巻島は、現場の山下公園で不審人物を尾行するが、逃がしてしまう。その後、健児の死体が見つかり、犯人”ワシ”から警察を非難する手紙が届く。巻島は記者会見に臨むが、記者たちの容赦ない追及に逆ギレし、大ブーイングを浴びる。さらに、娘が出産後に危篤状態に陥っていたことから、「他人の子供より自分の子供の方が大事だ」と失言してしまう。その6年後。川崎で連続児童殺害事件が起こる。「ワシ事件」の指揮を採っていた曾根部長は、左遷されていた巻島を呼び戻す。曾根は、捜査の行き詰まりを打破する策として、テレビを利用した「劇場型捜査」を掲げ、その現場指揮を巻島に委ねる。巻島は、まず被害者家族の理解を得たうえで、人気番組「ニュースナイトアイズ」に出演し、情報提供を呼びかける。しかし、それは表向きの理由で、真の狙いは、犯人”バッドマン”からの反応を誘うこと。番組は反響を呼び、続々と手紙が届く。一方、巻島を管理する立場で、曾根の甥である植草課長は、いまも学生時代の失恋を引きずっていた。その相手、未央子は現在アナウンサーで、「ナイトアイズ」の裏番組である「ニュースライブ」のメインキャスター。植草は立場を利用し、事件の情報をちらつかせて未央子に接近する。そんな中、バッドマンから手紙が届く。巻島はそれを番組で公開するが、すると今度は別のバッドマンから手紙が届く。被害者が着ていた洋服の色についてエンジをベージュと書いている以外は、警察と犯人しか知らない事実が記されていた。どうやら、最初のは偽物で、今度のものが本物のバッドマンからの手紙のようだ。植草は、偽物は巻島が書いたと睨み、未央子に疑惑を伝える。「ライブ」がこれを報じ、さらに6年前の不祥事にも触れたことから、巻島バッシングが起こる。そんな中、有賀という男が自殺する。有賀は、”ワシ”の正体と思われ、ずっと警察がマークを続けていた男だ。”ワシ”は自殺したのか?しかしその数日後、”ワシ”から再び手紙が届く。一方、巻島は、バッドマンの反応をさらに引き出すため、犯人に理解を示す発言を番組で繰り返す。さらに巻き起こるバッシング。そして、エスカレートする植草のリーク。巻島は、リーク犯捜しの罠をはる。それは、架空の容疑者を作り出し、その男が映った映像を捏造し、ビデオを1本ずつ植草ら幹部に渡すというもの。一方、植草は、巻島の指紋と偽バッドマンの手紙に残された指紋を照合する。しかし、一致せず、自分の考え違いを知る。「ライブ」は、植草から渡された映像をスクープとして放送する。巻島は、植草がリーク犯だと確信する。そんな中、バッドマンからの手紙が街中で発見される。バッドマンからの連絡が1週間ほど途絶えていたのは、彼が手紙を落としたことで神経質になっていたから。バッドマンの小心者っぷりを見抜いた巻島は、チャンス到来とみて色めき立つ。しかし、植草はこの手紙の存在をも未央子に教えてしまい、巻島は、植草をハメるための罠をはる。別の件で逮捕された男を”バッドマン逮捕”として植草に伝え、そのウソの逮捕映像を「ライブ」は放送してしまう。世紀の大誤報。曾根は、植草をハメた巻島に激怒する。しかし、巻島は「偽バッドマンの手紙を書いたのは曾根部長では?」と追及し、曾根を黙らせる。バッドマン逮捕へ、巻島の作戦は”ローラー作戦”。手紙の発見場所付近にバッドマンの居住地を絞り込み、片っ端から家を訪問して、偽バッドマンの手紙に残された指紋との照合を行うのだ。もちろん、指紋は曾根のもののため、指紋の一致はありえない。狙いは、不審者のあぶり出し。運命の日、バッドマン逮捕の報を待つ巻島のもとに飛び込んできたのは、孫の誘拐事件の発生。ワシから電話で呼び出され、巻島は山下公園へ。そこにやって来たのは、6年前の事件の被害者の父親・夕起也。巻島は、夕起也に刺されて重体に。病院へ運ばれる巻島の耳に、バッドマン逮捕の一報が伝えられる。決め手になったのは、指紋採取を拒否した不審者が、エンジをベージュと言ったこと。意識を取り戻した巻島は、病室へ謝罪に来た夕起也の妻・麻美に、涙を流して謝罪する。その数時間後、事件の被害者の母親の一人が、巻島に事件解決の礼を言いに来る。巻島は、深々と礼を返すのだった。 <ひとことreview> 1章が最高に面白く、グイグイと物語に引き込まれる。被害者救出より犯人逮捕という本音が見え隠れする警察の悪しき体質、他人の弱みにガンガンつけこんでいくメディアの凶暴性、そして、そのドタバタに翻弄される悲しき事件被害者たち。この小説のテーマの全てが、この1章には詰まっている。本筋は、2章以降。公開捜査という斬新な捜査手法を、娯楽性たっぷりに描いていて抜群の読み応え。しかし、警察の捜査のレベルの低さには、なんだかガッカリさせられる(まぁ、フィクションだけど)。とはいえ、「事件解決は被害者のため」という基本的なことを6年かけて取り戻した主人公・巻島の最後の涙には感動させられる。でも、この小説、詰めが甘くて不満もいっぱい。特に、凋落したあとの植草と未央子のシーンがないのは、どうにも解せない。クライマックスに巻島と夕起也の対峙をもってきたのも、テーマを考えれば悪くはないのだが、個人的には巻島VSバッドマンで盛り上げてほしかった。 ■
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by inotti-department
| 2005-08-12 02:26
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・法月綸太郎『生首に聞いてみろ』(2004) ★★★★★★★★☆☆ <story> 作家で探偵の法月綸太郎は、後輩のカメラマン田代の写真展で、顔見知りの翻訳家・川島敦志とバッタリ再会する。会場には、敦志の兄で前衛彫刻家の川島伊作の娘であり、敦志の姪にあたる江知佳も来ていた。2人を見て、敦志と伊作は絶縁状態にあるという噂を綸太郎は思い出す。が、敦志いわく、最近になって和解したのだと聞かされる。そこに、伊作が自宅のアトリエで倒れたという急報が入る。伊作は病気を患っていて、そのまま亡くなってしまう。数日後、敦志に呼ばれ、綸太郎は川島家を訪れる。伊作は生前、長年封印していた新作人体直取り彫刻の制作に没頭していた。彼は21年前に、江知佳の母親の律子が妊娠中に、律子をモデルにした「母子像」という作品を発表していた。今回の作品のモデルは江知佳だったが、そのポーズは21年前の作品と全く同じだった。その新作の首が、何者かによって切られてなくなってしまったのだという。敦志は、江知佳への殺人予告なのではないかと疑い、綸太郎に調査を依頼したのだった。伊作展のプロモーターを務める美術評論家の宇佐美は、「もともと首はなかった」という推理を展開し、綸太郎もその説得力に圧倒される。敦志は、首切りの犯人は堂本というカメラマンだと主張する。堂本は、かつて江知佳にストーカーをしていて、それを妨害した伊作に恨みを持っているのだという。綸太郎は、事件のカギは16年前にあると睨む。伊作は16年前に律子と離婚していた。その原因は、律子の妹・結子と伊作の不倫。結子は伊作の子どもを妊娠し、それに苦しみ遺書を残して自殺したのだという。そしてその半年後、結子の夫・各務と律子が再婚。それ以来、律子は伊作と江知佳の前に現れていないのだという。江知佳が、伊作の葬儀に来た各務に「律子さんに確かめたいことがある」と話したのが、綸太郎は気になっていた。そんな中、江知佳が行方不明になってしまう。江知佳が産婦人科を探していた形跡があることから、綸太郎は江知佳の妊娠を疑う。そして数日後、江知佳の生首が宇佐美のもとに送られてくる。差出人が堂本になっていたこと、残っていた指紋から、警察は堂本を容疑者として捜査を開始。その後、宇佐美も、首のない石膏像を持ち出したまま姿を消してしまう。堂本の女・さやかに話を聞いた綸太郎は、堂本が「江知佳の本当の母親は律子ではなく、死んだ結子だ」ということをネタに、誰かを脅して金を取ろうとしていたことを知る。綸太郎は、結子が通っていた産婦人科を訪ねる。そこには、江知佳も話を聞きにきていた。そこで、院長の口から「結子さんは、義弟に犯されたと言っていた」ということを聞く。警察は、宇佐美を発見する。宇佐美は、堂本と接触しようとしていたところを拘束されたのだ。宇佐美の話を聞き、綸太郎は真相への確信を得る。石膏像の首を切ったのは江知佳。江知佳は自分から堂本に接触し、首を預かってもらった。その首には、目が付いていた。人体直取り彫刻というのは、目が開いていることはありえない。モデルが目を開けた状態で型を取ることは不可能だからだ。方法はただひとつ。死体から型を取ることだ。堂本は、「母子像」というタイトルから、その顔のモデルが結子の遺体から取ったものであることに気付き、結子と江知佳が母子であると推理した。そして、その写真を宇佐美に送り、金を脅し取ろうとしたのだ。写真を見た宇佐美は、堂本とは別の結論に行き着いた。江知佳の本当の母親は、すでに死んでいる。つまり、16年前に自殺したのは実は結子ではなく律子で、いま各務の妻になり律子と名乗っている女性は、実は結子なのではないか、と。律子は自殺に見せかけられ、各務と結子夫妻に殺された。そして、各務夫妻は保険金を手にし、その後結子は律子になり、各務と再婚したのだ。完成した石膏像を見た江知佳もこの真相に気付き、首を切断。その生首を持って各務夫妻を問い詰め、彼らに殺されたのだ。そして、各務夫妻は、その罪を堂本になすりつけようとしたのだ。では、伊作の狙いは何だったのか。彼は、目を開いた母子像によって、各務夫妻の罪を告発しようとした。しかし、なぜ回りくどい方法を取ったのかというと、それは彼もまた16年前の計画の共犯者だったからだ。当時スランプに陥っていた伊作は、どうしても目の開いた石膏像を作りたかった。そのために、死体から型取りしたデスマスクを欲していたのだ。さらに、律子の妊娠を知り逆上し、律子のデスマスクを交換条件に、各務夫妻の計画に乗ってしまったのだ。伊作の罪を知った宇佐美は、それを隠すために、首のない石膏像を運び出したのだった。そして、写真が公表されることを恐れ、堂本と接触しようとしていたのだ。では、死んだ律子のお腹の子の父親は誰だったのか。「義弟に犯された」という証言から、綸太郎は当初、敦志を疑った。そしてそれは、16年前の伊作も同じだった。伊作が敦志と絶縁していたのも、そのためだ。しかし、相手は敦志ではなく、各務だった。各務は律子をレイプして孕ませた。事実を隠したい律子に、結子は、結子になり代わって産婦人科へ行くように持ち掛け、保険証を渡した。それで産婦人科医は、患者は結子だと思い込み、また警察も遺体の女性が妊娠していたことから、自殺したのは結子だとして処理してしまったのだ。結子から「律子の相手は敦志」だと聞かされた伊作は、律子を問い詰めた。「義弟の子か?」と。律子は「義弟」とは「各務」を指しているのだと思い込み、それを認めてしまったのだ。そして16年たち、伊作は自分の勘違いを知った。彼は敦志と和解し、各務夫妻への復讐のため、母子像制作に取り掛かったのだった。 <ひとことreview> 2005年版「このミステリーがすごい!」第一位に輝いた傑作ミステリー。とにかく、緻密。精緻な計算のもと、パズルのようにひとつひとつ謎が解かれてゆく。登場人物たちの謎の満ちた行動も、最後には全て論理的に説明されるので、読み終わって不満や混乱が何も残らない。まさに、本格ミステリーのお手本のような作品だ。 ■
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by inotti-department
| 2005-08-12 02:25
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<タ> ・ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』(2004) ★★★★★★★☆☆☆(7点) <story> ルーブル美術館の館長ジャック・ソニエールが殺された。殺害現場に残されたのは、謎のメッセージ。象徴学者ロバート・ラングドンは、フランス警察のファーシュ警部から呼び出される。ラングドンは、ソニエールとその夜会うことになっていた事件の参考人であり、そして、暗号が象徴するものを読み解く適任者でもあるからだ。そこに現れた女性。彼女は、ソニエールの孫であり、暗号解読官のソフィー・ヌヴー。トイレで彼女と2人きりになったラングドンは、自分が容疑者であることを教えられる。ファーシュは隠しているが、メッセージの最後に「ラングドンを探せ」と書かれていたからだ。2人は、トイレから脱出したフリをして、ファーシュをまく。暗号を並び替えると「レオナルド・ダ・ヴィンチ」「モナ・リザ」という単語が浮かび上がってくることを解いたラングドンは、「モナ・リザ」の展示部屋へ。そこで、鍵を発見。それは、スイス銀行の鍵。銀行へ行くと、そこには謎の箱と「P・S」の文字。文字を見て、ラングドンは事件の背景に”シオン修道会”の存在があることを知る。シオン修道会は、異教の集団として異端扱いされながら、テンプル騎士団などを組織しつつ、秘密の聖杯”サングリアル文書”を守ってきた。箱の中身は、聖杯への手がかり”キー・ストーン”か?と、ラングドンは色めきだつ。箱を開けるパスワードを解読するため、2人はラングドンの友人リー・ティービングのもとへ。ティービングは宗教学者で、ずっと聖杯について研究している男。ティービングは、聖杯とは、イエス・キリストは神ではなく人間であり、彼にも妻がいたことを示すものであると説明。妻は、聖書の中では娼婦とされている”マグダラのマリア”。ローマ教会は、その存在が明るみに出ることを恐れ、聖書を捏造したのだ、と。3人は、事件の背景には聖杯(つまりマグダラのマリアの血筋であり遺骨)を手に入れたい教会の陰謀が潜んでいると睨む。そこに現れた侵入者・シラス。彼は、過激なキリスト教団”オプス・デイ”の修行僧。さらに迫り来る警察。3人は、ティービングの執事レミーと、捕捉したシラスを連れ、イギリスへ。道中、暗号を解読。中には、さらに箱が。第二のパスワードを解読するため、3人はテンプル騎士団の墓へ。そこで、突然シラスを解放し、寝返るレミー。ティービングを人質に、キー・ストーンを奪う。レミーは、実は”導師”と呼ばれる黒幕に雇われていた。レミーは、キー・ストーンを手に導師のもとへ。一方、シラスもまた導師の指示でオプス・デイの宿舎へ。シラスは、導師の顔を知らない。シラスを利用しきった導師は、彼をはめるため宿舎に警察を呼ぶ。導師の裏切りに気付いた”オプス・デイ”の代表アリンガローサ司教は、シラスのもとへ。しかし、取り乱したシラスは、司教へ発砲してしまう。その頃、導師はレミーを殺していた。レミーが、ラングドンらの前に姿を見せてしまったからだ。レミーは唯一自分の顔を知っているため、始末する必要があると考えたのだ。一方、ラングドンは暗号の意味を理解し、ウエストミンスター寺院へ。そこに現れたティービング。彼こそ、導師の正体だったのだ。ソニエールは、教会の圧力で家族を殺され、聖杯公開をやめてしまった。事件は、聖杯に触れたいティービングが、オプス・デイを利用して起こした陰謀だったのだ。銃をむけるティービング。そこに飛び込んできたファーシュ。アリンガローサと繋がっていたファーシュは、ことの真相に気付いたのだ。ティービングは逮捕される。ラングドンはまたもや暗号を解読し、ロスリン礼拝堂へ。そこにいたのは、ソフィーの弟と祖母。祖母とソニエールは、ソフィーの両親が死んだことで孫たちの危険を知り、離れて暮らすことにしたのだ。奇跡の再会を果たし、家族は喜びあう。そして、結ばれるソフィーとラングドン。しかし、聖杯は見つからない。ホテルへ戻るラングドン。突然のひらめき。ラングドンは、再びルーブルへ。聖杯は、そこにあったのだ。マグダラのマリアの遺骨がすぐそこにあるのを、ラングドンは感じ取るのだった。 <ひとことreview>世界的ベストセラー。それも納得の、魅力的な謎に満ちたミステリー。謎が謎を呼び、箱の中にまた箱があるという展開には「いいかげんにせえよ!」とツッコミたくもなるが、とにかくページを捲る手が止まらない。しかし、その謎とは、決して「犯人が誰か?」ということではない。そんなことはどうでもよい。最大の魅力は、「聖杯探しのミステリー」としてのものだ。西洋史の暗部に潜んだ重大なミステリー。これは歴史好きの人にはたまらない素材だろうし、僕のような宗教的素人にとっては、純粋に色メガネなしで楽しむことができる。犯人逮捕後の展開に”もうひと衝撃”欲しかった感もあるが、余韻の残るエンディングはとても良い。 ・天童荒太『包帯クラブ』(2006) ★★★★★☆☆☆☆☆(5点) <story>高校生のワラは、病院の屋上で不思議な青年・ディノと出会う。その奔放な言動に嫌悪感も覚えるが、柵に包帯を巻いて、その場所に流れる見えない血の治療を行った彼のアイデアに心を動かされる。親友のタンシオが恋愛で傷つき自殺をほのめかすのを見て、ワラは彼女の傷ついた場所に包帯を巻いてみせる。傷が癒されるのを感じるタンシオ。さらに、タンシオの友人・ギモにも同様の行為を見せ、心の傷を癒す。その効果をもっと多くの人に教えてあげたいと考えた3人は、「包帯クラブ」の発足を思いつく。しかし、その前に、ワラは発案者であるディノの許可を得たいと考え、彼を探す。やっとの思いでディノと再会したワラがクラブについて話すと、彼も仲間に入りたいと申し出る。こうして、「包帯クラブ」は4名でスタートするが、ディノは自分が抱える本当の傷についてはワラに話してくれない。「包帯クラブ」のもとにはたくさんの依頼が寄せられ、彼らは多くの人の傷を順番に癒していく。活動は軌道に乗り始めるが、ワラにはあと2人仲間に加わってほしい友人がいた。それは、中学時代の親友であるテンポとリスキ。テンポは進学校へ、リスキは悪い仲間たちとつるむようになり、もう1年ほど連絡をとっていなかった。ワラは久しぶりに2人と会い、クラブの話をするが、テンポは全くとりあおうとはせず、それを見てリスキも激怒する。リスキは自分の傷について話し、ワラたちが巻いてくれた包帯によって救われる。リスキを加えてクラブはさらに活動を広げるが、町にいたるところに放置された包帯に対し、周囲の風当たりは次第に強くなる。さらに、包帯は全員に対して効果があるわけでもなく、クラブは批判によって解散を余儀なくされる。そんなある日、テンポが行方不明になったという連絡が入る。心配したワラは、メールでテンポに呼びかける。最初はうっとうしがるテンポだったが、ワラの優しさを受け、本音を打ち明ける。友人もおらず勉強だけの孤独な日々を過ごすテンポにとって、ワラたちののん気な様子は苦痛でしかなく、クラブを解散に追い込むような噂を流したのもテンポの仕業だった。しかし、ワラはテンポの傷を受け入れ、彼女の傷にも包帯を巻いてあげるのだった。そして、ついにディノも、親友を死なせてしまった自分の傷について話し、そこにも包帯を巻く。こうして、「包帯クラブ」は復活し、町には再び包帯の花が咲き並ぶのだった。 <ひとことreview>名作『永遠の仔』の著者が描く新たな世界。とても優しくて、温かくて、希望を感じさせる小説である。弱者を包み込み、全ての傷を認めて他者と繋がろうとする者たちを描いた物語は、いつもながらの天童ワールドなのだが、なぜか今作からはあまり心揺さぶられるものがなかった。物語があまりにも寓話的すぎて、その中で描かれる傷や癒しの描写に対して、心が入り込んでいけなかったことが原因かもしれない。セリフも文章も、やや説明的すぎたか。 ■
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by inotti-department
| 2005-08-12 02:25
| 小説ネタバレstory紹介
※完全ネタバレでstoryを紹介しています。未読の方はご注意ください。
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by inotti-department
| 2005-08-12 02:24
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<む> ・村上春樹『風の歌を聴け』(1979) ★★★★★★☆☆☆☆(6点) <story> 大学が夏休みに入り、生まれ育った街に帰省した”僕”。僕は、友人の”鼠”と毎日酒を飲みながら、とりとめのない会話を交わしていた。そんなある日、行きつけのバーのトイレで、倒れている女性を発見する。小指がなく、左手の指が4本しかない女性。そんな彼女を介抱して家まで送った僕だが、目覚めた彼女からいらぬ誤解を受けて罵倒される。しかし、偶然レコード屋で再会したのをきっかけに、次第に親しくなっていく。いろいろな会話を交わし、互いに距離を縮めていく2人。しかし、突然彼女は、旅行に発ってしまう。一方、鼠もまた、女性との何らかの問題を抱えているらしく、そのことに関しては僕に対して口を閉ざす。やがて、彼女が旅行から戻る。久しぶりに僕は彼女と再会するが、彼女は涙を流し、顔も思い出せない男との間にできた子供をおろしたことを告白する。僕は、彼女とセックスはせずに、一晩ベッドを共にする。夏休みが終わり、僕は街をあとにする。一方、女との不幸な別れを迎えたらしい鼠は、思い立って小説を書き始める。そして冬休み、再び帰省した彼が彼女の家を訪ねると、もうそこに彼女の姿はなかった。そして数年後。彼は結婚し、それなりに幸せな生活を送っている。そして鼠は、今も小説を書き続けている。 <ひとことreview> 村上春樹、伝説のデビュー作。『羊をめぐる冒険』以後の作品に見られるような圧倒的なストーリーテリングの力は、この時点の彼にはまだ欠如している。良くも悪くも、アマチュア的な作品。しかし、その後30年間トップに君臨しつづけている男のデビュー作としてとらえると、やはり感慨深い。そして、気付かされるのは、この作品は彼にとっての「作家宣言」であるということだ。冒頭、彼はこう書いている。「今、僕は語ろうと思う。」語られるテーマは、「喪失の哀しみと孤独。そして、そこからの再生」。自分の前を次々に過ぎ去っていく人々や出来事。そして残されるのは、孤独。しかし、”僕”はその状況を諦めているわけではない。中盤にも、こんな記述がある。「他人に伝える何かがあるかぎり、僕は確実に存在している。」孤独を乗り越えて再生するために、彼は”語り”、”書き”つづけるのだ。そして、そのテーマは、現在も一貫して変わらない。「今、僕は語ろうと思う。」全ては、この宣言から始まった。 ■
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by inotti-department
| 2005-08-12 02:24
| 小説ネタバレstory紹介
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by inotti-department
| 2005-08-12 02:22
| 小説ネタバレstory紹介
満足度 ★★★★★★★★☆☆(8点)
「一番好きな作家は?」と聞かれると、少し前までは迷わず「村上春樹」の名前を挙げていた。 他に挙げろと言われれば、東野圭吾、沢木耕太郎あたりの名前がまず浮かぶのが常だった。 しかし今年に入り、ひとりの作家との衝撃の出会いがあった。それにより、この問いに対する答え方にも変化が生じることとなった。 その作家とは、伊坂幸太郎。 デビュー作『オーデュボンの祈り』を読んで、何とも表現できない不思議な面白さに魅了されたのがそもそもの始まり。それから、発刊順に片っ端から読み漁った。いまのところ読んだ7冊、1冊たりともハズレなし(今後、1冊ずつ紹介していきたいと思ってますので、お楽しみに)。 ここで、伊坂作品はじめての感想レポートということで、簡単にこの作者の魅力を書いておきたい。伏線を張り巡らせ、最後にそれをまとめあげる、練りに練った緻密な構成。すっとぼけた登場人物が次々登場する、魅力的なキャラクター描写。ユーモアがありウィットに富んだ会話の面白さ。挙げればキリがないほどの魅力に溢れているが、ひとつ挙げろと言われれば、私は迷わず「文体の魅力」を挙げたい。 とにかくこの作家、文章が面白い。テンポもいいし、言葉の使い方もうまい。そして何よりもスゴイのが、なんてことのない文章なのに、読んでいてクスッと笑わされること。特に、デビュー作の 『オーデュボンの祈り』や『チルドレン』は最高に笑える。物語の語り部たちが翻弄されるさまが、もうおかしくて仕方ないのだ。私は、最初に『オーデュボン』を読み始めてすぐに、「あ、この人の本は全部読もう」と決意した。文体が面白い人の小説は、極端な話、ちょっとぐらいストーリーが退屈でも読めてしまうのだ。文章の1行1行を読むだけで、幸せな気持ちになれるから。そんな風に思ったのは、村上春樹以来のことだった。 さて、話を戻そう。 「あー、もう全部読んじゃったなぁ。早く新作出ないかなぁ」 そう思ってたところ、待望の最新作が発売された。それが『死神の精度』だ。 本書の主役は、「千葉さん」という名の死神。彼の仕事は、8日後に事故や事件で死ぬことになっている人が、死ぬにふさわしいか否かを1週間かけて調査すること。調査対象と接しつつ、彼(彼女)といろいろな話をしながら、その死に関して「可」もしくは「見送り」のどちらが適切かを判断し、報告するのである。 ちなみに、千葉さんの性格はいたってクール。人間という存在を、常に1歩引いた視点で見ている。そのため、調査の結果、ほとんどの対象に対して「可」の結論が出される。「この人、死ぬにはかわいそうだなぁ」などという同情や憐れみという感情は、千葉さんの中には存在しない。彼は、それが仕事であるから一生懸命に対象と接するだけであって、人間の死には全く興味がない。彼が興味があるのは、音楽だけ。人間社会に1週間いられると、好きな音楽をたくさん聴ける。それが、彼が1週間という時間をかけて調査をする本当の理由なのだ。 そんな千葉さんが遭遇する、6人の調査対象たち。 本書は、彼らと出会ったことで千葉さんが遭遇する、ちょっと不思議な6つの物語を集めた短編集である。なんだか、すごく面白そうでしょ?そのとおり、これが面白いのです! <以下の感想、ネタバレ含みます。未読の方は、ご注意ください> オープニングを飾るのが、タイトルにもなっている『死神の精度』。 さっそくネタバレしちゃうと、これ、いきなり「見送り」の結論が出される話なのだ。 だから、なんだかんだ死が「見送り」になるパターンが多いんだろうなぁ、などと勝手に予想してしまうのだが、それは甘い。6つ全部読んでわかることなのだが、結局、「見送り」になるのは最初のエピソードだけ。あとの5つは、全部「可」。つまり、調査対象たちはみんな死んでしまうというわけ(死ぬシーンは描かれないものが多いが)。 この『死神の精度』の終わり方が、とてもユニーク。その人を食ったようなユーモアに満ち溢れたオチは、まさに伊坂ワールド。音楽というのは、伊坂作品の重要なキーワードだ。この人、どうやら「音楽は人を救う」と本気で信じているようだ。 そのあとの4つも、それぞれ個性的で面白い。 カリスマ性をもったヤクザとの交流を描いた『死神と藤田』。藤田は、親分の裏切りもあり、敵に囲まれて絶体絶命の状況になる。藤田を尊敬する子分の阿久津は願う。「藤田さんが負けるわけがない!」でも、藤田が死ぬことは決定している。千葉さんが「可」の報告をしたから。でも、その日は千葉さんが現れてまだ7日目。つまり、藤田が死ぬのはもう1日あと。ということは、藤田は今日は死なない。勝つのだ。しかし、藤田の勝利は描かれず、そこで物語は終わる。そのエンディングが、最高にカッコイイ。 『吹雪に死神』は、閉ざされた洋館で次々に人が死ぬ、本格ミステリ風短編。オチがくだらなくて笑える。毒を使って殺そうとした女が、なぜか死なない。なぜ?それは、その毒入りの料理を、千葉さんが代わりに食べたから。死神は、死なないのだ。ヘンな話。 『恋愛で死神』は、個人的に大好きなエピソード。隣人の朝美に片想いした青年・荻原が、朝美をストーカーから守って殺されてしまう話。人間の恋愛を、不思議そうに見つめる千葉さんの視点が面白い。切ないけれど心が温まる、素敵な恋愛物語。最後、思わず嘘をつき、荻原の死を朝美に隠す千葉さん。千葉さんも、2人の恋愛を、クールを装いつつも微笑ましく応援していたのかもしれない。 殺人犯・森岡とともに東北をドライブする『旅路を死神』。道中で出会う老夫婦やセダンの何気ないエピソードを、最後の千葉さんの推理に活かすテクニックは見事。人生を川にたとえ、自分はいま地味な下流にいると話す森岡に「下流も悪くなかった」と語る千葉さんのセリフがいい。後味の良さもグッド。 この4つのエピソードは、それぞれ個性的だが、大筋は同じだ。すべて、ある意味においてはハッピーエンド。しかし、千葉さんの結論は「可」であるため、主人公たちはみな死を迎える。どうせ1週間後には死ぬのに、小さいことで悩んだり喜んだりしている人間たちを不思議そうに見つめる千葉さん、というのが基本的スタンスになっている。そして、どの話でも、常に雨が降っている。千葉さんが仕事をするときは、いつも雨が降るのだ。千葉さんは、まだ晴天を見たことがない。 ここまで読んだ時点で、この小説は、人生には必ず終わりがくるという事実を忘れて生きている人間の滑稽さをシニカルに描いたものだと判断した人もいたかもしれない。それは、間違いではない。しかし、それだけでは、この小説の真のメッセージを読み解いたことにはならないと私は思う。 それを教えてくれるのが、最後の『死神対老女』だ。このエピソードだけは、少し異質なものになっている。そして結果的にこのエピソードは、6つの短編をつなぐエピローグの役割を果たす。これを読み終えたとき、読者は、本書が短編集ではなく、実はひとつの長編だったことを知ることになるのだ。 老女は、千葉さんと会ってひと目で、彼が人間でないことに気付く。そして、彼が自分の死を見届けにやって来たこときも見破るのだ。 このエピソードと他の5つのエピソードの決定的な違いは、この老女が死を覚悟して最後の1週間を過ごす点にある。他のエピソードの主人公たちは、みな自分の死が近いことなど夢にも思わず、ジタバタと必死に生きて、そして突然の死を迎える。一方、老女は、人生の最後にまだ1度も会ったことのない孫と対面する。そして、悔いのない状態で、この世を去るのだ。 これを読み終えたとき、「人はいつか必ず死ぬ。ならば、そのとき悔いが残らないように精一杯生きろ」というメッセージが自然と浮かび上がってくる。そして実は、そのメッセージは、他の5つのエピソードの中にも隠されていたのである。というよりも、5つのエピソードのどの主人公たちも、精一杯最後まで生きたのだ。どのエピソードも、主人公が死ぬにも関わらず、後味がすこぶる良いのはそのためだろう。 そして、その全てのエピソードを通過して達した終着点が、最後の老女の物語。精一杯生きて、たくさんの死を見届けて、そして到達する悟りの境地。この老女のような死に方をするために必要な生き方こそ、藤田であり、荻原であり、森岡のような生き方なのだ。そう、全ての物語が、ここではじめて繋がる。エピソード1で死を見送られた歌手の卵が最後のエピソードで歌手になっていることが判明し、また老女の正体が実はエピソード4で登場した朝美だったというオチも、そのことを象徴している。 最後に、千葉さんはついに晴天を見ることができる。それは、老女が死を覚悟して、死神の存在を正面から受け入れたからかもしれない。もう千葉さんは、雨雲に隠れてコソコソと調査する必要がなくなったから。そして同時にその青空は、人間という存在を祝福する、優しくて温かい賛歌のようにも私には感じられた。 ■
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by inotti-department
| 2005-08-12 02:06
| book
満足度 ★★★★★★★☆☆☆(7点)
ハリウッド映画とヨーロッパ映画のどっちが好きかって聞かれると、ちょっと困る。 「どちらにもそれぞれの良さがある」なんて国会みたいな答弁はしたくないのだけれど、本当にそうなのだから仕方ない。 ハリウッド=単純、ヨーロッパ=難解という分け方がよくされる。でも、これはちょっと違う。ハリウッドにも難解で不思議な映画はたくさんあるし、ヨーロッパにも単純明快で大味な映画もある。 それでも、その分け方、あながち的外れではない。ハリウッド映画が単純なものに感じられるのは、物語やテーマの単純さということではなく、ドラマ作りの文法に忠実な作品が多いからだと思う。導入部があって、登場人物の紹介があって、事件が起こり、人物たちが奔走し、物語はクライマックスへ。もちろんパターンはいろいろなのだけれど、どういう形であれ、とっても入りやすく、物語をつかみやすいのだ。ちょっとぐらい途中でトイレに行ったり、仕事のことを考えてボンヤリしても、話についていけなくなることはほとんどない(あまりオススメはしないが・・・)。 一方、ヨーロッパ映画には、不思議なものが多い。ハリウッド映画や、あるいは日本のマンガやテレビドラマを観るような感覚でいると、話がなかなかつかめなくて苦労することが多々ある。要するに、あまり観客に親切ではないのだ。人によっては、「ヨーロッパ映画はレベルが高い」と表現することもあるのは、そういうことなのだと思う。 この『ライフ・イズ・ミラクル』にも、同じことが当てはまる。 最初の1時間、物語はドタバタドタバタと揺れ動いて安定しない。登場人物が入り乱れ、顔と名前と関係性を覚えるのにもひと苦労。しかも、話がどこへ向かっているのか、全く見えてこない手探り感覚が長い時間つづく。このペースで2時間半やられたら、どうしよう・・・。一抹の不安を感じながら、私はスクリーンを見つめていた。 <以下の感想、ネタバレ含みます。未見の方は、ご注意ください> ここで、簡単なあらすじ。 1992年、ボスニア。セルビア人鉄道技師のルカは、息子のミロシュ、妻のヤドランカとともにのどかに暮らしていた。内戦の本格化はすぐそこまで迫っているのだが、ルカには現実味が持てずにいた。しかし、戦争は、彼ら家族の生活にも容赦なく入りこんでくる。ミロシュに、軍隊への召集令状が届いたのだ。息子は戦地へと旅立ち、さらに妻はハンガリー人と駆け落ちして出て行ってしまう。ひとりぼっちになったルカのもとに、さらに衝撃の知らせが。ミロシュが敵の捕虜になってしまったという。取り乱すルカ。そんな彼のもとに、友人のトモがやって来る。彼は敵側であるムスリム人の女性を連れてきていた。そして、ルカに提案する。「彼女を捕虜にして、ミロシュと捕虜交換をしよう。そうすれば、ミロシュは戻ってくる」と。そして、ルカと捕虜女性サバーハの奇妙な同居生活がはじまった。ルカは、次第にサバーハを愛しはじめる。しかし、彼女は捕虜。息子を取り戻すには、彼女と別れなければならないのだが・・・。 こうやって字にしてみると、なんだかとっつきやすそうに思える。でも、最初の1時間の話の流れが、とても独特なのだ。これがハリウッド映画なら、ミロシュに令状が届くまでには30分もかかるまい。しかしこの映画、そこまでの長いこと長いこと。私は何の予備知識もなく観に行ったので、最初、この映画がどういう話なのかが全くつかめなかった。 そんな中で、面白いなと思ったのは、ルカの戦争との向き合い方。彼は、全然戦争を身近に感じていない。まるで他人事だし、戦争が始まろうとしていることにも気付かない。 でも、案外、市民にとっての戦争って、こんなものなのかもしれない。気が付いたら始まっていて、気が付いたら自分の大切な人が戦地に行っていた。「今日から戦争をはじめます!」っていうのも怖いけど、「気が付いたら・・・」っていうのは、もっと怖いような気がする。 さて、最初はバタバタする物語だが、ルカとサバーハが出会ってから、展開は急速にシンプルでわかりやすくなっていく。サバーハのことを愛し始めるルカ。しかし、彼女は、息子を取り戻すための捕虜。いずれは手放さなければならない。さらに、出て行った妻が突然戻ってくる。妻とサバーハのご対面という修羅場。そして、いよいよやってくるサバーハとの別れのとき・・・。 このあたりの展開は、文句なしに面白い!特に、妻とサバーハのご対面シーンは、最高に笑える。普遍的かつ王道のドタバタコメディが繰り広げられる。 しかし、忘れてはならないのは、この物語の舞台が1992年のボスニアであるということ。ドタバタコメディのバックでは、常に銃声や砲声が轟いている。そして、たくさんの命が失われている。ルカの息子も、捕虜として敵側に捕らえられているのだ。 それでも映画は、感傷的になることをあえて避ける。悲劇を悲劇として描くことは簡単だ。でも、人生には、面白くて愉快なことが、たくさん転がっているはず。監督のそういう気持ちが透けて見えて、笑えるんだけどちょっと切なくもある、なんだか不思議な気持ちになってしまった。 そして、この映画の真価が最も発揮されるのが、物語のクライマックス。ルカは、悩んだ末、敵側へ渡されるサバーハを追いかける。制止の手をかいくぐりながら。そしてあと1歩というところで、突然抱きとめられる。抱きとめたのは、解放された息子ミロシュ。ミロシュは、父親が自分を走って迎えてくれたと勘違いしたのだ。ルカは、遠ざかるサバーハを見つめながら、息子を抱き締める。そして、そんな父子を、妻のヤドランカは「ミロシュのためよ」と呟きながら、満足そうに見つめるのだった。 このシーンは本当に素晴らしい。私は、抱きあう父子の姿を見ながら大笑いしてしまった。サバーハのところに走りたい。でも、息子を放り出して走るわけにはいかない。そのルカの苦悩が手に取るようにわかって、すごくおかしかった。内戦という不条理に引き裂かれるルカとサバーハ。確かに悲劇なのだけれど、この映画は涙より笑いを優先した描き方をしている。それが、なにより心地よい。 そして、ラストシーン。サバーハと別れたルカは、自殺を図り、ぼんやりと線路に横たわる。やってくる列車。しかし、列車はルカの目前で止まる。線路にロバが立っていたために、列車が急停止したのだ。ロバに救われたルカは、再び生きる希望を取り戻し、映画は幕を閉じる。 このロバは、映画の冒頭からたびたび登場し、失恋の涙を流しながら線路に仁王立ちしている。全ては、このラストのための伏線だったのだ。失恋の涙を流す男が、失恋の涙を流すロバに命を救われる。この映画、最後の最後まで笑わせてくれる。そして、感動させてくれる。まさに、「ライフ・イズ・ミラクル」。 こんな奇跡があるのだから、人生捨てたもんじゃない。人間は、愚かで悲しい存在だけれど、それでも何度でもやり直せる。どんな声高な反戦スローガンよりも、そのメッセージはユーモアに溢れていて心に響く。 映画を観終わって、久しぶりにパンフレットを購入した。私は、基本的にパンフレットは買わないことにしている。パンフレット2冊買うお金があれば、映画の前売り券を1枚買えるのだから。それでもあえて買ったのは、映画の背景であるボスニア内戦のことを、少し勉強したいと思ったからだ。 そして、パンフレットを読んでいたら、もう1回映画を観たくなった。前半の、少し退屈にさせ感じられたドタバタ部分にこそ、ボスニアが内戦へと突入する経緯が実に丹念に描かれていたことを改めて知ったからだ。 サッカー場の乱闘騒動や、ミロシュら3人の友人たちがトンネルで遊ぶシーンに隠された本当の意味。私は恥ずかしながら、映画でそれを読み取ることはできなかった。 やっぱり、ヨーロッパ映画は難しい。 でも、もう1回観たくなるような、そんな味わい深さがある。 ■
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by inotti-department
| 2005-08-10 12:35
| cinema
サッカーの東アジア選手権、日本は中国に次ぐ2位という結果で幕を閉じた。
「なんだ、上出来じゃん?」って、思う人もいるかもしれない。でもそれは、最後の韓国戦の終了間際に中澤選手がゴールを決めたから生まれた結果なのであって、少なくとも韓国戦の後半41分まで、日本は確実に4位にふさわしいチームだった。 初戦の北朝鮮にまさかの敗戦を喫したジーコ監督は、第2戦の中国戦を前に思い切った決断をした。スタメン、総入れ替え。「まったく、子供じゃないんだから」って半ば呆れてたら、なんと最終戦の韓国戦もまたそのメンバーで臨んだから、そりゃ驚いた。 第2戦と第3戦を観てて、やっぱりちょっと私は違和感を感じずにはいられなかった。「日本で最もサッカーが上手な11人は、いまこのピッチにいる11人です!」日本代表って、そういうことでしょ?でも、あの11人が、果たしてこの国で1番サッカーが上手い11人だっただろうか。 別に、彼らに文句があるわけじゃない。彼らに責任は何もない。少なくとも、l初戦のピッチに立った11人のヘラヘラしたプレーよりははるかに好感がもてたし、組織的な練習もあまりしていないのだから、連携が乱れるのはある程度仕方ない。 でも、それはわかっていても、やっぱり違和感は消えてくれない。サッカーの代表って、そんなに軽いものなの?「この国で1番サッカーが上手い11人」として君臨してた人たちが、3日後には全員補欠になっている。そんなバカな。しかも、それを選ぶ人(つまりジーコ監督)は変わってないのに。 ハッキリ言って、あの2試合のメンバーのほとんどは、一国の代表のレギュラーを担うレベルには達していなかったと私は思う。「カニ歩き」と名付けたくなるような横パスの連続。しかも、そのパススピードの遅いこと。シュートと間違えそうになるような高速の縦パスをどんどん放り込んでくるブラジル代表なんかのプレーと比べると、なんだか悲しくなる。守備陣はともかく、攻撃陣に目立ったパスミスはなかった。当たり前だろう。だって、チャレンジしてないんだもん。 なんだか無性に、ある1人の選手のプレーが観たくなった。中田英寿選手。彼ほど試合中、ミスしまくる日本の選手って、他にいないんじゃないか。パスの精度にも、もちろん問題はある。でも、彼のプレーにミスが目立つのは、彼がガンガン「縦へ、縦へ」とチャレンジするプレーをするからじゃないだろうか。でも、そういう人って、日本では干されたりするから悲しい。「中田不要論」という言葉を、ここ数年で何度耳にしたことか。 話を戻そう。でも、彼らのプレーが消極的だったのは、選ばれた側ではなく、やはり選んだ側の責任だと思う。ジーコ監督は、「今日出る君たちが、ベストな11人だ」と本当に思っていただろうか?そうは思えない。そして、それを誰よりも感じていたのは、送り出された控えメンバーたちじゃないだろうか。彼らの自信なさそうなプレーの原因をそこに求めるのは、少し強引すぎるだろうか? ジーコ監督に、どういう狙いがあったのかは本人にしかわからない。層を厚くするため?競争意識を植え付けるため?どちらもありそうな理由だけれど、やっぱりそれだけではないだろう。ひとことでいって、今回の騒動、すごく子供じみていたと思う。「この前の試合、なんか気に入らなかったから、メンバー全員変えちゃうんだもん!」意外に真相は、そんなところじゃないだろうか。 そんなことを考えていたら、今日、あるニュースが飛びこんできた。 郵政民営化法案、参議院で否決。小泉、郵政解散へ。 「なんか気に入らないから、解散しちゃうんだもん!」 テレビの中の小泉首相の顔に、ジーコ監督がダブって映った。 ■
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by inotti-department
| 2005-08-08 23:37
| sports
満足度 ★★★★★★☆☆☆☆(6点)
原作の映像化というのは、本当に難しい。 先に読んだ原作に対する思い入れが強ければ強いほど、その後で作られる映画に対して求めるものは大きくなっていく。そして、たいていの場合、不満が生じてしまう。 これはなにも、映画に限った話じゃない。例えば、マンガのアニメ化。マンガをずっと読んできた人は、自分の中で勝手に登場人物の声をイメージしてしまう。そして、アニメが作られると、その違和感に不満をおぼえる。 要するに、原作を読んだ全ての人を満足させる映像づくりなど、まず不可能といっていい。 さて、『フライ、ダディ、フライ』はどうだっただろうか?原作は、『GO』で知られる金城一紀の同名小説だ。 <以下、映画の感想、ネタバレ含みます。未見の方はご注意ください。> 平凡なサラリーマン鈴木は、愛する妻と娘とともに、平凡だが幸せな毎日を過ごしていた。そんな日常に突然入り込んできた悲劇。高校生の娘が、見知らぬ男に暴行されて入院してしまったのだ。相手の男は、インターハイ連覇のボクシング王者・石原。鈴木は、石原を倒すために、偶然知り合った高校生・朴舜臣のトレーニングを受けることに・・・。 鈴木を演じるのは、堤真一。ひょっとすると、まずここで引っかかってしまう原作ファンも多いかもしれない。確かに、私が先に原作を読んだときには、この鈴木は、もっとくたびれた中年というイメージでとらえていた。堤はスマートだし、年齢も若い。 ただ、物語の本質は、映画も小説も同じ。訴えるテーマも、話の展開もほぼ同じ。 おそらく、原作が好きだった人は、十分楽しめたのではないだろうか。少なくとも、物語の大事な部分を省略したり、原作に出てこなかったキャラクターを登場させて物語を混乱させたり、といったよくある失敗パターンは見られなかったと思う。 それも当然。この映画版『フライ、ダディ、フライ』。脚本は、金城一紀。そう、原作者自ら脚本を手がけているのだ。 原作者にとっては、この形が一番ベストなのかもしれない。変な脚本家によって自分の作品を汚されるぐらいなら、自分で書いてしまうのが一番間違いがない。金城も、そう考えたのかもしれない。 でも、私にはこの映画、少し物足りなかった。それは、あまりにも原作に忠実だから。映画を観たことで改めて得られた”気付き”、あるいは新たな発見、そういったものは何一つなかった。 ふと、『世界の中心で愛をさけぶ』のことを思い出した。あの映画は、原作にはなかったキャラクター(柴咲コウが演じた女性)を登場させて、原作ファンから大バッシングを浴びた。 でも、私はそこが好きだった。大ベストセラーを映画化するにあたって、物語のメッセージ性を高めるためにあえて冒険した行定勲監督の心意気と勇気に、とても感動したのだった。「どうせ映画化するのなら、自分にしか作れない作品を!」それでこそ、映画人というものだろう。 しかし、この『フライ、ダディ、フライ』はどうだろう。映画人の意気込みというのが、あまり感じられない。原作の良さを確実に表現するという意味では、この映画のクオリティは確かに高い。しかし、しかし。私は、どこか食い足りなさを感じてしまったのだ。 ただ、この私の空腹感は、先に原作を読んでしまったからこそ生じるもの。小説を読んでいない人にとっては純粋に楽しめると思うし、物語のテーマにも素直に共感できると思う。この物語のもっている普遍的な魅力は、しっかりとスクリーンに表現されている。そういう意味では、やはり質の高い「原作の映像化」になっていると思う。 私が思うに、1本の映画として作品を楽しみたいときには、原作を読んだ経験というのはかえって邪魔になる。その時点で、すでに予備知識や邪念がついてしまっているから。映画は、原作うんぬんではなく映画それ自体を楽しむにかぎる。個人的にはそう思っている。 やはり、原作の映像化というのは、本当に難しい。 あ、映画を観て、小説版『フライ、ダディ、フライ』を読みたいと思った方、ひょっとしたら食い足りなさを感じるかもしれませんよ(笑) ■
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by inotti-department
| 2005-08-08 10:11
| cinema
満足度 ★★★★★★★★☆☆(8点)
アカデミー賞を受賞する映画が、常に素晴らしい作品ばかりとは限らない。 期待して観た結果、「え、どうしてこれが取れたの?」とか、「よくわからん地味な映画だなーー。でも、賞を取ってるってことは、すごい映画なのかな」なんて感想を抱いた経験のある人も多いと思う。 そんなことは百も承知で、私はアカデミー作品賞を受賞した作品は、必ず観るようにしている。 別に、アカデミー賞を信頼しているわけではない。ただ、賞を取るということは、多くの人の支持や関心を集めた作品ということだから、そこには必ず何か感ずるところがあるはずなのだ、という思いが私にはある。まぁ、単なるミーハーなのかもしれないが(笑) そんなわけで、本年のアカデミー賞で作品賞ほか主要4部門を制覇した『ミリオンダラー・ベイビー』を紹介したい。もうすでに劇場公開は終了しているし、観たのはけっこう前なのだけれど。 まずは、簡単なあらすじ。 ボクシングジムを経営するトレーナー・フランキーの前に、女ボクサーのマギーが現れる。ボクシングを教えてくれと懇願するマギーに対し、フランキーは「女は教えない」と突っぱねる。しかし、彼女の熱意に押され、ついにマギーを教えることに。マギーは瞬く間に成長し、ついにはタイトルマッチに挑戦することになるのだが・・・。 と、こうやってツラツラ書いてみると、ただのスポ根のような感じを受けるかもしれない。でも、それは大間違い。というか、このあらすじは、ただの序章に過ぎない。この「・・・」からの展開がすごいのだ! <以下の感想、ネタバレ含みます。未見の方は、くれぐれもご注意ください。> 暗い映画だという噂は聞いていたものの、まさかこんな展開が待っていようとは。ラスト30分は、目を背けたくなるような絶望的な方向へと物語は突き進む。 試合での負傷により、動けない体になってしまうマギー。もちろん、ボクシングはもう二度と出来ない。さらに、実の母親からは、財産の所有権を譲る権利書へのサインを迫られる。状態はさらに悪化し、片足切断。ついには、舌を噛み切り自殺未遂。よくもまぁ、これだけの絶望的展開を考えつくものだ、と思わず関心すらしそうになる。 マギーはフランキーに懇願する。「私を殺して。悔いはない」と。苦悩するフランキー。さて、フランキーの決断やいかに・・・。(って、いまさらラストを伏せても仕方ないか。) 暗い。確かに暗い。でも、これをただの「救いのない映画」と片付けるのは、少し違うと私は思う。彼の決断への賛否は置いておくとして、少なくとも、フランキーとマギーは互いを理解しあうことができたのだ。家庭的な問題を背負い続けた2人の暗い人生に、小さくも確かな光を与えたのは、お互いの存在だったのではないだろうか。弱さを抱えた人間たちが、肩を寄せ合い生きていく様子を見つめるイーストウッド監督の視線は、シビアだが、温かい。 ずっと連勝街道を突っ走ることができたら、人生どんなに楽だろう。でも、人生はそんなに甘くない。どんな人間だって、1度は負ける。一寸先は闇かもしれない。だったら、いまをどうやって生きる?せめて、いつかやって来る敗北の前に、自分の道に目一杯の光を与えてやればいい。あとのことは、神のみぞ知る、だ。イーストウッドのメッセージは、恐ろしいほど冷徹で、でも、恐ろしいほど真実を示唆している。 そうはいっても、マギーとフランキーが最後に選んだ道は、あまりにも辛すぎるものだ。「敗北したら撤退しろ。勝利の日々を胸に抱きながら。悔いさえなければ、それでよし。」確かに、それもひとつの道なのかもしれない。でも、でも・・・。 しかし、そんな鬱々とした私の心に、イーストウッドは最後に優しい光を差してくれた。ジムでイジメにあって以来行方不明になっていたひとりのダメボクサーが、ラストシーンで、フランキーの消えたジムに再び姿を現す。「誰だって1度は負けるんだ」だったら、もう1度ゼロから始めればいい。絶望と悲しみの物語に最後に訪れる、小さな小さな希望。 生き方は人それぞれ。だったら、私はダメボクサーのような生き方をしてみたいな、と思った。 アカデミー賞を受賞する映画が、常に素晴らしい作品ばかりとは限らない。 しかし、多くの人から支持される作品には、やはり何らかの力を持っているものが多いのも事実だ。 ■
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by inotti-department
| 2005-08-07 02:46
| cinema
子供のころ、「どうして大人は演歌なんて聴くんだろう?」って、不思議で仕方なかった。
他にも疑問はたくさんあった。「どうして時代劇なんて?どうしてニュースばっかり??どうして寅さん???どうしてゲームやらないの????」 そして、僕は誓った。「年をとっても、若者たちと同じ感覚でいられる大人になってやる!!」 あの誓いの日から数年が経ち、僕も24歳になった。 そしてもう既に、あの誓いを貫くことができるか、自信を喪失しかけている。 モーニング娘。の顔と名前が一致しなくなったのは、いつからだろう。期待の新メンバーが入ったという情報を聞いても、もやは何の興味も沸いてこない。NEWSとカトゥーン(スペルすらわからん・・・)の区別はつかないし、区別しようと努力する気にすら全くならない。 そして特に、音楽に関しては、その自信喪失っぷりが顕著である。 1年ほど前に、ふと気付いた。大学時代から、聴いているアーティストがほとんど変わってないのだ。当然ながら、購入するCDも、いつも聴いているアーティストたちの新作ばかりである。 これではいかん!ということで、この1年、自分なりにいろいろなアーティストのアルバムを聴いてみた。そして、素晴らしい音楽にたくさん出会った。 スキマスイッチ、レミオロメン、バンプオブチキン、中村一義(100s)。 この4組なんかは、本当に「いい!!」と感動したし、これからもっともっと頂点を極めていく可能性を秘めた人たちだとも思う(彼らについては、またゆっくりと)。 それでも、僕の中のベスト1は、やはり揺るがなかった。正確に言えば、ここ10年近く変わっていない。 それが、Mr.Children。そう、ミスチルである。 『深海』を聴いて衝撃を受けて以来、シングルもアルバムも全て発売日に買っている。特に、アルバムに関しては、それを購入して家で初めて聴くときのドキドキと幸福感といったら、人生の中で最も素晴らしい瞬間のひとつといっても過言ではない。そしてまた、そのアルバムの完成度の高さには、いつも感動させられる。 そのMr.Childrenが、9月21日に待望のアルバムを出す。タイトルは『I♥U』。さらに、アルバムを引っさげて、ドームツアーも行うそうな。いやはや、素晴らしいニュースだ。 周りの人に「ミスチル最高!!」って言うと、以外なほど素直に受け止められる。そこまで好きかどうかは別にして、「ミスチルいいよね」って思っている人って、20代から30代ぐらいの世代にはけっこうたくさんいるようだ。 ところで、中高生はどうなのだろう?いまの中高生で、ミスチルを聴いている人って、果たしているのだろうか?ひょっとして、「なんで大人はミスチルなんか聴くんだろ?オレンジレンジのほうがいいのに(ここで中高生を象徴するアーティストとして誰を挙げていいのかわからないところに、すでに時代についていけていない自分を実感する。。。)」なんて、思われてたりして。 子供のころ、僕が「どうして大人は演歌なんて?」って、感じてたのと同じように。 幸い、いまのところ、演歌には手を伸ばしてはいない。というか、20年後、30年後、突然演歌を聴くようになるということは、おそらくないと思う(演歌ファンのみなさん、ごめんなさい)。 でも、ミスチルは・・・。おそらくずっと聴くだろう。それが、たとえどんなに古臭い音楽と言われるようになっても。 僕の中では、もはやMr.Childrenは、演歌みたいなものなのかもしれない。 ■
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by inotti-department
| 2005-08-05 04:39
| music
満足度 ★★★★★★☆☆☆☆(6点)
突然ですが、質問です。 「あなたは本を読むとき、ブックカバーを付けていますか?」 私の答えは「No」。文庫であろうがハードカバーであろうが、コミックであろうがエロ本であろうが、表紙を隠すようなことはしたくない。これ、読書に関する、絶対に譲れない私のポリシー。 私は電車の中で、自分が読んだことがある本を他人が読んでいるのを見ると、なんだか嬉しくなる。そしてコッソリ横から覗きこんで、「へぇー、いまそこかぁ。そのあとが面白いんだよなぁ」と、余計なことを教えてあげたくなる(もちろん、そんなことはしないが)。 みんな、もっと読書体験を共有しよう!!と、私は声を大にして提案したい。 映画の感想を語り合っている人は多いけど、読んだ本について盛り上がっている光景って、あまり見かけない。「読書はひとりでするもの」って、そりゃもちろんそうなんだけれど、そんなにコソコソページをめくる必要はないじゃない。 だから、私はカバーをしない。自分がいま何を読んでいるのか、みんなに情報公開するために。「いま、こんな本が出てるんですよ!」って、本屋さんに代わって宣伝係を買って出ている私である。 さて、なぜ最初にこんな話をするのかというと、『電車男』の話なのである。 『電車男』は恥ずかしい。体がムズムズかゆくなる。 電車に乗るたびに、他人の読んでいる本を覗きこむ私だが、『電車男』を読んでいる人ってほとんど見かけたことがない。あれだけの大ベストセラーなのに、なぜだろう? そして今思い返すと、私も『電車男』を読んでいたときは、公共の場所ではあまり本を開かず、 ほとんど家で読みきったように思う。 『電車男』って、物語自体は恥ずかしくなるほどチープな恋愛ものだ。だから、「私は『電車男』を読んでいます!しかも、感動しちゃってます!」って他人に思われるのは、なんだかちょっと恥ずかしい。 だから、みんなコッソリ読んでいる。そしてコッソリ、応援している。 そしてそれは、実際に電車男をネット上で応援した、2ちゃんねるの住人たちも同じ。 彼らもまた、誰にも言わずに、コッソリ電車にエールを送っていたに違いない。そして、そんな彼らと電車男の奇妙な友情こそ、この物語の最も面白い部分であり、涙を誘うところなのだ。 私が小説『電車男』を読んで抱いた感想は、そういうものだった。「『電車男』は、友情物語である!」 <以下、映画の感想。ネタバレ含みます。未見の方はご注意ください。> さて、映画版『電車男』。この異色のベストセラー小説を、どうやって映像化する?私は興味深く、劇場に足を運んだ。 「恋愛をとるか?友情をとるか?」さて、監督の選択は? 結論からいえば、どちらを選択したのか、よくわからなかった。両方を追いかけ、両方に見せ場をつくり、そして両方とも中途半端になってしまった気がする。 個人的には、「おまえには、おれたちがついている!」という住人のセリフが、『電車男』のベストシーンだと私は思っている。そこはよく描けていた。先に本を読んでわかってはいても、やはり改めて感動した。 ただ、恋愛部分は退屈。小説ではネット上で語られるだけだった部分を実際に映像として見せられると、もう恥ずかしくてマトモには見ていられない。 ところが映画版『電車男』、2人のダラダラしたデートシーンに、尋常じゃない時間を費やしている。もっと、電車と2ちゃんねる住人たちの会話を楽しみたいのに!!そこが最大の不満。 山田孝之の急速な変身ぶりにも、少し違和感が残った。オシャレな服を買い、美容院へ行き、メガネからコンタクトに変える電車。かつては無視されていたティッシュ配りのお姉さんからもティッシュをゲットできるようになり、会社の同僚からは合コンに誘われる。 それを観ていたら、なんだかちょっと嫌な気持ちになったのだ。「要するに、人間は外見ってこと?恋をしたければ、かっこよくなれってこと?」中盤まで、私は少し複雑な気持ちで電車男の恋を見守っていた。 ところが、ラストの告白シーン。ここは素晴らしい。私は唸らされた。 エルメスに想いを伝えるために、彼女を追いかけ秋葉原へ向かう電車男。その道中、電車はコンタクトをなくし、着ていたオシャレなシャツを落とし、変身前のもとの「アキバ系」スタイルに戻ってしまう。そしてその姿のまま、エルメスに告白。 そう、大切なのは見た目じゃない。エルメスが電車男を好きになったのは、彼の真っ直ぐで純粋な内面に魅かれたからなのだ。それをビジュアルで表現する、映画版ならではの素敵な告白シーンになっていたと思う。 映画版を観て、少しだけ印象が変わった。 『電車男』は友情物語である。 でも同時にやはり、『電車男』は恋愛物語でもあるのだ、と。 ■
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by inotti-department
| 2005-08-03 23:37
| cinema
満足度 ★★★★★★★★★☆(9点)
上映が終わった後の、劇場内のトイレでの出来事。 誰かが笑いながら呟いた。 「うーん、イマイチだなぁ。いろいろと詰め込みすぎだよね」 映画の見方は、人それぞれ。同じものを観て、感動する人もいれば失望する人もいる。 そんなことは、言われなくともわかっている。 それでも、私は思わずこう叫びたい気分に襲われてしまった。 「いろいろと詰め込むに決まってんだろーー!30年つづいたシリーズの、完結編なんだぞ!ここで全て詰め込まないで、一体いつまで温存しとくっていうんだよ、このボケがーー!!」 自慢じゃないが、超小心者の私。もちろん、声にも表情にも出さなかったが。 そんなわけで、話題の『スター・ウォーズ エピソード3』を、ようやく観ることができた。 全6部作(もともとは9部作と言われていたが、どうやら監督のルーカスには、あと3作撮るつもりはないようだ)の完結編、その出来栄えやいかに? ここで、簡単なあらすじの紹介。 ドゥークー伯爵率いる分離主義者たちの反乱により、共和国の秩序は崩壊寸前。議長のパルパティーンは独裁色を強め、アナキンを重用していく。ヨーダらジェダイ騎士たちは、そんな議長に不信感を持ち始め、アナキンに議長のスパイを命じる。しかし、その頃アナキンは、妊娠したパドメが死ぬ悪夢に悩まされ、精神を乱しはじめていた・・・。 <以下の感想、ネタバレ含みます。未見の方は、ご注意ください> 結論から言おう。 素晴らしい。堂々たる完結。シリーズ最高の出来といっていいと思う。 エピソード「1」と「2」のグータラっぷりも、全ては「3」への伏線だったということで水に流そうではないか。それぐらい、面白い。 「3」の見所は、そりゃもう観る前から決まっている。 アナキンがいかにしてダース・ベイダーになるのか? ハイライトがいずれやってくることがわかっているぶん、前半は劇場全体に妙な緊張感があり、なんだかソワソワして落ち着かない。 そして中盤、アナキンがダークサイドに堕ち、ついにダース・ベイダー襲名。 そこから物語は、シリーズ史上最悪の悲劇へと突き進む。 こうなってくると、もはや冷静にスクリーンを直視できない。 私の横に座っていた50歳ぐらいの女性の方など、途中からずっとすすり泣き状態に入ってしまっていた。 そしてクライマックスは、アナキンとオビ=ワンの悲しき対決。 実を言うと、この展開は、観る前からだいたいわかっていた(スター・ウォーズを5作観続けてきた人なら、ほとんど同じだろう)。予告編も、ほぼこの流れで作られていたし。 でも、それでよいのだ。30年にわたるシリーズの完結編。意外性などもはや必要ない。私たちが見たいのは、ダース・ベイダーに生まれ変わるアナキンの変貌であり、それを止められずに絶望するオビ=ワンやヨーダの悲しみなのだから。 たしかに、展開に強引な面があるのも事実。 例えばパドメの死は、物語の流れのうえで都合よく扱われた感もあるし、オビ=ワンやヨーダが長期の撤退を決める流れも、エピソード4との繋がりのために唐突に作られたという印象を受けた。 でも、それでよいのだ。何よりも大切なことは、「3」の最後と「4」の最初がしっかりと繋がること。ルーク。レイア。タトゥイーンの太陽。涙こそ流さなかったが、最後は震えが止まらなかった。 さて、ここでちょっと脱線して、旧3部作と新3部作の比較を。 旧3部作は、善悪の関係が非常にハッキリしていてわかりやすい。「悪の独裁国家・帝国」VS「善の民主主義国家・共和国(反乱軍)」の戦いだ。 一方、新3部作は、対立の構図が見えにくくなっている。共和国、ジェダイ、分離主義者、シス。様々な立場が入り乱れ、ちょっと混乱させられる。個人的には、「1」と「2」の物足りなさは、その「わかりにくさ」に起因していると思う。 ところが、「3」を観て、私はそこに面白さを感じた。 分離主義者の反乱を抑えようとする共和国。ここまでは「善」だ。しかし、武力によって秩序を取り戻そうとする共和国は、次第に独裁軍事国家になっていく。そして気が付いたら、シスと一体化して「悪」の帝国になってしまうのだ。 なんだか、これって怖くないか?ひょっとして、これって、現実社会に置き換えられやしないか? 例え話をしよう。ある国で、テロが起こる。これを鎮圧して秩序を取り戻そうと、国家は軍事力によってひとつにまとまる。そして国民の支持のもと、テロを鎮圧する。しかし、テロリストがいなくなったその国には、軍事力と、それをまとめあげる独裁的な政府が残る。そして、その力によって世界をもひとつにまとめあげようとする。 「善」だと思っていたものが、気が付いたら「悪」になっていた。なんだか、とても怖い話ではないか。 こんな状況だと、そこにいる国民はとても混乱する。「え、何を信じたらいいの?一体、誰が正しいの?」そして、気が付いたら、自分も「悪」の一員になっていたりする。 さて、映画の中で、同じように混乱している男がいなかっただろうか? そう、アナキンだ。 エピソード3に批判的な声の中で圧倒的に多いのは、「アナキンがダークサイドに堕ちた理由に説得力がない」というもののようである。 反論したい。説得力がないのは、当たり前だ。理由なんて、実は特にないのだ。 そう、アナキンは、”気が付いたら”ダークサイドに堕ちていた。 戦争は、ひとりのピュアで弱い青年を、悪にする力を持っているのだ。 いろいろと小難しいことを言ったが、もちろんそれはスター・ウォーズの本当の楽しみ方ではない。あくまでも、スター・ウォーズというのは、娯楽冒険活劇なのだ。 「泣ける」と評判のエピソード3だけど、実はそれほど泣きどころはない。 泣ける映画にしようと思えば、もっといくらでもやり方はあったと思う。 でも、ルーカスはそれをしなかった。スター・ウォーズは、あくまでも娯楽冒険活劇だから。 「3」においても、無駄に長い戦闘シーンは健在。削ろうと思えば、いくらでも削れるのだけれど。 それが、私は何よりもうれしかった。 スター・ウォーズ、堂々たる完結。 そしてSWは、伝説から神話になった。 ■
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by inotti-department
| 2005-08-02 03:42
| cinema
はじめまして。
「ブログをはじめる!」と友人に宣言してから、はや1年の月日が流れました。 「今日は忙しいから、また明日」と言い続けて、気が付けば365日経ちました。 自分の行動力のなさには以前から少なからぬ自信がありましたが(持つなよ、そんなもん)、まさかここまでヒドイとは。自分でも驚きでした。 そんな私が、ブログはじめました!いまさらですが。 テーマは、エンタテインメントです!これもまた、いまさらですが。 特別なことをやろうとは、これっぽっちも考えていません。観た映画、読んだ小説、聴いた音楽。様々な感動との出会いを、あれこれ綴っていきたいと思っています。 ルールも、何もありません。映画や小説以外でも、「これは!」と思うようなものとの出会いがあれば、どんどん紹介していきたいと思います。 あ、でも、2つだけルールがあります。ルールというか、モットーというか。 1、私は一介のサラリーマンですが、仕事の話は書かないつもりです。ネット上で、自慢されたり愚痴られたりしても、読んでる人は少しも楽しくないと思うので。 2、「けなすより褒める」を基本とします。どんなに救いようのない駄作でも、何かひとつでも素晴らしい点があれば、それを見つめて、大切にしてあげたいと思います。 ま、あくまでも「現時点でのルール」ですが。ルールというのは変化するのが世の常ですので、あまり当てにはならないかもしれません。 ブログを始めることで、自分の人生に劇的な変化が訪れるなんてことは、もちろん期待していません。 でも、何かちょっと楽しいことが起きるんじゃないか。そんな根拠のないワクワク感が、いま胸の中を駆け巡っています。 さてさて、挨拶はこのへんにして。 ウダウダ言っていても何も生まれませんので、とにかく手探りで走りはじめてみたいと思います。 それでは、どうぞヨロシク。 ■
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by inotti-department
| 2005-08-01 12:45
| 自己紹介
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映画・小説・音楽との感動の出会いを、ネタバレも交えつつ、あれこれ綴っていきます。モットーは「けなすより褒めよう」。また、ストーリーをバッチリ復習できる「ネタバレstory紹介」も公開しています。
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